ケアの現在に向けて
中岡成文
(大阪大学大学院文学研究科教授・臨床哲学 ;
同医学系研究科兼任教授・医の倫理学)
A ケアはお互いさま
小さいころから、大病も大けがもしたことはなかったのですが、それでもナースは私にとってとても親しい存在でした。というのは、父が開業医なので、ほとんど生まれてすぐに、「ナースのお仕事」を身近に見たり、ひまなときに遊んでもらったりして育ってきたからです。けっきょく医療の道には進まず、哲学・倫理学という浮き世ばなれした(?)仕事についていますが、そのあげくこうして「臨床哲学」に行き着き、ケアについての文章を書くようになりました。ふしぎな因縁を感じているところです。
ひとはみんなケアしている
さて、みなさんがたナースは患者さんに対するケアを職業としていますね。これは当たり前のようですが、改めて考えてみると、ケアするというのはどういうことでしょうか。今日はこのテーマを掘り下げてみたいと思います。
看護や介護の仕事で、ケアするとは、他人の世話をすることです。けれども、ケアのもともとの意味は、何かを「気にする」、「気にかける」こと、何かを欲求することです。たとえば患者さんに、吐瀉物の後味が口の中に残って気持ちが悪い、これを何とかしてほしいというケア(気がかり、ニード)があるからこそ、それに応えて口をすすぐのを手伝ってあげるナースのケア(世話)が生ずるわけです。この呼応関係はすぐにわかってもらえますよね。
そこでさらに考えてみると、患者さんはいつも受動的にケア(世話)される側、それに対してナースはいつもケア(世話)してあげる側にいるのでしょうか。患者と看護者という役割を固定して見れば、そういうことになるでしょうが、どちらも<厚み>をもって生きる存在であることを考慮にいれると、話は簡単ではありません。プロとしての看護者も自分のうちにさまざまなケア(気がかり、ニード)をかかえており、その点では誰かほかの人のケア(世話)を仰がなければならないのです。逆に患者さんも、自分に余力があれば、ほかの人のことを気にかけてあげることができます。つまり、ケア(世話)の関係が逆転する場面もあると思うのです。
私が出会った例をあげましょう。さいしょにお話しした私の父も、年をとり、重い病で入院してしまいました。むかし外科の開業医としてナースにいろいろ指示を出していた父が、こんどはすっかりナースのお世話になっているわけです。医者が入院してくると、病院側としてはいろいろやりづらいものだと思います。父は点滴のことや、投薬の種類では主治医やナースにいろいろ注文をつけていますが、ケア(世話)してもらっていることに対する感謝のことば、苦労に対するねぎらいのことばは忘れたことがありません。
いつかこういうことがありました。口からはまったくといっていいほど栄養をとれない状態なので、便はごくまれにしか出ません。でも看護婦さんは毎日のチェックで「便は出ていますか」とききます。父の表情に、うらめしい、いらだたしいという色がちらりと動くのを私は見ました。ほんとうは「便なんか出るはずないだろう」とどなりたいところだったのかもしれません。そのかわりに父がいったのは、「自慢じゃないが、ここ一週間も出てないよ」という冗談めかした一言でした。いらだちをユーモアで包み込み、まだ若い看護婦さんに対するケア(いたわり)を示したのです。身体の衰えに対する絶望感から、自分自身を救い上げたことばでもあります。
ケアしてあげようとはりきるだけではなく、相手からのケアを受け入れる余裕と、それを自分のケアに生かしていく臨機応変さをもつこと。「ケアの相互性」に開かれていること。これがすぐれたケアのプロのたいせつな条件ではないでしょうか。
生きる、そして生かす<工夫>としてのケア
父の話をもう少し続けます。病室に泊まり込んで看病することがありました。胃から、胃液などのまざったものが少しずつこみあげてきて、父は定期的にそれを口から吐き出します。ところが、気分が悪くて吐きたいのに、うまく吐けないことがあります。すると、父は「おしっこをしてみる」と言い出したのです。おしっこはぶじに出て、「何か出すと楽になる」と父はほっとしたようにいいました。それを聞いて、私は複雑な感動におそわれました。父の苦痛を見ているつらさはもちろんあるのですが、父が自分で工夫してその苦しさをのりこえようとしていることに感心したのです。
