「着床前診断」の問題点
――ヨーロッパにおける議論――
阪本恭子
(帝塚山学院大学非常勤講師・哲学倫理学)
はじめに
今日まで生物は生殖を繰り返してきた。これからも繰り返していくであろう。一生物である私たち人間は、そうした生命の生産過程の途上にある。ところが生命操作技術の発展に伴って、「自然」の内に営まれてきた生命活動の道筋は、新たな方向を目指し始めている。見知らぬ道はいつでも光と闇に包まれている。「出生前診断(prenatal
diagnosis: PND)」を前にして当惑したひとびと、生命の質を予言されて生まれてこなかった子どもたちがいた。今後、「着床前診断(preimplantation
diagnosis: PID)」がどれほどの幸せな、あるいは不幸なひとびとや子どもを生み出すのか、現在のところ予知できない。それどころかそもそも何が問題なのか、論議は不十分なままである。
次に紹介するのは、着床前診断に関して、ヨーロッパで行われている議論の一端である。まず着床前診断に対する一つの見解(A)をやや詳しくまとめた後に、それに対する反応や評価の主なもの(B)を見ていきたい。生殖技術がヨーロッパにもたらした問題の所在を確かめるなかで、私たちが今後、生命への操作的介入の技術にどのように対応していくのかを考える手がかりを探りたい。
A. "Preimplantation diagnosis ― points to consider", Dietmar
Mieth, in collaboration with Sigrid Graumann and Hille Haker (Tuebingen),
Biomedical Ethics Vol.3, No.3, 1998.
1998年までに、ドイツで着床前診断を受けたカップルは50組にのぼる。この診断は、いまだ少数者のための生殖技術にとどまり、非常に私的な問題と関連するにもかかわらず、市民の合意は得がたいのが現状である。このことが診断についての議論を複雑にしているとMieth氏は指摘する。氏はまず「着床前診断の倫理的考察と評価に関連して考慮すべき点」(1)を列挙する。そしてそこから「根本的な倫理問題にさかのぼることを要求する、評価に関する未解決の問題」(2)を取り上げて、さらに必要な「法的規制」(3)を特定する。なお主著者Dietmar
Mieth氏はドイツ・チュービンゲン大学カトリック神学部教授で、専門は倫理学、社会倫理学である。
1. 着床前診断の倫理的考察と評価に関連して考慮すべき点
1−1.評価の経験的基礎
着床前診断の倫理的議論に結びつく問題は多分野(科学、医療、社会、経済、法律)にわたるが、氏が重要視するのは、それらを規範的問題と明確に区別して、経験的研究に基づく答えを倫理的評価に与えることである。経験的研究の解決能力の限界を認めながらも、氏は問題点を以下のように指摘する。
・ ヒト胚の発達(ドイツでの議論で最重要視されるのは、胚細胞が全能性を有する期間)
・ 予期される変化や転移の予知診断を含む着床前診断の指示
・ 今後の発育の予知診断を含む着床前診断の成功または失敗の確率
・ 着床前診断と結びついた体外受精(IVF)の成功率
・ 着床前診断が将来の子どもの身体的、心理的な福祉に与える影響
・ 着床前診断(および体外受精)と出生前診断が女性に与える身体的、心理的ストレス
・ 着床前診断(および出生前診断)についての人々の受容
・ 患者および患者組織の着床前診断(および出生前診断)に対する姿勢
・ 当該の専門家(生殖医学者、人類遺伝学者、カウンセラー、心理学者など)の着床前診断(および出生前診断)に対する姿勢
・ 着床前診断(および出生前診断)による社会心理的な変化(病気、障害者、性別などに対する姿勢)
・ 着床前診断(および出生前診断)による社会文化的な変化(母性や親子関係と結びついた文化的価値、新たな可能性と理想を願う文化的主張)
・ 保健システムにとっての着床前診断の分析に要する費用(ヨーロッパおよび国際比較)
・ 着床前診断の経済的影響
・ 着床前診断の直接的、間接的な現行の法的規制(ヨーロッパおよび国際比較)
1−2.社会的選択
次にMieth氏は、着床前診断を、近代の多元主義的社会の枠組み内で捉えることを主張する。この社会では、普遍的な価値体系は統合機能を喪失して、代わりに多種多様の選択が行われる。氏は、そうした選択はたしかに必然的な根拠をもたないが、言わば社会的価値の鏡となっているので、着床前診断の議論にふさわしい選択を識別して、選択の効果と含意を実証する必要性を説く。
・個人の自律を尊重する選択と、社会的連帯のための選択の関係は、どのように決定されうるか?
