大阪大学大学院医学系研究科 麻酔科集中治療医学講座

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    大阪大学大学院医学系研究科 麻酔集中治療医学講座 TOP>各種マニュアル>心臓移植の麻酔
     1966年に最初の心臓移植が南アフリカのBernardにより行われたが、初期の成績は必ずしも芳しいものではなかった。1982年のサイクロスポリンの導入による術後の拒絶反応のコントロールの進歩とともにその数は飛躍的に増加し、1990年以降は年間ほぼ3500例が行われている(1)。本邦においては1968年に札幌医大で行われたいわゆる"和田移植"に対する社会的な不信感に加えて、文化、宗教的な背景のため脳死という概念が国民的な理解を得られるのに時間を必要とし、長らく心臓移植は行われなかった (2)。1997年に臓器移植法が施行され、1999年2月に法のもとでの最初の脳死ドナーからの心臓移植手術が大阪大学附属病院で行われ (3)、現在までに既に10例以上の脳死ドナーからの心臓移植が施行され本邦においてもようやく重症心不全に対する治療法として確立されたと考えられる。 しかしながら、絶対的なドナー不足は否めず、そのため心臓移植の適応患者がその待機中に死亡することは珍しくない(4)。さらにいまだ多くの患者が海外での移植を望んでいることも事実である(3)。

    1. 心臓移植適応患者(レシピエント)の条件(5)

     適応となる疾患としては拡張型心筋症、拡張相の肥大性心筋症、虚血性心疾患等で従来の治療法では救命ないし延命の期待がもてないものとされている。適応条件としては長期間または繰り返し入院を必要とする心不全またはβ遮断薬およびアンギオテンシン変換酵素阻害薬を含む従来の治療法ではNYHA心機能分類 III度ないしIV度から改善しない心不全または現存するいかなる治療法でも無効な致死的重症不整脈を有する症例があげられている。絶対的な除外条件としては肝臓、腎臓の不可逆的機能障害、活動性感染症、肺高血圧症、薬物依存症、悪性腫瘍、HIV抗体陽性である。
     適合条件としてはABO血液型の一致または適合、体重(サイズ)の適合(体重差として20-30%)、前感作抗体陰性があげられる。適合するレシピエントが複数名存在する場合には表1のごとく医学的緊急度、血液型や待機日数によりレシピエントが決定される。

    2. 手術手技 (6)

     心臓移植の手術法としてはレシピエントの心臓を除いた上でドナーの心臓を植える同所性心臓移植術とレシピエントを残したままでドナーの心臓をレシピエント の右胸腔内に循環補助のため植え込む異所性心臓移植術の2つの方法があるが、これまで本邦で行われたのは全て同所性心臓移植術である。本稿では同所性心臓移植術の手術方法につき簡潔に述べる。これまでは心房を残し、左房、右房、肺動脈、大動脈の順に吻合する(肺動脈、大動脈の順に吻合する場合もある)いわ ゆるLower-Shumway法が確立された方法として行われてきている。この方法の短所として不整脈、心房収縮能の低下、僧帽弁および三尖弁閉鎖不全症など、心房レベルの吻合に伴う伝導系の障害や心房の機能や形状の変化に由来すると思われる合併症が上げられる。これに対して最近ではこれらの合併症を克 服する目的でドナーの左房をレシピエントの肺静脈カフに吻合し、右房吻合に代えて上下大静脈を各々吻合するbicaval anastomosis法も行われている。後者は心房形態の維持、洞結節機能保持し房室弁の逆流を抑制できる点で有利であるし、ドナーとレシピエント間で 右房に大きさで差があるときは特に有用とされる。反面、上下大静脈吻合部の狭窄が懸念されている。最近のSzeらの報告 (7) によるとbicaval anastomosis法が行われた1016例のうち上大静脈の狭窄に伴う上大静脈症候群は3例のみであり、下大静脈の狭窄は認めなかったとしており、この術式の有用性を述べている。ちなみに本邦では大阪大学ではLower-Shumway法が、国立循環器病センターではbicaval anastomosis法が主に行われている(2)。

