大阪大学大学院医学系研究科 生体統御医学講座 麻酔集中治療医学教室

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    大阪大学大学院医学系研究科 麻酔集中治療医学講座 TOP>各種マニュアル>気道管理マニュアル>3・胸部手術の麻酔管理について(1)

    気道管理マニュアル

    ここでは基本的な気道確保の方法から、
    挿管困難症例に対する対応や分離肺換気
    の方法など麻酔管理上必要な特殊な気道
    管理の方法までについて解説する。

    3・胸部手術の麻酔管理について(1)

    気道管理マニュアル

    肺および気道系手術の麻酔について


    目次

    I.気道系の解剖について
       II. 術前の画像診断
      III. 肺手術の麻酔に必要な呼吸生理
      IV. 呼吸機能検査
       V. 術前準備
      VI. 分離肺換気について
     VII. 分離肺換気時の換気設定
    VIII. 分離肺換気時の低酸素血症・換気不全に対する対策
      IX. 肺手術時の麻酔法の選択
       X. 挿管困難と分離肺換気
      XI. 気管・気管支に狭窄のある症例の管理
     XII. 開放気道を有する症例の管理
    XIII. 気道異物の気道管理
    XIV. 抜管後の呼吸異常に関して
      ○ 麻酔科医に 必要なファイバースコープの知識


    はじめに

     肺および気道系手術の麻酔で最も大切なポイントは術前の評価と準備である.適切な評価の元に十分な準備ができていれば術中のあらゆるトラブルに迅速に対応 できるはずである.そのためには気道系の解剖や呼吸生理を十分理解しておく必要がある.
    「備えあれば憂いなし」

    I. 気道系の解剖について

    日本人成人の気管の長さは12-3 cmであり直径は男性で平均18 mm, 女性で15 mm程度である.気管径は平均で欧米人よりも2 mm程細い.気管径と左右主気管支径とはよく相関しており,気管内チューブのサイズを選択する際には気管径を元に選択するとよい.
    右肺は上葉(B1,2,3)・中葉(B4,5)・下葉(B6,7,8,9,10)の3葉に分かれており,左肺は上葉(B1+2,3,4,5)・下葉 (B6,8,9,10)の2葉に分かれている.レントゲン計測80例のデータでは右主気管支の長さは男性で平均13.6 mm女性で11.7 mmであるのに対し左主気管支の長さは男性で44.9 mm, 女性で40.5 mmと長かった.なお気管分岐部での分岐の角度は右が25度に対し左が45度程度である.このため気管内チューブを深く進めると多くの場合右気管支に先端が進入する.
    気管支の分岐様式は症例ごとに異なっており,特に右側ではanomalyが多い.右上葉気管支が気管から直接分岐するtracheal bronchusは分離肺換気時に思わぬトラブルを起こす原因ともなるが,頻度としては50例に1例程度といわれている.心奇形を有する症例では気道系 のanomalyも多く注意が必要である.左の写真はtracheal bronchusを有する症例のものであり,右上葉気管支は気管から直接分岐している.さらにこの症例では大静脈が左側に存在してる.基本的な解剖に加え てこのようなanomalyについても知っておかなければならない.これらの解剖学的構造を正確に評価するために術前の胸部レントゲン写真,CT画像を正 しく読み取ることが大切である.胸部レントゲン写真では気管のシルエットは容易に確認できるが,主要気管支については必ずしも確認することは容易でない. 従って気管支の分岐様式などについてはCT画像の読影が大切となる.
    左下のCT写真は気管と右上葉気管支の分岐部のレベルの断面であり,右下のCT写真は 気管と右中間気管支幹の分岐部のレベルの断面である.この症例では2つの分岐部間の距離は4cm程度であった.

    II. 術前の画像診断

    分離肺換気が必要となる手術では単純レントゲン写真だけでなくCT画像が得られている.また術前にファイバースコープ検査が施行されている場合にはこれら の情報にも注意しておくとよい.こういった術前検査の情報を元にダブルルーメンチューブ(DLT)の種類やサイズの選択,管理方針をたてることが重要であ る.
    また,間質性肺炎,気胸,bullaの存在の有無や,肺門近辺病変では末梢性の閉塞性肺炎の有無などにも気を配っておくことが大切である.

