生と死をめぐる断章

鷲田清一
(大阪大学大学院文学研究科教授・臨床哲学;
同医学系研究科兼任教授・医の倫理学)

A いのちはだれのものか?――生命操作をめぐって

 からだはだれのものか。いのちはだれのものか。
 安楽死の問題をめぐって、臓器移植をめぐって、人工中絶や出生前診断の是非をめぐって、このことがいつも問題になる。
 そのとき、その問いはいつも個人の自由の問題とからめて論じられる。個人が自由であるとは、個人がその存在、その行動のあり方をみずからの意志で決定できる状態にあるということである。わたしの身体もわたしの生命も他ならぬこのわたしのものであって、この身体を本人の同意なしに他から傷つけられたり、その活動を強制されたりすることがあってはならないというのは、「基本的人権」という理念の核にある考え方であると言ってよい。
 自殺の正当化にあたっても、献体の登録や臓器の提供にあたっても、その背景にあるのは同じ論理である。生きて死ぬのは他ならぬこの自分であるから死に方は当人が決めることができる、自分の身体は自分のものだからそれをどう処分しようと(美容整形しようと、身をひざごうと、体内の臓器を他人に譲渡しようと)他人にとやかく言われるすじあいはない……というわけである。
が、他方で、その同じ身体、同じ生命がけっして自分だけのものでないことを、わたしたちは日々痛いほど感じている。ひとは自分の生命をじぶんで創りだしたわけではないし、自分の生命を自分で閉じることもできない。だれも自分でへその緒を切ることはできないし、自分で棺桶のなかに入ることもできないとは、しばしば言われることだ。だれしも他人の庇護のもとで育つ。他人にあれやこれやと世話されながら老いる。
 身体や生命を、さらに広く「身」とか「身柄」というふうにとれば、家族生活をいとなむひと、いろいろな団体の運営責任を負う公的な立場にいるひとにとっては、自分の身体を自分だけのものだと感じることのほうがむしろ稀だろう。
このずれはいったい何を意味しているのか。
 ここで問題になるのは、冒頭にかかげたような、身体はだれのものか、生命はだれのものかという問いである。当人のものか、あるいは当人だけのものではないのか、それがいつも問われるが、しかしその背後にはさらに、身体や生命はそもそもだれかに所有される物なのだろうかという問題がある。
 西洋の所有論は伝統的に、何かが自分のものであるという所有権の概念を、ものの可処分権(ディスポーザビリティ、つまり自分の意のままにしうること)という概念に結びつけて考えてきた。これはわたしのものである、だからこれをどう処分するかはわたしが自由に決めることである、というわけだ。
 が、この考え方の根にある考え、つまり、この身体はそれを生きているこの自分のものだという身体の自己所有権(セルフ・オーナーシップ)の考えには、ある留保がつけられねばならない。それは、身体がもしもろもろの物体的対象の一つだとするならばたしかにその所有権が云々にできるだろうが、身体そのものははたして所有されるべき物的対象なのだろうかという問題である。
 生命についても同様のことがいえる。かつて生物学において、生命活動、とくに呼吸が燃焼の比喩で語りだされたように、生命というと、なにか生き物の内部にあって実体のように存在するものが考えられがちである。まるで生命の炎とでもいうべきものがあって、それがいつかふっと消えるかのように、だ。しかし、生命(ライフ)は他人と共同で維持されるものであって、他人との関係から離れて生活(ライフ)いうものはなりたたない。食べ物一つ調達するのも、社会の大きな機構が働かなくなったら至難のことになる。
 生命をだれか特定個人の身体のうちに局所づけることはある意味で抽象的なことである。というのも、身体が純粋に物的な対象として現われるのは、それが他の身体との生きた関係を解除されたときだからである。ひとの身体と生命は、食や性、育児や介護の場面ひとつとっても分かるように、いつも他の身体とのまじわりややりとりのなかにあるのであって、特定の身体の座をもつ生命の行く末は、その生命を生きる者、その生命に与かる人びとのものでもあるのだ。個人のその身体が死体となったとき、その生命をともに生きた者がその生命を亡きものとして認める、そういう行為をもってやっとひとつの生命は終わるのだ。
 いのちのもっとも基礎的な場面で、ひとはたがいのいのちを深く交えている。この交感がいのちのなかを流れている。
 からだはだれのものか、いのちはだれのものか。これは、ひとがだれと生きてきたか、だれとともに生きつつあるかという問いとともに問われねばならない問題なのである。

(『京都新聞』1998年11月10日朝刊)