吐けないなら、おしっこをしてみよう。何か出せば少しは楽になる。専門家にきくと、こういう現象は「代償」というのだそうです。決まったニード(この場合には吐瀉すること)が先にあって、ほんとうはそれを満足させたいのだけど、それができないから仕方なしに類似の行為(尿の排泄)でしのぐという意味でしょうか。でも、私はやや違った受け取り方をしました。父はあの切実な場面で、生きるための知恵をふりしぼって、苦痛をのがれる手段を<発明>したのだと思うのです。それがおしっこをするという選択でした。他の患者さんなら別の選択をしたかもしれません。人間のケア(ふつうニードと呼ばれる)は、生理的な欲求にもとづいてはいても、かなり表現のはばのある、柔軟性のあるものではないか。そのような強い印象を私は受けたのです。
ニードの表現に<工夫>の余地があるとすれば、それに対応するケアにも<工夫>をこらさなければなりません。患者さんの個性ある表現を読みとってそれに対処するのはもちろんですが、場合によればむしろ先取りしてケアしてあげる。「どうして欲しいですか」と尋ねるだけでなく、むしろこちらからケアを<発明>し、患者さんに「ああ、そうだ、自分はこうして欲しかったのだ」という気持ちになってもらう。患者さんを生かす工夫としてのケア。そういうケアがあっていいと私には思えるのですが、いかがでしょうか。
今日はケアの相互性とか、ケアの発明ということをお話ししてきました。納得していただけたでしょうか。もちろん私たちの具体的な経験にもとづいて、しかしそれを哲学的・思想的に掘り下げて、的確に表現しようとするのが、「臨床哲学」の試みです。
(臨床テツガク講座2、『整形外科看護』第3巻第12号、1998年12月)
B 「所有」が終わるところ――臓器移植が突きつける問題
先日、脳死者からの臓器移植が日本ではじめて行われました。これについては、ある新聞にコメントをのせたのですが、論じ残したことも多く、今回の「臨床テツガク講座」はこれを手がかりにさせてください。
ドナー・カードを持たないわけ
まず、自分のことから、正直に打ち明けます。臓器提供の意思表示をするドナー・カードを、私は身につけていません。私の勤めている大学では以前もれなく配布されたので、あとは記入しさえすればよかったのですが、どうもその気になれませんでした。理由は、いくらよいとわかっていても、実行に移すのがおっくうだということです。でも、テツガクをやっているものが、「よい」ことを「おっくう」がっていては、かっこうがつきませんね。正確に言い直しましょう。「はーい、私はすすんで臓器を提供します」と手を上げるには、あまりにリスクが大きいと思ったのです。
移植のリスクにも各種あるでしょう。笑われるかもしれませんが、私がとくに感じるのは、次のような心配です。脳死の判定は、もちろん厳密にされるはずです。それでも、その時点で、私に「意識」が絶対残っていないといいきれるでしょうか。たしかに、脳死者は不可逆的に死に至る、つまり、最善の治療を尽くしても心臓死が不可避だとされます。しかし、不可逆的だろうが何だろうが、私がぞっとする想像は、脳死と判定され、治療が断念され、移植に向けての処置が私の身体に対して始まったその段階で、もし私にその絶望的な状況を感知する意識がかすかにでも残っていたら、ということなのです。
この心配には個人差があるみたいで、うちで妻に説明しても理解されませんでした。どうせじき死ぬのなら、そんなの関係ない、というのです。それよりは、必要としている人に臓器を使ってもらった方がいい、というのです。このわりきった考え方が正解なのでしょうか。あなたはどう思いますか。
ところが、おもしろいことに、その妻も、自分自身ではなく、家族が脳死状態になったときは、その臓器の提供に同意することをためらうかもしれないというのです。自分が脳死状態で死者とみなされても平気なのに、まだ暖かい家族の身体にメスが入れられ、臓器が切り出されることには耐えられない? 自分よりも家族がだいじ? これは、「自分」からの距離で物事を判断する個人主義者には見当もつかない、奇妙な感覚でしょう。