・遺伝子に関連した苦痛も、それに起因する苦しみも回避しようとする選択は、どのような重要性をもつか?
・その選択は、危険にさらされ無防備な人間保護を代弁する選択と、どのように関わるか?
・着床前遺伝子診断(preimplantation genetic diagnosis: PGD)の進歩のための選択は、どのような重要性をもつか?
・問題解決が可能な仮定の上にはたらく選択は、不確実な解明の含意より優れている。
・そうした選択は、普及してしまえば制御不可能となるように見える技術を回避する選択と、どのように関わるか?
・技術とは関わりのない他の選択肢(生殖の放棄、自己決定)を認めようとする選択は、どのような重要性をもつか?
1−3.人間学的問題
倫理的議論は、道徳的行為の主体となる人間の能力に人格の尊厳を結びつけるが、そのさい形式的前提となるのが人間学で、これをMieth氏は特に哲学的人間学と呼ぶ。倫理的評価を超える「人格」概念を定義して、さらに「尊厳」概念を人間学的に説明することが哲学的人間学の課題である。それはまた、人間の発生を有機体の発生として生物学的に解説するのではなく、連続する人間の生命に哲学的解明を与えることでもある。このような言わば新しい人間学が、生物医学の領域においてどこまで現実の問題に対応しきれるのか、課題はつねに残されていると言えるだろう。
1−4.規範的問題
医療分野の新しい技術の導入、開発、利用には、多くの人間のさまざまな選択、権利や責任が伴う。着床前診断の影響を受けるひとびとの権利を尊重するため、Mieth氏は以下の点について実質的解釈を行い、それらの規範的重要性を判断する必要があると指摘する。氏はそのなかで倫理学が、個々の権利の有効性の問題と、多様な段階にある権利どうしの比較の問題に立ち返らざるをないと示唆する。
・ 胚の道徳的立場の解釈。多様な生殖技術の緊急性、効率性、実用上の取り扱いにおける胚保護。
・ 生殖における自己決定の権利の解釈。あらゆる統制を拒否する権利、次に最善の可能な医療と技術的サポートを要求する権利。
・ 公共の福祉の保護と促進の解釈。
・ 機会均等の問題の解釈。技術へのアクセスの平等、差別の回避、公共の健康システムおよびその他の社会財に関する配分的公正。
2. 根本的な倫理問題にさかのぼることを要求する、評価に関する未解決の問題
2−1.胚の立場論争
Mieth氏の論点はやがて、ヒト胚の道徳的立場をどのように扱い、保護するかという、生殖分野において核心的な倫理的問題に集約される。そこには前述の社会的選択、規範的問題も関わってくる。しかしこの胚保護の問題は、背景にある価値観の多様性、重層性によって、解答を得ることは現在のところ不可能に近いと言えるだろう。氏が次に提唱するのは問題考慮の手引きであり、問題に対する一つの解決方法となっている。
@初期胚の保護に特別な価値を与えること。生命の人間学的定義である連続性にとって、胚の形体は必要条件である。自然的損失が連続性の反証とされることもあるが、保護することの価値に影響を与えないので、有効性をもたない。子宮内と子宮外を問わず、胚保護の価値に規範的な違いはない。
A援助された生殖分野における保護の緊急性の問題。個々の胚を保護することは不可能であっても、保護の一般的保証方法を明記しておく必要がある。これは子宮内の胚の成育に問題となることは少ない。胚保護は、人工妊娠中絶議論においてすら、女性の権利とバランスをとる状況的必要性、つまり道徳的矛盾のなかで考慮される。胚が生体外で利用可能になって初めて、胚保護はそれ自体で問題となる。
B保護の有効性の説明。説明には、さまざまな法的保護によって規定された選択の結果の正確な調査を含む。