B 見えない死、隠される生

 〈死〉は新聞に充満している。
 〈死〉が報道されない日はない。災害、事故、戦争、暴行、自殺……。さまざまな〈死〉がそこにはある。が、それらはもちろん〈死〉の一部である。これらの〈死〉のまわりに、あるいは背後に、報道されない無数の死がある。病死とよばれたり、自然死とよばれたりする〈死〉が。
 社会面では、有名人物やその関係者の死亡記事が小さく載せられる。しかしその死亡記事は、〈死〉の記述というよりは駅の伝言板のようなものである。葬儀という、〈生〉の側の事情のためにそれは書かれているのであって、だれかの〈死〉はここでは連絡事項でしかない。
 社会的に大きな意味のある出来事や事件を取り上げ知らせるのが新聞報道の役割である以上、災害という自然の暴力、戦争という社会の暴力、たんなる不注意ではないある社会的原因をもつ事故、犯罪としての殺戮行為、有名人の死亡、少年による殺人という社会的影響の大きな事件といったものが紙面に載り、言ってみれば「ふつうの死」というものが紙面に場所をもたないというのは、たしかにあたりまえのことに思える。
 昨今では、これらのほかに、脳死や臓器移植、安楽死や人工中絶などといった生命倫理にかかかわる記事が、あたらしい〈死〉の問題としてしばしば紙面の特集記事となるケースが増えている。生命倫理とはいえ、じっさいには医療現場のなかで、医療テクノロジーが提起している問題群であって、そこで問題になるのはだれかの死ではなく、臓器だとか遺伝子レベルの物質体としての人体の機能停止としての〈死〉である。科学的な〈死〉であって、だれかある知人が、家族が、死者としてこの世界から退場していくこととしての〈死〉という出来事が、そこで問題になっているのではさらさらない。
 要するに、「ふつうの死」は新聞ではほとんど問題とならない。家庭欄・生活欄で、最近死亡率の高くなった病気についてや、あるいはホスピス・ケアのこと、あるいは葬式のような死の習俗のあたらしい流行について、記事がよく書かれるくらいであろう。
 何が言いたいかというと、〈死〉は新聞において、それこそシステマティックに覆い隠されているのではないかということなのである。それは新聞のせいではない。そうではなくて、わたしたちの社会は〈死〉という出来事を、出来事としては一貫して視野から外している。それをジャーナリズムはさらに徹底してシステマティックに視野から外しているのではないか、その点で社会の「常識」と深い共犯関係をむすんでいるのではないか、ということなのである。

 〈死〉が隠されているとはどういうことか。たとえば、わたしたちのほとんどが、家族のメンバーが死んでゆくその過程をぜんぶは知らない。わたしたちはそのほとんどが病院で死亡するが、死の瞬間というものはまず、心電図とか、ピッコ、ピッコという冷酷に鳴るあの枕元の器械によって、そしてそれを読む医療機関の専門家によって知らされる。器械は理論を背負っており、それを専門家は解読するのであって、死はじかに人体において知覚されるものではなくなっている。そして死亡後は、死体はわたしたちの眼のとどかない場所に移動させられ、清浄処理される。人体のだらしなく空いた孔という孔から体液が漏れだしているのだろうと、想像がつかないわけではないが、それを想像する間もなく、白布に包まれた死体に面接することになる。遺体である。死体処理の過程をつぶさに見たひとなど、この社会では医療と看護の専門従事者くらいしかいないのではないだろうか。ある講演会でそのことを申し上げたら、二十代から七十代のひとまでおよそ百人中、だれかの死体が処理される場所に居合わせたひとはひとりもおられなかった。
 〈死〉という、人間の一生において決定的な意味をもつ出来事が、この社会では知覚不可能なものになっている。家で死ぬひとはめったにいないし、路上で死ぬひともめったにいない。今日ではひとはほとんど病院のベッドで死ぬ(考えてみれば、野垂れ死にするひとのめったにいない社会、指一本、手一本道に落ちていないという社会は、ふつう考えられているのとは反対の意味で、異様な社会なのかもしれない)。老衰という、しぜんに消え入るように死ぬこともほとんどなくなって、死期が近づけばなんらかのかたちで治療がなされる。治療は医療機関でなされる。坂口安吾の「カンゾー先生」が最近映画化されたが、カンゾー先生のようにひたすら往診に走る医師のすがたなど、もう見ることはない。「畳の上で死ぬ」ということばは、ほとんど死語になっている。

