2002年3月改訂版
倫理原則を備えた法的な規制の試み
――フランスにおける生命倫理法についてのノート――
(日本学術振興会特別研究員、哲学・倫理学)
0. はじめに
「この法律は、人の優越性を保障し、その尊厳へのあらゆる侵害を禁止し、及び人をその生命の始まりから尊重することを保障する( La loi assure la primauté de la personne, interdit toute atteinte à la dignité de celle-ci et garantit le respect de l'être humain dès le commencement de sa vie.)」。「何人も、自己の身体を尊重される権利を有する。人体は、不可侵である。人体、その構成要素及び産物は、財産権の対象としてはならない(Chacun a droit au respect de son corps."Le corps humain est inviolable".Le corps humain, ses éléments et ses produits ne peuvent faire l'objet d'un droit patrimonial.)」。
1994年に、10年にもわたる長い議論の積み重ねと綿密な準備段階を経て、はじめて成立へとたどりついたフランスの「生命倫理法」は、これまでに、フランス法の基本的なカテゴリーのなかからは抜け落ちてきた「人体」の取り扱いについての法律を民法典の冒頭に据え付け、それに、個々の先端医療技術に具体的なかたちで規制を加えていく実施細目の方向性と範囲とを指し示す、いわゆる根本的な〈倫理原則〉の役割を担わせた。具体的には、これまでの民法典の冒頭部分の表題を《私権について》と変更し、新たに《人体の尊重について》という節を挿入するというものである。そのことによって、はじめて「人体」というものの法的な地位が明確にされ、また同時に、それの倫理的な身分までもが〈原則〉というかたちで提示されてくることになる。したがって、フランスの「生命倫理法」は、人工生殖や余剰胚の取り扱いなどといった、複雑に入り組んだ先端医療技術の諸問題に法的な規制を企てていく際に、常にその〈倫理的な原則〉との〈照合〉が為された上で行われていくという、極めて特殊な構造を備えたものである、と言うことができる。いわばそれは、法の体系のなかにあって、倫理の指導的な諸原理を宣言し、〈倫理的な原則〉を備えたかたちでの法的な規制を試みていくという、極めて独創的なアプローチともみなすことができるのである。またこの法律の際立った独創性は、一部のフランスの法律学者たちのあいだで、民法の領域においては「コぺルニクス的転回」にも匹敵するほどの変化である、と言われていることからも端的に窺い知ることができよう(Mattei 1999,329)。
このフランスにおける「生命倫理法」は、「人体の尊重法(以下『人体尊重法』と略称)」、「人体の構成要素および産物の贈与および利用、生殖にたいする医学的介助ならびに出生前診断に関する法律 (以下『移植・生殖法』と略称)」と、そして最後に「保健の分野における研究を目的とする記名情報の処理、ならびに情報処理、情報ファイルおよび自由に関する1978年1月6日法を改正する法律(以下『記名データ法』と略)の三つの法律によって構成されるものである。そして、このフランスにおける「生命倫理法」は、施行から5年以上がたった今、その法的な規制のあり方の是非を詳細に問い返す時期に差し掛かっていると言える。事実、三つの法律のうちのひとつである「移植・生殖法」の第21条には、この法律をすくなくとも5年以内には、国民議会と元老院の両院の議員からなる「議会科学技術評価局(Office Parlementaire d'Évaluation des Choix Scientifiques et Technologiques)」の評価にかけ、議会において再検討の対象とされることが明記されてもいる。また、「生命倫理法」の法制化にともない、1993年に当時のバラデュル首相に最後の報告書『生命の諸問題:生物医学倫理のために(通称マテイ報告書)』を提出した国民議会員のJ.F.マテイ氏は、国民議会における最終審議のなかで、「この法律(移植・生殖法)は不完全である。それは、五年間の暫定的な(provisoire)ものである」と総括し、この法律の時限立法的な性格をことさらに強調してもいる。その理由としては、この法律が扱おうとする対象が、例えば受精卵遺伝子診断の技術向上やES細胞のためのヒト・クローン胚作成、もしくはその観察研究の要請などといった、極めて技術的な変化に晒された領域であるという認識が背後にあることは改めて言うまでもない。しかしながら、実際のところフランス議会では、法制から5年後の1999年の段階においても、その「生命倫理法」改正の作業を先送りにしているというのが現状である。ただ、ここにきて、コンセイユ・デタ(Conseil d'État.「国務院」。行政裁判所と日本の内閣法制局の機能を兼ねた官庁)が、『生命倫理法:5年後』(LES LOIS BIOÉTHIQUE:CINQ ANS APRÉS)などといった、法制後5年間を検証する報告書を提出しはじめ、またそれに呼応するかたちで様々な著作や報告書が出版されてきている。つまり、フランス国内においては、徐々に「生命倫理法」について詳細に、あるいはまた、それを「さまざまな事実に耐え得る(à l'épreuve des faits)」(Mattei 1999,330)ようなかたちで問い返す議論が活発化してきていると言える。したがって、本研究ノートでは、さしあたり1994年に法制化されたフランス「生命倫理法」の特徴を、既に紹介されている資料などをもとに概観し、そのあとで、その法律の「改正」の方向性を具体的に明らかにしてみることにしたい。
1.医の倫理」だけではなく、公権力による立法的介入を!
