芽細胞発癌説(fetal cell carcinogenesis)

芽細胞発癌説とは甲状腺癌の発癌メカニズムをより良く説明するために我々が提唱する発癌仮説で2000年の国際甲状腺学会で初めて報告しました。以下にその詳細を記します。また類似のアイデアがNatureに掲載されています。(Stem cells, cancer, and cancer stem cellsVol.414、pp106、2001) 芽細胞発癌説の詳細は元の論文も参照してください。(Takano T. Fetal cell carcinogenesis of the thyroid: Theory and practice. Semin Cancer Biol 17: 233, 2007)


1.芽細胞発癌説の基本的な考え方
-癌は未分化な細胞の遺残から発生する

 癌は正常細胞が遺伝子(DNA)の変異を起こし、癌抑制遺伝子や癌遺伝子の活性に変化をきたすことで増殖能が増し、生体内でセレクションを受けることで転移能や浸潤能といった悪性形質を獲得して発生するというのが、現在常識的に考えられている癌発生のメカニズムであり、多段階発癌説(multi-step carcinogenesis)と呼ばれる。しかし、甲状腺癌での様々なエビデンスを検討すると、甲状腺癌が多段階発癌のメカニズムで発生するとするにはあまりに矛盾が多いことがわかる(後述)。これらの矛盾を解決し、しかも甲状腺癌の発生をきれいに説明するために高野らが提唱している理論が芽細胞発癌説である。 この理論の本質は「癌細胞の発生機序として、分化した正常細胞が増殖とセレクションを繰り返すうちに悪性形質を獲得するのではなく。元々転移・浸潤能を持った未分化な芽細胞が分化することなく増殖したものから発生する」(図1)としたことにある。この単純な発想の転換が後述のいくつもの矛盾点を解決するのである。

       

               図1 甲状腺癌の芽細胞発癌の概念

   Takano T and Amino N: Endocrine J 49, pp97-107, 2002

2.多段階発癌説の問題点

 多くの甲状腺の教科書には甲状腺腫瘍は正常甲状腺濾胞上皮細胞が分裂を繰り返すうちに増殖能を獲得して発生し、悪性化して分化癌を経て未分化癌まで変化するする多段階発癌説が書かれてい(図2)。しかし近年、下記のようにこのモデルに矛盾する臨床的・実験的エビデンスが数多く提示されるようになった。

          図2 甲状腺癌の多段階発癌説

1)濾胞上皮細胞は増殖能力がほとんどなく、一生のうち6-8回程度しか分裂しないとされる。このような少数回の分裂の間に腫瘍化・悪性化につながる変異を都合よく獲得するとは考えにくい。
2)遺伝子異常の蓄積で癌化が起きるなら、分化癌から発生する未分化癌は分化癌の遺伝子異常を引き継ぐはずであるが、甲状腺癌における遺伝子異常はおおむねそれぞれの癌の病理型に特異的で、たとえば分化癌特異的に高率に認める遺伝子異常であるPAX-8/PPARγ1RET/PTC は未分化癌では検出されない。
3)放射性ヨード治療などで成人の濾胞上皮細胞に放射線を照射しても甲状腺癌の発生率は全く上昇しない。
4)未分化癌の多発遠隔転移巣で、各転移部で分化癌と未分化癌が共存している症例がある。未分化癌の細胞は非常に増殖が速いことが知られており、分化癌の細胞が未分化癌の細胞に転化したのだとすれば、これら多数の転移巣でまるで申し合わせたかのように“よーいドン!”で同時多発的に未分化転化を起こしたことになってしまう。