身体はだれの「もの」か
患者本人は臓器提供を希望し、その意思を明示していたのに、家族がそれに同意しないというケースは、少なくないようです。きっといろんな事情があるのでしょうし、いざその場に臨んでみなければわからないことも多いのだとは思います。でも、私個人としては釈然としないものが残ります。「肉親の情」ということを誤解しているように思われるのです。家族を大切に思うなら、考えた末のその人の「自己決定」をこそ、重んじるべきではないでしょうか。死にゆく本人からも、また家族からも別れを告げて、身体(の一部)が他の人のうちで生き続けること。それを承認し、それを祝福する心。患者さんがそれを決断しているのに、家族がいくら「肉親の情」とはいえ、それを覆すというのは…。
ところで、とくに日本人には、身体は本人のもの、それについで家族のものだという、「所有感覚」が強いようですね。身体は本人のものだというのは、しごく当然のように見えます。けがや病気で痛いのも、苦しいのも本人であり、他のだれでもないのですから。しかし、身体は本人の「もの」と言い切ってしまうと、いろいろむずかしい問題が出てきます。たとえば――身体を本人が自由に処分してよいなら、臓器提供はもちろん、自殺だってかってにすればいい。それを他人がとめる権利はない。それに――ちょっと話がとびますが――少女たちが「援助交際」で肉体を売るのだって、とがめられないことになります。そういう理屈に従って、自分の身体を突き放してみつめることにも、ある種の解放や発展の可能性が潜んでいるのかもしれませんが、きっと多くの人はまゆをひそめるでしょう。そうすると、身体は個人が百パーセント自由に処分できる所有物ではなく、どこかに道徳的な歯止めがある。いいかえると、周囲の人(とくに家族)も関与する、一種の「社会的存在」ではないかという方向に、話は展開していきます。
「死に至る存在」とのつきあい方
うーん、何やらこみいった話ですね。書いている私も頭がぼんやりしてきました。
ともかく、さっきのところに戻ると、臓器提供の意思表示に肉親が介入するのは疑問だ、と私はいったのです。こういうと、たちまち反発を受けることは必定です。身体に暖かみが残っている以上、それは遺体ではなく、生身の父であり、母であり、子である。また、たとえ絶息してしまっても、その遺体はたんなる「物体」ではなく、かつて父であり、母であり、子であった、自分にとってかけがえのない存在、あるいはその存在の名残である。容易にあきらめきれようか。こんなふうな感覚を、たぶん多くの人が抱いているのでしょう。
私自身も昨年父を亡くした思い出が新たなので――前回このコラムを執筆したときは、まだ存命で闘病中のエピソードをご紹介したのです――、すがりつくような、別れがたい気持ちはよくわかります。ただ、私の感覚では、すでに臨終に先だって、父はもはや私の知っている父とは違う面持ちに変貌し、いわゆる幽明の境を踏み越えていたような気がしてなりません。
死はやがて必ず訪れてきて、死者を生者から分かちます。生者は死者とのそれまでのつながりを、また死者は自分の身体とのつながりを、それぞれ手放さなければなりません。この「脱所有化」の出来事は、すべての関係者にとって痛みを伴います。しかし、そこで気持ちを切り替えて、「公共性」の発想をとってみてはどうなのでしょうか。自分の、あるいは自分たちの所有を離れた身体(臓器)を、他の患者さんの役に立てることができるなら…。現状での臓器移植をめぐる多くの問題点をフェアに議論するのはもちろんとして、「死への存在」である自分自身とのつきあい方を、もっと掘り下げて考えてみる時ではないかと思うのです。
(臨床テツガク講座7、『整形外科看護』第4巻第5号、1999年5 月)
C 関係づけるケアへ
気がつく人、気がつかない人
もうずいぶん長く大学で教えていると、自分のことは棚に上げて、大学の先生には「気がつかない」人が多いんだなと、苦笑したくなることがあります。それは彼ら(とあえて呼ばせてください)が閉鎖社会に生きていて、外部からの評価にさらされる機会がほとんどないためのようです。