フランスは、具体的に「生命倫理法」の法制化を現実のものとしていく段階で、様々な先端医療技術固有の問題に対して、実際に積極的に取り組んでいくべき課題をどのように絞り込んでいくかについて、ひとつの重要な方向性と、その作業の困難さを指し示してくれているように思われる。つまりフランスは、個々の先端医療技術を規制していくなかで、立法による介入が望ましいものと、むしろ逆に、従来どおり各人のモラルや「医の倫理/職業倫理(déontologie)」の範囲内で規制を試みることが望ましいものとを如何なる基準と方法とによって「ふり分け」(島 1993,21)ていくのかについて、ひとつの興味深い枠組みを提案してくれているのである。あらかじめ、その「ふり分け」の結果を前もって述べておけば、フランスでは、最終的に「医の倫理」だけでは対応しきれないものとして生殖医療技術が第一に考えられ、それについては、公権力による立法の介入を求めるべきであるとされてきた。また逆に、むしろその法的な介入に相応しくないものとして安楽死・尊厳死問題が捉えられ、それを再度「医の倫理」の範囲内で解決するよう差し戻すことで、今回の「生命倫理法」の規制対象とその範囲との全体的な際を明確にしていったのである。
フランスでは、1994年に「生命倫理法」が施行される前は、生殖に関する技術の規制は主に行政令(décret)というかたちを通して行われてきた。そういった意味からすればフランスは、「生命倫理法」施行以前は、先端医療技術に対する公共的な規制政策の面では他のヨーロッパ諸外国に対して立ち後れた存在であったとも言い得る。行政令のほかに法律による規制はと言えば、精子の提供と利用に関する規定(1991年12月31日「公衆衛生上の規定を設ける法律」第13条)と、配偶子の輸出入を保健大臣の許認可制にした規定(1992年12月31日「流通が規制される産物についての法律」第18条)の二つだけであったという。また、生殖技術(「医学的に介助された生殖(procréation médicalement assistée/略称PMA)」)全般に対する規制は、「医学的に介助された生殖に関する政令」88年327号と「生殖医学・生物学国家委員会を設置する政令」88年328号の二つだけである。そこで対象とされるのは、「人の卵の採取と受精させた卵の移植、および精子の採取、受精目的での人の配偶子の処置と保存、体外受精、移植目的での人の受精卵の保存」である。また、これらの行為を行う施設は、保健大臣の認可を随時受けなければならないとされている(島 1994b,120)。ちなみに、この認可は、1970年にフランスで導入された「地域医療計画/医療地図(carte sanitaire)」の一環としてなされるものである。フランスにおけるこの「医療地図」とは、なんでも「効率・経済性に配慮し、地域住民のニーズに合わせて医療を供給するために、一定の医療行為について設備の新設・拡充・リストラを保健大臣の許可制にし、需給基準を設けて規制を行うシステム」(島 1996b,50)、ということである。
しかしながら、このような規制は、「実施施設を設備やスタッフなどの技術的な基準で管理するだけで、各種の生殖技術の実施自体の是非を判断する原則を伴うものではない」。したがってフランスでは、「生命倫理法」施行前は、このような急激に変化を遂げる生殖技術の実施自体の是非を判断する公的基準を、唯一訴訟になったケースでの裁判所の判決に委ねていた、ということになる。これでは、個々の先端医療技術の実施自体について一貫したかたちで公的な判断基準を提示することは、おそらく不可能なことであったに違いない。フランス国内において、「生命倫理法」のようにトータルなかたちで先端医療規制の政策を求める声が高まってきたのも、むしろこのような公的な規制政策がフランスではあまり機能していなかった、という事実的な背景があったからのことなのであろう。
「生命倫理法」施行以前のそのほかの規制としては、フランスでは医療専門職のガイドライン、すなわちフランス医師会(Ordre des médecins)による「医学的に介助される生殖技術に適用される職業倫理規範(1986)」がある。もっとも、フランス国内における医の職業倫理は、日本とは際立って異なっており、それは単なる同業者間の私的な内規ではまったくない。そうではなくて、それは実質的な懲罰機構を備えた厳格な法規範(「医の職業倫理規程」Code de la déontologie médicale)なのであって、コンセイユ・デタの議を経てデクレのかたちをとって公布されるような、いわゆる行政立法に準じた地位を与えられているようなものなのである。またそれ以前に、フランスの「医師会」制度そのものが、任意加入の同業者利益団体である日本の医師会とはまったく性格が異なり、法(保健医療法典)により職業倫理の制定と懲戒の権限を認められた独立の自治組織であることも当然忘れてはならない。それは、日本における弁護士会の組織体系に相当するものとみなすことができよう。ちなみに、この医師会による「医の倫理規程」は、1994年の「生命倫理法」の制定に合わせて、1995年に大幅に改定され、懲戒制度の強化などを通じて、医師ひとりひとりに対する拘束力を強化している。
また、医師会による「医の倫理規程」のほかに、1973年にはじめて設立されて以来、全国に23のセンターを持つフランス随一の精子バンク「卵子と精子の研究・保存センター(Centre d’Étude et de Conservation des Oeufs et du Sperme/略称CECOS)」による独自の内規などがある。このセコスとは、実質的に、フランス国内における人工生殖に関する実務の基礎(とくにAIDの既成事実化が活動の中心)をつくってきた団体としてみなされているものである。その前身は、1973年にパリのビセートル病院センターに誕生した精子バンクで、そのセンターのダヴィド博士がこのセコスを設立したと言われている。ちなみに、この間のセコスの人工授精の既成事実化の経緯については、ダヴィド博士による報告書(David 1985,p.203 et s.)に詳しく明記されている(高橋 1995)。