3.芽細胞発癌説で見る甲状腺癌の発生メカニズム

 芽細胞発癌説の基本理論は非常にシンプルである。従来の多段階発癌説では転移能・浸潤能を持たない正常細胞が遺伝子異常の蓄積により脱分化して悪性形質を獲得して癌細胞に変化するとする。これに対して、芽細胞発癌説では幹細胞・前駆細胞をはじめとした元々移動能・浸潤能・増殖能を持つ発生途上の細胞が何らかの原因で分化を止めたものから「分化なき増殖」(proliferation without differentiation)で直接発生するとしている。すなわち、芽細胞発癌説では多段階発癌説とは逆に未分化な細胞から分化した細胞が発生することで腫瘍が形成されることになる。これは近年の癌幹細胞の研究で実際に観察されている事実である。また、幹細胞からの発生段階を含めて考えると、多段階発癌では細胞がいったん分化して再び脱分化するという長く複雑な経路で癌に変化するのに比べ、芽細胞発癌説では胎児性細胞からワンステップで癌が発生する非常に簡潔なモデルとなる。胎児期の甲状腺は咽頭部で発生し、発生が進むにつれてゆっくり大きくなりながら移動する。移動途中で甲状腺特異的遺伝子であるサイログロブリンを発現するようになり、引き続き濾胞を形成して最終的に前頚部に落ち着く。この移動過程には他の細胞間をすり抜ける能力、つまり転移能・浸潤能が必要である。すなわち胎児甲状腺細胞はサイログロブリンを発現し、転移・浸潤を起こしながらゆっくり増殖するというまさしく甲状腺分化癌にそっくりな細胞である。芽細胞発癌説では甲状腺において癌の発生母地として少なくとも3種類の細胞を推測している(図)。一つ目はサイログロブリンを発現せず、胎児性蛋白である癌胎児性フィブロネクチン(oncofetal fibronectinonfFN)を発現している未分化な細胞甲状腺幹細胞:thyroid stem cellであり、強力な移動能力を持ち、数が少なく滅多に分裂しないが、増殖サイクルに入るとより分化した細胞を発生させる能力がある。この細胞は未分化癌の発生母地であると考えられる。二つ目はサイログロブリンと癌胎児性フィブロネクチンの両者を発現する細胞(甲状腺芽細胞:thyroblastである。この細胞は甲状腺特異的遺伝子をある程度発現しており、転移・浸潤能を有してゆっくりと増殖する。甲状腺芽細胞は乳頭癌の発生母地である。三つ目は正常甲状腺濾胞上皮細胞と甲状腺芽細胞との中間段階にある細胞(前甲状腺細胞:prothyrocyte)で、濾胞を形成し、サイログロブリンを発現するが、もはや胎児性蛋白である癌胎児性フィブロネクチンを発現しない。このような細胞から濾胞性腫瘍(濾胞癌・濾胞腺腫)が発生する。最近のヒト胎児組織の解析でこれら3つの細胞に類似した細胞が実際に存在することが確認されている。甲状腺芽細胞から正常甲状腺濾胞上皮細胞に変化する特定の段階で胎児性甲状腺細胞は癌細胞の転移能・浸潤能に相当する移動能を失うものと考えられる。従来甲状腺癌を発生させる癌遺伝子と考えられてきたBRAF, RET/PTC, PAX8/PPARγ1は胎児性甲状腺細胞の分化をブロックする働きがあることになる。


                  図3 芽細胞発癌説(fetal cell carcinogenesis)

*癌形質を規定する発生分化の軸(縦)とそこから増殖する過程の二次的変化の軸(横)で最終的な癌の性質が決定される。


4.芽細胞発癌説を支持するエビデンス

 いくつかのエビデンスがこの仮説を支持する。ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故において成人には発癌作用がない放射性ヨードが、幼児に甲状腺癌を発生させた。この事実は若年者の甲状腺内には成人とは異なる細胞があり、それを発生母地として甲状腺癌が発生することを示唆する。また乳頭癌でよく観察されるRET/PTC遺伝子をマウスに導入した実験で、この遺伝子をヘテロに導入した場合は、乳頭癌が正常甲状腺の中に発生する。ところが、両方のアレルにホモで導入すると、乳頭癌を発生するが正常甲状腺は消失し甲状腺機能低下症となる。前述のようにRET/PTCに甲状腺芽細胞が正常濾胞上皮細胞に分化するのを阻害する作用があると考えれば、この実験結果はよく理解できる。すなわち、RET/PTCがヘテロに導入された場合は分化阻害の程度が弱く、一部の芽細胞は分化して正常濾胞上皮細胞を形成するが、ホモで導入された場合は完全に分化がブロックされ、正常甲状腺が発生しないのである。さらに、近年報告された甲状腺腫瘍の遺伝子発現プロフィールではほとんどの遺伝子は発現レベルが正常甲状腺組織、濾胞腺腫、濾胞癌、乳頭癌、未分化癌の並びで変化し、例外を見つけるのは困難である。この並びが芽細胞発癌説で示された胎児甲状腺細胞の発生段階に対応していると考えると非常に理解しやすい。


5.芽細胞発癌で見た未分化癌

では、未分化癌はどのようにして発生するのであろうか。未分化癌の発生母地については 1)サイレントな静止状態で何十年も生存できる、2)より分化した細胞(肉眼的に見えるようになると分化癌として認識される)を発生しうる、という性質があると考えられ、いずれも幹細胞を想起させる。未分化癌の発生機序については次のように考えられる。まず、甲状腺発生初期に存在する甲状腺幹細胞が何らかの原因で消滅せずに遺残する。この細胞はサイレントな状態でそのまま長期間存在するか、あるいは時折分裂してより分化した細胞を産生し、これらの細胞が増殖すると分化癌として見えるようになる。このような状態で数十年経過し、幹細胞が一定回数以上分裂するともはやサイレントな性質を維持できなくなり、自身が未分化な腫瘍として増殖を開始し、臨床的な未分化癌に変化する。芽細胞発癌説ではこの現象を幹細胞危機(stem cell crisisと定義している。最近、この現象を実験的に再現したデータが報告された。間葉系幹細胞を長期間培養しつづけると、一定回数以上の分裂を経過すると、染色体に異常をきたして大部分が死滅する(cell crisis)。ところが、ごく一部の細胞は生き残り、未分化癌と同様な染色体に広汎な異常をきたした癌細胞として突如増殖を開始するのである。すなわち、幹細胞はその性質を永遠に維持できるわけではなく、いつかは死滅するか、癌化するか、いずれかの状態に陥るのである。