「10年間同じノートを読み上げるだけで、しかも同じところで冗談をいう」講義なんていうのが笑いぐさになることがありますが、さすがにそんな先生はほとんど実在しないでしょう。ただ、たとえ研究者として優秀であっても、そこで自己完結してしまえば、やはり鈍感な人といわれても仕方がない。そのテーマが好きだから、楽しいから、研究していますでは済まないのです。自分の研究が社会にどのように役立っているのかという「外部の視点」は、絶対に必要なのです。もっとも、かくいう私自身、大阪大学の「臨床哲学」のプロジェクトに加わり、社会人(とくに看護関係者)と接するようになってはじめて、このことを痛感したしだいです。
ただし、厳しい評価にさらされる仕事をしている人が必ずしも「気がつく」人とは限らない。たとえば営業成績を気にして、枝葉末節のことに「気を回している」だけでは、数字以外はいっこうに目に入らないでしょう。かえって哲学者のように(?)世間離れしている方が、はっきりと物事が見えるかもしれない。
つまり、「気がつく」というのは、目先の細々としたことに「気をとられる」のではなく、むしろ他の人に見えなかった根本的なことを指摘し、「可視的にする」ことを意味するのではないでしょうか。自分が置かれた状況を改善していくために、制度やシステムの問題点に目をつけ、浮かび上がらせ、他の人と共有することなのではないでしょうか。
可視的にすること
だとすると、「気がつく」ナースとはどんな人でしょうか。「よく気がつく」タイプ、こまめなタイプというのがありますが、それとイコールではないように思います。患者さんをよりよく援助するために、見逃されているケアの盲点を発見すること、それを埋めるために自分や同僚の仕事、医師の技術などをじょうずに動員し、関係づけていける人。要するに、患者さんを中心にケアの現場(それはベッドサイドより広いはずです)を変えていける人。こう考えてみたらどうでしょうか。
看護倫理を研究しているリアシェンコ(Liaschenko)が述べているのですが、現代社会ではrepresentされうるもの、つまり目立つように表現・提示されるものだけが知識とみなされ、それ以外は無視されがちです。科学技術を使った医者の診療だけが医学の力として一般の人に認識され、制度的に点数化されます。それに対して、看護の知識・技術は容易にはrepresentされません。あるナースが術後患者の苦痛を見るに忍びず、痛みを抑える薬剤を増量してもらうために走り回りました。やっと担当医師に会えて、増量の指示をもらうまでに、2時間かかりました。しかし世間に公にrepresent(説明・提示)されるのは、医師が薬剤増量の指示を出し、ナースがそれに従ったということだけなのです。ナースの仕事がシャドウ・ワーク(影の仕事)だといわれるわけです。
シャドウ・ワークが社会に不必要だという意味ではぜんぜんありません。その逆です。日本のヘルス・ケアの現状では、一人一人の医療従事者が自分の持ち場を守っていても、それぞれのケアを有機的に、「患者さんのため」に集約することがあまりうまくできていないように見えます。リアシェンコのいう「ケアの分断」が起こっているのです。
とくに、機能の分化する大きな総合病院では、慣れない患者さんやお年寄りが、ほんのわずかなことでつまづいて、自分の望むケアへなかなか到達できないでいます。診察の前に、レントゲンや心電図など、検査をたらい回しされる。ところが、検査の依頼用紙を紛失した。再発行してもらわなければいけないが、どの窓口に行ったらいいのかわからない。近くにいた人に尋ねたが、耳が遠いので、説明が聞き取れなかった。最初の窓口に戻ろうと思ったら、エレベーターが来ない。踏んだり蹴ったりです。
これは最近、神戸に住んでいる私の大叔母が経験したことです。私が助けに駆けつけなかったら、大叔母は医師の診察を受けられないまま、半日を棒に振って帰宅するところでした。この病院にも、もちろん「案内」の係りはいます。けれど、その案内にさえたどり着けない人たちがいるのです。病院はそのことに「気がつかない」のでしょうか。誰か身寄りのものが、病院の穴を埋めるサーヴィスを提供しなければならないのでしょうか。ここには、医療弱者の立場に立たないと「可視的」にならない欠陥があります。