    3. 術前評価と準備

     患者は拡張型心筋症等の重症の心不全状態であり、ドナー不足の現状では選ばれるレシピエントはいわゆるStatus 1である可能性が極めて高い。事実、これまで本邦で行われた心臓移植手術のレシピエントはすべてStatus 1であった。Status 1であれば左室補助人工心臓 (LVAS)、大動脈内バルーンパンピング(IABP)等の補助循環装置が装着されているか、またはカテコールアミン等の強心薬が投与されているので一般的な術前評価に加えて、これらの情報収集が必要である。レシピエントは移植に至るまで長期に心不全状態にあると考えられるためそれに伴う肺高血圧、肝機能(特に止血機能)低下、腎機能の低下の評価が必要である。また、致死的な不整脈の存在もまれではなく、術前の不整脈のコントロールについての情報も欠かせない。さらに心臓移植はすべて緊急手術で行われるため、患者が必ずしも絶飲絶食となっているとは限らないので最後の飲食の時間についての情報も患者本人およびその家族から確認しておくべきである。レシピエントは長い闘病生活を送っていたことや移植手術に対する期待と不安が交錯していると想像されるため、術前訪問にあっては限られた時間ではあるが、患者とのコミュニケーションを十分行い患者との信頼関係の構築に努めることも重要である。  
     心臓移植では外科サイドや臓器摘出チームと綿密な事前の打ち合わせを行うとともに、常に連絡を取り合うシステムの確立が重要である。心臓は移植臓器の中で最も早急な移植が必要な臓器であり、摘出から移植までの許容時間は4時間とされている(2)。通常臓器摘出チームがドナー心の最終評価を直視下に行い移植に適切であるとの判断を得てからレシピエントの麻酔導入を行う。この時点でドナー心の到着時刻および移植までの時間の限界はおのずと想定できる。レシピエントの多くはLVAS 装着術等の開心術を過去に受けていることが多いため、再開胸に伴う癒着剥離に時間を要することが懸念される。したがって時間を節約するためにも麻酔導入後速やかに手術を開始する事が望ましい。麻酔導入予定時間に先立って患者を手術室に入室させ、局所麻酔下に左右いずれかの橈骨動脈を穿刺し直接動脈圧を得る。次に同様に局所麻酔下で左内頚静脈を穿刺し、肺動脈カテーテルおよび中心静脈圧カテーテルを挿入する。この時肺動脈圧カテーテルは肺動脈まで進めず上大静脈内に留めおく。これらカテーテル留置では感染防止のためガウンテクニック等の清潔操作を心がけなくてはならない。内頚静脈穿刺にあたってはあらかじめエコーにて内頚静脈の位置を確認しておく事が確実な穿刺を行うためにも有効である。通常右内頚静脈は術後の心筋生検のルートとしてたびたび使用されるので、左内頸静脈穿刺を第1選択としている。しかしエコー上左内頚静脈が見つけられなかった場合や狭窄している様な場合では左内頚静脈にこだわることで時間を浪費することは避けるべきで、右内頚静脈の穿刺や外頚静脈穿刺を考慮すべきである(4)。

    4. 麻酔管理

    a) 麻酔前投薬と麻酔導入(表2)

      元来レシピエントは重症の心不全を伴っているため、麻酔前投薬ならびに麻酔導入には慎重でなければならない。麻酔前投薬は患者の不安を取り除く意味からは望ましいと考えられるが、そのためかえって循環動態の悪化が懸念される場合も考えられる。患者の循環動態を十分考慮して投与すべきかを決めるべきであるが、迷った時は控えるのが無難であろう。むしろ術前訪問における患者とのコミュニケーションを十分行うことが重要である。ただし、唾液分泌の抑制や胃液分泌抑制等を目的としたアトロピンやファモチジン等のH2ブロッカーの投与は考慮に値する。