 〈死〉がこのように当人や関係者のイニシアティヴの及ばないところで「処理」される出来事になっているということ、このことと関連して、病もまた、じぶんの身体に起こることであるにもかかわらず、その理解や処置はわたしたちの手から遠ざけられている。いまじぶんの身体に何が起こっているかということを、わたしたちはまるでお託宣をうかがうように医師から聞かされ、受け入れるだけ。じぶんがじぶんの身体にかかわる回路に医師という他人が介在しているわけだ。じぶんの身体をじぶんのものだと、わたしたちは自信をもっていえなくなっている。たとえばわたしの義理の祖母は、虫歯のときはどういう葉っぱを噛みしめればいいか、風邪のときはどういう草を煎じて呑めば効くか、子どものころから家族に教わってよく知っており、九十を過ぎるまでは一度も医師にかかったことはない。そういう自己治療、あるいは相互治療の習慣は、もう遠いむかしの話になっている。
 さらに遡って、出産の場面。死亡と同じで、ひとの誕生も、家で産婆さんに取り上げてもらうということがなくなった。わたしたちは、家で母親のうめき声を聴くことも、赤子の噴きだすような泣き声も聴くこともなくなった。ひとの誕生がどういう事態なのかをじかに知覚することはめったにない。
 念を押すようであるが、さらにもう一つ事例を加えれば、生命活動にとってもっとも重大な意味をもつ栄養摂取の前提となる調理の過程と排泄物処理の過程、これもシステマティックにわたしたちの眼から遠ざけられている。
 排泄物の処理から言えば、かつて排泄が野外や共同便所でなされ、汲み取りもわたしたちの面前でなされていたのに、下水道の完備とともに排泄物処理が見えない過程になった。次に、食品はスーパーやコンビニに行くとすでに加工され調理されて、あとはチンするか湯で温めるだけでいいレトルト食品のかたちで売っている。肉や魚などの食材はきれいに切りそろえられてパックに入れて売られており、わざわざじぶんで生き物を殺し、捌く必要はなくなっている。排泄物の処理も、水に流されたあとどういう経路でどこでどう処理されるのか。わたしたちの想像力はうまく働かない。
 要するにわたしたちの社会では、生きるうえでもっとも基本的な出来事がもっとも見えにくい仕組みになっている。食材となる生き物の死体処理、食材の輸入調達、女性の出産、ひとの死と屍体の処理などの場面が視野から外されている。で、調理された肉を、パックされた食材を、胎脂や血液を拭われた新生児を、死化粧をほどこされ正装した遺体をしか、わたしたちは見ないのである。
 どういう作業をへて、肉や食材や新生児や遺体がいま、ここに在るのか。それを思いえがくには、想像力が要る。だから、そういう場面が視野から外されているというのは、そこで働いてきたはずの想像力もまた萎えさせられつつあるということである。生命というと、なにか生き物の内部にあって、生き物を生き物としている実体のように考えられることがある。まるで生命の炎とでもういべきものがあって、それがいつかふっと消えるかのように、だ。が、生活といえば他人と共同のものである。他人との関係から離れて、くらしというものは成り立たない。食べ物一つ調達するのでも、社会の大きな機構が働かなくなったら至難のことになる。その事実がいまとても見えにくくされているのである。

 誕生や病いや死は、人間が有限でかつ無力な存在であることを思い知らされる出来事である。おなじように調理や排泄物処理の仕事も、じぶんがほかならぬ自然の一メンバーであることが思い知らされるいとなみである。調理をするという行為は、排泄物の処理とならんで、人間がじぶんが生き物であることを思い知らされる数少ない機会だからである。そういう出来事、そういういとなみが、「戦後」という社会のなかでしだいに見えなくさせられていった。
 ひとはじぶんが生きるために他の生命をくりかえし破壊しているということ。そのとき他の生命は渾身の力をふりしぼって抗うということ。ひとはその生存のために一つの作業を分けあい支えあうものであること。じぶんという存在ががまぎれもない物そのものであり、生まれもすれば壊れもする、消滅もするということ……。そういうことのからだごとの体験がことごとく削除されるとしたら、わたしたちの現実感覚、もしくは《現実性の係数》そのものが、根底から変化してしまうのではないだろうか。その変容した新たな《現実性の係数》に、わたしたちの感覚ははたして耐えうるのだろうか。
 「ライフ」という英語がある。わたしたちのいう生命(いのち)を生活(くらし)と重ね合わせることで、「ライフ」という語は生命というものの社会的な性格を保っている。ひとのいのちが、他人のそれに育まれ、他人のそれと根本のところで支えあう関係にあるということ。脇の下や顎の下を洗われ、こぼした乳や漏らした便を始末してもらった経験、あるいは介護や看護で他人にからだを摩ってもらったこと、恋人と指先をからませること、性の交感、そしていのちの誕生には母親のすさまじい呻き声や、赤ちゃんの噴きだすような泣き声がともなうこと……。いのちのもっとも基礎的な場面で人はたがいのいのちを深く交えている。この交感がいのちのなかを流れているということを、「ライフ」という言葉は思いださせてくれる。乳児は愛情を失ったとき、食べることへの関心をなくすことがあるという。精神の不安定と早食いとの関係は、傍目にもすぐにわかる。いのちのトラブルは他人とのつながりのトラブルであることが多い。〈生〉(ライフ)の原型は、そういう他者との繋がり方のなかにあるように思われる。ありふれた言い方になるが、〈生〉も〈死〉もその根っこからして社会的な出来事なのである。
 そういう視点から一貫して〈生〉と〈死〉について考える用意がないと、〈生〉と〈死〉は、この社会のシステムとの共犯関係のなかでますます見えにくくなってゆくであろう。新聞報道は、医療テクノロジーのなかの発生する死の問題だけでなく、そういうテクノロジーをも現在の社会関係のなかに(批判的な視線を失うことなく)位置づけ、〈生〉と〈死〉が現在置かれている流動的な状況を総体としてとらえる努力を、いま必要としているのではないだろうか。