たしかに、医師会の内規にせよセコスのものにせよ、それらは、生殖技術が行われる実施施設を直接的に拘束する規則であったがために、その実効性にはかなりのものがあったともみなしうる。しかしながら、後になって、やはりそれらの一部が改めて法律に格上げされることを求められてきたという事実は、この医療専門職の内規というガイドラインただそれだけでは、生殖技術全般の規制には到底不十分だとみなされていたからに違いない。このようなことから、フランスでは、先端医療技術の規制を、専門職団体のガイドラインによる運営や個別のケースでの司法判断に委ねるのではなく、国家による介入=立法によって行うべきであるとする議論が常に大勢を占め続けた。そして、最終的にそのような流れにのって立案されてきたのが、1994年にはじめて法制化されたフランスにおける「生命倫理法」というわけなのである。
しかしながらフランスは、すべての先端医療技術の孕む問題に立法というかたちで公権力を介入させようとしたわけでは決してない。つまりフランスは、先端医療技術によって引き起こされる一つ一つの問題に対して、各人のモラルや医の「職業倫理(déontologie)」に委ねてもよいもの、つまり個々の医師−患者関係のなかで、古典的な「医の倫理」問題としてその伝統のなかで処理することが好ましいものと、逆に、むしろ公権力が立法などによって積極的に介入すべき課題のものとに「ふり分け」ていく作業を事前に綿密に行ってきた。1994年の「生命倫理法」で〈生殖の問題〉が中心に扱われているのも、こういったフランスにおける「ふり分け」という独特な取り組みの姿勢が働いてのことなのである。例えば、「人工生殖は、既成の家族や親子関係の観念を覆す恐れが多分に潜んでいる問題であることは改めて言うまでもない。したがって人工生殖技術は、それを実施する医師に新たな重大な責任を負わせることになるが、しかしながら、だからと言ってそれは当然医師だけに責任が負わされるわけではなく、それは明らかに社会、国家の責任問題にまでかかわってくる。だからこそ国家は、積極的にこのような人工生殖の規制のために立法による介入を推し進めていく必要があるのではないか」(島 1993,28)、ということなのである。このように、フランス国内において生殖技術の問題が中心に立法化の対象とされてきたのに対して、逆に〈安楽死〉問題は、「生命倫理法」の法制化のための議論のなかでは、終始一貫して立法の対象外とされてきたという経緯がある。また、出生前診断も立法化に相応しくないのではないかという議論もあり、政府法案もしくは国民議会のビウラック報告書と、国民議会における法案検討報告書とのあいだでの食い違いの末に、「生まれてくる子の利益に基づいた、重篤な疾患の予防ないし治療」に限定し、あわせて診断を行う医師の資格を限る条項を新設するという修正案が提出され、採択されている。
このような〈ふり分け〉の作業をもっとも自覚的に行ってきたものとして、いわゆる「ルノワール報告書」を挙げることができよう。報告書の中でルノワール氏は、延命治療と安楽死の問題は、むしろ立法に頼るべき性格のものでは決してなく、医師が、患者や家族との度重なる対話を通して、その当事者である患者が果たして最終的に何を望んでいるのかを読み取る(聴き取る)といった手続きを経て、医の倫理の領域のなかで、つまり個々の医師・患者関係のなかで処理すべきではないかと提案している(Lenoir 1991,131-145.)。そしてさらに、「積極的な安楽死を合法化すれば、倫理は荒廃し、医師と患者とのあいだの信頼の絆が絶たれることにもなりかねない」、とルノワール氏は指摘する。それどころか、報告書のなかでルノワール氏は、「安楽死に合意することは、果たして何を意味するのか」、と問いを投げかけもする。「それは、ほんとうに自由にされた決断なのか、一時的な抑鬱状態にあったのではないかなどと考えると、結局、法律で安楽死を容認することは、弱者を危険にさらすことになるのではないのか」。そして、そのような問いかけのなかから、最終的にルノワール氏は、社会の人々の心の底にある差別の傾向、つまり弱者や恵まれない人々を遠ざける傾向を指摘することによって、安楽死の合法化に強い危惧の念を表明するにいたるのである(小出 1998,161)。
このように、フランスでは、個々の先端医療技術のうちの何を具体的に法制化の対象とするかの〈ふるい分け〉の作業に相当な時間と議論を費やした。そして、そのような作業を通して、徐々に生命倫理法の規制対象の範囲が浮き彫りになってくるのであるが、実際に、「医の倫理」だけではなく公権力による立法的な介入がもっとも強く求められたものは、それはまさに人工授精や体外受精などといった生殖医療技術(もしくは生殖介助医療)の分野であった、というわけなのである。したがって、次の節では、このような生殖医療技術に重点が置かれることとなった「生命倫理法」の全体像を概観してみることにしたい。
2.フランス「生命倫理法」の全体像――「生物学的人権」の擁護