    II-1. 胸部単純レントゲン像

    通常の立位単純撮影は乾球からの距離が3mのPA像である.従って写真上での気管の拡大率はおおよそ1.05-1.1倍である.このことを元に画像計測を 行えば実際の気管径や左右の気管支長など有用な情報を得ることができる.またCT画像があればCT画像から気管の横径を知り,これと単純撮影像上の気管の 横径から拡大率を算出し他の各部位の実寸を得てもよい.もちろん気管径は高さによって異なるので,同じ高さで比較しなければならない.CT画像では気管の 断面像を知ることができるために単純撮影では得られない情報を得ることができ有用である.
    左のレントゲン写真は右上葉肺癌の症例のものであるが,気管径が 細く32Frのサイズのダブルルーメンチューブしか使えそうにないことが判断される.もちろん最終判断にはCT画像の気管の横断面の情報が必要である.
    なお,単純撮影像では気管の透瞭像を確認することは容易であっても左右の気管支の全体像を追跡することは必ずしも容易ではない.近年のレントゲンシステム はCR (computed radiography)になっていることが多く,1回の撮影データに対して種々の処理を行い階調の異なる複数の画像を作成することができるようになって いる.このCRシステムを活用し,単純撮影像をハイコントラスト化してやれば,単純像では困難な気管支の追跡もかなり容易になるため有用である.左の写真 ではハイコントラスト化によって主要気道がはっきり識別できるようになっている.また,画像計測システムを利用すれば画像のサイズを計測することも可能で ある.
    このようにして術前の画像情報から適切なチューブの種類やサイズを決定することができる.さらに気管の偏位度などを注意深く見ておけば左用DLTがうまく 左主気管支に挿入できるかどうかも推定可能である.気管が右側に偏位している症例は要注意である.
    左の写真は結核後遺症で気管が著しく右方へ偏位しているが,このような病変を有する患者ではしばしば左用ダブルルーメンチューブの先端をうまく左気管支内 に進めることが困難である.右主気管支長が10mm以上あるならば右用ダブルルーメンチューブの使用を考慮した方がよい.本症例では十分な長さがあること がこの写真から読み取れる.なおこの写真では左肺野に肺アスペルギルス症の菌球が写っていることも読み取れる.

    II-2. 気管支ファイバースコープ(FOB)による観察

    術前の評価は画像によるものが主体であるが,術中にはFOBによる観察が最も重要となる.従って,FOBの操作法に習熟するだけではなくFOBの視野から,的確な診断が行えるだけの知識も必要となる.気道系手術のエキスパートになるためには最低でも左右の葉気管支(lobular bronchus)をFOB下に確認でき,そこに誘導できるだけの技術が必要である.気管支ファイバースコープによる気道系の観察に関しては別項を 参照して頂きたい.

    III. 肺手術の麻酔に必要な呼吸生理

    肺手術では通常非術側肺のみを換気する分離肺換気が行われる.ここでは分離肺換気時に適切に酸素化を保ち適正な換気を行うために知っておくべき生理学的知 識を解説する.

