障害と身体の社会学
――障害学における〈身体〉の復権をめざして―

西村高宏
(日本学術振興会特別研究員、哲学・倫理学・臨床哲学)

 

0.はじめに

 現在、英米圏を中心として、ディスアビリティ・スタディーズ(Disability Studies:障害学)と呼ばれる障害に対する新たな学問的なアプローチが試みられつつある。この障害学とは、「従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえ」ようとするのではなく、むしろ、逆に「個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、『障害者すなわち障害者福祉の対象』という枠組みからの脱却を目指す試み」のことである。またそれは同時に、「障害者独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目する」(長瀬1999,11)ものでもある。つまり、障害学とは、端的に言って障害というものを、従来の「医学モデル」的なアプローチの範囲内でのみ問題にすることを忌避し、「インペアメントをもつ人々を無能力にしているものは、むしろ社会なのであって、ディスアビリティは、社会によって負わされるものなのである」(Bickenbach et al.1999,1176; Turner 2001,256)、とする「社会モデル」的なアプローチと、現代の社会における支配的な価値観から離脱し、障害者には障害者独自の文化があると主張する「文化モデル」的なアプローチとの二つの方向性をあわせもったもの、と言うことができよう。

 そしてとくに、このうちの「障害の社会モデル(the social model of disability)」は、インペアメントとディスアビリティとを明確に区別するものである。たとえば、英国における障害学の中心人物であるヴィク・フィンケルシュタイン(Vic Finkelstein)らの活動により結成された「隔離に反対する身体障害者連盟」(Union of the Physically Impaired Against SegregationUPIAS)は、インペアメントとディスアビリティとの区別を次のように定義づけている。インペアメントとは、「手足の一部分もしくはすべての欠損」状態のことであり、「欠陥のある肢体、器官、または機構を持っているということ」、である。逆に、ディスアビリティは、「身体的なインペアメントを持つ人のことをまったくかあるいはほとんど考慮することなく、したがって、社会活動の主流から彼らを排除している今日の社会組織によって生み出された、彼等の不利益、あるいは彼等の活動の制約」(UPIAS, Fundamental Principles of Disability, 1976, p.14)、という社会的な現象そのもののことを指している。したがって、「障害の社会モデル」が、この後者のディスアビリティに焦点を絞って考察をおこなっていくものであることはあらためて言うまでもないであろう。ちなみに、このインペアメントなどの定義には、UPIASのものの他に、WHOによる「国際障害者分類」(International Classification of Impairments, Disabilities, and HandicapsICIDH)などもあり、1997年には、その改正版である「機能障害、活動、参加の国際分類:障害と機能の諸次元のマニュアル」(International Classification of Impairments, Activities and Participation: A Manual of Dimensions of Disablement and FunctioningICIDH-2)が出されてもいる。

 ところで、この障害学は、他方で、現代社会学における社会構築主義(social constructionism)という思想的な立場を幅広く採用するものである、と言うことができる。この社会構築主義とは、『社会(的)構築主義への招待』(Burr 1995)という本を著したヴィヴィアン・バー(Vivien Burr)も認めているとおり、その定義も、その思想的なルーツ(たとえばA・シュッツからバーガー=ルックマンへと連なる現象学的社会学、H・ブルーマーのシンボリック相互作用論、あるいはM・フーコーなどによるポスト構造主義など)も、非常に多種多様なものとなっている。しかしながら、あえて一般的な定義を言うならば、それは、「社会的世界を研究するにあたって、それを個人の属性や生命体としての人間の遺伝的もしくは生物学的な諸側面によって説明せず、社会的に説明するべきだと主張するアプローチ」(Abercombie et al. 2002)、と定義づけることができよう。また、このような思想的な立場は、より特定して言えば、われわれの社会的な現実というものは、われわれの「実践」と「言説」によって構築されるものである、とする立場とも言える。したがって、障害学は、このような社会構築主義的なアプローチを採用することで、自らの障害についての問いを、「はたして、日常生活と医療現場において、障害はいかにして構築されていくのか」、という問いへとスライドさせていくのである。またそこで、障害学は、とくに身体をめぐる構築主義において、「言説(ディスクール)分析」などの視点から新たな局面を切り開いたミシェル・フーコー(Michel Foucault)の理論を多用する。しかしながら、そのような社会構築主義的な立場から障害を考察することにまったく問題がないわけではない。 

 現在、英国ケンブリッジ大学の社会学部教授で、社会学における「身体の不在」を主題的に考察しているブライアン・S・ターナー(Bryan S. Turner)は、このような、フーコー流のポスト構造主義の影響を多分に受けた昨今の社会構築主義的な視点からのみで障害を解釈しようとする偏った態度が、ふたたびあらたな問題を引き起こす結果へと繋がる、として強い懸念を示している。ターナーは、「障害と身体の社会学」(Turner 2001)のなかで、次のように言っている。「たしかに、社会構築主義などといった、障害にたいするポスト・モダンあるいはポスト構造主義的な理論的アプローチは、障害学の理論的な支えとなっていることは否定できない。しかしながら、それらの理論的な展望が、同時に、他方で障害者運動にとって極めて重要であると思われるすべての身体性(physicality)のエスノグラフィーの可能性を除外してしまうのではないか、つまり、ポストモダン、ポスト構造主義的なアプローチのうちでは、この日常世界のうちに生き生きと『生きている身体』が、その姿を完全に消し去られてしまう可能性があるのではないのか」(Turner 2001,257)。そしてターナーは、このような社会構築主義的なアプローチにおける陥穽を、「身体化(embodiment)」の概念を軸とする「身体の現象学」という哲学的「縦軸」を挿し込むことで埋めようと試みるのである。ちなみに、ターナー自身は、この試みを「ポスト構造主義と現象学との結合」と言っている。いずれにせよ、彼のこの試みは、最近、ジェニー・モリス(Jenny Morris)などによって指摘されはじめた、過度に障害の「社会モデル」に固執し、ともすればインペアメント、あるいは身体をまったく無視してしまう結果を招く英国の障害学の問題点を解決することにその照準を合わせているように思われる。まさにそれは、障害学における〈身体〉の復権をめざす試みなのである。そういった流れのなかで、彼が、最終的に自身の展開する身体の社会学の方向性を、アメリカの「障害学会(Society for Disability StudiesSDS)」の創設者のひとりである、故アーヴィング・ケネス・ゾラ(Irving Kenneth Zola)の障害に関する試みたとえば、「われわれの身体と我々自身を連れ戻す」(Zola 1988)や「老化と障害」(Zola 1991)などのうちに見いだしていく過程には極めて興味深いものがある。というのも、このゾラこそが、はやくから一貫して障害学における〈身体〉の重要性を唱え続けていた人物に他ならないからである。また、ターナーはそこで、ゾラとともに障害もしくは機能損傷を老化(aging)の現象と統合させ、われわれにとって障害がある程度予測可能なものであるとして、障害をある種「普遍的なもの」として捉えようとする議論へと、さらに自身の考察の方向性を見定めていこうとするのである。このようなことからしても、ターナーの論考を読み解くことは、今後の障害学の方向性を模索していく際に極めて有効な指針となることは間違いなさそうである。したがって、本稿においては、ターナーによる「障害と身体の社会学」という論文を詳細にたどっていく作業をとおして、今後の障害学の方向性をできるかぎり模索してみることにしたい。

1.社会学の伝統における「障害」の軽視

障害学における身体の社会学の可能性を問うまえに、まずは、社会学の伝統のなかで障害の問題がどのように扱われてきたのかを明らかにしておく必要がある。社会学これまで、障害の問題を社会学の主潮流のなかではおろそかにしてきた、とターナーは言っている。それは、フランスの社会学者であるアンリ=ジャック・スティカー(Henri-Jacques Stiker)の『障害を負った身体と社会』(Corps infirmes et sociétés 1982)という障害に関する古典ですら、健康と疾病の社会学においてその正当な評価を与えられてこなかったという事実のうちにも端的に見て取ることができよう。つまり、社会学はこれまでに、アーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman)やアーヴィング・ケネス・ゾラなどの極めて影響力を持った仕事以外には、驚くべきことに障害の問題に関しては、ほとんど組織的な理論と研究には貢献してこなかったのである。