フランスにおいて「生命倫理法」が具体化し始めたのは、1986年12月に、時の首相ジャック・シラク氏が政府の諮問機関であるコンセイユ・デタに対し、生命の諸科学が提起する諸問題に対して社会と人間の守るべき倫理を、規制力の持つ法のレベルで考察する任務を委ねたことに始まる。その際の成果が、1988年1月に提出された、いわゆる『ブレバン』報告書である。この報告書をもとに、1990年10月に、ミシェル・ロカール首相の依頼を受けて、ノエル・ルノワール氏が、生命の諸科学に関する諸外国の実践と法的規制の状況に関して情報を収集して照合し、さらに必要と思われる提案を盛り込んで再度「報告書(ルノワール報告書)」を提出する(1991年11月提出)。そして、それとほぼ時を同じくして、国会のほうでもフランク・セリュスクラ氏による「生命科学と人権」についての報告書(「セリュスクラ報告書」)と、ベルナール・ビウラック氏による「生命倫理」についての報告書(「ビウラック報告書」)が相次いで提出(ともに1992年2月に提出)される。このように、フランスでは、「生命倫理法」の三法案が出来るまでの政策立案に、政府と議会とで綿密に政策を絞り込んでいったのである。
「人体尊重法」、「移植・生殖法」、そして「記名データ法」の三つの法律からなるフランス「生命倫理法」は、人体とその構成要素および産物の保護に関する倫理的な原則を民法典に新たに組み込み(人体尊重法)、あるいは改正し、それに従った実施細目を「保健医療法典(Code de la santé publique)」や「情報保護法」に定める構造になっている。いわばそれは、フランス的な人権原則を人体(組織)にも拡張し、生命科学技術の包括的な規制ができるように整備された体系なのである。裏を返せば、そのような法規制がことさらに求められてきたことの背景には、生命科学の急激な発展に伴って、もはや人間の肉体および組織そのものを法的に保護することなしには人権そのものを守ることができなくなってきたという、切迫した現状があってのことなのであろう。「ルノワール報告書」は、これを「人権の第三の段階」として位置付ける。まさにそれは、1789年の人権宣言以降、社会権、生存権とその基本的な人権の外延をひろげてきたフランスにしてみれば、「生物学的な人権」とでも呼べそうなものなのである。1994年のフランス「生命倫理法」は、まさにその「生物学的な人権」を擁護することにこそ焦点を絞って構成されてきた法なのである。以下、「人体尊重法」や「生殖・移植法」などといった生殖技術にかかわる「生命倫理法」の具体的な規程内容を、いくつかの資料(島 1994a,北村 1996など)を参考にしつつ簡単にたどり直してみることにしたい。
(1)「人体尊重法」(人体の尊重に関する1994年7月29日法律第94-653号.Loi N°94-653
du 29 juillet 1994 rerative au respect du corps humain)
「人体尊重法」(3章構成、全11条)は、まず第1章の第1条において、これまでの民法典の第1編第1章の標題を「私権について」と変更し、その章に、あらたな節(第2節)として「人体の尊重について」の節を挿入することを定める(第2条)、としている。そして、その冒頭に、これまでの民法典第16条の文言を修正して復活させ、挿入することを定め、またそれを具体的に明確にするために、いくつもの条項を民法典に新設(民法典第16条の1-9)することがで定められている(第3条)。「(民法典)第16条 この法律は、人の優越性(primauté de la personne)を保障し、その尊厳へのあらゆる侵害を禁止し、及び人をその生命の始まりから尊重することを保障する」。「(民法典)第16条の1 何人も、自己の身体を尊重される権利を有する。人体は、不可侵(inviolable)である。人体、その構成要素及び産物は、財産権の対象としてはならない」。
そこでは、まず第一に「人体の尊重」が人権のひとつであると宣言される(第16条、第16条の1)。そして、人体の保護のための原則として「人体は不可侵」である(「不可侵原則」)とされ、医療上の必要のために、「本人の同意」がある場合にしか「人体の完全性」への侵害はできない、としている(これは、一般に「同意原則」と呼ばれている)。また、人体とその一部・産物(臓器、組織、細胞、配偶子、受精卵など)は財産権の対象にはできず、それらのやりとりに関しては有償の契約は無効であり、報酬も与えられない(第16条の1、第16条の5、第16条の6。これは一般に「無償原則」と呼ばれる)。さらに、人体の一部・産物の提供者と受容者の身元は明かすことはできない、と定められる(第16条の8。「匿名原則」)。このほか、人の選別の組織化を企てる遺伝子操作などの優生学的実践の禁止と、代理出産契約の無効が、各則ではなくこの共通原則のうちに定められている(第16条の4、第16条の7)ことも、この法律の特筆すべき点であろう。そして、最終的にこれらの規定は「公序(ordre public)にかかわるもの」として、すなわち私法的自治に優先する公序の規定として定められることが明記されるのである(第16条の9)。つまり、この規程により、フランスでは個人の権利・自由は制限されることになる。そこでは、当然のことながら本人の意思もその制限から逃れることなどできない。これを、アメリカの自己決定権万能主義と真っ向から対立する論理とみなすこともできよう。そしてさらに、裁判官には、不法な人体の侵害や利用をやめさせる強い権限が与えれてもいる(第16条の2)。「人体の保護を通じて人権を保護することは、公の秩序に関わることであり、個々人の意思の上にたつ」(島 1994b,123)、というのがその根拠である。
