食の繋がりからみる援助
――ハイデガーの「現存在」概念を手がかりに――

服部俊子
(大阪大学大学院医学系研究科博士課程、医の倫理学)

 

 はじめに

   数年前、ある疾患により私は入院していた。点滴針やテープなどの外的な物だけではなく、自分のからだの細菌まで異物と判断してしまうような反応がおきた。そして点滴による栄養剤と抗アレルギー剤の投与を受けたのだが、私は食べようとしても食べられない。常に痛みや吐き気も感じるし、言葉では語れないしんどさである。投与される点滴薬の増加に伴い血管穿刺回数も増加する。医師は心臓に近い血管からの点滴も考慮したが他の危険性と照合し躊躇していた。医療者は「痛い思いしないためにも頑張って食べられるといいのにね。」と言葉を置き去る。さらに、青地味ながらも腫れた手にむかい、「血管がないね」とまた言葉を重ねる。確かにこの医療者の気持ちは自然かもしれない。事実、私も医療の現場にいたころ、同じようにそう思っていたからだ。自己抗体や肝機能の検査値で異常はある。でも、手足の拒否反応は目に見えるが、目に見えない身体内部の拒否反応は、患者の精神的なもの、ストレス、として医療者は判断し、そういう患者に何の疑問もなく、食べない患者として栄養摂取の代替治療方法を考える。食べられなくても食べないのであっても、そういう食の欠如にある患者の治療としては、栄養摂取が医療においては最良の方法だと思っていた。「でも医療ってこういうものでいいの?何かが違うよ。」「食べられない患者に栄養点滴をしながら、食べなきゃ、とか、食べなくても今は点滴があるから、ということが医療?」すでに医療現場から哲学の道に転向していた私は、また自分自身に問いかける。「こういう齟齬はどうして生じるの?」そう自問しながらもしんどさを感じる私は、訪れてくれる友人にいう。「痛い思いをしながらも、私の持っている医学的知識を活用してはいるつもりでも、それでも、食べられないのよ。」

 患者である私は、食べられないことに対する複雑な思いが、医療者には届かないことがわかっていた。というのも、かつて医療者であった私は、食べない患者を前にしたときの医療者が、「栄養摂取は病気の回復に必要なものだから、是非食べてほしい」と考えることを知っていたからである。患者の食べられないという思いが、医療者によって栄養不足としておきかえられ、その患者の思いを覆い隠してしまうのだ。しかし、食が栄養摂取と同じではないと私達の誰もが気づきながらも、それに対してどうすればよいかは誰にもわからない。この両者の思いはどこまでも平行線を辿り、齟齬として現れてくる。その齟齬が繋がるような援助ははたしてあるのか、患者となった私に疑問が生じるのである。

 しかしながら、依然として今の医療現場では、食の援助は栄養摂取の色合いが濃いようである。それはどうも、患者と医療者の双方の思いによって支えられているようだ。食べられなくなった患者は、医療者にこの原因を調べ、除去して欲しいと切に願う。医療者においては、食の欠如が栄養の欠如へと摺り替えられ、食は栄養摂取の単なる一手段として扱われる。患者は栄養摂取に縋り、医療者もまた栄養摂取に縋ろうとするわけであるが、その思いの根底には、食の欠如が私達に告げ知らせてくることになる、(生物学的)生命が有限である、ということへの不安があるからなのであろう。しかし、同じように栄養摂取こだわっていても実際の患者と医療者では、食の欠如が現れたときの対応が、それぞれ異なっている。

 私達は医療現場においては、それぞれが医療者や患者と呼ばれる、異なった者となる。したがって私達の根底にある思いが仮に同じであったとしても、すでに異なった者であるそれぞれをとおしてその思いが現れるのであるから、医療者と患者とでは食に対する対応が異なっていたとしても当然ではないだろうか。

 現代ドイツを代表する哲学者の一人であるハイデガーは、まさに、このようなそれぞれの存在の現れを区別したうえで、そのような世界の「存在」が各々に対してそれぞれ異なったものとして「現」れてくる、ということを主題的に考察した。その現れの場をハイデガーは「現存在(Dasein)」と呼び、私達が世界を知るための唯一の道筋として、自らの哲学の中心に据え付けるのである。ちなみに、ハイデガーは、私達が一般的にいうところの人間存在のうちに、現れの場としての「現存在」を見出そうとしていた。

医療現場[1]における食の問題とその援助を考えるにあたり、このようなハイデガーの概念をもとにしながら、医療者と患者のそれぞれの「現存在」に現れている世界を分析することで、はじめてそれらの存在者により近付くことができるように思える。医療現場において、これらの両者に現れる食の世界は果たしてどのようなものなのか。その現れの違いが、両者の間の齟齬を生じさせるとしたならば、その齟齬の根はどこにあるのだろうか。その生じた齟齬は、どうすればその齟齬を繋ぎあうことができるのだろうか。また、そこに援助があるならば、具体的にどういう方法が可能なのか。このような問いに答えてこそ、はじめて食の援助のあるべき姿が垣間見えてくるような気がしてならない。