C胚の実用上の取り扱いの問題。次の二つの矛盾回避が必要。まず、胚に下される規範的判断が異なっていても、一つの胚の他の胚に対する差別を認めることにはならないという点を実証すること。次に、人間の発育の諸段階に見られる、道徳に関わる相違点は、尊厳という特質によって判断されるべきだということ。ヒト胚の「試験的生産」は、ヒト胚をモノとして扱うが、人間の尊厳に基づく道徳的命令とは両立しない。
2−2.生殖の自己決定の重要性と範囲に関する論争
続いてMieth氏は、人工妊娠中絶の規制議論における、道徳的パターナリズムの問題と、消極的権利についての論争を取り上げる。そして、この消極的権利は、将来親となる者の価値観と決定権に基づいているが、生殖の単なる自己決定として道徳的責任を伴わないという欠点をもつことを指摘する。
ところが生殖の自己決定のリベラルな解釈をとると、生殖の制度的な支援に対する積極的な権利を認めることになる。具体的には自分自身の子どもをもつという要求を意味するが、そのような生殖の自己決定に関するリベラルな解釈にも限界がある。将来の子どもの福祉(最善の利益という基準に応じて評価される「代理的同意」)を考慮に入れて、胚をモノとして利用することを排除する必要がある。
2−3.個人の福祉と公共の福祉の関係についての論争
次にMieth氏は、個人の利益と権利を重視する段階にとどまったまま規範的問題を扱うことの欠点を指摘する。つまり多様な社会的状況で公共の福祉を規範的に解釈するのはたとえ困難でも、分配的正義と平等概念を導入することで、制度上の枠組みを設ける必要があると強調する。それによって、個人の自律的で正当な道徳的行為は可能となる。そのさい、生殖医療や技術が引き起こした諸価値の社会心理的、社会文化的な変化も考慮に入れる必要があると指摘する。
2−4.根本的な倫理問題
規範的問題の決定(諸権利の比較の問題、諸価値の序列の問題など)には、いくつかの根本的な倫理理論が必要である。ここでMieth氏が根本的と捉えるのは、これらの倫理理論が一方では道徳的要求に基づき、しかし同時に倫理的判断が広範に描き出す、ある特定の文脈に則した倫理的位相を定めるからである。そこから必然的に、多様な倫理理論に由来する問題解決の方法が導かれる。この点に着床前診断の倫理的議論はあまり着目しないが、諸理論が合意する点および合意しない点を、生物医学との連関のなかで特定することは意義があると氏は認める。
3. 法的規制
最後にMieth氏は、ヨーロッパ各国の着床前診断への法的な対応を、以下のように簡潔に比較する。
@ドイツ:胚保護の広範な保証(刑法で制定)。人間生命をモノとして扱うことの禁止令があるため、着床前診断は原則的に禁止。
Aフランス:寛容な規制。科学の進歩だけでなく個人の選択にも特別配慮。着床前診断の開発と応用の制限は法的規制により定式化(着床前診断の適応の厳しい規制、特殊施設や診療所との結びつき、遺伝相談を伴うこと、倫理委員会の審査)。
Bイギリス:大まかな規制。着床前診断の開発と応用には免許が必要。免許授与の条件は医療目的(基礎研究の禁止)、処置基準、品質管理を厳守すること。
Cイタリア、ギリシア:制度上の規制なし。
氏の主張は、着床前診断(あるいは生殖的な生物医学全般)の規制をヨーロッパレベルで規格化するには、拘束的な規範的基準および倫理的議論と同様、多様な国家の法的伝統を考慮に入れた議論が必要だということである。さらに、ヨーロッパ全体で生物医学の新しい開発に関して、一般論と法的規制を統合していくよう呼びかけている。
B. Comments on the "points to consider", Biomedical Ethics Vol.3,
No.3, 1998.