そして、「人体尊重法」の第2章は、「人の特性の遺伝子検査及び遺伝子型による人の特定について」とされ、遺伝子検査は、医学・研究目的でのみ行えることが定められる(「人体尊重法」第5条)。したがって、保険会社や雇用主が、保険加入者や就職希望者に対して、それを選別する目的で検査をすることは刑事罰の対象となり、「1年の禁固および10万フランの罰金に処される」こともあわせて明記されている(第8条)。そのほか、「人体尊重法」第2章のうちには、保健医療法典などのより細かい規定に違反した場合の刑事罰を刑法典に新設していく条項も盛り込まれる(「人体尊重法」第4条、8条、9条など)。たとえば「人体尊重法」第9条では、「刑法典第5部に第1編『保健医療に関する罪』を挿入する」ことが定められ、さらに「この第1編中に4節からなる次の第1章『生命医学倫理に関する罪』を創設する」ことが定められる。ちなみに、その新たに創設された刑罰の章を構成する4つの節とは、第1節が「人の種の保護について」(優生政策に対する罰則。「人の選別の組織化を目的とする優生学的処置を実施する行為は、20年の懲役に処する」。これは、生命倫理法のなかでもっとも重い罰である。)、第2節が「人体の保護について」(臓器売買に関する罰則など)、第3節が「人の胚の保護について」(生体外で人の胚をつくることなどへの罰則)であり、そして最後に、第4節として「その他の規定、自然人への補充刑と法人の責任」が組み込まれている。
この刑法典での位置付けは、「生命倫理法の最大の難点だった人の胚の地位の微妙さ」を浮き彫りにしているという指摘もある。フランスの刑法は、1992年に全面的に改正され、総則と4つの部分から成る極めてシンプルな構成に改められている。そこでは、あらゆる罪は「人に対する罪」、「モノ(財産)に対する罪」、「国家、社会に対する罪」の3つの範疇に分けられ、そして、人体や胚に対する罪が、そのいずれでもない「そのほかの罪」のなかに入れられる。つまりそれは、人体の構成要素や精子、卵子、そして受精卵や胚などは、モノではないがヒトでもないという扱いを受けるものとみなされる、ということなのである。「それは民法典で、権利の主体である「人」の部分に人体を入れつつ、財産権の対象にならない特別の保護の客体と位置付けられていることに対応する。そのようにして、胚は人ではないが限りなく人に近い特別の存在として保護するというのが、生命倫理法論議においてフランス社会が形成したコンセンサスというわけなのである」(島 1994b,124)。
そして、「人体尊重法」の最終章である第3章は、「医学的に介助された生殖の場合における親子関係」と題され、民法典第1編第7章第1節に「医学的に介助された生殖について」という第4款を挿入することで、医学的に介助された生殖の場合の親子関係の新たな規定が定められる(「人体尊重法」第10条)。ちなみにこの規定は、親になろうとするカップルが結婚していようといまいと等しく適用される。まず、第三者から配偶子の提供を受ける生殖介助の場合、精子や卵子の提供者と生まれた子のあいだには、いかなる親子関係も生じさせることができないことが、民法典第311条の19として新たに挿入される。また、第三者からの提供による生殖介助を受けるカップルは、裁判官または公証人のまえで同意を表明することが義務付けられ、逆に、裁判官もしくは公証人は、生殖介助が親子関係にもたらす帰結についてカップルに教示しなければならないとされる(民法典第311条の20)。したがって、これによって、生殖技術により生まれてくる子どもの家庭内での地位を安定させることが保証される、というわけなのである。
(2)「移植・生殖法」(人体の構成要素及び産物の提供および利用、生殖への医学的介助並びに出生前診断に関する1994年7月29日法律第94-654号.Loi
N°94-654 du 29 juillet 1994 rerative au don et à l'utilisation
des éléments et produits du corps humain, l'assistance médicale
à la procréation et au diagnostic prénatal)
「移植・生殖法」(全24条)は、おおまかに言って二部構成になっている。まず最初は、保健医療法典(Code de la santé publique)の第6編の標題を「人体の構成要素及び産物の提供及び利用について」と改正し(第1条)、その冒頭に第1章として「人体の構成要素及び利用に適用される一般原則」を定める(第2条)ことで、臓器や組織・細胞、血液などの扱いの規定を定めていくものである。そして、この法のもう一つの大きな流れは、これまであった保健医療法典の第2編「家族、子ども、青年のための保健と社会医療」の編に、新たに生殖技術と出生前診断についての規制条項を定めていく(第8条以降)というものである。
まず、「移植・生殖法」第1条によって改題が定められた保健医療法典第6編「人体の構成要素及び産物の提供及び利用について」では、第2条によって臓器や組織・細胞などの取り扱いに適用される「一般原則」が定められる。ちなみにこの「一般原則」は、先に触れた「人体尊重法」の第2条によって新設が定められた民法典第1編第1章第2節「人体の尊重について」の節に盛り込まれた規定に従う、と定められている。つまり、そこでの臓器や組織・細胞などの取扱いについての「一般原則」は、民法典に定められた「同意原則」、「無償原則」、「匿名の原則」などが同じく適用されることが定められるのである。そして、「移植・生殖法」の第5条では、保健医療法典第6編第2章「人の血液について」の後に、第3章として「人体の臓器、組織、細胞および産物について」を挿入することを定め(第5条)、保健医療法典を、臓器移植によって生じる諸問題の規制により対応し得る法体系につくり直していく。