シャドウ・ワークから脱する
そこで、先ほどのナースを思い出してください。彼女が動き回らなければ、患者の痛みはrepresent(代理的に提示)されることなく、そのまま放置され、時の波間に消え去る可能性が高かったのです。彼女は医師の位置を探り当て、ケースを提示し、こうして医療資源やサーヴィスをその患者さんに仲介してあげたのです。ケアが分断されがちな現状で、必ずしも可視的でなかった患者さんのニードに注意深い眼差しを注ぎ、それを本人にとっても、周りの人にとってもタイムリーに「可視的」にしてあげたのです。それは本人と周りの人を、そして周りの人たち同士を関係づける、広い意味でのケアになっています。
さっきもいったように、この仕事はケアの核心といってよいものでありながら、シャドウ・ワークに留まり、報酬や昇進のための中心的基準とは認められていないことがあまりに多い。それどころか、この仕事に携わっている人々自身がそれを「仕事」とはみなさないような、組織権力構造があるといわれています。つまり、この仕事は現状では「不可視の(眼に見えない)」仕事です。それでいい、目立たなくても患者さんに満足してもらえればそれでいい、という考え方もあるでしょう。しかし、患者さんを中心に人々を関係づけ、ニードを「可視的」にする仕事――それ自身を「影」から引き出して「可視的」にし、社会に対してその意義をアピールしていく務めが私たちにはあるのではないでしょうか。
(臨床テツガク講座14、『整形外科看護』第4巻第12号、1999年12月)
D 21世紀のナースへ
「大学で哲学を教えています」。えっ、こいつは異星人か。そんな目つきをされることが多い中で、ありがたいことに、ナースには思想に関心を持ってくれる人が少なくありません。ケアの現場との連係をめざす「臨床哲学」――そんな新分野を大阪大学で始めたとき、まっさきに駆けつけてくれたのも、看護経験者たちでした。
ナースへの親近感はもっと以前にさかのぼります。私の父は地方で外科を開業していました。私は住み込みの看護婦さんたちに囲まれて育ったのです。父の診察室で注射を打ってもらったこと、すり傷に赤チンを塗ってもらったことは数知れず。でっかい雪だるまをバックに、小学生の私と妹が看護婦さんたちと写っている写真もあります。ほのぼのとした時代でした。
しかし、彼女らにとっていい働き場所であったかどうか、いま考えると自信がありません。私の父は昔タイプの医師でした。ナースは一言でいって使用人です。父なりに気をつかって愛想のいいことばで語りかける半面、若い彼女らの人格をずたずたにして叱りとばすこともありました。それでも、私の記憶では、あの看護婦さんたち(准看がほとんどでした)はとても明るく、タフだったように思います。父自身もそうだったし、およそ時代がそうだったのかもしれません。いまはどうなのでしょうか。医療制度も、ナースに対する待遇も、よくなっているはずなのですが。
ある病院の「困った患者さん」のことで、ナース経験者と意見が合わなかったことがあります。その患者さん(Aさんとしましょう)は糖尿病で透析を受けるため、入院しているのですが、言動が乱暴でした。同室の患者さんが気に入らないと汚い言葉で注意し、主治医にも、「出てこんかい、やぶ医者!」と暴言を吐くのだそうです。ましてナースに対しては、怒鳴りつけたり、椅子を振り上げたり……。若いナースなど、すっかり震え上がってしまいました。
