10分でわかる甲状腺がんの自然史と過剰診断

 

 1.甲状腺がんの過剰診断って?
 がんという病気は、長らく良性の腫瘍が悪性化してできるとされ、早く見つけて早く治療すること、すなわち早期診断・早期治療が常識とされてきました。ところが最近、甲状腺がんにおいて転移能・浸潤能など立派にがんとしての性質を持っていながら、なぜかある程度で成長を止めてしまうため一生患者に悪さをしないものが多数存在することが証明されるようになりました。これらのがんを若年型甲状腺がんと呼びます。このようながんをあまり早い時期に見つけてしまうと、患者に本来不要であった手術を施してしまうことになります。これが過剰診断です。

2.甲状腺がんはいつからできているの?
 外から確認できるようなしこりとして発症する甲状腺がん(これを臨床的な甲状腺がん、と言います)は40代以降に多く発生します。ところが、甲状腺がん以外の原因で死亡した人を解剖してみると(これを剖検と言います)、若年者でも非常に高い確率で小さな甲状腺がんが見つかります。これが若年型甲状腺がんです。このような小さな甲状腺がんは10代後半からちらほら出現し、20代で急速にその頻度が増加し、30代中ごろには中高年とほぼ同じ頻度になります。すなわち、超音波でしかわからないような甲状腺がんは子供のうちからできているのですが、その多くは途中で成長を止めて臨床的ながんにまで進展しないのです。

3.若年型甲状腺がんは悪性化するの?
 小さな甲状腺がんを数十年にわたって経過観察したデータがあります(神戸市・隈病院のデータ)。これらのがんは10年単位でしか成長せず、しかも若年者ではある程度成長しますが、高齢になると完全に成長を止めます。また、経過観察された千人以上の患者のうち甲状腺がんが原因で死んだ方は一人もいませんでした。すなわり、これらのがんが悪性化することはない、ということになります。これを裏付けるデータが韓国から出ています。韓国では2000年ころより甲状腺の超音波検査が導入され多数の小さな甲状腺がんが見つかった結果、甲状腺がんの手術数が急増しました。このような小さな甲状腺がんが悪性化して患者を殺しているなら、いかに甲状腺がんの進展が遅いといっても10年、20年と観察していけば、必ず甲状腺がんによる死亡数は減ってくるはずです。しかし、韓国では今に至るまで甲状腺がんの死亡率は低下していません。すなわち、小さな甲状腺がんが悪性化して患者を殺すというのは誤りで、これらを早期に手術することは無駄であったのです。患者を殺してしまうような甲状腺がんは若者に高頻度で見られる小さな甲状腺がんではありません。中年以降突然発生し、最初の増殖が極めて速いため見つかった時点ではすでにかなりの大きさになっているようながん(これを高齢型甲状腺がんといいます)が患者を殺しているのであり、これらは若年型甲状腺がんとは全く別物と考えられます(図1)



4.甲状腺がんの過剰診断が起こりやすい年代は?
 甲状腺がんの超音波検査は検出感度が高すぎるため手術が不要な小さながんを見つけてしまう弊害が大きく、世界的にも超音波検査による甲状腺がん検診はしてはいけないことになっています。このような弊害がどの年代で最も起こりやすいか考えてみましょう。手術が必要な臨床的甲状腺がんは20代まではまれで、30代から増加しはじめ、40−50代でピークになります。これに対して超音波でしか発見できない小さながんは、剖検のデータから推測すると、10代後半から出現しだし、20代で急増・30代なかばでピークに達すると考えられます。これらのがんのほとんどが臨床的ながんになる前に成長を止めると考えられるので、両者の開きが大きい20代で超音波スクリーニングをした場合、高い確率で健康被害が発生すると予測されます(図2)。



5.過剰診断はどうして恐ろしいの?
 がんの過剰診断の問題を議論する場合に必ず出てくるのが「早期診断・早期治療のどこが悪いんだ!」という話です。しかし、若年型甲状腺がんは早期診断・早期治療してはいけないことが人類史上初めて証明されたがんなのです。「見つけるだけで、治療しなかったらいいじゃないか」という話も出てきます。これは実際は無理です。あなたがこどもの親だったとしましょう。こどもが甲状腺がんであると診断されて、何十年もほったらかしにしておく勇気がありますか?過剰診断の弊害はこのような責任回避の連鎖が積み重なって発生します。こどもの親は「将来悪いことが起こるといやだから」と手術をしたがります。発見した内科医は自分が本来見つけるべきでないものを見つけてしまった、と認めるのが嫌なので「早く見つかってよかったですね。」と言いますし、経過観察して万が一悪い結果になると嫌なので手術を薦めたがります。外科医は当然のことながら無駄な手術をした、などとは絶対に認めません。これらが積み重なって無駄な手術が増えていくのです。過剰診断のもう一つ恐ろしい点は後にならないと発生していることがわからない点です。多数例の手術をして数十年後にがんの死亡率が低下していないことに気づいて初めて手術が無駄であったことがわかるのです。これが韓国で実際に起こったことです。韓国でも最近手術の件数が減っていますが、それは超音波の件数が減って発見数が減っているためであって、発見されたものは今だにほとんどが手術となっています。

6.若年者の甲状腺超音波スクリーニングの問題点
 若年型甲状腺がんを超音波検査で早期に見つけるメリットはありません。従来若年者の甲状腺がんは首に大きなしこりがある、レントゲンで転移がある、等、既にかなり進展した状態で発見されてきました。それでも治療に対する反応性が良いので、甲状腺がんが原因で死亡することは極めてまれであったのです。すなわち超音波で早期にみつけたところで生存率の改善の余地はありえません。それでは、本来手術の必要のない若年者の甲状腺がんを見つけて手術してしまった場合どんなことが起こるでしょうか。もちろん、一定の割合で手術の合併症である声がかすれたり、血中のカルシウムや甲状腺ホルモンが低下したりする問題が起こりえますし、甲状腺がんは手術から何年もたってからの再発が起こりえますので、非常に長期にわたる通院を余儀なくされるという問題もあります。しかし、これらの問題にまして重要なのは、本人あるいは家族にとっての心理的な負担です。甲状腺がんがいかに経過の良いがんだといっても、世間一般には普通のがんと同じと見なされます。若いころに甲状腺がんと診断されてしまったこどもはこれから何十年もその十字架を背負って生きていかねばならないのです。「見つけて手術すれば助かるんだから」といった安易な考えで見つけたり手術したりすべきではない病気なのです。若年者に限って言えば患者の本当の戦いは手術が終わった時から始まるのです。

参考文献
@Natural History of Thyroid Cancer (Review)
無料PDF::https://www.jstage.jst.go.jp/article/endocrj/64/3/64_EJ17-0026/_article
A医学のあゆみ 甲状腺疾患のすべて 260巻9号 p779-784 2017
甲状腺癌のあらたな発癌理論、芽細胞発癌説と分子診断法の開発状況
(さわりだけ無料です。https://www.ishiyaku.co.jp/magazines/ayumi/AyumiArticleDetail.aspx?BC=926009&AC=17109)


大阪大学医学系研究科甲状腺腫瘍研究チーム:ホームへ戻る