そこで定められる臓器移植の規制に関しては、まず、「生きている者」からの臓器の摘出・提供は、親子兄弟姉妹に限られるとされ、緊急の場合のみ配偶者が提供できると定められる(第L671条の3)。そしてまた、「提供のためにいかなる臓器の摘出も、生きている未成年者叉は法的保護措置の対象となっている生きている成人からは行ってはならない」(第L672条の4)とされる。ただ、骨髄に関してだけは、非血縁者からの提供および未成年者が自分の兄弟や姉妹にたいして提供することは認められる(第L671条の3)。このように、生きているものからの臓器の摘出および提供を血縁者に制限していくことで、とかく臓器売買へとつながりやすい非血縁者からの提供、または囚人などの社会的弱者が臓器提供を強要されるといった事態を未然に防ぐことができる、というわけなのである。
つぎに、「死者からの臓器の摘出について」であるが、フランスでは、もともと1947年から既に、「科学的または治療上の利益が命ずるものと医長が判断するときには、解剖および摘出は、たとえ家族の許可がないときでも、遅滞なく行われる」ことが「1947年10月20日のデクレ」によって定められていた(ちなみにこのデクレは1994年に廃止されている)。そのことからもうかがえるように、フランス国内においては医師のイニシアティヴが特徴的に見い出され得るような医療史的な背景があったことをまず見逃してはならない(北村 1996,125)。この「移植・生殖法」においては、死後の臓器摘出については、「治療または科学的目的」に限ってのみ行うことが許され、臓器の摘出は、「当事者がその生存中に当該摘出を拒否していることを明らかにしていないことを条件」とする、いわゆる「推定同意制」がふたたび採用されている。また、その拒否の意思を表明するために、あらたに「機械化された国の登録簿」を準備するという国家制度も設けられた(第L671条の7)。そして、最終的に臓器移植の待機患者リストを作成・管理し、摘出臓器の配分や組織の利用の規制を定めるとともに実施施設の許可・監査について意見を出す、国の公的機関である「フランス移植機関(Etablissement français des greffes)」を設置し、そこにすべての臓器摘出の情報を伝えることも明記された(第L671条の10)。そのほか、「臓器の移植について」は、「移植・生殖法」では、臓器以上に利用が増えている骨、関節、皮膚、胎盤などの「人の組織の摘出および保存、利用」にも規制が行われていることも重要である。そこでは、「提供のための人体の組織および細胞は、行政機関からそのための許可を受けた保健施設でのみ行うことができる」という許認可制が設けられた(第L671条の16)。ちなみに、「手術に際して摘出される」組織・細胞・産出物および胎盤は、「それらが事後の利用のために保存されるときは」、同意の要請には服さないとされ、手術残余物が、場合によっては患者の知らないところで製造業者に売却されることもありうる、ということである(北村 1996,127)。
さて、次に、この法のもう一つの大きな枠組である生殖医療に対する規制条項をみてみることにする。それは、これまであった保健医療法典の第2編「家族、子ども、青年のための保健と社会医療」の編に、新たに生殖技術と出生前診断についての規制条項を定めていく(第8条以降)というものである。具体的には、同編の第1章(「母子保護」)第2節(「母性・児童保護サービスの組織と使命」)のあとに、続けて第2節の2として「生殖への医学的介助」という独立した節を新たに設けることから始められる。ちなみに、ここで問題にされている「生殖への医学的介助」とは、「体外受精、胚移植及び人工授精を可能にする臨床上及び生物学上の行為、並びに自然の過程以外での生殖を可能にする、これらと同等の効果を有するすべての技術」、として定義づけられている(第L152条の1)。そして、この生殖技術を受けられる条件として、いくつかの制限が設定される。生殖介助を受けられるものは、生殖年齢にある生きた男女に限られ、独身者、閉経後の女性、寡婦(夫)、同性愛者の利用は禁止されることが定められた。さらに、カップルの安定度の基準として、「結婚しているか二年以上の共同生活を証明できる者」という条件が加えられる。そして、不妊または重大な疾患の感染を回避するための生殖目的以外では、体外受精を行えないことが定められ、受精させる配偶子の少なくとも片方は、カップルのどちらかのものでなければならないとされるのである(第L152条の3)。
また、胚の保存及び余剰胚の問題に関しても、あらたに規制が加えられている。そこでは、「医療技術の状態を考慮の上、1組の男女は、五年間の間に親となる要求を実現するために、胚の貯蔵を必要とする可能性のある多数の卵母細胞の受精を試みることを書面により決定することができる」(第L152条の3)とされ、5年間の期間限定で胚の保存が認められた。そして、そのなかで発生してくる余剰胚の譲渡の問題に関しては、当事者の同意だけでなく、裁判官の審査と許可を経たうえで(第L521条の5)、はじめて他の1組の男女が貯蔵されている胚を受け入れることができるとされた(第L152条の4)。また、ここにおいても「匿名の原則」が適用されており、医師が無記名の情報にアクセスする場合を除いて、「胚を取得した男女および胚を提供した男女は、それぞれの身元を知ることはできない」(第L152条の5)ことが明記されている。また、当然ながら胚の譲渡は「無償原則」に従うものとされる。
さらに、人の胚を作ること、あるいは人の胚を使う実験に関しては原則的に禁止され、胚を「傷つけない」ような観察研究だけが、カップルによる書面での同意と、国家審議会の審査のもとで許される、と定められている(第L152条の8)。