したがって本稿では、このハイデガーの「現存在」概念を手がかりにしながら論をすすめ、この問いについて考えていくことにしたい。

 1 私達が気遣う食のつながり

 ハイデガーは、私達各々の「現存在」に現れる世界に、私という者をはじめとして、多くの物や他者といった存在者達が存在しているのだという。その存在者たちが現れてくる世界を、「現存在」である私達はいつも気にかけるから、他の存在者たちとも、またその世界とも関わることができるのである。このような「現存在」を気にかける私達の在りかたを、ハイデガーは「気遣い (Sorge,英語/care)」と呼んだ。そして、共に存在する存在者たちのなかにおいて、物に対する気遣いを「配慮(Besorgen)」と呼び、者に対する気遣いを「顧慮(Fursorge)」として区別するのである。また、このように区別された物への「配慮」と者への「顧慮」も、最終的には私自身へと差し向けられてくる気遣いなのであって、このような私自身への「気遣い」こそが、逆に、物への「配慮」や者への「顧慮」を成り立たしめる根本的なものと看做されるのである。

 では、私達が「気遣い」を通して世界と関わるとは、はたしてどういう事柄をさすのであろうか。

 世界には、私も物も者も多くの存在者たちが住まう。この存在者たちは、「現存在」が関わる以前にすでになんらかのつながりをもって存在しているのである。そこにあるペンも机も光も、あなたも彼も、すべてがすでになんらかのつながりをもって存在しており、そのつながりにおいて、すでに世界は存在している。このことは、ペンやあなたなどが単独で存在し、その総体が世界であるということでは決してない。それは、私達が、私を含めた存在者たちに気遣うことで、その存在者たちが住まう世界にはじめて関わることができる、ということなのである。このような、私達と世界との「気遣い」を通しての関わり、このことをより詳しくみるために、まずは、存在者たちのなかでも、もっとも身近な存在者としてある物と、それへの気遣いである「配慮」から見ていくことにしよう。

 私達のまわりには多くの物が存在するが、その物には「道具(Zeug)」となりうるような存在性格が予め備わっており、その存在性格をハイデガーは、「道具的存在性」(Zeughaftigkeit)と名付けている。このような、物がもちあわせているところの「道具的存在性」を「現存在」は見抜き、それを自身が使用するための「道具」として見出すのである。さらに、この「道具」は、そもそも「〜のため」という指示をお互いに差し向けあって繋がっているものとされ、それは「道具」が存在する前に、なんらかのつながりのなかにその「道具」があることを意味している。このつながりをハイデガーは「道具連関」と呼び、「道具」が見出されるときには、すでにそれが他の「道具」に帰属されて在る、と捉えたのである。このように、「道具」は単独で存在するものではなく、「道具連関」の総体としての「道具全体性」のなかのひとつとして位置付けられて存在している、ということができる。また、「道具」が「道具全体性」のなかに位置付けられ、そこに存在しうるためには、「道具」にも、その「道具」の適切な用途において適切な場所に位置するような存在性格がもともと備わってなければならないとして、ハイデガーは、それを「適所性(Bewandtnis)」といったかたちで問題にしようとしたのである。この「適所性」は、「〜のため」という「道具」が差し向けあっている指示によって、もたらされるものである。その指示をもとにした「道具連関」を成り立たせているものこそが、まさに「現存在」の「配慮」という気遣いであり、この気遣いは連関を、私達に親密なものとして在るようにしむけるものなのである。この過程をとおして、「現存在」にとって連関が、はじめて<意味のあるもの>として現れてくる。ハイデガーはこのような「現存在」の働きを「有意義化」と呼び、「現存在」が、「〜のため」という指示においてもたらされる「道具」の「適所性」を、自身にとって<意味のあるもの>へと変換するような関わりとして捉えたのである。この「適所性」の連関全体のことを、ハイデガーは「有意義性」と呼び、この「有意義性」こそが、最終的に世界を世界たらしめているものである、として解釈するにいたるのである。

 「現存在」の気遣いとしての「配慮」は、このようにして、物という存在者を、私達にとっての親密なつながりの中にある身近な存在者としての「道具」に見出していくのである。この「道具」は、「現存在」がそれを具体的に使用するからこそ、より私達にとって身近な存在者として現れてくる。そのことをより具体的に言えば、以下のとおりになろう。

 ハイデガーは、「現存在」が日常的に出会う仕方を「交渉」と呼び、その「交渉」において見出すのは「道具」であるという。ちなみにハイデガーは、この「交渉」に、ギリシア語において実践を意味するpraxisという言葉をあてている。この言葉の意味からもわかるように、「交渉」は、私達が物を使用することにおいて、私達と物が最初に出会う際の、その出会われかたなのである。具体的にそれは、目の前にドアという物があるならば、ドアを開きつつ取っ手を使用するということで、すでにドアと「交渉」をしている、といった出会われかたなのである。このような「交渉」は、私達が日常的におこなっている行為を指すものであるといえよう。さらに、この「交渉」は、予め物に備わっている「道具的存在性」を見抜く力としての「配視(Umsicht)」という様式をもっている、とハイデガーはいう。この「配視」によって「現存在」は、道具がもちうる「道具的存在性」を見抜き、その道具がもちうる「道具的存在性」の可能性をより活かすことができるようにその物と「交渉」することで、物を「道具」として見出していくのである。例えば、「現存在」がレンガという道具を見出すには、「現存在」が、予め土が持っている「道具的存在性」を、逆に土の方からも導かれるようにして見抜き、それをもとに、焼く、あるいは練るといった行為を通し、それと「交渉」する中で、はじめて土をレンガとして見出すことになる。つまり、こういった「交渉」は、「現存在」がその物に対して一方的に働きかけるということだけでは決してなく、むしろ、物の背後にある「道具連関」のつながりからも促されるようにして導かれていく、というありかたなのである。したがって、このような「交渉」は、能動的な側面と受動的な側面が合わさって成り立っているものと言えよう。もっとも身近な存在者である物と、それへの気遣いである「配慮」とのあいだには、まさにこういった関係が結ばれているのである。