もちろん、構造機能主義に対抗して意味学派的なアプローチを試みるシンボリック相互作用論(symbolic interactionism)などの伝統が、障害を「社会的な逸脱(social deviance)」の問題に引き寄せるかたちで、遠回しにではあれ、それを独自の観点から問題にしようとはしている。具体的に言えば、シンボリック相互作用論は、そこにおいて、これまで当然と考えられてきた「正常」の観念に対して根本的な批判を企て、「規範(norm)」、「標準(normal)」、そして「逸脱(deviance)」とのあいだの伝統的な区分を問題視するのである。ちなみに、これらの基礎理論は、慢性の疾病の分析に対しても重要な切り口を与えるものである。

 いずれにせよ、シンボリック相互作用論の研究のうちには、人間の身体というものを、その当人についての重要な事実を明らかにしてくれるような〈一つのテクスト〉として読み解くことが可能である、という共通の前提がある。そして、これらの〈身体的なテクスト〉はまた、個人の内的生活についての重要な情報も提供してくれる、という前提もそのうちに備えているものなのである。

 このような「逸脱」についての研究は、そもそも「逸脱」というものが、「それを観察するひとの眼のうち」で存在するものに他ならないと論じている。したがって、それだからこそ、障害に関係する社会学的な考察は、「スティグマ化(stigmatization)」と「制度化(institutionalization)」の諸過程の研究として集中的にあらわれてきたのである、とターナーは言っている。さらにターナーは、もし社会学者が、「障害の社会学」というものの可能性に対して興味を持つならば、それが、ゴッフマンによる「スティグマ」と「スティグマ化」の研究のうちに覆い隠されて在ることをまず見極める必要がある、と考える。つまり、障害に関して直接的な研究を行ってこなかったこれまでの社会学の歴史のなかにあって、シンボリック相互作用論こそが、「汚名をきせられた」、あるいは「汚名をきせられ得るようなアイデンティティ」の観念の周辺に有用な概念の網目を張り巡らせ、正常な人と、慢性的に病気で、そして障害を持った人たちとのあいだにおける相互作用の働きを研究してきた、ということなのである。

 おなじく、医療社会学おいても、障害は、これまでに主題的な研究対象としてはあまり関心をもたれてこなかった、とターナーは言っている。ターナーによれば、医療社会学における障害に関する研究は、典型的に「老化の研究」のなかで行なわれてきたということである。つまり、そこにおいて障害は、いわゆる老化にともなう「依存状態」という見出しのもとで問題にされてきたのである。医療社会学におけるこのような取り扱いは、当然のことながら、障害といった現象を極めて否定的な「老化のイメージ」と結び付けることになった。さらに、それとは別のところで、たとえばメディアなどにおける障害への偏見的な扱いが、あわせて障害に関して否定的なステレオタイプを強化するという結果を招いてきた、という指摘もある。そのような偏見的な取扱いを背後で支えていたものは、いわゆる(障害をもったものに対する)排除的な社会機能を備えている「健常者優位主義/障害者差別主義(able-ism)」の観念であることはあらためて言うまでもないであろう。

 しかしながら、このような障害に対する状態は、米国における「自立生活者運動」(Independent Living MovementILM)や、英国における「隔離に反対する身体障害者連盟」(UPIAS)、そしてさらには、国際的な動きとして、「障害者インターナショナル」(Disabled Peoples' InternationalDPI)などといった障害者を中心とした運動の拡大によって1970年代から80年代にかけて急激に変化を遂げてきている。

 当然のことながら、このような運動の大きなうねりは、障害に関する学問領域に対しても変化をもたらさずにはおかない。なかでも、とくにターナーが注目するのは、医療社会学者であるウェンディー・セイモア(Wendy Seymour)が、「身体の変容」(Bodily Alterations 1989)や「身体のリメイク」(Remaking the Body 1998)などといった著作のなかで展開する、患者の「医療化(medicalization)」やリハビリテーション・プロセスにおける「医学モデル」的なアプローチの否定的な側面を、より体系的なかたちで暴き出そうとする試みである。

 またターナーは、そのほかにも、相対的なかたちで「ディスアビリティ」を軽視してきた時代的な背景に対して、これまで用いられてきた「ディスアビリティ」や「ハンディキャップ」、そして「インペアメント」などといったいくつかの概念の妥当性そのものを問題視するような、社会科学における重要な仕事(「知的転換」)としてゾラの仕事を挙げてもいる。そして、「障害」に関するこれらの重要な仕事に触発されるかたちで、ターナーは、現代の社会学において「身体」と「身体化(embodiment)」に対して高まりつつある関心を提示することをとおして、自身の展開する「身体の社会学」が、最終的に障害とインペアメントの研究に対して重大な貢献をすることができる、ということを示そうと試みるのである。

 ターナーは、その作業をすすめていくにあたって、以下、三つの定まった方向性を見定めている。

 まず第一の方向性は、日常世界における「身体の現象学」と、身体が、専門的な関心の対象として(社会的に)「構築/構成」されたものであるという認識とをともに結合する、「身体の社会学」なるものをあらたに展開させること、である。したがってそこでは、現象学の伝統における「生ける身体の主観性」と、フーコーによって明らかにされてきた、身体と「人口/集団」とを「統御」し、「産出」し、そして「統治」する外在的な社会的・政治的な構造とを考察することになる、とターナーは言っている。そして、そこにおいて扱う「身体化」という術語によって、ターナーは、現象学的な伝統のコンテクストから「生活世界」における「生ける身体の主観性」を記述し、また、それとは逆に、「統治性(governmentality)」という術語をとおして、ポスト構造主義の伝統にみられるような、専門的な実践の一対象として身体を生産する仕組みそのものを描写しようと試みるのである。

 さらに、「身体の社会学」を展開するにあたっての二つ目の方向性として、ターナーは、あらたに「身体化された自己(the embodied self)」の観念に関連して、それのもつ「傷つきやすさ/弱さ(vulnerability)」と「偶然性(contingency)」の概念について考察することをあげている。そして、それら二つ作業をとおして、最終的に三つ目の方向性として、いかにして「身体の社会学」が、「もろく」、そして「弱々しい」人間存在を問題にする社会存在論に基礎づけられた、人権と社会権との分析を提供することができるのか、という考察に行き着くはずであるとしている。

 とはいえ、これらの三つの方向性は、実際のところは一つのものとして見なすことができる。つまりそれらは、デカルト流の心身二元論への批判を企て、そしてさらには、「身体化」の議論をとおして、現在の障害学のうちに欠如している〈身体〉の重要性をあらためて浮上させ、最終的に、「身体の社会学」を障害に関する議論の中心へと据え付けようとする試みへと、すべて帰着していくことになるからなのである。

2.ポスト構造主義と現象学の結合@――現代社会学における二つの主潮流

 さて、「身体の社会学」を障害に関する議論の中心に据え付けるためにも、われわれは、あらかじめ障害についての理解と社会学との連関を探究するなかで、現代の社会学的な思考における二つの主要な流れについて入念に検討し直しておかなければならない、とターナーは言っている。もちろんこの議論は、さきに挙げた第一の方向性に関係するものである。

2−1 ポスト構造主義(社会構築主義)的なアプローチ

 まず、社会学の一つ目の主要な流れは、いかにして障害が「社会的に構築される」のかという分析へとわれわれを導く、人間の身体の「社会的な産出」についてのフーコーの重大なテクスト群によって拓かれる議論である。

 このようなアプローチは、次のような意味合いにおいて非常にラディカルであるとも言い得る。 まずそれは、たとえば、いかにして「障害を負った身体」が「産出」され、「統治」され、また「規制」されていくのかという、「ノーマライゼイション」の一貫としてリハビリテーションのプロセスを検討し直そうとするからである。ちなみに、このようなフーコー流のアプローチは、最近では、「統治性(governmentality 」の研究として、ますます先鋭化してきている。

 この「統治性」という概念は、諸個人と「人口/集団」のうえに、「標準」という制御を働かせる社会規制のミクロシステムの発展に関係するものである。したがって、この意味において、リハビリテーションは、更正された人間をつくりあげることを目的とする種々の医療的・福祉的な実践を調整する「統治性」の形式を備えたものと言うことができる。

 さらに、より包括的に言えば、このようなフーコー流の社会構築主義的なアプローチは、『社会(的)構築主義への招待』の著者であるバーにしたがって言えば、事物や人間のうちには、それらを「今あるとおりのものにしている、それらの内部」の「特質」が必ず在るとする、いわゆる「本質主義」的な立場を退けるものと言える。つまりそれらは、逆に言えば、いま生きている現実の世界のありようが、われわれにとって唯一無二のものではなく、それは、社会的に「構成」されたものでしかないという、ある種「相対主義」的な立場をとるのである。