この話を聞いて、私はふしぎに思いました。そこまで乱暴な患者さんを黙認する病院の態度を、です。Aさんのやっていることは、ナースの権利を侵害しています。かりにナースががまんするとしても、とばっちりをくう他の患者さんはどうなるのか。彼らも最善の医療を受ける権利を侵害されています。Aさんの攻撃性が改まらないかぎり、彼にはこの病院でケアを受け続ける資格がない。病院の管理責任者は彼にきっぱりと注意し、従わないなら退院してもらうべきだ。ナースももっと「権利」の観点を育てたらどうだろう。 私はこのように意見を述べたのですが、先ほどのナース経験者は賛成してくれませんでした。「Aさんを見捨てていいと思いますか」というのです。看護者はあくまで患者中心でなければいけない。Aさんが攻撃性を和らげ、ちゃんと治療を受けるよう、どこまでもケアの目で見てあげなければいけない。権利侵害? それは管理者が考えればいい。そういう返事でした。
生半可なことではひとをケアできない。その厳しさは看護婦の魂なのでしょう。ただ、とくにこれからの時代、看護にも管理やアカウンタビリティー(対外的説明責任)の視点をもちこむことは必要だと思います。それでケアが変質してしまわないか。不安は残ります。いずれにせよ、どんな職業や立場の人にも課題の多い21世紀、ナースたちが明るくタフに生き抜いていけることを、心から願っています。
(『エキスパートナース』Vol.1,No.1、2000年1 月)
E 自分が中心であること
いやあ、今年の夏は暑く、長かった。この文章がみなさんの目にふれるのは、秋もたけなわのころでしょうが、私が書いている今はまだまだ残暑がきびしい! それはともかく、こんな季節のあいさつに、「時節柄どうぞご自愛ください」と記すことがあります。自分の健康によく気をつけてという意味ですね。私もよくこのことばを使うのですが、ときどき「自愛」について考え込むことがあります。
自愛とは、文字どおりには、自分を愛することです。ひとは誰でも自然に自分を愛するものだ――こう言い切れるなら話はかんたんなのですが、自分を好きになれない人だっているのです。他人よりも自分の方が遠く、うとましく感じられることだって、いくらでもあるのです。人間の心の複雑さ、むずかしさでしょうか。だからまた、ほんとうに自分を愛せない人は、ほんとうにほかの人を愛すことはできないともいわれます。
さて、それで看護ですが、看護とはもちろん患者さんや家族をケアする仕事です。患者さんに寄り添い、患者さんの苦しみや悩みをともにします。ずばり、「患者さん中心の看護」が強調されることもあります。教育現場の主人公が教育行政や先生たちではなく、成長していく学生たちであるように、看護現場の主人公もじつはセルフケアする患者さんであり、看護はそれをサポートしていくわけでしょう。その意味で、看護が患者さんを中心に行われるのは当然のことだと思います。
ただ、あなたが看護をしているときに、あなたの看護行為の「中心」はどこですかと、少し角度をかえてもう一度私は尋ねてみたいのです。看護者と患者の関係性の中で、べつに中心は一つに限られないと思うからです。ケアの眼差しが患者さんのニードに集中しているとき、あなたは自分自身のことは忘れ去っているでしょう。しかし、あくまでも眼差しはあなたから発しており、患者さんに差し出される手はあなたの手です。あなたのエネルギーがなければ、患者さんとの関係性は維持できず、患者さんはいかなる「中心」でもなくなります。そう考えると、いい看護をするために、あなたは何よりも自分を大切にしなければならないのです。それをエゴイズムとは違う、自分中心性と呼んでいいでしょう。
患者さんのために、自分の伸びやかな心と身体を保たないと、患者さんのほんとうの姿やニードが見えてこないかもしれません。それにはくつろぎや遊びも必要でしょう。アメリカの新生児集中治療室に勤めるナースたちは、患児についてのかなりどぎついジョークを仲間内ではかわすそうです。それは深刻なストレスから逃れ、患児といっしょに戦いつづける元気を回復するための小さな工夫だということです。
季節はめぐります。みなさま、どうぞご自愛ください。
(『整形外科看護』第5巻第11号、2000年11月)
<注> この文章は、看護系の雑誌に発表した拙文をまとめたものである。ケアについてナースたちと対話しているつもりで執筆した。1998年6月に亡くなった父へのケアと哀悼の気持ちが、ケアの一般論に何ほどかの精彩と洞察を添えていることを願っている。なお、初出は各節の後に記してあるが、実際に発表されたものとは多少の字句の違いなどがある。