そのほか、出生前診断に関する規定は、保健医療法典第2編(「家族、子ども、青年のための保健と社会医療」)第1章(「母子保護」)の章の第4節「子どもに関する予防」の冒頭に挿入されることが定められ(第12条)、「子宮内の胚または胎児」を対象に、「特に重大な疾患を発見する」目的でのみ行うことができるとされる(第L162条の16)。なお、この「移植・生殖法」は、施行後少なくとも5年後に議会で再検討されるという規定が、21条によって定められてもいる。
(3)「記名データ法」(「保健の分野における研究を目的とする記名情報の処理、ならびに情報処理、情報ファイルおよび自由に関する1978年1月6日法を改正する法律.Loi
N゜94-548 du le premier juillet 1994 relative au traitement de données
nominatives ayant pour fin la recherche dans le domaine de la santé
et modifiant la loi no 78-17 du 6 janvier 1978 relative à l'informatique,
aux fichiers et aux libertés)
「生命倫理法」の3つめの法律である「記名データ法」(全5条)は、第1条において、これまでの「情報保護法」(情報処理、情報ファイル及び自由に関する1978年1月6日法律78-17号)に、新たに第5章の2として「保健の分野における研究を目的とする記名情報の機械処理」に関する諸規制を挿入する、というものである。つまりこの法律は、「医学情報の収集、保存、利用にともなって生じうる個人の私生活の自由と権利への侵害を防ぎつつ、社会にとって有益なそれらの情報の医学的活用を促す目的で作られたもの」なのである(島 1994b,4)。
新たに挿入された「情報保護法」第40条の3では、職業上の秘密に関する法令にかかわらず、保健を業とするものは、そのものが保持する記名情報を疫学などの保健研究のために提供・伝達することが許される、とされている。ただし、この「情報が、個人の特定を可能にするものであるときには、伝達の前にコード化されなければならない」ことが義務付けられ、また、「情報処理の結果の公表は、いかなる場合にも当事者の直接的叉は間接的な特定を可能にするものであってはならない」と明記されるなど、個人情報の保護に細心の注意がはらわれていることがうかがえる。そして、次の第40条の4では、この情報の伝達にあたって、ここでも「同意原則」が適用され、当事者には提供される情報の内容と利用目的とを告げ、また、そのことに対して「異議を申し立てる権利」もあることを説明しなければならない、と定めている。そして、第4条において、それらに違反した場合には刑事罰が科されることも明記されている(新刑法典第226-18条に3文を追加)。以上、このような「記名データ法」は、今後、急速に利用が拡大すると思われる個人の遺伝子情報の保護という難題に対するフランス独自の対応策として、特に学ぶべきところが多いように思われる。
3.「事実に耐えうる生命倫理法」への改正に向けて――ヒトの胚の扱いを争点として
以上のように、フランスは、先端医療技術を規制していく際に、「人体は不可侵」であり「何人も自己の身体を尊重される権利を有する」といった根本的な〈倫理的原則〉を、自らの法の「土台(socle)」として築き挙げ、そのうえで、人の臓器や骨、関節、皮膚、胎盤などの組織、細胞、血液、遺伝子、配偶子、受精卵の扱いを一括して規制することができるような法律を立ち上げた。このように、先端医療技術にかかわる諸問題を統べて一括して対象とし、また規制する法律は、世界中何処を探してもフランスにしかみられない。それはまさに、「生物学的な人権」という独特の人権原理を基準にした包括的な規制体系とでも言えそうなものなのである。このようなフランスの取り組みは、1997年の「臓器移植法」や2001年6月に施行された「クローン規制法」など、個々に別々の法律を適用させて先端医療技術の諸問題に対処してきた日本の現状とは全く相容れない法的な構えを見せている、とも言えよう。ただ、日本国内においては、フランスの「生命倫理法」の法的な構えに倣って、このような先端医療技術の規制を包括的なかたちで捉え返していこうという試みが、政府系のシンクタンクである総合研究開発機構(NIRA)による「クローン・体外受精等研究会」(委員長・川井健 帝京大学教授)などで行われており、非常に興味深い。ちなみに同研究会は、その成果を「生命倫理法試案」として報告書(総合研究開発機構・川井健共編『生命科学の発展と法 生命倫理法試案』有斐閣)にまとめ、日本国内における先端医療技術等にかかわる法体系の再整備の必要性を説いてもいる。
さて、問題のフランス「生命倫理法」の改正の動きに関してであるが、既に述べたように、もともとこの法律は5年後以降の再検討が義務付けられている、「暫定的」で時限立法的な性格を備えているものなのであった。それにもかかわらず、施行から5年後の1999年の段階では、議会はその改正を数回にわたって見送ってきている。しかしながら、ようやくここにきて、コンセイユ・デタが法制後5年間を検証する報告書(『生命倫理法:5年後』)を提出し、「生命倫理法」改正のための具体的な議論がいくつか展開されはじめている。1993年に最後の「報告書(マテイ報告書)」を提出した国民議会員のJ.F.マテイ氏は、「『生命倫理』法の改正にむけて?(Vers une révision des lois《bioéthique》?)」という講演録のなかで、法律の改正は、何にもまして、これまで「現実の領域から立ち上がってきた資料の再検討」をとおして、「事実に耐えうる生命倫理法」への「改正」でなければならない、と言っている。つまり、法の改正にあたっては、もはや「人体の尊重に関する法文に見受けられるようないくつかの基本的な原理の再検討が問題なのではなく」、むしろ「応用面において最も変化の著しい保健医療法典」にかかわるものである、ということなのである(Mattei 1999,330)。