1)Deryck Beyleveld(Sheffield)
私は、Mieth氏が経験に基づいた研究の必要性を認めて、またそこで確認される論点、提出される諸問題に、大体において同意している。しかし私は、さまざまな倫理理論が道徳的要求を根拠にもつべきとする見解[Mieth氏論文2−4]には満足していない。仮にこの見解を認めると、道徳的要求は種々の倫理理論によって否定されたり、あるいはまた認められたりするので、正当化の過程は循環するばかりで、道徳的要求と倫理理論の両方とも正当化されえないことになってしまう。合意の得られた道徳的要求に倫理理論を基づかせることは、倫理的政策としては良いが、私はそれを道徳的な認識論として良いとは思えない。特に、多様な倫理理論が受け入れることのできる諸基準の同一化は、政策勧告を検証するのにはふさわしいが、それが指令の妥当性や合理性にとって有意義かどうかは疑わしい。
2)Guido de Wert (Maastricht)
Mieth氏が挙げた論点は、今後、着床前診断を倫理的に討論して解決すべき問題点を、かなり包括的に含んでいる。討論に必要と思われるコメントをいくつか挙げておく。
第一に、Mieth氏の議論は、厳密な意味での着床前診断に集中している。しかし、多数の生殖核のスクリーニングは「好ましい臨床的体外受精の実施」にとっては慣例であり、他種の着床前遺伝子スクリーニングは現在、臨床実験(染色体異数性のスクリーニングなど)で研究中である、という二点を十分理解しておくことが大切である。慣例的な着床前遺伝子スクリーニングの倫理性の分析が必要である。
第二に、私は経験に基づいた研究の重要性を強く支持するが、経験的問題のいくつかは明らかに着手が困難であるだろう。それは、方法上の理由(たとえば「着床前診断による社会文化的変化」)や倫理的な理由(人間における卵割球の全能性を研究すること)のいずれかに基づく。
第三に、生殖補助技術(assisted reproductive technology: ART)に伴う医師の権利と責任を、綿密に吟味する必要がある。今日的な問題の一つに、体外受精に関わる医師の責任として、将来の子どもの福祉を考慮に入れるべきかという問題があるが、それは、障害のある子どもをもつ可能性の高い夫婦に、着床前診断を「強制的に」提供することになってしまうに違いない(「遺伝的危険性があるため、着床前遺伝子診断を受けなければ、あなたに体外受精を施すことはできない」など)。
最後に、着床前診断は、顕微授精、生殖細胞系の治療、生殖のための胚クローニングと切り離して考慮されるべきではない。最近、アメリカのある研究チームが、体外受精と着床前診断の成功率を上げるために、「健康な」胚をクローニングしようとした。「予防的」倫理学は将来を見越して、関連する倫理問題の研究を進める必要がある。
おわりに
以上が、着床前診断の問題点をめぐる議論の要旨である。ところどころで短い私見を加えたが、できるかぎり原文に忠実な翻訳、要約を心がけた。
Mieth氏の見解の骨子は、着床前診断の倫理的評価の基礎となる経験的研究の重要性が、箇条書きで示される箇所にあるだろう。ただこの研究は、経験を必要とするかぎり、個々の研究者の価値観に大きく影響される。そうした研究に基づく倫理的評価が、診断の対象となる夫婦の価値観、あるいは子どもの生命の質や遺伝病、障害をめぐる社会の価値観とどのように関わるのかが問われなければいけないだろう。
未解決の問題の筆頭に挙げられるヒト胚の扱いについて、Mieth氏の母国ドイツでは、「胚保護法」で規定されている(1990年制定。1991年より施行)。そのなかで、「診断」を目的とした胚の作成、つまり着床前診断は禁止されている(第6条)。着床前診断が優生学的処置と捉えうるからで、ドイツの歴史感覚に照らしてみると、必然的な姿勢であろう。多様な歴史的背景をもつヨーロッパの国々で、着床前診断に対する統一的見解を得るために、はたしてどのような議論が繰り広げられていくのか、注目し続けたい。
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