 事実、社会構築主義の議論のうちには、たしかに様々な見解が見られるが、そのなかのいくつかのものは、科学的な事実や真理は「発見」されるというよりは、むしろ「作り出される」ものであるとする「道具主義」的なプラグマティズムへと収束していく。ネオ・プラグマティズムの立場をとるリチャード・ローティ Richard Rorty)なども論じているように、「相対主義者」というものは、世界についての真実は実践的な理由のために作り出されてくるものなのであって、それらはけっして「発見」されるようなものではない、と信じる人々のことを指すのである。

 たとえば、身体に対する社会構築主義的なアプローチでは、そこにおいてわれわれが身体を「類別」し、また「格付け」する方法そのものが、医療専門家たちのフィールドにおける政治的な争いの結果による単なる「構成物」に他ならない、と論ずる。[1] つまり、社会構築主義は、人間の障害が固定された、あるいは変化することのない「本質」であるかのようにみなす捉え方を真っ向から否定し、障害をさまざまな文化や時代をこえても共有されるような特徴を備えた現象としてではなく、逆に、それを医学的な分類によってつくりだされた「産出物/構成物」にほかならないものとして見定めようとするのである。しかしながら、ここで忘れてはならないのは、このような社会構築主義者の立場には一種のパラドックスもあって、それは、障害を負っているとみなされている人々の日常生活のなかでの「身体化」の(個々の明確な)特徴が、もともと身体というものは、唯一「〜することができる」という「言説」と「実践」によってのみ「産出」される一つの幻想であるがゆえに、逆に打ち消されてしまう結果へとつながりやすい、ということである。

2−2 身体に関する現象学的なアプローチ

 さて、「身体の社会学」を障害に関する議論の中心に据え付けるために、あらかじめ検討されておくべき現代の社会学における二つ目の主要な流れは、日常生活における「身体化」についての議論を軸に展開される「身体の現象学」に関してのものである。この観点は、現代フランスの哲学者であるモーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau- Ponty)にその知的な源泉を持っている。「身体の現象学」は、当然のことながら考察の一対象として「身体」に焦点をあてるものではあるが、それを障害と「身体の社会学」に引き寄せて解釈すれば、それは、「(リハビリテーションなどにおいて問題にされる)オフィシャルな客観的身体」と、「個人的な経験の主観的な身体」とのあいだの関係そのものを主題的に扱おうとするものとして捉え返すことができる、とターナーは言っている。つまりそれは、医学的な言説などによって「対象化された身体」と、日常の経験における「現象的な身体(the phenomenal body)」、すなわち、「生きられた世界」に「住み込み」また「内属」している「自己の身体」とのあいだの複雑な相互作用の関係を記述しようと試みるもの、と言うことができるのである。[2]

 さて、ターナーは、このようなメルロ=ポンティにおける現象学的なアプローチを採用することで、身体と「身体化」の経験を、医療的な現場における身体が、いかなるかたちで複数の、そして新たな社会空間との「交渉」を果しつつ、その結果獲得される自己の「身体イメージ」を逞しくしていくのかといった問いへとスライドさせ、疾病を負っている身体と社会空間とのあいだの複雑な相互作用の関係を記述しようと試みる。

 たとえば慢性の疾病は、それを負っているある個人が、日常生活における「自己の提示」、「身体化の経験」、「生物学的な変化」、そして、自分の身体についての医学的な評価とのあいだの緊張関係をどのように「調整(manage)」し、またそれとどのように「交渉」していくのかといった特殊な相互作用的な問題を提供してくれる、とターナーは言っている。

 ちなみにターナーは、ゴッフマンの「スティグマ」研究のうちにも、このような複雑な問題に対して、一つの有用な解決の糸口を見いだそうとしている。「烙印を押された、あるいは汚名をきせられ得る身体」は、日常生活のなかで、ある相互作用的なコンテクストにおいて「一つの身体イメージ」を確保するために、なににもましてあらためて(社会のうちで)「統制」され直す必要がある。というのも、その相互作用的なコンテクストにおいて「一つの(まとまった)身体イメージ」を持たないこと、あるいは「否定的な身体イメージ」を持ち続けてしまうということは、それはそのまま「自己の提示」に対して重大な損害を与えることへとつながってしまうからである。つまり、ゴッフマンによれば、日常生活における「自己の提示」は、うまく成された「身体イメージ」の管理をこそ必要とするのであって、そのことをより批判的に言えば、もし「自己」が、身体的な「当惑(embarrassment)」から結果として生じてくる「自己の存在そのものに対する損害」を避けようとするならば、それは、第一に「身体イメージ」の完全な管理が必要になってくる、ということなのである。ただ、ここで見逃してはならないのは、ゴッフマンにとってこの「自己の提示」とは、けっして「空間と時間を超えた自己の連続性(continuity of the self)」を前提としているわけではない、ということである。ちなみに、ゴッフマンのそのような「自己」に対する考え方は、彼自身が自らの社会学のうちで駆使する「役割距離(role distance)」という概念のうちにも端的に見て取ることができる。[3]

 一方、「身体の現象学」は、「空間と時間を超えた自己の連続性」は、なににもまして「身体化の連続性」を必要とする、とターナーは言っている。ターナーに言わせれば、「身体の現象学」は、この「身体化の連続性」なしには、われわれの存在が長い時間にわたり認識され得ることなどあり得るはずもない、という立場をとるものである。「身体の現象学」にとっては、「絶え間がない自己(the continuous self)」という概念は、「身体化」という概念を当然のことながら内包しているものである。したがって、だからこそ「身体の現象学」は、「社会における自己」を理解するための基礎として、心と身体とのあいだのいかなる「区分」も「不適当なもの」であるとしてそれを退けようとするのである。

 「私が何者であるか、ということは、いかにして私が身体化されてきたのかということからけっして分離されることなどあり得ない」。つまり、このことは逆に、事故あるいは病気をとおして生じる私の身体へのいかなる外傷性の混乱でも、それは同様に「自己」に対して混乱を引き起こさずにはいない、と考える立場をとるものと言うことができよう。

 このような現象学的なアプローチは、「医学モデルの前提そのものに対しての決定的な挑戦」としても捉え返すことができる。つまり、「医学モデル」は、心と身体とのあいだの明確な分離を想定することで、「患者の主観的な経験」を治療にとってはなんの関係もないものとして拒否し、それどころか、身体をただの諸器官の寄せ集めであるかのように扱おうとする、しかしながら、現象学的なアプローチは、まさにこのような立場をこそ真っ向から否定しようとするものだからなのである。

 「医学モデル」において、このような決定的な問題があらわれてくるのは、いわゆる手足を切断した患者のケースと言える。つまり、「医学モデル」は、そういった場合においても、患者の手足を「身体化された自己」の構成要素としてよりも、むしろ「物質的な生体の諸部分」のように扱おうとする。また、「幻影肢の経験」で苦しむ患者への対応においても、「医学モデル」は、アメリカ社会に支配的な価値観、すなわち「個人主義」や「実用主義」などといった主要な価値観と照合させながら、それが患者の身体的な「故障(failure)」であるといった判断を提供しがちである。

 このような捉えかたに対して、マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)の仕事に影響を受けた現代の現象学者たちは、既存の二元論を越えて、「身体化された自己」についてのいっそう適切な解釈を展開しようと試みてきた、とターナーは言う。そのような立場の哲学者にとっては、なににもまして、われわれが、「同時に自己と身体であるような、一つの存在者(a single entity)という観念」を必要とするのである。そしてターナーは、自身の「身体の社会学」の中心に据え付ける「身体化」という概念を、まさにこのようなものとして位置づけようとするのである。

2−3 ポスト構造主義と現象学との「理論的な和解」

 さて、以上にみてきたように、ポスト構造主義と現象学というこれらの二つの潮流は、通常、相互に排他的であると見なされているものである。

 フーコーは、「言説の構成物(products of discourses)」といった観点から、社会そして文化への理解を深めていこうとして、現象学と実存主義とをともに拒絶した。その結果、日常生活における経験の実際的な現象に対しての関心がある程度消去される。そして、さらにフーコー流のポスト構造主義は、それによって身体が「作り出され」、「カテゴライズ」され、「規制」されることになる膨大な「言説の多様性(variety of discourses)」を考察しようと試み、また同時に、身体の「規制」についての「アンチ・ヒューマニズム」的な分析と連動することで、身体の「感覚的な物質性」の側面を否定する方向へと展開していくことになるのである。このようなアプローチは、身体が、まとまった「統一性あるいは不変の意味を持つ」ことができるとするいかなる種類の前提をも徹底して忌避するものである。ターナーは、フーコーの仕事のうちにみられるこのような思想的な特異性を、1982年に、アメリカのヴァーモント大学で開催された研究セミナーにおけるフーコーの発言のうちに見いだしている。