 とはいえ、私達と世界との気遣いを通しての関わりは、それだけではない。ハイデガーは、物への「配慮」という関わりの他に、他の「現存在」への気遣いとして、「顧慮」という関わりを考えていた。したがって、次に、私達が他者と関わる気遣いとしての「顧慮」について概観してみることにしたい。

 ハイデガーは、他者に対する「顧慮」には、ふたつの様相があるという。ひとつめは、他者であるその当人がもっている気遣いを、「その他者にかわって引き受ける」というやりかたであり、それは他者である当人が世界に関わる術としてもちあわせている気遣いを、その当人からとりあげてしまう、ということである。そうなれば、「現存在」の「顧慮」は、その他者であるその人を「支配」してしまうことになる。ふたつめとしての「顧慮」は、他者であるその当人が世界と関わるための「気遣い」を奪うことなく、他者であるその人が、世界に関わるそのままを、「現存在」の私が気遣うということなのであり、「他者に手本を示すようなものである」とハイデガーは言っている。さらに、この2つの「顧慮」を、具体的な例をもとにしながら見てみる。脳卒中の疾患により麻痺が生じ、日常生活の動作がうまく行えない患者がいるとする。その患者は、動きづらい手足をもとに、日常的に使用していたお箸をより使いやすいように工夫したり、自身でリハビリテーションを施す。これは、患者自身があらたな「道具連関」を成り立たせようとさまざまな物に「配慮」していることを意味する。この患者が、昼食を食べるために上体を起こそうとしている場面において、この患者に、ひとつめの「顧慮」、すなわち他者を「支配」するかたちの「顧慮」で関わろうとするならば、動きづらい手足の状態を考え、患者の上体を医療者が起こし、食事に必要なお箸などの「道具」をすべて設置してしまう、ということになる。これは、他者の気遣いをすべて奪いとってしまうことであり、すなわち他者の可能性(ここではより動けるようにすること)を奪うことなのである。次に、同じくこのような場面に対して、ふたつめの「顧慮」で、すなわち「他者に手本を示すような」「顧慮」で関わるとするならば、それは、患者という他者のそばに「顧慮」する者が立ち止まり、上体を起こそうとする患者を見守りつつ、患者が「配慮」しきれないところ(例えば棚からお箸を取り出して患者に渡すことをする)を手伝う、という関わり方になるであろう。

 このような2つの「顧慮」は、目の前に現れている他者の中でも、すでに関わりのある者に対する気遣いなのだが、私達の日常では、多くの他者と街ですれちがったり、また「道具」を介して出会われる、といった場合の他者への気遣いもある。私達は、街ですれ違う他者にはお互いに無関心で無視しあいながら出会うのであり、また「道具」のつながりの隙間から現れてくる他者と出会うこともある。このような、隙間から現れる他者は、例えば、食材の「道具連関」からは、食材を栽培している者や販売している者、といった者達として捉えることができよう。このように、無関心で無視しあう出会いかたをする他者や、道具を介して出会う他者への気遣いを、ハイデガーは「顧慮の欠損状態」にある気遣いという。この「顧慮の欠損状態」にある気遣いは、かりに自身が出会う他者が、街ですれちがったり、物を介して出会うような他者であったとしても、逆に「現存在」がいつもそれらに対して「顧慮」をする準備を整えている状態を意味している、ともいえる。というのも、街ですれちがうとしても、少しのきっかけがあれば「顧慮」という気遣いによる関わりとして、「現存在」はその他者とも近付きうるのであり、そういう意味においては、「顧慮の欠損状態」は、まさに「顧慮」というあらたな気遣いを生じさせうるものして捉え返すことができるかもしれない。