そして、そこで具体的にマテイ氏が挙げているものは、臓器移植の問題やクローン技術の問題、そしてヒトの胚に関わる問題など、多岐にわたっている。なかでもマテイ氏は、今回の法律の再検討に際しては「ヒトの産生・複製という目的でのクロナージュ(clonage dans but de reproduction humaine)を明確に禁止する条項を考察する」必要がある、と言っている。「人間の生命の道具化は、ナルシスの神話と不滅の神話とを想起させるプロセスにおける干渉と同じく、人間という観念そのものと決して相容れないもの」なのであって、したがって「人間の本質をその単一性と独自性において保護する必要がある」、というのがマテイ氏の考えである。またマテイ氏は、そこで、胚の学術的な研究全般に関しても反対の立場を表明し、1998年の段階で、ヒト胚の研究禁止の解除を求めて政府に意見した国立医学アカデミーと国家倫理諮問機関の両者の頑なな態度には大きな違和感を抱いている。マテイ氏にしてみれば、そのような態度は、そもそも胚が「法的あるいは哲学的な身分規定を持つのかどうかが不確かな状態に留まっていることを少しも気にかけず」、ただ医学は、当然のようにその「胚を自らの管轄下に置こうと」しているとしか思えないのである(Mattei 1999,334)。いずれにしても、今回の法改正の争点が、ヒト胚の扱いや余剰胚の観察実験に関して、そして、ヒト・クローン(clonage reproductif)あるいは治療のためのクローン(clonage thérapeutique)の〈区別〉などといった問題に絞られてくることは間違いなさそうである。ちなみに、フランスの政府関係機関のあいだでは、その両者の〈区別〉を行ったうえでの議論の必要性と、後者のヒト・クローンの禁止に関しては、ほぼ共通認識が存在しているということである(本山 2001,188)。そういった流れに対応してか、コンセイユ・デタは、1999年11月25日付けで公表した『生命倫理法:5年後』という報告書のなかで、「クローンについて」、「胚の学術的研究について」、としてクローン技術に関する法の改正に向けての提言を行っている。そこでは、まず、民法典第16条の4のあとに新たな段落として、「他の生者もしくは死者と同一のゲノムを備えている子どもまたはヒトの胚を、産生あるいは発達させることを目的とするあらゆる(医学的な)介入は禁止される」、という文言を挿入することで、ヒト・クローン全般の禁止を唱えている。そして、「胚の学術的研究について」は、既にある保健医療法典第L152条の8「検査、研究または実験を目的として人の胚を体外で作ることは、これを禁止する。」を引き継いではいるものの、「胚の研究一般を認める」a案と、胚性幹細胞の研究に限定して認めるb案のふたつの案を並記して、そのふたつの側面から社会的なコンセンサスの可能性を模索している(Conseil d'État 1999,69-70)。しかしながら、このように部分的に胚に対する実験を認めようとするコンセイユ・デタの案には、フランス国内において、反対の意見が若干あるようである。その意見の背後には、「ヒト胚は人ではないのだから法の対象にはならない、というような発想は人に区別を設けるものである。治療のためのクローンも、精神的、哲学的なリスクが高いこと、例えば遺伝病の可能性など解明されても事柄の解決策(治療法)が追いついていないことなどから、許されるべきではない」という考えがあるのである(本山 2001,190)。
いずれにしても、そういった諸議論のやり取りのなかで、フランス政府は、ようやく2000年12月に、これまでの「生命倫理法」の改正に際しての具体的な項目とその方向性とを指し示した法律案を提出し、そして、翌年の2001年の6月20日に、ギグー保健大臣によって「生命倫理に関する法律案(projet de loi relatif a la bioéthique)」が閣議に提出されもしている(ちなみに、この法律案はオンライン上でみることができる。http://www.sante.gouv.fr/htm/actu/bioethiq/index.htm)。そして、ジョスパン内閣は、人間のクローン胚の作成を医学的な研究目的も含めて全面的に禁止するその法案を閣議決定し、議会に提出した、とのことである。もともと、ジョスパン首相は、難病の治療や臓器再生などへの応用のためのクローン胚作成には容認の立場をとっていたにもかかわらず、政権内での数カ月にわたる討論の末、ここにきてその方向性を大幅に転換してきている。おそらくそこには、クローン胚の研究そのものが、いずれはクローン人間の作成にも繋がりかねない、といったフランス国内における強い反対意見があったからのことなのであろう。そして、最終的にこの閣議決定に応えて、クローン研究そのものに対して当初から批判的であったシラク大統領は、この法案を歓迎し、今春予定されている選挙までに成立させるよう呼び掛けているようである。この流れでいけば、フランス国内においてはクローン胚の作成が全面的に禁止の対象とされることはまず間違いない。それは、研究目的でのクローン胚の作成を限定的に認めている日本やイギリスと比較してみると、より厳しい規制が加えられる、ということなのである。いずれにせよ、この法案の行く末については、あるいは「生命倫理法」改正の動向そのものについては、今春のフランスにおける国会での討論を綿密にたどっていくことをとおして、今後、随時明らかにしていく必要がありそうである。
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