 「私のどの分析も、人間の生活〔存在〕にかんする普遍的必然という観念に対立するものです。わたしの分析は、制度がもっている恣意性(arbitrariness of institutions)を明らかにします。」(Foucault 1988

 フーコーによる思想的な遺産は、「制度化」の結果として生じる「身体の統治」についての歴史的考察というあらたな領域を切り拓いたところにある。それと対照して、「身体の現象学」は、日常世界が人間の「身体化」といった観点から組織化されてくるその仕方を記述しようとするものである。「知覚」と「悟性」に関するメルロ=ポンティのアプローチは、心と身体とのあらゆる「分離」に対立して議論が展開されている。「世界についてのわれわれの知覚は、常にわれわれの身体化と世界との関係にその基礎を置かれているものなのである」。

 これらの二つの思想的な伝統は、典型的に同じ基準では計れないと見なされ得るが、しかしながらターナーは、あえて障害の分析のために、両者の立場の「結合」によって逆にもたらされるであろう、積極的、政治的、そして理論的な利益を見込んで、フーコーのポスト構造主義とメルロ=ポンティの現象学とのあいだに「理論的な和解」を求める独自の「身体(化)の社会学」を展開させていこうとするのである。

3.ポスト構造主義と現象学の結合A―社会構築主義における「存在論的な基盤」

 さて、このようなポスト構造主義と現象学との結合を志向するターナーの「身体の社会学」が、障害学において正当な評価を獲得するためには、障害の様々な異なったレベルについても考察できるものでなければならない、とターナーは言っている。すなわちターナーは、いかにして個人が障害を経験していくのかといった個別的なレベルの問題から、社会文化的なカテゴリーに関係する障害の社会組織のありかたについて、もしくは福祉設備の供給や「障害のポリティクス」などといったマクロな社会レベルの問題までも、「身体の社会学」は幅広く考察できるものでなければならないと考えるのである。そしてターナーは、このような様々なレベルでの問いを問題にしていくなかで、徐々に、「身体の社会学」におけるポスト構造主義と現象学との「理論的な和解」のすがたを提示しようと試みるのである。具体的にその作業は、社会構築主義における「存在論的な基盤」を現象学的なアプローチ(「基礎づけ主義」)のうちに求めようとする仕方によって押し進められていく。

 さて、さきにも触れたように、いかにして「医療の介入」が人間の経験を「標準化(standardize)」していくのかを理解するためには、フーコーの「規格化(normalization)」という概念が極めて有効であった。また他方では、「身体の現象学」が、「身体化」における実際の経験と主観性についての理解にもっとも効果的な基底を提供してくれる。

 しかしながらターナーは、前者のフーコー流の「言説分析」では、それらの主観性と「行為者(agency)」の分析にはほとんど対応することができないことを理由に、災難や病気などによって引き起こされてくる障害の「個人的な経験」などの分析を押し進めるために、フーコーやスティカーの試みを批判するスーザン・レイノルズ・ ホワイト(Susan Reynolds Whyte)の立場を採用しようと試みる。つまりターナーは、ホワイトの立場にしたがって、フーコー流の「言説分析」がまったく言及していない問題、すなわち日常世界における主観的な経験について果敢に考察を加えていく「エスノグラフィック(民族誌学的)」研究のうちに、自身の試みの重心を見定めようとするのである。そして、この作業をとおしてこそ、「(現象学的な)存在論的基礎付け主義(ontological foundationalism)と文化的な構築主義とを結合することが可能となる」、とターナーは考えるのである。以下、ターナーの議論の展開を詳細にたどってみることにしたい。

 このような議論を展開するにあたって、まずターナーは、知識や判断などに関連する「認識論的な問題」と、ものの存在の本質といった問いに関連する「存在論的な問題」とを区別することが重要であると言う。「基礎付け主義」と「構築主義」というこれらの二つの思想的な立場を「結合」することによって、われわれは、多くの論理的な可能性を見いだすことができる。これらの二つの極端な立場は、おのおのが、身体が社会的に構築されたものである(ラディカル構成主義)とか、あるいは、それは生物学的に与えられたものである(実証主義)といういずれかの見解へと行き当たる。なかでも、現代の社会理論のうちで最も一般的に受け入れられた立場は、「ラディカル構成(構築)主義」のそれであるとターナーは言っている。この思想的な立場は、際立ってフーコーやポストモダニスト、あるいはフェミニストや認識論的な相対主義者たちのテクスト群によって影響を与えられてきたものである。また、それと同時に、これらの立場は、障害者運動における「政治的なアクティヴィスト」たちによっても積極的に受容されてきた。というのも、ラディカル構成主義は、障害に対する「社会的な応答の偶然性」を、すなわち「制度の恣意性」の問題を主題的に考察する糸口を与えてくれ、それが、障害者運動における「政治的なアクティヴィスト」たちにとっても非常に魅力的なものだったからなのである。

 とはいえ、このような社会構築主義的なアプローチが存在論的なアプローチと「結合」されてきた思想史的な展開を、われわれは、すでにこれまでのいくつかの社会理論の伝統のうちに見いだすことができる。たとえば、ターナーはそれを、社会学の伝統におけるピーター・バーガー(Peter Berger)とトーマス・ルックマン(Thomas Luckmann)の仕事のうちに見いだしている。

 彼らは、「社会的な世界」というものが、「社会的な行為者による果てしない活動性によって構成され続けるものである」、という独自の理論を展開した。彼らの『日常世界の構成』(The Social Construction of Reality 1966)というテクストは、現代の知識社会学における一つの主要な展開なのであって、またそれは、社会学の歴史において、とくに革新的な転換として歓迎されたものなのでもある。

 しかしながら、彼らの社会学的な立場は、実際のところ、「生態学と社会学とを結合する」ことを試みたアーノルト・ゲーレン(Arnold Gehlen)の仕事に基づいているとも言い得る。ゲーレンは、人間とは「いまだ完結してはいない動物」であって、また、特別な「本能的基盤」を保持していない存在であるとして、人間存在を、世界に対して自らを適応させるために果てしのない「社会化(socialization)」の期間に依存し続けなければならないものとして解釈しようとしている。人間は、世界に対処するにはあまりにも「生物学的に見てその準備が不足している存在である」、とゲーレンは言う。ゲーレンは、このような「世界開示性(world openness)」に人間がうまく対処するためには、人間自身が、それらの本能的な世界に替えて、「一つの文化的な世界」を形成する必要があった、と論じている。そしてバーガーとルックマンも、人間は、このように「生物学的に発育不十分」であるからこそ、それらが自らの生態を補うために自身のまわりに「社会という天蓋(social canopy)」を「構築」しなければならなかったと論じ、ゲーレンのこの視点をさらに発展させていくのである。

 人間は「未完成である」であるがゆえに「弱く(vulnerable)」、だからこそ、生活の緊急事態にうまく対処するために、他方でそれは「制度的な支えと保護」とを必要とする。つまり人間は、つねに社会的に構成された人間世界という「天蓋」を必要とするのである。したがって、このようなことから、社会構築主義についての議論に対する最も有用な貢献の一つとしては、実際のところ、それが「基礎付け主義」的な存在論に基づけられているという事実を指摘することにある、とターナーは考えるのである。