    III-1. Hypoxic pulmonary vasoconstriction (HPV)について

    動脈血の酸素化を維持するためには換気血流比を適正に保つことが重要である.生体には自動的に換気血流比を是正する機構が存在する.これをHPVと呼ぶ.HPVは低酸素状態にある肺胞への肺血流を減少させることにより機能的シャントを減少させ,換気血流比を是正する機構である.肺胞酸素分圧(PAO2) が80-90 mmHg程度からHPVは起こり始め,60 mmHgでは肺血管抵抗は20%上昇し,さらに45 mmHg前後になると肺血管抵抗は50%上昇する.なお混合静脈血酸素分圧が高いとHPV反応は消失することが報告されている.HPVの詳細なメカニズム に関しては現時点では解明されていないが,HPV反応は血管のみを取り出しても起こることから血管自体にその機構が備わっていることが示唆されている.現 在のところCa2+チャンネルの関与が示唆されている.また,血管以外にもいくつかの機構が関与していることが知られている. HPVは肺手術における分離肺換気時の酸素化を考える上で重要である.側臥位になると下側肺(dependent lung)の肺血流は平均して60%となる.この状態で下側肺のみを換気(分離肺換気)するとHPVによって非換気肺(non-dependent lung)の血流は元の50%減少し全体の20%になる.循環・呼吸系に異常がない症例で,純酸素で換気していたとすればこの状態ではPaO2は 280mmHg程度となる.もし仮にHPVが全く作用しなかったとすればPaO2は50mmHg程度まで低下し重篤な低酸素状態に陥ってしまう.
    さて,HPVは揮発性麻酔薬を含め術中使用される薬剤や様々な要因により影響を受けることが知られている.静脈麻酔薬(プロポフォール,チオペンタール, チアミラール)はHPVに影響しないが,揮発性麻酔薬(イソフルラン,セボフルラン)はHPVを抑制する.また,各種血管拡張薬もHPVによる血管収縮を 抑制することにより結果として酸素化を悪化させる.Dominoらは1 MACのイソフルランによってHPV反応の21%が抑制されることを示した.従って1 MACのイソフルランによりHPV反応は40%となり,結果として非換気肺の血流は20%から24%に上昇する.従って1 MACのイソフルランによりPaO2は280 mmHgから205 mmHgに減少することになる.このように揮発性麻酔薬はHPVを抑制するが,その抑制の程度は種々の要因に左右される.ここに示したように健常な肺の場 合にはPaO2は大きく低下するが,205mmHgは呼吸管理上問題とならない値である.一方,肺に種々の疾患が存在する場合には 元々のPaO2は280 mmHgより低くなるもののHPV反応の抑制も減弱されることが多く結果としてPaO2が問題となるほど低下することは比較的稀である.従って,揮発性麻酔薬がHPVを抑制するからといって肺手術の麻酔には静脈麻酔薬が適しているとは必ずしも言えない.

    III-2. 分離肺換気時の適正換気

    先に述べたように酸素化を保つためには換気血流比の不均衡の是正が重要であるが,一方PaCO2は基本的には分時換気量で規定され る.これは二酸化炭素の拡散能が酸素の20倍近く大きいためである.
    PaCO2は PETCO2(呼気CO2濃度)とよく相関するため,PETCO2はPaCO2のよい指標となる.もちろん両肺換気時と比較すると分離肺換気時にはPETCO2とPaCO2の差は大きくなるが,それほど問題になるレベルではない.しかしながら特殊な状況下ではこれら2者の差が大きくなることがあるため注意しなければならない.
    たとえばチューブのサイズや位置異常などの理由で呼気の延長から部分的再呼吸が生じると,PETCO2とPaCO2の差は拡大する.中等症以上のCOPDを合併している症例ではチューブ位置などに異常がなくても呼気が延長しており,十分な呼気時間を設定しないと部分的再 呼吸によりPaCO2が上昇する.
    チューブの位置異常で換気不全が高度となると肺胞気が呼出されなくなりPETCO2が低下するにも係わらず PaCO2は上昇してしまう.もちろんこのような状況が生じる場合には気道内圧は上昇しており,用手換気を行えば換気が適正であるかどうかはすぐに判断できる.

    IV. 呼吸機能検査

    術前の呼吸機能検査も重要である.一般的な血液ガスデータ,努力肺活量(FVC), 一秒量(FEV1.0)だけでなく、拡散能をみるDLCOなどにも注意しておく.特に結核後遺症やCOPDなどを合併している場合には術中に分離肺換気で酸素化が保てない可能性もあり注意しなければならない.現実には術中は側臥位となり血流の換気肺へのシフトが起きるだけでなく前述のような麻酔薬のHPV への作用などもあり,分離肺換気によって危機的な低酸素状態に陥るかどうかを術前検査から推定することは必ずしも容易ではない.COPDで閉塞性障害が強い場合には分離肺換気を行ってもエアトラッピングのために非換気側の肺がなかなか虚脱しないこともある.こういったことを予測しておかないと開胸時に肺損傷を起こす可能性もある.