    心臓移植術は緊急手術で行われることが通常であるため、麻酔導入では患者がいわゆるfull stomachであることを前提とし速やかな麻酔導入から気管内挿管を行うのが望ましいと考えられる。しかしながら、患者は著しい心不全状態にあるため、心抑制や血管拡張作用を有する麻酔薬での導入には慎重でなければならない。たとえばチオペンタールやプロポホールによる急速導入は著しい低血圧を招く恐れがあるため適切でない。心抑制が比較的少ないと考えられる導入方法つまりフェンタニル等の麻薬とジアゼパムやミダゾラム等のベンゾジアゼピン系の鎮静薬により行うのがよい。筋弛緩薬についてサクシニルコリンは時に重篤な徐脈を招く懸念から適切ではない(8)。パンクロニウムまたはベクロニウムを用いるが、ベクロニウムはフェンタニル等の麻薬との併用で時に心抑制を招く恐れがあるため(9)、心不全が著しいと思われるケースではパンクロニウムの方がより無難であろう。患者が心不全状態であることは麻酔導入薬投与による麻酔効果の発現が遅れる事も予想されるので通常の心臓麻酔に比べて麻酔導入に時間を要することも予想される。実際の麻酔導入はフェンタニルとベンゾジアゼピン系鎮静薬で患者を入眠させて、筋弛緩薬を通常量投与し、筋弛緩が充分に得られるまでクリコイドプレシャーを行いつつ、マスク換気を行う。この時気道内圧を必要以上に上げる必要はなく、肺の過膨張を避け、胃へ空気が入らないよう慎重に行う。我々が通常full stomachの患者の麻酔導入で行っているいわゆるcrash Inductionはこれまで述べたように循環動態への影響を考えると適切でない。気管内挿管にあたってはいつも以上に慎重であるべきで、食道挿管は是が非でも避けたい。そのためには術前評価に費やされる時間は限られているもののいつも以上に気管内挿管の難易を評価しておくべきである。

    b) 移植前(人工心肺導入まで)の管理(表2)

      麻酔維持は重症心不全の麻酔管理に準ずる。フェンタニルとベンゾジアゼピン系の鎮静薬を基本とし、循環動態の変化に応じて随時吸入麻酔薬を加える。持続的なプロポホールの投与も特に問題はない。術中のモニターとしては観血的動脈圧や中心静脈圧に加え、経食道エコーが必須である。麻酔導入に伴う内因性カテコールアミンの減少や血管拡張による血圧低下は通常の心臓麻酔においてもよくみられるが、心臓移植の対象となるような心不全のケースでは術前より内因性のカテコールアミンも高く、心機能の予備能が乏しいため利尿剤等で循環血液量も抑えられている。そのため麻酔導入に伴う血圧低下がより著明になる危険がある。充分な容量負荷を行い、必要に応じてカテコールアミン等の昇圧薬の投与を躊躇なく行い、血圧の維持をはかることが肝要である。

     心臓移植の適応となる患者の心機能の低下は左心系に限らず右心系においても同様である。多くの場合はLVASを装着されており、その場合は左心系については比較的心拍出量は保持されている。しかし、右心不全のために左心系に充分な前負荷が得られなければLVASも十分機能しない。麻酔維持にあたっては適切な容量負荷に加えて、肺血管抵抗の上昇を抑制し、右心系への後負荷を軽減しつつ随時カテコールアミン等で右心室の収縮能を維持する麻酔管理が要求される。例えばhypoxia, acidemia, 人工呼吸による肺の過膨張は避けるべきであり、亜酸化窒素の使用も好ましくない。体血圧が維持されるのであればニトログリセンリンやプロスタグランディン E1 等の血管拡張薬や一酸化窒素(NO)の吸入も考慮に値する。ただしこれらの薬剤の効果を評価する上で肺動脈圧のモニタリングは必要である。上大静脈に留めおいた肺動脈カテーテルを通常の心臓麻酔と同様に肺動脈まで進めることで肺動脈圧のモニタリングは可能であるものの、心臓移植の対象になる心不全患者では肺動脈カテーテルを進める操作に伴う心室性の不整脈が循環虚脱を招く潜在的な危険性を認識しなければならない。さらに心拡大が大きい場合、肺動脈カテーテルの留置に手間どる可能性が高く、普段以上に不整脈の発生が懸念される。これらの理由により移植前はあえて肺動脈圧カテーテルを肺動脈に進めることには慎重であるべきである。したがって、人工心肺導入までの実際の麻酔管理は肺動脈圧のモニタリングなしで行うことになるが、前述したように中心静脈圧を指標に充分な容量負荷を行い、積極的にカテーコールアミンを用いて、体血圧の維持を行わなければならないし、その能力が問われる。特にLVASを装着されている患者ではLVASによる得られる血流量が常時把握できるので、それが中心静脈圧より容量負荷のいい指標になりうる。すなわち、LVASより充分な血流が維持されているにも拘わらず血圧が低い場合では血管収縮薬の投与が適切であろうし、LVASより十分な血流が得られなければ、まず容量負荷を行いさらなる強心薬と肺血管拡張薬投与を考慮しなければならない。