 たしかに、いかにしてある特定の症状(疾患、病気、機能損傷障害、あるいは障害)が医療専門家や一般的な社会によって長期にわたり受け入れられるようになるのか、あるいは、いかにしてその歴史の過程が政治的な争いと経済的な利害関係によって具現化されてくるのか、といった問いに関しては、社会構築主義的なアプローチが、恐らく最も効果的に社会学的な記述をわれわれに提供してくれる。しかしながら、その構築主義における重大な問題点は、それが、「社会的に構築されてきた状況と、障害としてラベリングされることによる主観的な帰結についての記述をほとんど与えることができないか、あるいはそれを与えようともしないということである」、とターナーは再三にわたって強調している。しかし、それとは逆に「現象学的な研究」は、障害の日常的な経験についての詳細な解釈を供給し得る豊かな考察をわれわれに提供してくれるものである。したがって、最終的に、人間の「身体化」について共有されるこの現象学的なアプローチが、「文化相対主義」の困難な立場を乗り越えて、「人権と社会権に関する言説」がいかにして able-disable の二分法を克服することができるのか、といった(普遍的な)問題に対して何らかの解答を提示することができる、とターナーは予測するのである。つまりターナーの関心は、この「身体化」の概念を通して、社会学が「人権」に関する研究に貢献をするかもしれないという願望にも関係していると言える。このように、社会構築主義的な視線もある程度考慮に入れつつ、また同時に他方では、「身体化」の概念を軸としながら障害の問題を捉え返そうとするターナーの試みは、ともすれば身体を無視してしまいがちな英国の障害学をその根底から補完するだけの十分な可能性を秘めたものである、とみなすことができよう。そして、そこからターナーは、この「身体化」の議論の背後にある「存在論的な理論」をもとに、「弱さ(人間について)」、「不安定さ(制度について)」、「相関性(社会生活について)」という三つの構成要素を備えた「新たな社会学」を発展させようと試みる。そのためにもターナーは、なににもまして、昨今の障害学において欠如していると思われる「インペアメントを負った身体の身体性(physicality of the impaired body)」に関する考察をみずからに課そうとする。なぜならば、この「身体性」についてのエスノグラフィックなアプローチこそが、ターナーにとって、「身体化」の過程を記述するさいの極めて重要な切り口として見なされているものに他ならないからなのである。

4.「身体性」のエスノグラフィー――身体(性)の「リメイク」

 「医学モデル」は、「症状の構成的なものとしての患者の主観的な世界観」をまったく考慮しないし、当の「人間の苦しみ」をかたちづくる「政治と文化の役割」を認識することもない。逆に、「社会モデル」こそが、「障害が社会的に生産されるものであることを明らかにし、そしてさらに、障害についての議論を生物医学によって独占されるようなアジェンダから、政治と人権についての言説の問題へと移行させることに成功した方法」であると言える。

 たしかに、社会構築主義などといった障害に対するポストモダンあるいはポスト構造主義的な理論的アプローチは、障害学を支える理論的な支えとなっていることは否定できない。しかしながらターナーは、それらの理論的な展望が、同時に、他方で障害者運動にとって極めて重要であると思われるすべての「身体性のエスノグラフィー」の可能性を除外してしまうのではないか、とつよく懸念している。つまり、ターナーに言わせれば、ポストモダン、あるいはポスト構造主義的なアプローチのうちでは、この日常世界のうちに生き生きと「生きている身体」が完全に消し去られてしまう可能性がある、というわけなのである。

 そのようなポスト構造主義的なアプローチとは対照的に、自らの学問の中心軸に積極的にエスノグラフィックな視点を据え付けたのが、セイモアである。彼女は、脊椎損傷の経験や、またそれが招く結果を綿密に記述していく作業を遂行していくことで、「インペアメントを負った身体の身体性」についてエスノグラフィック的なアプローチを試みた。「彼女の作業は、各々立場の異なるフーコーとメルロ=ポンティの哲学的遺産の衝突のなかで、客観的身体と主観的な身体との分離を越える、インペアメントを負った身体に対する知性面での極めて創造的なアプローチである」、とターナーは高く評価している。

 セイモアの障害についての分析は、「身体化」の経験と、医学もしくは客観的な身体とのあいだの区別とをきめ細かくたどっていくものである。またそこで彼女は、われわれがいかにして、インペアメントを受け入れながら(インペアメントに従いながら)自らの身体(性)を「つくり直して(remake)」いくのかを、インタヴューなどの資料をもとにしながら、「身体の社会的な(再)構築のすがた」をエスノグラフィックな視点から問題にしている。ちなみにアンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)は、外傷後に身体を「再構築(rebuilding)」することは、同時に「自己」を構築することにおいての「二回目のチャンス」も含んでいる、と言っている。

 この「つくり直すこと」は、単なる論証的なプロセスではけっしてない。それは、メルロ=ポンティの言うような、「生ける、感覚的な身体の再建」を巻き込むものである、とターナーは言う。しかしながら、このような身体の「リメイク」は、いわゆる「社会的にみて標準的な身体」を求めるリハビリテーションという専門家的視点(凝視)のなかで、同様にノーマライゼイション(正常化)としてもあらわれてしまう。つまり、そういった意味からすれば、セイモアのこの「エスノグラフィック研究」は、いかにして、日常生活のなかで繰り返される医療との遭遇をとおして、これらの個人が具体的に「指導(coach)」され、そして「標準的な、型通りの社会的役割の痕跡」のなかへと「誘いだされ(coax)」ていくのかを提示するものなのである。

 このような、「医学モデル」と「社会モデル」とのあいだの概念的相違を解決する一つの方策として、障害における「社会的プロセス」と「医学的プロセス」とを結合するような、「生物‐心理‐社会モデル(biopsychosocial model)」と呼ばれるものもある。ちなみに、実際にこのモデルは、WHO1997年に「国際障害者分類・改正版」として出したICIDH-2の計画にも取り入れられているということである。

 たしかに、このような「統合」の理念は非常に魅力的であるけれども、障害において「生物学的なもの」が取り除かれるべきではないと論ずることは、社会学のなかで「人間の身体化」を記述しようとする試みからしてみれば、幾分隔たった考え方のように見えるかもしれない。というのも、社会学の視点から見れば、「身体」は、「生物学的なのもの」という、幾分「本質的な枠組み」のうちにはないからなのである。しかしながら、「身体(化)の社会学」の目指すものは、この心‐身体二元論へと置き換えられる「デカルト的な医療枠組」を、ポスト構造主義と現象学との「結合」の試みをとおして越え出ていき、最終的に、「身体化」という概念を障害に関する議論の中心に積極的に据え付けていくことにほかならない、とターナーはあらためて強調する。そしてターナーは、さらに自身の言う「身体化」の概念(「同時に自己と身体であるような、一つの存在者という観念」)をより逞しくしていくためにも、デカルト的な二元論の克服を可能にする「身体化された自己」のあり方と、またそれの「社会」とのかかわり方についての問題へと議論を押しひろげていこうとするのである。つまり、ターナーの議論はここで、第1節(「社会学の伝統における『障害』の軽視」)の最後で述べた、障害の問題のなかで「身体の社会学」を展開するにあたっての二つ目の方向性「身体化された自己」の観念に関連して、それのもつ「傷つきやすさ/弱さ」と「偶然性」の概念について考察することへといよいよ突入していくことになるのである。

5.身体化された自己―デカルト的な二元論の克服

 現代におけるインペアメントとディスアビリティに関する現象学の研究が、さらにデカルトの二元論の遺産を問題にするのに役立つ。そして、ディスアビリティに関する身体の社会学は、この単純な心‐身体二元論の限界を明らかにし、そして、われわれを「身体化された自己」と「日常生活における(災害や疾病による)混乱/中断(disruptions)」の議論へと運んでいく、とターナーは言っている。そして、さらに彼は、「身体性(corporeality)と身体化のもつ性質」は、「自己」と「社会的行為者」に関する議論へとわれわれを直接的に導いていくのでものでもある、と言っている。以下、ターナーのそのことばの真意を詳細にたどってみることにしたい。

5−1 「身体化」と「自己(化)」の不可分離性

 「社会的行為者の性格付け」は、これまで、社会科学の全ての展開のなかで問題にされてきた重要な論点であった。それは、「社会的行為の合理性、情緒的で感情的な要素の重要性、そして、社会的自己の構成におけるシンボルと文化の役割についての問題を巻き込む」ものである。

 われわれが何ものであるかということは、必ずわれわれの「身体化」のプロセスをとおして形成されてくるものであるから、「障害」、つまりそれは社会的な分類系と専門家的なラベルによって引き起こされるものなのでもあるが、それもまた「自己」の形成にとって重要な意味を備えたものであることは疑い得ない。