 以上において、「現存在」へ現れる世界と、その世界への「配慮」と「顧慮」という、私達の気遣いの在りかたをみてきた。ハイデガーはさらに、「道具」を気にかけたり、他者を気にかけたりするこの在りかたこそが、「日常的」で「平均的」な「現存在」としての在りかたであるともいう。言い換えればそれは、私達が「道具」や他者に気遣いすることを通して、食べることや使うなどといった行為が導き出され、それをもとに世界と関わっている、ということなのである。しかし、このような気遣いには、私達は日常的にほとんど気づくことがない。「あなたの日常的な食べる行為はどのようなものですか。」と問われると返事に困ってしまうように、「道具」に気遣いながらもそのつながりに支障がない限り、私達は、あらためて日常の食べるという行為が結んでいる連関に気をとめることなどないのである。かりに食べる行為をしようとしても、調理するための食材が見つからず、お箸が見当たらなかったとする。これは「道具連関」と私とのつながりに支障がきたされた状況であり、そのような状況におかれた私達は周囲を見回し、他の「道具」に「交渉」しながら、食材やお箸になるような物をあらたに見出すであろう。それでも「連関」への「交渉」が全く<意味をなさない>くらいに、食べるための連関自体が完全に支障をきたしたならば、「現存在」は、連関とのつながりが途絶えてしまわざるをえない。そのような状況にある「現存在」は、連関と密接に繋がっていたときに気遣っていた「顧慮」や「配慮」が、一挙に色褪せてくるのを感じ、「現存在」の気遣いの根本的なものとしてある、私自身の「気遣い」しかできなくなってしまうのである。このように私自身への「気遣い」だけになってしまうということは、「現存在」にとって、他の存在者へと張り巡らせていた網目の糸が断ち切られてしまうということなのであって、またそれは、他の存在者同様に、「現存在」が「単独化」して存在してしまう、ということを意味するのである。このような状況におかれる「現存在」にとって現れてくる世界は、もはや私以外にはありえなくなってしまう。そのときには、まさに私自身の存在に、つまり有限存在としての私自身の存在に、「現存在」は向き合う他なくなるのである。しかしながら、「現存在」が自身に向き合うことしかない状況にあっても、「現存在」はつねに、日常的な私達に戻りたいと願う。なぜなら、ハイデガーは、「現存在」の「平均的」な在りかたを、「現存在」が自らを有限存在であることを隠蔽し、またそれから目を背けながら生きていくような態度のうちに、見定めようとしていたからである。「現存在」である私達は、世界に存在する物に「配慮」し、また他者に対しても「顧慮」しているにも拘わらず、このような気遣いにあらためて気をとられることなく過ごしている。ここにこそ、「現存在」の「平均的」な姿がある、とハイデガーは考えるのである[2]

 では、これまで述べてきたようなハイデガーの「道具連関」と「現存在」との関わりをもとにするならば、食の欠如における患者という「現存在」は、果たしてどのような存在者としてみえてくるのであろうか。そして、その患者という「現存在」は、世界とどのように関わっているのか。私達が、日常的にはあらためて気にとられることのないような、食べる行為とその連関をもとに、次の節でそのことを明らかにしていくことにしたい。

 2 食の繋がりと食べる行為

 私達の食べる行為というものは、食べる「ため」の連関全体に「現存在」が気遣い、その連関全体から導き出されてくるものである。例えば、入院中の患者の食べている姿を思い浮かべてみる。行為主体としての患者だけではなく、座る椅子も机も箸も、その視野に入ってくる。そしてもっと見えない物にまで想像をふくらますならば、机や食物を照らす光り[3]など、さまざまな「道具」たちも浮かんでくる。このようにして思い浮かべることができる「道具」たちは、食べる行為をする患者の食の「連関全体」を形作っている、ということができよう。患者の食べる姿からも、食の世界がひろがりをもってくるようだ。私達は、さまざまな物に「配慮」をしながら食べているにもかかわらず、食べる行為そのものにほとんど気をとられることはない。そのような、きわめて当然のように行っている日常的な行為であっても、場合によっては、それができなくなることも当然ある。そのような状況におかれた「現存在」は、あらためて食べるための「諸連関」に「交渉」を行っていかなければならない。そのような「交渉」の甲斐もなく、食の「連関全体」のつながりが途絶えてしまったときに、私達は食べる行為が諸連関から導き出されない存在者となってしまうのである。このような存在者となったときに、私達は医療の場へと赴き、患者という者になる、といえよう。

 では、食の欠如にある患者の「現存在」の世界を考えるために、入院中に食べられないと嘆く患者の姿を思い描いてみる。気分の悪そうな表情で、食べ物が運ばれてきても全くそのことになんら反応を示さないような患者の姿が想像される。あるいはそれは、少しでも食べようと上体を起こしお箸を持ったものの、食事のおかずを全くつつきもしない患者の姿なのかもしれない。この様子からは、本当に食べる行為が導き出されているとは到底言えず、食べるために繋がっていた物たち、すなわち椅子も、お箸も、さらには患者に食べられなかった食べ物までもが、物さびし気に置かれている様子がみてとれる。食べる行為をする者から食べるためにつなげられた糸を引きよせると多くの「道具」がついてくる。物さびし気に食べ物達がおかれている様子は、道具をつないでいたそのような糸が一挙に切れたような、あるいはもともとそこに糸などなかったかのような印象を、私達に抱かせるのである。これは、「交渉」が支障をきたし、さまざまな連関が途絶えた状況である。この状況は、連関が「交渉」においてうまくつながりを保っていたときとは異なり、諸連関にあった「道具」たちがすべて、単なる物へと立ち返ってしまうことなのである。ナイチンゲールは「患者が手をつけなかった食物を、後で食べてくれることを期待して、つぎの食事時刻までベッドのそばに置いておくようなことがあるが、これは結局のところ、患者を何も食べられない状態におとしいれるにすぎない」[4]と示している。つまり、彼女が述べたかったことをハイデガー流にいうならば、それは、患者が食べるために存在した食べ物が、その「?のため」という指示による連関が断ち切られると、食物という「道具」より調理された単なる物へと変換されてしまい、患者の食べる行為はますます引き出されににくくなる、と言い換えることができよう。したがって、食べられないという患者は、食べる行為が導き出されない状況におかれていると言える。そのような患者は、その「現存在」においてもっとも根本的である患者自身への「気遣い」というものにとらわれ、まさに有限存在である私自身にむかってのみ「気遣い」をする他なくなっているのであろう。加えて食そのものは、呼吸と同様に生命体に不可欠なものであり、「現存在」の有限性をもたらすものとしての影響が非常に大きい。だからこそ、この食の欠如にある患者は、小さな創傷を負った患者よりも、はるかに自身の有限存在性を感じているのである。そういった「現存在」は、食の連関に「配慮」しているにも拘わらず、その気遣いに気づくことなく食べていたような、そのような日常的な私に戻りたい、とより一層強く願うであろう。それゆえに、患者は自身に向けられた「気遣い」から目を背けたいがために、栄養のための点滴やその他の栄養摂取方法という物への「配慮」に縋ろうとするのかもしれない。