     心臓移植のレシピエントは過去にLVAS装着術等の開心術を受けている場合が多いことから癒着剥離に伴いかなりの出血があることも予想される。また既に述べたように心臓移植術は時間が切迫しているため癒着剥離の操作が粗雑になるきらいがある。術前より急速輸血装置を準備し、大量出血に十分対応できることが必要である。また輸血にあたっては白血球除去フィルターを用いる。

    c) 人工心肺中の管理

      人工心肺中については通常の心臓麻酔と同様であり、心臓移植の場合に限った特別な管理はない。最近は麻酔薬の投与量を減らし、術後の早期抜管をめざしたいわゆるFirst track anesthesiaがよく用いられる。その場合は人工心肺中はフェンタニルの投与を控え、プロポホールや人工心肺より吸入麻酔薬を投与することがあるが、心臓移植では移植された心臓の心停止時間は4時間近くに及ぶことが普通で、その機能改善にはある程度の時間を要することも十分考えられる。したがって必ずしも積極的に早期抜管を目指す必要はなく、人工心肺中も十分なフェンタニル、ベンゾジアゼピン系の鎮静薬および筋弛緩薬を投与する。

    d) 移植後(人工心肺離脱時)の管理(表3)

      移植された心臓は心停止時間が長時間に及ぶため移植直後は伝導系の回復が十分でなく、通常完全房室ブロックがみられる。移植心の心拍再開後にイソプロテレノールの持続投与(0.01 mg.kg-1.min-1)とともに電気的ペーシング(VVIまたはDDDペーシング)を開始する。 人工心肺からの離脱時にもっとも問題となるのはレシピエントの肺血管抵抗である。レシピエントは長期の心不全状態に伴う肺鬱血とそれによる肺動脈圧が上昇が肺動脈に器質的変化が生じている可能性がある。元来ドナーの肺動脈が何らかの原因で肺血管抵抗が高くなっていることはまず考えられないためドナー心の右心系にはもともとそれほどの後負荷はかかっていない。そのためレシピエントの肺血管抵抗が高いと移植心の右心不全を招くことが危惧され、麻酔管理上人工心肺からの離脱に際しては肺動脈圧の測定が不可欠であり、上大静脈の脱血管が抜かれたら、速やかに肺動脈カテーテルを肺動脈まで進める。肺動脈カテーテルがうまく進まない時は術野から肺動脈を直接穿刺してもらい圧測定を行い、人工心肺からの離脱を行う。同時に経食道エコーによる右心収縮能の評価も必要である。十分な心収縮能がないと判断したら、人工心肺からの離脱を急ぐ必要はない。移植心は元来心機能としては良好であるが、心停止時間がほぼ4時間に及ぶため再灌流に伴ういわゆる再灌流障害等により通常心拍の再開後すぐに十分な心収縮能を得られないこともまれではない。  

    人工心肺からの離脱には少なからずカテコラミン等の循環作動薬が必要である。このときは特に右心補助の観点から薬剤を選択するのが重要である。カテコラミンでは肺血管に対する作用の少ないドブタミンがドパミンより好ましい。またイソプロテレノールも肺血管拡張作用を有するためその点でもいい適応であろう。充分な血圧や心拍出量が得られなければ、エピネフリンの投与を躊躇なく行う。ただし、常に不整脈の発生には注意し、リドカイン等の抗不整脈剤で積極的に対処すべきである。カテコラミンではないが、ミルリノンやオルプリノン等のホスホジエステラーゼIII阻害薬も有用と考えられる。血管拡張薬としてはニトログリセリンやプロスタグランジンE1が用いられるが、肺血管のみならず体血管の拡張作用を有しているので血圧の低下には留意しなければならない。また肺血管を選択的に拡張させるという観点からはプロスタグランジンE1よりも一酸化窒素の吸入の方がより有効性が高いと考えられる(10)。レシピエントに肺高血圧がある場合や、人工心肺からの離脱に際して右心室の収縮能が悪いと判断すれば躊躇なく一酸化窒素の吸入を行うべきである。

    f) 移植後(人工心肺離脱時)の管理(表3)