 われわれの「伝記風の語り(biographical narratives)」は、われわれの「身体化」によってもたらされてくるものであるから、「障害」もまた、「自己」にとってのその意味によって「媒介(mediate)」されていなければならない、とターナーは言う。日々の生活における「運動性(mobility)と自律性(autonomy)の困難」な状況は、慢性的な疾病の人たち、身体障害者、あるいは老人の日常の生活のなかでの単なる偶然的な出来事として放置しておくわけにはいかない。つまり彼らは、「自己、身体イメージ、そして自身を取り巻く環境とのあいだの複雑な関係を変換(transform)させていくことによって、実際に自我(selfhood)を形成」し続けていかなければならないのである。そして、さらにこの「社会的な行為者の身体化」の問題は、同じく、明確に「歴史的なコンテクスト」のうちへと投げ入れられねばならない、とターナーは言う。つまり、ターナーによれば、われわれは、「社会的な自己の身体性の歴史設定を探究していく必要がある」、というわけなのである。事実、社会学者は、単に「身体化される自己の現象学」に関係しているだけではけっしてない。社会学者は、それと同時に、ある特定の歴史的な時間枠のなかで、身体と社会とのあいだの関係が非常に異なったかたちであらわれてくるものであるという事態に対しても、十分に気を配っていなければならないのである。したがって、それ故に、「自我」と「障害」とのあいだの関係についての議論もまた、異なった文化的、歴史的設定のなかでは、非常に様々な形態をとり得ることがある、と言うことができる。いずれにせよ、このように、「身体化」と「自己」との関係が「不可分なもの」であることがターナーによって明らかにされるわけであるが、それは、当然のことながら「デカルト的な心身二元論」を超え出る考え方であることは改めて言うまでもないであろう。

 実際のところ、身体について最近書かれたテクストのうちでは、「身体についての議論の必要性」を、まさに「現代における反省的な自己に対しての高まりつつある重要性」と関連づけて説明しているものも少なくない。たとえば、アンソニー・シノット(Anthony Synnott は、『ボディ・ソシアル』(Synnott 1993)という著作のなかで、「身体はまた、しかも第一義的に、自己なのである。われわれはみな、身体に具現された存在なのだ」、と断言している。 また、それと同様のしかたで、クリス・シリング(Chris Shilling)は、『身体と社会理論』(Shilling 1993)という著作のなかで、近代的な社会における「自己の投企(project of the self)」は、実際のところ同時に「身体の投企(project of the body)」でもあるのだ、とも論じている。このように、シノットとシリングの両者は、近代的な感性と主観性が、あたかも身体が現代の社会における「精神の鏡」ででもあるかように、「自己の表現」として、まさに「身体」に焦点があわされているものであることを指摘しているのである。つまり、「身体化」は、ますます近代的な人間の自己‐アイデンティティの問題において重要なファクターになりつつある、というわけなのである。

このように、ターナーは、「身体化と自己化(enselfment)は相互に依存しており、またそれによって投企そのものを強化している」と理解する。しかしながら、さらに彼は、このような「自己の投企は、身体(化)の性質の変化に密接に関わるだけではなく、それはまた、同時に文化と公共圏のなかでその自己に与えられる(社会的な)役割の変化とも堅く結ばれているのである」、とも言っている。いずれにせよ、「身体化」は、「自己の投企」、そして「社会的な行為者」といった概念と密接に関わっていることがターナーによって明らかにされる。ターナーが、「身体性と身体化のもつ性質」は、「自己」と「社会的行為者」の問題へとわれわれを直接的に導くものであると言うのは、まさにそういった思惑があってのことなのであろう。いずれにせよ、「これらの議論を明確にするために、われわれは身体化の適切な定義をつくりだすか、あるいは、少なくともその必要な構成要素をリスト・アップする必要がある」、とターナーは言っている。「身体の社会学の創設のための熱意にもかかわらず、われわれが依然として適切な定義を所有していないことは、ある意味興味深い」。こういった流れのなかでターナーは、いよいよ「身体化」概念の定義づけの作業へと向かっていくのである。

5−2 「プロセス」としての「身体化」

 ターナーはまず、ノルベルト・エリアス(Norbert Elias 1978)の「プロセスとしての社会」の概念に従い、重要なのは、「身体化を一つのプロセスとして、すなわち、まさに身体化しつつある社会的な諸プロセスとして取り扱う」ことである、と言っている。つまりターナーは、この「身体化」という概念を、けっして静態的なものとしてではなく、そのうちで絶えず繰り返される「進展や推移」といった動的な性質を備えたものとして理解しようとするのである。ターナーは、そのような「プロセス」といった観点から、「身体化」の概念を次のように解釈していく。

「身体化」は、われわれが「物質化/肉化(corporealization)」と呼ぶかもしれないものの「進展しつつある実践の効果、あるいはその帰結」である。この点に関して言えば、それは、歩く、座る、踊る、食事をとるなどの「身体技術」の修養を必要とする。さらに「身体化は、肉体的な実践の全体的調和(ensemble of corporeal practices)であり、またそれは、日常生活における場(身分)を作り出し、またそれを身体に与えるものなのである」。したがって、「身体化」とは、ある社会の「ハビトゥス」のうちに特定の身体を据え付け、「配備」する。この点に関して言えば、「身体化」というものを、ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu)の社会学における「実践」、「性向」、「ハビトゥス」といった概念から容易に記述することができそうである。つまり、ブルデュー的に言えば、「身体化」は、それによって「社会的行為者」が一連の「性向」、「実践と戦略」を受け入れて、その結果として、「なに不自由なく唯一のハビトゥスを獲得する」その「プロセス」そのもののことと言うことができるのである。そして、さらにターナーは、以上のようなエリアスの「プロセス」の観点とは別に、現象学的な観点からも「身体化」を記述しようと試みている。

5−3 現象学的な観点からみた「身体化」

 「身体化は、生活‐世界における感覚的な、そして実践的な存在の生産に関わるものでもある。身体化は、感覚的もしくは主観的身体の生ける経験であり、つまりそれは、そういった観点からすれば、初期の哲学的人間学の実践の概念に非常に近い」。そして、さらにこの「感覚的な生ける身体」は、「日常の社会関係という環境のうちでの実践的なたしなみ(practical accomplishment)そのものと言うことができるが、しかしながらそれは、同時に、その活動中に、身体化された実践をとおして、(逆に)生ける世界(the lived world)をかたちづくるもの」なのでもある。さらに、このことを別の視点から言えば、「身体化」は、「すでに社会として在る生活‐世界でそれが起きるという意味で、それは社会的な投企とも言い得る」。つまり、ターナーによれば、「身体化」は、「孤立もしくは個別の投企」などではけっしてなく、それは、社会と相互に結び付けられた社会行為者の歴史の世界のなかで、社会的なネットワークのなかに位置しているものなのである。そういった意味からすれば、「生ける身体の現象学」もまた、社会構築主義とおなじく「身体を社会的な構成物」とみなしているとも言えるのである。

 以上のように、ターナーは、「身体化」の定義づけという作業をとおして、「身体化と自己化は相互に依存しており、またそれによって投企そのものを強化している」ことを導きだし、また自己が、「ある特定の社会的な結合体(a specific social nexus)のなかで、身体的な投企を含み込むもの」であることを明らかにしようとしている。そして、このようなかたちで最終的に導き出されてくる「身体(化)の社会学」は、従来のデカルト的な二元論を超え出るだけではなく、まさに、現在の障害に関する議論における中心的な座へとたどりつくことになる、とターナーは考えるのである。したがってターナーは、当然のことながら、自身の言う「身体化」の概念をさらに逞しくする作業へと向かっていく。そして、そこでもまた、ターナーは、身体に対する社会構築主義的な視線(水平的分析)と現象学的な視線(垂直的分析)とを交差させようとする独自の試みを一貫して展開しようとするのである。

6.身体化の特殊性―水平的分析と垂直的分析

 すでに述べてきたように、「身体化」は、継続的になされている「社会的な投企」である。しかしながら、それはまた他方で、個々人に「独自の特殊性(own specificity)」を持つものでもある、とターナーは言う。つまり、「私の身体化」は、「完全に型通りの、そしてある程度予測可能な(社会的な)コンテクストのなかにあっても、それぞれ独自のしかたで達成されてくるもの」なのである。

 ターナーは、このような問題意識を、社会学とハイデガー流の存在論とのあいだの関係と平行させて、それを、「身体化」における「均一性(uniformity)」と「特異性(particularity)」との関係として定式化しようと試みる。「社会もしくは地平面(horizontal plane)」において、ある個人は、定期的に、経済や社会といった公共世界における一連の「社会役割」によって定義づけられることになる。しかしながら、それは、「同じく、ある個人の有限で独自の身体化によって定義づけられるような、(ある種の)垂直軸(vertical axis)を形成する存在論的な局面もあわせもっている」、とターナーは言う。