 

6.リバースアプローチと甲状腺癌診療の将来像

甲状腺癌の予後は一般的には良好で5年生存率は90%程度であるが、逆に言うと10%の患者は癌死する。癌死するタイプの癌は手術しても再発し、遠隔転移を来たし、最終的には低分化あるいは未分化で増殖の早い腫瘍に変化して死に至る。甲状腺分化癌が癌死するタイプかそうでないかは手術標本の病理学的検討ですでに低分化の形態を取っている場合以外はほとんどわからない。すなわち、甲状腺腫瘍においては転移・浸潤する腫瘍と患者を癌死に至らせる腫瘍は必ずしもイコールではなく、現状では後者か否かを判定する手段はない。芽細胞発癌説では癌死するタイプの腫瘍は現在の技術では検出不可能な幹細胞に類似する幼弱な細胞成分を少数含んでいるものと推察する。今後はこのような組織中の少数の細胞成分を遺伝子発現等を指標として検出する技術の開発が必要である。現在我々が開発を進めているFACS-mQはこの問題を解決する有力なツールとなるであろう。芽細胞発癌説の考察を進めると、甲状腺癌の克服という点に限っていえば非常に明るい将来像が見えてくる。芽細胞発癌説では腫瘍の生体内での振る舞いは発生母地である胎児性細胞の性質をよく反映していると考えられ、逆に言うと甲状腺腫瘍を調べることでまだ未知の部分の多い発生初期の甲状腺胎児性細胞の性質を推測することができる。この手法をリバースアプローチ(reverse approach)という。チェルノブイリ原発事故において、放射性ヨードが5歳以下の乳幼児にほぼ限定的に甲状腺乳頭癌を発生させたことから、乳頭癌の発生母地である甲状腺芽細胞は5歳までで消失するものと推測できる。それならば、芽細胞の前段階である幹細胞はさらに早い段階で消失しているだろう。このことを考えると、少なくとも成人では甲状腺幹細胞が残存して甲状腺の機能維持になんらかの貢献をしていることは考にくく、残存している場合は、将来的に癌死をきたすような未分化、低分化癌の発生母地となりえる。仮にin vivoで甲状腺幹細胞の遺残の有無を検出する検査法が開発されれば、甲状腺の場合は経皮エタノール注入等で簡単に消滅させることができ、これが究極の予防治療となって甲状腺癌で癌死することはなくなるであろう。


7. 最後に:なぜ芽細胞発癌かー3丁目の鈴木さんの家まで味噌を借りに行く旦那

 私は、最初から少なくとも甲状腺癌においては多段階発癌説はあり得ないと明言してきました(あんまりはっきり言うと干されるからやめとけとも良く言われましたが)。これは、現在芽細胞発癌説を御理解していただいている多くの研究者も同様の意見だと思います。いったん芽細胞発癌説で癌を考えてしまうと、従来の多段階発癌説における視点の明らかな欠陥が見えてくるからです。どんな細胞も必ず幹細胞・芽細胞から発生します。そして分化過程を経て目に見える臓器を形成します。そして幹細胞・芽細胞は増殖能・移動能等において癌細胞に極めて近い性質を持っています。多段階発癌説を信じている研究者は分化した細胞が悪性化して癌細胞に変化するとしていますが、この考え方の最大の欠点は最短経路である胎児性細胞から直接癌ができるという過程を最初から無視してしまってわざわざいったん分化して再び脱分化するといった手間暇をかけてしまっていることです。
 たとえ話をしましょう。ある家で奥さんが旦那に味噌がなくなったので近所で借りてくるように頼みました。ところが、旦那はいつまでたっても帰ってきません。大分たってから味噌を持って帰ってきた旦那に聞くと、3丁目の鈴木さんのとこまで借りにいったと説明しました。奥さんは「なんで隣の佐藤さんから借りないの!」と怒りました。奥さんが怒るのも当然です。なんで隣で借してくれるのが最初からわかっているのに3丁目まで行ってしまうんでしょう。この旦那が多段階発癌です。そこまでするには鈴木さんの奥さんがとっても美人であるとか、旦那にそれなりの動機がなければなりません。 講演等で話すと芽細胞発癌説はエビデンスに乏しいから多段階発癌説をひっくり返すだけの力は無い、と良く言われます。しかしよく考えると、多段階発癌の方こそなぜ胎児性細胞から直接癌が発生したらいけないのか、なぜ回り道をしないといけないのかという確固とした理由を提示しないことには成立しない理論なのではないでしょうか。


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