ふぁっつ・にゅう

 

                      2つの原発事故と甲状腺癌研究

  20世紀の甲状腺癌研究に大きな影響を与えたのが1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故です。事故後小児甲状腺癌が多発し、その多くにがん遺伝子であるRET/PTCが認められたことで、改めて甲状腺癌の多段階発癌説に注目が集まりました。最終的には数千人にも及ぶ子供が甲状腺の手術を受けたわけですが日本からも多くの研究者・医師が派遣され、現地で活躍しました。このチェルノブイリ原発事故関連の研究をきっかけに世界的に有名になったのが現在多段階発癌説を唱える中心的な研究者であるYuri Nikiforovです。 対して、芽細胞発癌説が理解されるきっかけになったのは福島原発事故があったからです。この事故がなくて福島県民健康調査が始まらなければ、「甲状腺癌は幼児期に既に発生している」とした我々の主張は今だ見向きもされなかったでしょう。韓国の甲状腺癌の過剰治療問題と合わせて、2014年という年は多段階発癌から芽細胞発癌へ、早期発見・早期治療から治療しなくてもよい癌を見つけにく時代へ、と甲状腺癌研究が大きく舵を切った年として将来記憶されると思います。2つの原発事故が奇しくも甲状腺癌研究の新しい潮流を作ることになったのはドラマチックでもあります。
 さて、この多段階発癌か芽細胞発癌かという問題、10年以内に決着がつくと予想しています。Nikiforovはその後も甲状腺癌の遺伝子異常について精力的な研究を続け、甲状腺癌は多段階発癌の遺伝子異常の蓄積で発生するとの考え方から、甲状腺から採取された細胞の多数の遺伝子異常を検出することで良悪を鑑別するThyro Seqという検査キットを実用化しています。 日本では我々が芽細胞発癌説に基づいて開発した甲状腺癌の術前診断キットの治験が近々開始されます。これからNikiforovらのキットとがちんこ勝負となるわけです。彼らのキットは1000個程度の遺伝子を解析することになるので当然値段もお高いです(30万円以上と聞いていますー手術した方が安い!)。これに対して我々のキットはわずか2個、しかも試薬代は600円(笑)。これで診断できるのか、と思われるでしょうが芽細胞発癌の理論からはできるのです。両者が日本の市場でシェアを争って我々のキットが勝つことができれば、竹槍でB29を落とすようなもので実に痛快なのですが、さて結果はどうなるでしょうか。
 もう一つは福島県民健康調査の進展です。多段階発癌説では現在検出されている症例は遠い将来臨床的な癌となるものを超早期に発見しているスクリーニング効果だと考えられます。そうだとすると、今までの検診で拾い上げられるべきものはすべて拾い上げているので今後の検出数は激減するはずです。これに対して本年の内分泌外科学会の講演で提示したのですが、芽細胞発癌説に基づく予測では検診で発見される甲状腺癌は対象者の平均年齢が15歳を超えたころ、すなわち今頃から急増し、最終的な累計患者数は1000例に達します。しかもそのほとんど全例が本来手術の必要のない症例です。今まで起こってきたことは序の口で本当の問題はこれからということです。どちらに転ぶかは2巡目と3巡目のデータを比較すれば判断できます。3巡目の検出率が高ければ芽細胞発癌で予想された経過になっています。
 そもそも、チェルノブイリ原発事故後のスクリーニングで甲状腺癌の過剰診断がなかったというのは考えにくいのですが、甲状腺癌の発癌機序が多段階発癌であり、子供に甲状腺癌が存在するはずがないからすべてが放射線誘導性の癌だ、という思い込みが研究者の目を曇らせていたということはなかったのでしょうか。チェルノブイリの時にそのことに思い当たっていれば、今回の福島の混乱は避けられたのではないかとも思います。私は臨床化学会雑誌の4月号に「甲状腺癌の過剰診断問題が鳴らす多段階発癌に基づいた癌診療への警鐘」という論文を書き、「関係者の英断を期待する。」との文で結びました。しかし、残念ながら未だ英断がなされていないところをみると警鐘は届かなかったようです。色々な学会で発表の機会をいただけるようになったとはいえ、芽細胞発癌説が多くの人に理解されているとはいえない状況であるからでしょう。 良性の細胞が悪性化するとする多段階発癌説では早期診断・早期治療が正義であり、転移していても放置しておいた方が良い癌などというものは想像もできないからです。今後より多くの人に今何をすべきかということを理解してもらえるように、日本語・英語でのよりわかりやすい情報提供をしていこうと思っています。



大阪大学医学系研究科甲状腺腫瘍研究チーム:ホームへ戻る