 では、このような食の欠如にある患者と、その患者に援助をしようとする医療者に齟齬が生じてくるのはなぜなのであろうか。医療者としての「現存在」にとって、食の欠如にある患者は、はたしてどのような他者として現れてくるのだろうか。

 3 患者と医療者の間にある齟齬の根

 医療者は、医療的知識という生物学などの実証科学をもとにした知識を備えた存在者である。この知識というものは、もともと「生命」というものに焦点をあてたものである。ちなみにハイデガーによれば、この「生命」は、「事物的存在者」(Ding)でもなければ「現存在」でもない[5]ようなものとしてあり、生命活動というかたちでもって、「現存在」のもとにのみ存在するものとして捉えられている。医療者は、「生命」に焦点をあてた医療的知識をいつも「配慮」する者として存在するのであり、それは、患者の「現存在」における生命活動に、いつも気遣う存在者なのである。さて、食の欠如にある患者が、このような医療者が集まる医療機関に赴くにいたるのは、自分が気づくことなく行っていた食べる行為が、いくら「配慮」をしても、導き出されなくなってしまったときである。つまり、患者となった者は、日常的に食べることをしていた私達に戻りたいと願いながら、医療者の前に現れることになるのである。だが、医療者は、食の欠如にある患者を前にしても、その患者の生命活動に多大な影響を与える栄養という、実証科学的な枠内から患者をとらえてしまう。このような医療者の態度は、患者自身が築き上げてきた食べるための連関全体(「有意義性」)を、一挙に<意味のない>ものへと摺り替えてしまうのである。このように、食の欠如にある患者は、医療者によって、栄養の枠内に位置付けられる「生命」として捉えられてしまう。ここにこそ、齟齬の根があるのである。

 また、食の欠如にある患者は、食べる行為が導き出されない状況で、他の存在者との繋がりも途絶え、医療者とのかかわりからも「単独化」しやすい状況にある、と言える。この状況は、医療者が、「生命」への気遣いをすることにこだわり、医療的知識の枠内に「配慮」でもってとどまることを容易にしてもいる。そして、このとき、目の前の患者という「現存在」は、医療的知識の隙間から顔を覗かせるような他者として、医療者の前に現れるのであった。つまり、この事態は、医療者が、「顧慮」の欠損状態としての存在で患者にかかわり続けることをたやすくさせるものなのである。[6]医療者が、患者を前に医療を行うということは、日常的なことである。そのなかで、目の前の患者の「現存在」が、患者自身の気遣いに向かい、自身が有限存在であることへの不安を抱いていたとしても、医療者は、そのことから目を背けることも当然ありうる。なぜならば、患者が向き合っている、自身が有限存在であるという事実は、医療者にとっても、同じ事実だからである。患者自身が、その事実から目を背け、それを隠蔽したいがために、日常的な患者自身に戻りたいと強く願っていたのと同様に、医療者は、「現存在」としてある患者のその事実からも目を背けたいのである。というのも、医療者の「平均的」で「日常的」な在りかたは、医療的知識に「配慮」するところにこそあるのであって、従来の患者の捉えかたの延長として、引き続き「生命」への気遣いといったかたちを通しての患者との関わりにとどまり続けていくからなのである。したがって、このような医療者の「平均的」で「日常的」な在りかたが、医療者と患者との齟齬を拡げることに加担しているとも言えるのかもしれない。

 以上のことから、医療者と患者の「現存在」における齟齬の根がどこにあるのかが見てとれた。食の援助の在るべき姿を模索する私達にとっては、むしろ、この齟齬を繋がるところにこそ、その食の援助の本来的な姿を見定めなければならないのではないだろうか。

 4 今の医療の動向――齟齬をうめられる?