      人工心肺からの離脱が成功すればその後の管理は普段の人工心肺を用いる心臓手術と同様である。本来移植心は心機能は良好である(心機能が悪ければ通常移植に用いない)から麻酔管理としてはむしろ普段の心臓手術の麻酔に比べて容易であると考えられる。心臓移植の麻酔の一例として図2は 1999年2月に大阪大学附属病院にて行われた臓器移植法施行後の最初の心臓移植術の麻酔記録の抜粋を示す (11)。ドナー心は心機能としては申し分なく、心臓の大きさもレシピエントにほぼ合致し、比較的いい条件下で行われた心臓移植であった(12)。カテコールアミンとしてドブタミン、少量のドパミン(腎血流を維持し利尿効果を期待)、イソプロテレノール、血管拡張薬としてニトログリセンリン、これにミルリノンの持続投与下にVVIペーシングを行いながら問題なく人工心肺から離脱、肺動脈圧はほぼ正常であったので本症例ではNOは用いていなかった。房室ブロックが解除されたのを待って、電気的ペーシングを中止しイソプロテレノールを減量した。先に述べたように人工心肺からの離脱時はドブタミンがドパミンより好ましいと考えられるが、肺動脈圧の上昇がなければドブタミンをドパミンより優先させる理由はなく、いずれで循環動態の維持をはかってもかまわない。また後負荷が増加してきた(血圧は変わらないが心拍出量が低下してきた)時にはプロスタグランジンE1等の血管拡張薬を積極的に投与する。普段の心臓麻酔同様に止血を確認して通常量のプロタミンでへパリンを拮抗し、その後は循環動態の安定がはかれるのであれば積極的にカテコルアミンの減量をはかる。なお人工心肺離脱後の尿量を維持するにあたっては心房性利尿ペプチドの持続投与が有効との意見もあり今後の研究が待たれる(4)。手術室で抜管することはなく、気管内挿管のままICUに入室させる。

    5. 術後管理

     術後管理は通常の心臓外科手術の術後管理に準じるが、特に心臓移植では術後急性期の合併症としての急性拒絶反応とこれを予防するための免疫抑制療法に伴う感染症への対策という相反する治療を行わなければならない。特に急性拒絶反応にはまれであるが時には補助循環が必要となる重症例があることを覚えておくべきである。術後に急速に心不全が進行するようであれば、その原因検索とともに補助循環の導入を速やかかつ躊躇なく行うべきである。感染症を予防するという目的ではなるべく早期の抜管およびカテーテルの抜去が望ましく、循環動態の安定が得られれば術後鎮静はあまり意味がない。他の合併症として不整脈と腎不全は比較的よく見られる合併症であり、特に腎不全については積極的に透析を導入し、全身状態の改善に努める事が肝要である。患者は通常術前長期の心不全状態にあったため、諸臓器機能の低下や低栄養状態にあることもまれでない。術後管理においてもこれらの是正は当然であるが、術前よりこの点を十分是正されていれば術後管理もより容易となる。事実、本邦の脳死下の心臓移植の第1例では術前のLVAS装着による全身状態の改善が良好な術後経過に貢献した (11)。

    6. 移植心を持つ患者の麻酔管理

      日本人で移植心をもち、現在生存しているひとは50人前後と考えられるが、国内での心臓移植の増加に伴い移植心を持つ患者の麻酔管理を行う機会が増加することは想像に難くない(13)。移植された心臓の機能が良好であれば麻酔管理に特に制限はなく、通常どおりでかまわないとされているが、最近いくつかの問題点も指摘されている。まず、既に述べたように移植された心臓は求心性および遠心性神経から切り離された神経支配を持たないいわゆる除神経心であるから、その生理学的な特徴を十分理解しておくことは麻酔管理上重要である。迷走神経からの制御を失うため安静時の脈拍は正常心に比べて増加しており、通常 90 - 100 bpm程度とされる。心収縮能はいわゆるFrank-Starling曲線にしたがい、その心拍出量は前負荷に大きく依存するため、 hypovolemiaは正常心に比べて容易に低血圧を来す。そのため腰椎麻酔や硬膜外麻酔はその血管拡張作用に伴う危険がある事を十分念頭におくべきである。また生体が本来保有している様々な神経性の循環反射、例えば圧受容器刺激に伴う反射や血管拡張、血管収縮に伴う脈拍の増減は見られない。日常の麻酔時に見られる気管内挿管や手術操作に伴う血圧、脈拍の上昇も明らかではない、つまり、循環動態の変化で麻酔深度を推し量ることは難しい。さらに除神経に伴い様々な薬剤の薬理作用に影響を与えることは既に述べたとおりである(表3)