    V. 術前準備

    肺手術を受ける症例では喫煙者の頻度が高い.喫煙は周術期の肺合併症を増加させるので,術前準備として禁煙は非常に重要である.禁煙は一酸化炭素ヘモグロ ビン(CO-Hb)濃度を低下させるだけでなく,気道の繊毛運動を正常化させ,喀痰量を減少させる.可能な限り早く禁煙させることが大切である.実際,喀 痰量の少ない症例では術前の呼吸機能がかなり悪くても術中の分離肺換気時にも低酸素状態を来す頻度が低く管理に難渋することは少ない.一方で喀痰の多い症 例では術前の呼吸機能データが正常範囲であっても術中に喀痰による気道閉塞から低酸素状態に陥ることもしばしばで管理に難渋しがちである. また,術後の喀痰排泄能力を高めるためにも呼吸機能訓練(呼吸リハビリ)を施行しておくことが推奨される.

    VI. 分離肺換気について

    肺を操作する手術では手術操作を助けると同時に切除されない肺を保護するために分離肺換気が推奨される.分離肺換気を行う方法には以下の方法がある.
    1. ダブルルー メンチューブ(DLT)を用いる.
    2. 気管支ブロッ カー(BB)を用いる.
    3. シングル ルーメンチューブ(SLT)を一方の気管支まで進める.
    ゴールドスタンダードはDLTを用いる方法である.
    また以下に分離肺換気の適応を示す.

    [表1] 分離肺換気の適応

    絶対的適応

    1. 他肺からの感染性分泌物・血液の流入阻止
    A. 肺膿瘍・膿胸などの感染症
    B. 大量出血(喀血)

    2. 開放気道が存在する場合
    A. 気管支瘻・気管支皮膚瘻
    B. 手術が主要気道に及ぶ場合
    C. 気管・気管支の損傷

    3. 一側の肺胞洗浄
    A. 肺胞蛋白症

    相対的適応
    1. 術野の視野確保
    A. 胸部大動脈瘤
    B. 肺全摘術
    C. 胸腔鏡手術
    D. 肺葉切除術
    E. 食道切除術
    F. 胸椎手術

    VII. 分離肺換気時の換気設定

    基本的には両肺換気時と同じ設定で換気する.これまでの教科書では両肺換気時には1回換気量を10 ml/kg, 換気回数を10-12回/分,I:E比は1:2が標準とされていた.しかしながら現在行われている硬膜外併用の麻酔や,レミフェンタニルをベースとした鎮 痛がしっかり行われている麻酔では前述のような換気設定を行うと過換気となってしまう.現在のバランス麻酔の元では,1回換気量を7-8 ml/kg,換気回数を8-10回/分で適切な換気量となることが多い.従って分離肺換気時にもこの設定を目安とする方が理に適っている.この程度の設定 の場合,チューブ位置が適切であれば吸気時のプラトー圧が極端に高くなることはないと考えられる.
    DLTを使用している場合などは気道抵抗の上昇により「みかけ」の最大気道内圧が上昇するが,実際にこの圧が肺胞に掛かるわけではないため,最大気道内圧を目安に1回換気量を調節するべきではない.可能ならば吸気流速を減らせば,同じ換気量,I:E比,換気回数のままで最大気道内圧を低下させることが可能 である.細いDLTを使用している場合には呼気延長が生じ易いためI:E比を1:2.5-3程度に設定した方がよいこともある.
    吸入酸素濃度は分離開始時には必ず100%とする.若年者の自然気胸など肺実質に病変のない症例では酸素濃度を下げて管理することも可能であるが,術中の種々のトラブルの可能性を考慮すればむやみに下げるべきものではない.酸素中毒が生じる可能性を考慮し,下げた方がよいとするものもあるが、現在のところヒトで明らかな酸素中毒が起きる確たる証拠はない.Benumofも酸素濃度は下げない方がよいとしている. また,亜酸化窒素の使用に関してはカフ内圧の上昇からチューブの位置がずれることもあり,使用すべきではないと考えている.亜酸化窒素の鎮痛作用を利用して麻酔薬濃度を低くすることを考慮するのならば,硬膜外麻酔や麻薬などを積極的に使用することにより麻酔薬濃度を必要最小限にコントロールする方が望ましい.