 しかしながら、日本の医療の現状は、逆に、このような齟齬を拡げる方向に向かっているような気がしてならない。最近、日本の医療現場では、アメリカで誕生した、栄養管理を一括に引き受けるNST(Nutrition Support Team、栄養サポートチーム)というシステムが取り入れられているという[7]。ちなみに、こういった活動の診療報酬は、現在日本では認められてはおらず、こういった状況のなかで、このようなサポートチームを新たに病院内に発足させるには、医療現場の臨床家達による相当の熱意と尽力があったからのことなのであろう。嚥下障害の機能訓練法、医療チューブ、栄養剤としての多種の点滴や成分栄養剤などといったものを、徹底的に管理するというこのチームは、あくまでも従来から行ってきた栄養管理の視点に依拠している。このチームが介入することによって、術後などの長期絶食しなければならない患者の栄養摂取方法が、より適切に考慮され、栄養摂取方法に関する合併症の減少といった優れた効果が得られているとも言われている。さらにそれは、嚥下運動が障害された患者には、早期から嚥下訓練を開始することで、その運動への意欲を増進させ、早期退院へと導いているとも報告されている。確かに、このようなNSTの活動のもとで救われる患者が多くなることは、医療を受ける者として喜ばしいことでもある。しかしながら、その一方では、この活動に関わる現場の看護者が、現在の食に関する援助に憤りをもっている思いが伝わってくる記事8)もある。その文章の背後からは、栄養サポートチームとしての援助が、食べ物を飲み込む運動だけでもなく、経口からの栄養摂取だけの援助でもなく、<人が食べ物を食べること>に関わる援助を目指していくのだという強い思いを読み取ることができる。栄養管理というものにも本当の食の援助がありうると思えたから、それがこのチーム発足への熱意なったのであろう。しかし今一度よく考えてみる必要があるのではないだろうか。食べ物を飲み込めるようにと、嚥下運動を強化するようなリハビリテーションを行う、しかし、それでも嚥下力が強化できない状態にある患者には、はたしてどのような食への援助を行えばよいのか。患者が自分の意志を伝える手段を消失した場合の食への援助をどうすればよいのか。老衰などのように代謝がどんどん低下していき、それによって食がなくなりつつある患者にどうすればいいのか。完全なる無菌状態での食事が食べられなくなる患者にどうしたらよいのか。つまり、臨床でのこういった栄養摂取方法のひとつとしての経口摂取ではない、本来の食の援助への問題は、NSTの介入による栄養管理を徹底化させることだけで、本当に解消されうるのかどうかをあらためて考えてみる必要がある、ということなのである。医療者も患者との齟齬を感じているからこそ、食の援助について真剣に考えたいと望むはずである。ならば、医療者は、食の援助を栄養摂取へと摺り替えてしまう今の医療の在りかたとその在りかたが生じさせる齟齬の根に気づき、そしてそこにこそ向きあうことが、今求められているのである。言い換えれば、それによってこそ、患者の目の前にある医療者が、食の欠如にある患者という他者への「顧慮」の気遣いによって関わるという、そもそも医療者自身が求めていたはずの食の援助の本来的な姿を捉えることができるのではないだろうか。このような問いについて答えるために、具体的な食の援助の可能性を、抗癌剤治療を受ける患者を例に、最後に探っていくことにしたい。

 5 食の援助患者と医療者の齟齬をうめることを目指して

 抗癌剤治療を受ける患者には、医療者は治療の実際とその副作用、その対処法を説明する。例えば、副作用として吐き気が二週間出現するので、食べられなくなった場合は栄養摂取を点滴によって行う、あるいは、吐き気への対処法としては制吐剤を使用する、などの医療的知識が説明され、患者もそれを知識として持つことが必要とされる。このようなオリエンテーションといった治療に関する説明は、単に知識を介するだけならば、医療者と患者は、お互いが、その知識の連関への「配慮」の隙間から出会われるだけの他者同志となる。したがって、そこでは、医療者の他者への「顧慮」は、「欠損状態」にとどまり続けることになる。かりに、このような状態のままに、実際の抗癌剤治療が開始されるとする。そうすると、予想される通りの吐き気が出現したとしても、患者は、それが医療的知識の範囲内である限り、その吐き気に対して予想されている通りの対処法を自分なりに「配慮」するため、患者の食の連関は特に支障を来すことはない。患者は、自身が獲得した知識をもとに、食べ物や食べかたの工夫や、口の清潔を保つための処置など、医療的知識をもとにしたさまざまな「道具」との「交渉」において、食べるための「連関全体」に繋がり続けられるよう「配慮」しているのである。だから、依然として患者が繋がりをもてるような場合には、医療者にとっては、それが表立って問題としては見えてこないのであろう。しかし、副作用出現の可能性が消失する二週間を過ぎても、食の欠如が依然として継続しているような事態がおこるとする。その場合、患者は、すでに自身が「交渉」できる手立てとして持ち得ていた医療的知識が<意味をなさなく>なり、患者がかろうじて食の連関としてつないでいた、その繋がりそのものも見失ってしまうのである。そのような状況にある患者を前にした医療者は、今までの知識の範囲外の事態において、新たな医療的知識を探し求め、それを気遣うことにのみ「没入」せざるを得なくなる。なぜ患者が食べられないままにあるのか。医療的知識がその問いに答えをもたないなら、医療者は、その食の欠如を栄養の欠如として、ただ栄養摂取の代替方法を考慮することしかできないのである。このような医療者の態度は、医療者自身がますます患者の「生命」への気遣いにとどまることを助長させてしまう。またそれは、医療者自身による患者への気遣いを、依然として「顧慮の欠損状態」のままにとどめ続けさせる結果を招くのである。しかしながら、医療者のこうした態度は、食べる行為が導き出されないままの患者に対しては、もはや一切の医療的知識を提示することなど到底できず、さらにそれは、患者がさまざまな繋がりに新たに気遣いすることすらできない状態へと貶めてしまう。このような状況におかれた患者は、ひとりで自分自身の気遣いに向かわざるを得なくなってしまうのであって、それは、医療者と患者との間の齟齬をますます拡げることに繋がっていくのであろう。したがって、そのような齟齬を繋ぐ援助は、ますます困難となっていく他ない。こうしてみていくと、医療者というものは、患者のおかれている状況が、完全に、自身が獲得しうる医療的知識の範囲外へと抜け出てしまうまでは、新たな抗癌剤の知識や癌の疾患などといった、それに替わる別の医療的知識を延々と気遣い続けるのである。言い換えればそれは、医療者と患者との齟齬が、患者の死がまさに目前に迫ってくるまで決して気づかれることがない、ということと言えるのかもしれない。かりにそうであるとするならば、医療者は、患者とともに過ごす間には、患者との間に生じる齟齬に気づくことがないまま過ごしてしまうことになるのであろう。このような事態は、医療者が、食の欠如にある患者を、常に栄養の知識の範囲内で見つづけることしか出来ない、ということを意味するのである。では、もし、栄養の知識の範囲内からだけではない本当の食の援助が可能であるとするならば、この患者の援助は、具体的にどのようなものとしてありうるのであろうか。