     次に移植後の年月の経過に伴い心機能の低下が認められる事である。その典型例が心室の拡張コンプライアンスの低下であり、血行動態では心室拡張末期圧の上昇、中心静脈圧の上昇、肺動脈圧の上昇が認められ、いわゆる拘束的な循環動態を呈する(14)。そのため容量負荷に対して心室拡張期圧と中心静脈圧の上昇 が大きくなり、麻酔管理では正常心に比べてより厳密な容量管理が必要である。つまり、麻酔中の循環維持にはある程度の容量負荷が必要であるが、それが移植 心の機能低下があると麻酔中の過度の容量負荷が麻酔からの覚醒とともに肺水腫等の合併症を招く潜在的なリスクとなりうる。正常心と同様の感覚での容量負荷には慎重でなければならない。

     慢性拒絶反応も移植心にみられる重要な問題点である。移植臓器が生着して月-年単位で起こる変化の総称で原因は不明で、病理的には実質や血管の繊維化、間 質の増生であり、移植心では冠動脈の内膜肥厚と求心性狭小化などが見られる(15)。除神経心であるために狭心痛はなく、患者本人が知らず知らずに心筋梗 塞に陥っていることもある。心臓移植後は定期的に冠動脈造影を行っているが、その情報がどの程度 up to date であるかは十分把握しておきたい。術前の評価が不十分だと手術中の突然の心電図変化や循環虚脱への対応が遅れる懸念がある。また慢性拒絶反応に伴う冠動脈 の狭小化は動脈硬化性病変による狭心症と異なり、ニトログリセリンなどの亜硝酸剤、ジルチアゼム等のCaチャンネルブロッカー等の薬剤治療は効果がなく、狭窄部位も局所的でなく瀰漫性に広範囲に及ぶ事が多く、通常PTCAも無効である。結局治療方法としては再移植しかなく、麻酔中のトラブルにも十分に対処できない事も懸念される。移植心の状態によっては最悪の事を想定して経皮的心肺補助装置(PCPS)を用意したうえで麻酔管理を行う事も考慮したい。

     移植心は神経支配はないが、最近の研究で移植後数年後に移植心に神経支配が戻ることが確認されている(16)。特に交感神経の再分布に伴い移植心の耐運動能が改善するなど、患者にも多くの利益をもたらす(15)。ただ、神経支配がどの時期にどのように戻るかについては結論は得られていない。
    ①神経支配の再分布は時間経過とともにその領域は増加する、
    ②個人差が大きい、
    ③交感神経が副交感神経に先行して戻ることが多い、
    ④完全な神経支配の復活は未だ報告がない、
    以上4点がこれまでの報告の一致点である。麻酔管理のうえでこれら神経の再分布がどの様な影響を及ぼすか、特に薬剤の反応性に影響する可能性が考えられるが、明確な結論はない。ただ、移植心を持つ患者においては時に従来ない薬剤の反応が報告されている。ひとつには筋弛緩薬のリバースを目的としたネオスチグミン投与に伴い除脈および洞停止を招いたとする症例報告(17, 18)である。さらに移植心の副交感神経の回復を評価する目的でアトロピンテスト (0.015 mg/kg iv) を施行したところ 23人中3人に完全房室ブロックが見られたとする報告もある(19)。これらの薬剤は除神経心であれば作用があらわれないはずである。その作用メカニズムは不明であるが、神経の再分布がこれらの薬剤の移植心における薬理作用を修飾しているのかもしれない。移植心では薬理学的には説明できない薬剤の反応性が見られる可能性があることは心に留めて麻酔管理にあたるのが肝要である。  

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