 そしてターナーは、この「水平な社会平面」を、すでに触れてきた社会構築主義に関する議論から、それをいわゆる「社会システムの不安定な世界(precarious world)」とみなし、また逆に、「垂直面(軸)」は、「身体化された弱さ(embodied frailty)の世界」として定式化してみせるのである。そういった意味からすれば、社会学的な(水平的な)分析が、社会的存在の偶然的で、恣意的な特性を理解することに関係するのに対して、他方、哲学的な(垂直的な)分析は、われわれ人間における「必然性」の領域を把握しようと試みる作業に他ならない、と言いかえることもできよう。つまり、ターナーのこの定式化の作業は、ミシェル・フーコーによる「制度の恣意性」の概念を土台とし、そしてそのうちに、現象学的な観点から、さらに個々人に「独自」のかたちでおとずれる「身体化された弱さ(人間存在の垂直面)」の次元を挿し込もうとする試みに他ならない、と言うことができるのである。「社会関係という地平面」は、実際のところ「恣意的」であり、またそれらは、同じく「不安定なもの」でもある。しかしながら、「人間存在という垂直面」においては、社会的な水平面とは異なり、老化、障害、またそれにともなう「依存性」などといった避けることのできない「必然的な側面」がつきまとう。

 ゲイ・ベッカー(Gay Becker 1997)の言う「(老化、疾病、障害などによって)中断/混乱させられた生活(Disrupted Lives)」という概念は、これらの垂直面‐水平面のあいだの関係を首尾よく捉えている。それは、われわれが、身体、メタファー、そして個人的なアイデンティティ間の関係を理論的に読み解くことを助けてくれるものである。そしてまたそれは、われわれの生活そのものの「弱さ」と、それを下から支える「制度のもつ不安定な性格」をも同時に明らかにしてくれるものでもある。ベッカーの著作には、「不妊症」、「中年の危機」、「発作」、「老年」と「慢性の疾病」といった切り口が五つ設けられているが、実際のところそれらは、この「中断/混乱させられた生活」という概念によって貫かれる一つの研究として構成されているものである。ちなみにターナーは、この「中断/混乱させられた生活」という概念のうちにも、心‐身二元といったデカルト的遺産の問題に関して、それを乗り越えるだけの可能性を見いだしている。

主観的な、そして客観的なアイデンティティが、容易に「身体化」からは分離され得ないことから、これまで社会学と人類学は、ともに、アイデンティティが基本的に「身体化」によってもたらされるものであるという事実を明示しようと試みてきた。これは、「自己」が、むしろ老化や病気などにともなう「混乱」で重大な変化を被ることがあり得るという事実と平行している。「自己」に対する急激な「混乱」は、突発的な病気の結果として起きることがあるが、それは、しばしば重要な伴侶やわれわれとのこれまでの関係をうち破り、自身の生活-世界を「再編成(reorganize)」するよう要請せずにはおかない。したがって、「若々しさ」、積極的な「アクティヴィズム」、そして「自立」などといったものに格段の価値を見いだすアメリカにおいては、事故、慢性の病気、あるいは老化などにともなう「日常生活の混乱」は、必然的に、彼らの「自己‐アイデンティティ」に対して深い挑戦の意味を帯びてしまう結果へとつながる。[4]

 ベッカーは、『混乱させられた生活』(Becker 1997)という著作のなかで、これらの疾病とインペアメントによって生活を「混乱/中断」させられた人々を理解するには、疾病やインペアメントの「メタファー」が重要な役割を演ずることになる、と論じている。つまりベッカーは、その「メタファー」をとおして、病や障害を負っている人々が、自らの生活の「混乱をかたる」ことで、あらためて、じぶん自身のこころの内奥へとたどりつくことができる、と考えるのである。

「メタファー」は、われわれの理解を助けてくれる。しかしながら、それらは同時に、「治療に効果を与える特質」もあわせもつものである、とベッカーは言う。「メタファーは有意義な、そして筋が通った生活をつくる価値を表現する文化的な伝達手段である」。だからこそ、「ヒーリング」における「かたり(narrative)」は、回復のプロセスの一部となる。しかしながら、ベッカーによる「中断/混乱させられた生活」に関する研究の特異性は、そのような「メタファーの効果」のうちにのみあるのではなく、むしろ、〈身体‐自己〉関係における従来の見解に特別の注意を払い、それに対して「ラディカルな代案を提示する」という秘められた眼目のうちにこそあるのである。

 「日常の安定性は、絶え間なく、また信頼できる自己といった仮定を要求する」。だからこそわれわれは、「混乱」が、この「常態(normality)」のなかでの「例外的な介入」であると想定するのである。つまり、社会における相互作用が安定的に為されるためにも、われわれは、「時間と空間を通して身体化される自己の連続性」を前提にすることができなければならないのである。そして彼女は、自身の研究の終わりにあたって、このような「連続性が錯覚である」という結論へと達する。「日常の世界は、持続的な、そして避けられない無秩序の背景に対して、秩序と連続性の幻想を維持する絶え間ない闘争を巻き込むものである。この自己とカオスとのあいだを調停するメタファーが文化的な意味の構成ブロックを提供する」。それ故に「社会的な世界は、社会的演技者のアイデンティティの連続を脅かす混乱に対して、つねに社会的に構築され続けなければならないものなのである」。

 しかしながら、すでに述べたように、この「社会的な構築」は、個々人にとって独自のしかたでかたちづくられるという「特殊性」をそなえるものでもあった。したがって、いかなる「混乱」の記述も、「個人のバイオグラフィー」を考慮に入れておく必要がある、とターナーは言う。つまりわれわれは、インペアメントを伴う生活に対する「混乱」の研究のなかで、それが生まれもってのものなのか、あるいは災難や事故によるものなのか、そして、老化のようなプロセスを経たものなのかを、それぞれの「特殊性」といった観点から区別する必要がある、とターナーは訴えるのである。

これらの三つの対照的な状況は、「自己に対する混乱」のいかなる社会学的な解釈にとっても極めて重要なものである。なぜなら、「疾病におけるこのような時間的な次元(垂直的な次元)は、自己にとっては、異なった含意をもつもの」だからである。そしてさらに、このような次元は、さまざまに異なったインペアメントと障害に関しても、同じくそれは当てはまると言える。したがってわれわれは、インペアメントをもって生まれたものと、身体化された自己において、前もってインペアメントの経験を持っていないものとを区別しなければならないのである。そしてターナーは、これまでの身体化の特殊性の議論をとおして、最終的に、「人間存在における病と苦しみは、それら自身に独自の時間性を持つものなのであって、リズム、兆候、持続時間、発症と終末は、様々に異なったしかたであらわれてくるものなのである」、と結論づけるのである。そしてターナーは、「オリヴァー・サックス(Oliver Sacks)こそが、われわれに慢性の疾病と、人格的な目覚めとを引き起こす投薬の許容範囲のリズムを詩的で感動的な記述によって与えてくれている」として、サックスのうちにそのような観点に基づいた分析の一つのモデルを見いだすのである。このような独特の視線は、障害に対する「医学モデル」や「社会モデル」から単独で投げかけることは不可能なことである。つまり、このような観点は、当然のことながら、単に社会構築主義的な「水平的分析」のアプローチからだけでは導き出せないものなのであって、ターナーによる「垂直的な分析」との交差によってはじめて可能となってくるものであることはあらためて言うまでもないであろう。 

 そして、さらにターナーは、これらの「時間性」に関する議論から、障害とインペアメントの諸形式が、運動性、自立性、そして地位の喪失という深刻な事態を引き起こし、またそれを避けることもできない「老化という(時間的な)プロセス」を必然的に伴うものであることを問題にしようとするのである。つまりターナーは、そこで、これまでの「ポスト構造主義と現象学との結合」の試みのなかで重要視された「身体化」という概念から導き出される二つの「弱さ」(「社会的な制度の恣意性」と「人間の存在論的な不安定さ」)に基づき、障害を「老化」の問題へと接続させながら、最終的にそれらに承認されるべき「権利」の可能性を引き出そうと試みるのである。

7.弱さと権利

 最終的にターナーの議論は、いかにして「身体化」の概念が、「弱さ」の観念に基づいた「権利の社会学」を準備する「障害の現象学」に貢献することができるのか、についての記述を含んでいる。この切り口こそが、障害学のうちに身体の復権をめざそうとするターナー独自のアプローチとも捉えることができる。そしてこの議論の流れをたどっていくために、ターナーは、「存在論的な不安定さ(ontological insecurity)」の観念の加工を試みる必要がある、としている。そこでターナーは、それが次のような構成要素を備えたものであると言っている。