 すでに述べてきたように、医療者は、抗癌剤治療を受けている患者に対しても、まずは医療的知識の範囲内においてそれを理解しようとする。しかしながら、そもそも患者は、そのような医療的な知識による予見からは超え出てしまうような存在なのであった。裏を返せばそれは、患者自身があらたな連関に投げ出されているということなのであって、また、患者自身の方でも、その連関の中で自らを組み直していくという状況にあるともいえよう。それはまさに、患者が、あらたな存在可能性に向かっている、ということを意味しているのである。このことを、食の欠如にある患者にあてはめて言い換えるならば、そのとき患者は、自らの食の欠如が、もはや栄養の欠如といった連関のなかでは捉え切ることができなくなったという事実を引き受け、そこから別の連関へと自らを繋げていき、またその中で自らの食の欠如を捉え返していく作業を行っている、と言えはしないだろうか。患者は、どのような状態にあっても、いつも食べられるように気遣っている者なのである。確かに医療者も、患者の可能性について考えてはいる。しかしそれは、あくまで医療的知識の範囲内での副作用出現という可能性を予見するだけなのであって、実際それは、さきにみたような患者のあらたな存在可能性についてはあえて目を向けないようにしていると言える。したがって、具体的に患者を援助するということにさしあたり求められているものは、患者がそのような存在にあるということに医療者が気づく、ということではないだろうか。医療者がそのことに気づくならば、医療者は、医療的知識を気遣うことだけに「没入」するのではなく、その医療的知識に気遣いながらも、さまざまな可能性のある患者に出会うことができるのであろう。そこで、はじめて医療者は、「顧慮の欠損状態」とい状態のなかで患者に出会うのではなく、他者としての患者に対して、まさに「顧慮」というかたちで出会うことができるのである。

 抗癌剤の副作用としての食の欠如が予定範囲内で患者に出現した場合には、医療者はその症状を当然のことと看做し、その症状を片付けてしまう。しかし、それでは本当の援助とは到底言えはしない。本来の援助というものを考えるならば、食の欠如にある患者自身も、あらたな繋がりの中で自らを捉え返しているというその事実に医療者が目を向けるのでなければならない。もし医療者がこういった患者に目を向けるならば、病院の設備に固定されていた点滴台が患者の食べる行為を妨げており、そのことに対して、患者が、いつも患者なりの仕方で対処していたという事実に気がつくはずであろう。あるいはまた、患者の手が痺れて箸が持てなくなっていたということに対して、患者自身が最善の方法を工夫していた、ということにも気づくことになる。しかしながら医療者は、そのような気づきをうるだけでは許されない。つまり医療者は、その患者の気遣いのみでは取り除けない支障があるという事実を積極的に捉え返し、その取り除き切ることの出来ない支障を患者とともに取り除こうとすることこそが、自身に課せられた仕事である、ということに自覚的でなければならないのである。医療者が患者とともにその支障を取り除こうとするならば、患者の食べる行為が、そこで再び導き出されることへと繋がっていくかもしれない。言い換えればそれは、患者自身が繋がろうとしている連関に、医療者もともに関わることで、食の連関をひきよせてくる、ということなのであろう。そして、まさにこの関わりこそが、医療者と患者とが「顧慮」を通して出会う、ということなのである。

 これらのことから、患者の可能性をもとにする援助というものは、患者がいかなる状況におかれても、患者のあらたな連関への繋がりを模索し、その可能性を引き出す気遣いを、患者と医療者とがともに考えるということに他ならないと言えはしないだろうか。