(『新聞研究』1998年12月号、日本新聞協会)

C 〈生〉と〈死〉の変容――時代を映す脳死臓器移植



 十年前のひとつの出来事を思い出していた。昭和天皇の崩御。何ヵ月にもわたって、そのひとの血圧の変化や下血の有無が深夜もテレビの画面に映しだされていた。ひとりのひとの死へのプロセスが、数字と医療用語へと還元され、それが一刻一刻すべてむきだしにされた。医療テクノロジーと放送メディアのその匿名の視線は、「天皇の身体」をも貫いた。いや、「公人」であるがゆえにむきだしで向けられたとも言える。
 「天皇の身体」からあらゆる幻想が剥ぎとられたというよりも、それですらこの社会ではだれが所有しているのでもないこの匿名の権力に呑み込まれるという事態を、「天皇の身体」がまさに「象徴」していたと言ったほうがいいだろう。じぶんの家族や友人がこのようなかたちで死を迎えることなど、想像するだけでもおぞましいことであるはずなのに、ひとびとは天皇の容態を示す数字をまるで時刻表示を見るかのように、深夜、疲れた眼でちらちら見ていた。
 こんどの脳死・臓器移植報道においては、市井のひとりの死が報道の対象となった。そして、切り取られた遺体の部分が冷蔵ボックスに入れて運ばれる情景が「生中継」された。このなかにはいくつかの強烈なコントラストがあった。一方に、遺体の一部が散(ばら)されて計画どおりに周到に各地に「運搬」されるという光景があり、他方で、家族が、哀しむことすら、悼むことすら、許されない死を強いられていた。
 一方に、このような新しい死の形態にプロフェッショナルに対応してきた医療関係者たちの異様なまでの落ちつきが、他方には、「いのちのリレーです!」と叫ぶ多くの報道関係者たちの気分のひきつりが、奇妙なコントラストをなしていた。
 要するに、わたしたちの〈生〉と〈死〉が迎えつつある新しい形態に、報道関係者をはじめ多くのひとびとの意識が追いついていないことが、はからずも暴露されたのであった。高知新聞をのぞく報道陣がすばやく手術室の撮影を申し入れたというが、それを視るひとが画面からどんな意味を汲み取れるというのだろうか。
 わたしたちは長らく、家族生活のファンクションの多くを外部の機関や業者に委託するようなかたちで生活を改造してきた。食事や洗濯、排泄物処理から、教育や介護、冠婚葬祭までである。そのなかで、ひとの誕生と死もまた病院へと「外部化」されていった。生命の始まりと終わりという出来事をひとはじぶんたちの視野から除外していったのである。
 いまわたしたちは、だれかが死んでゆくその光景が身のまわりにあってじぶんたちの日常生活のなかに組み入れられていた時代にではなく、人称を消去したテクノロジーの空間に死がそっくり移管されている時代に生きている。「だれか」の遺体が無人称の屍体となった、そんな社会空間に生きている。
 それにともなって、〈生〉と〈死〉のさまざまな可能性が生まれ、そのかたちも多様化してきた。たとえば、今回の報道でもしばしば口にされた「いのちのリレー」。臓器移植が、「いのちのバトンタッチ」とか「いのちの贈り物」というふうにイメージとしてどんどん膨らせられていった。もっとも、臓器提供者の家族にはこのような仕方でじぶんの悲しみに納得のできる形をあたえるその時間すら許されなかったが。
 が、ここではイメージのかたちで美化するのではなく、医療の現在が、「かけがえのないいのち」という考えがすべてを決するような地点をすでに踏み越えていることを示し、それにともなって発生している〈生〉と〈死〉の多様性、そしてそのそれぞれへの対し方、さらには家族のケア等をめぐって、新たなモラルを構築する必要がある。
 もう言葉の形式でしかなくなっているのかもしれないが、わたしたちの言葉はいのちへの尊敬を深く刻み込んできた。いのちあるものは、たとえ蟻や毛虫でも、物体とおなじように「ある」とは言わず、「いる」と表現してきた。そのことの意味をいま、もう一度深く見つめなおすような地道な作業から、始める必要があるとおもう。

(『信濃毎日新聞』1999年3月12日朝刊他、共同通信配給)



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