 患者と医療者にとって、世界はそれぞれに異なってかたちで現れてきた。だからこそ、患者と医療者の間には、必然的に齟齬を生むような土壌があったとも言える。そして、その齟齬を繋ぐのは、唯一「顧慮」による気遣いをおいて、他にはありえないと言える。したがって、かつて患者であった私が感じていた医療者と患者との齟齬に対する疑問は、まさにこのような視点からの考察によって、はじめて解決しうるものであったとあらためて感じるのである。

 おわりに

 今の医療では、科学的知識の増加や技術の進歩にともなって、医療的知識は目まぐるしく変容する。この状況で、医療者は、知識に対してさらに「配慮」という気遣いが求められているのである。そしてこのことは、医療者が、患者の前においてはますます「顧慮の欠損状態」でありつづける状況を生み出すであろう。このような状況の中では、医療者は、食の欠如にある患者を前にしても、食の欠如の意味を考えることをしないまま、食を栄養へと置き換え、そして治療を施すであろう。これは、栄養管理を徹底化させるといったNSTの活動に象徴されるとおりである。したがって、このような今の

医療では、患者を他者として「顧慮」することよりも、患者の生命への「配慮」に目を向け続けるということになりかねない。確かにここでいう医療的知識への「配慮」は、医療者が、いつも最先端の知識を獲得することが求められている以上、必然的なものではある。だが残念ながらそこには、患者への援助というものは見出すことはできないのである。

 本稿では食の援助の可能性をもとめて、医療現場において、患者と医療者に現れる食の世界を分析することで、その齟齬の根がどのようなところに在るのかを探ってきた。そして、そこで明らかになったことは、医療者が「顧慮」という患者との関わりを徹底化させることによって、患者との齟齬の根がどこにあるのかをその都度確認(患者がどのような連関を開いているのか、あるいは閉じているのか)し、そしてそれをさまざまな気遣いとして実践することが求められている、ということであった。そしてこのような医療者の構えにこそ、私達が求めている食の援助の本来的な姿が見えてくるのである。



〈注〉 

[1]  医療にも多くの施設やら機関があるが、食の欠如によって私達が赴く病院での医療現場を考えている。ただし、介護施設において、食べることの援助は痴呆老人や老衰患者などより問題の深刻さは大きいかもしれない。ただ、介護施設においても在宅施設においても栄養摂取からの観点でみる傾向にあることについてはあまりかわらないかもしれない。

[2]   ハイデガーは、「現存在」の存在は、いつもすでに世界に投げ込まれているという事実性としての「被投性(Geworfenheit)」や、その事実性を引き受けたうえで私の存在可能性に向かって身を投ずるという「企投(Entwurf)」、そういった「被投性企投」という存在であるという。しかし、たいていの私は、その事実性から目を背ける在りかたであるともいう。それは、私の存在が有限性であるという事実から目を背けたいがために、ひととのおしゃべりに興じたり、ひとが楽しむとおりに楽しみに興じたりして、居心地のよい世界に居続けたいと願う。そのときは、私への「気遣い」をしているにもかかわらず、その私への「気遣い」より、道具への「配慮」に「没入」したりして、私への「気遣い」を覆い隠そうとしているのである。が、いつもその根底にある有限存在であるという事実性が呼び起こす不安などの「情態性」に私は突き上げられ、たとえそれが楽しみに興じているときでさも突き上げられたならば、私は不安の気分になるのだという。ただし、こうした不安な気分になりながら、また事実性を隠すよう生きるのも、私達の「現存在」としては「平均的」で「積極的」な在りかたであり、それがもっとも「日常的」な私達である、とハイデガーは言っている。私達が有限存在であることは、私達自身はわかってはいるのだけれども、それをいつも覆い隠そうとして生きているのである。裏を返せば、こういった在りかたであるからこそ、有限存在でありながらもいつも未来にむかっていきていくことが出来ると言えるのである。

[3]  ハイデガーは「私達が時計に眼をむけるときは、私達は表立ってはいないが「太陽の位置」を利用しているのであって(略)」 (『存在と時間』世界の名著74、原佑、渡辺二郎訳、中央公論社、p1611980)という。すなわち、「道具連関」において繋がるものは、私達の身近にあるペンといったものから繋がりを辿っていったとすると、いつも自然(Natur)まで繋がるのである、ということを意味している。

[4]  ナイチンゲール『看護覚え書き』6「食事」8(ナイチンゲール著作集第一集、初版1975、薄井担子ら訳、現代社、1994

[5]  「生命についての学としての生物学は、現存在の存在論のうちに、(略)その基礎をもっている。生命は一つの固有な存在様式であるのだが、本質上現存在においてのみ近付きうるのである」(『存在と時間』世界の名著74、原佑、渡辺二郎訳、中央公論社、p1311980)としている。それは、「生命」は存在としては捉えられるのではなく、人の思考によって捉えられるものである。すなわち、(存在論的には)「生命」は「現存在」の<もと>にある、ということである。

[6]  入院から地域保健までを一体としてその栄養管理を適切に行うために、医師、看護師、薬剤師、栄養士等で構成されるチーム.職種をこえた集まりのチーム活動は、診療科の分野を総括して指導できる権限をもたされている。詳しくはNursing Today, vol.16,No8,2001-7, p2023、日本看護協会出版会を参照されたい。

[7]  同 p4142

付記:本稿は大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室発行の『臨床哲学』第4号(2002)に掲載されたものである。


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