 すでに触れてきたように、まず、われわれが「生物学的に虚弱である」という主張がある。インペアメントと老化の両者が、この立場の重要な例解となる。もちろん、年齢と老化は文化的に定義されるものではあるが、他方でそれは、同じくわれわれが必ず老化のプロセスの適用を受けている存在であるということに疑いを差し挟むことはできない。この老化のプロセスは、個人的には「可変的なもの」ではある。しかしながら、われわれの免疫機構は年齢にともなって低下する傾向があり、われわれは、より年齢がかさむにつれて、身体の脅威にいっそうさらされる。たいていのひとは、老年にさしかかると障害の若干の徴候を経験するであろうし、60歳を超えると、「統御力の喪失」といった明確な経験があらわれてくる。そして、医療もしくは福祉資源の不足という問題があるから、老人やインペアメントをもつものへの資源配分においては、当然のことながら「社会的な対立」というものが起こりうる。そしてターナーは、この議論を、パーソンズが社会学と社会哲学における中心的な関心として位置づけた「ホッブズ的秩序の問題」(社会秩序がいかにして構築され維持されていくのかという問題)へと接続していこうとする。

 前社会的な「自然状態」においては、生活は、「不快な、残酷な、そして短い」ものである。このような「ホッブズ的な世界観」のうちでは、国家は、彼らの集団の安全を守る理性的な演技者のあいだにおいて交わされる「契約の構成物」といった性格を当然帯びてくる。つまりそれは、相互の合意にもとづいた契約の取り決めの結果生じてくる「政治的な身体(the body politic)」に他ならないとも言えよう。ちなみに、ホッブズ自身はこの「政治的身体」を、「その共同の平和、防衛、利益のために、一つの共通の権力によって、ひとりの人間にまとめられた、多数の人々であると定義してよい」、としている。それだからこそこの「政治的身体」は、人々の生身の身体が安全と平和を見いだすことのできる枠組みとなってくれる「人工の身体」となることができるのである。そしてターナーは、最終的に、人間が「生物学的に虚弱」であり、社会的にも攻撃されやすく、またそれらの生活は政治的にみても「不安定」とならざるを得ないというこのホッブズ的な考えから、「(保護的な)人権への要求」を引き出すことができる、と考えるのである。

 身体化された生き物としての人間は、病気や災難、老化と障害、そして、苦しみと精神の腐敗(痴ほう、アルツハイマー病、パーキンソン病などを通して)を被りやすい。人間は、「日常の慣例」の開発を通して、それらの「存在論的な保証」の問題をなんとか解決しなければならない。しかしながら、われわれの社会と政治的な世界はもともと「不安定」であるから、これらの「慣例」は挫折してしまう可能性があることは否めない。つまり、われわれの「身体化」は、われわれが容易に予測することができないような身体的な危険にさらされることがあり得るため、必然的に日々の「慣例」と「規準」とがつねに中断される可能性があるのである。われわれの「社会的生活は本質的に偶然的なものであり、そして危険なものである。諸個人は、それらがともに一致協定の行為のために集まるときでさえも、必ず社会的な現実性の気まぐれに対して、彼ら自身を守ることはできない」。このようにわれわれは、「生物学的に虚弱」であることにくわえて、社会的なレベルにおいても同様に「弱い存在」なのである。

 「老化のプロセス」は、この問題の明確な例解を提供してくれる。というのも、われわれが歳を取るにつれて、生物学的な時間枠からしてみれば、老年は、特に近代的な社会においてはますます「隔離と孤立の期間」となるため、われわれは「社会的な傷つきやすさ」に一層さらされることになるからである。

 われわれは、人生において、容易にわれわれ自身の不足と必要に備えることができない。したがってわれわれは、必然的に家族もしくは血縁のネットワークに依存せざるを得なくなる。しかしながら、他方で、典型的な家族システムが崩壊してしまった社会のなかで歳を重ねるということは、老人が、「境界化(marginalization)」や「社会的な虐待」にますます従属し、まさにそれにさらされ続けることになるという事態を意味する。つまり、「生物学的な弱さと社会的な傷つきやすさとが、ともに境界性(marginality)と隔離の問題を強める傾向がある」、ということなのである。また、別の観点から言えば、われわれは、規定的な退職、義務的な老齢退職の分担金、不動産相続租税、保険適用範囲などのような問題について効率的にマクロ政策決定をコントロールすることができないという理由から、不安定な社会に生きている、と言うこともできる。

 かりに人間が、その定義から言って「弱い」存在であるのなら、その「弱さは変わりやすい(定められない)」ものという意味である、とターナーは言う。そしてターナーは、この観点から、自身の展開する議論が、たやすく「適者生存」説のダーウィニズムへと変換され得る可能性があることを認めてもいる。とはいえそこでは、少数で弱いものたちどうしが、自身の弱さやもろさを制御するために互いに結合するかもしれないし、あるいはその場合に、強いものが弱いものを「援助」し、またそれを「保護」するという「傾向」が働くことも十分ありうる。そしてそれらを「保護」しようとする「傾向」は、共通の「弱さ」や「欠点」を備えた人間に対して、いくらかまとまったかたちで投げかけられる「共感(sympathy)」あるいは「同情(empathy)」といったものに基づいているに違いない、とターナーは推測する。そしてターナーは、ローティ(Rorty 1989)の立場に追随していくことを自認しながら、われわれは、このような「共感」、「感情」、「情動性」といった概念へと向けられる関心から、最終的に(「障害」を負わされているものに対する)「人権の理論」を獲得することができる、という立場へと向かっていくのである。

 「強い立場にあるもの」が「弱い立場にあるもの」を「保護」する場合、それは、「類似/似ている(likeness)」といったかたちの「承認」を通じてなされる。つまりそれは、「情緒的な傾倒(affective attachment)」と「感情」との結合の所産とも言えよう。そしてわれわれは、他の人間の苦境のなかに、かれら自身の(潜在的あるいは顕在的な)不幸と悲嘆とを見いだし、かれらに認められるべき「権利」を要求するようにもなる。そして、そのなかでもいっそう重要なものが、「誰に対して道徳的な関心を向けるべきなのかを(われわれに)決断」させる「共感」というはたらきに他ならない、とターナーは言うのである。

 この「共感」は、日常生活における相互関係の基本的な経験、とくに、母親と子供のあいだの関係から生じるものである。しかしながら、さらにこの議論をひろく展開していこうとするならば、われわれには、この「人間の弱さ」というものに対してのいっそう入念な概念が必要となってくる。そしてターナーは、たとえばそれを「痛み(pain)」と「苦しみ(suffering)」とのあいだの区別を明確にするという作業をとおしていっそう洗練化してみせようとする。

 われわれは、「痛み」の経験なしでも「苦しむ」ことができる。逆に、「苦しみ」をともなわない「痛み」を経験することもある。「苦しみとは、本質的に、そこにおいて自己が、たとえば屈辱などをとおして外部から脅かされ、また破壊される恐れがあるという一つの状況」のことである。たとえば、われわれが、身体的な痛みをまったくともなわずに愛する人の喪失を経験することができるのに対して、歯痛は、自己の喪失の感覚、あるいは自己に対する屈辱感なしでも、われわれに極限の身体的苦痛を与えることができる。これらのことから、「苦しみが可変的である一方で、痛みは普遍的なものと見なされ得るであろう」、とターナーは言う。

 このことは、ローティが、『偶然性・アイロニー・連帯』のなかで採用した立場と密接に関係がある。そこにおいてローティは、この議論に関する問題をつぎのように展開させている。

 「われわれには、残酷さを低減しなければならず、また、苦しみを被りやすいという点から人間存在を平等にしなければならないという最優先の責務があるとする考えは、あたかも人間存在の内側には、話される言語からはまったく独立した、尊重と保護とに値する何ものかが存在するかのような考えを当然のことと見なしているように思われる。それは、ある非言語的能力、つまり苦痛を感じる能力こそが重要なことなのであって、語彙の違いなど、それに比べればほとんど重要なことではない、ということを示唆している」(Rorty 1989,88)。[5]

 さて、ターナーは、この議論からさらに展開できる主張として、「喜びが可変的であるのに対して、人間の苦痛の種が普遍的である」、という点をあげている。つまりそれは、われわれのなかで幸福というものについての意見が一致することは困難をきわめるが、逆に人間の苦しみの本質、すなわち苦痛についてはほとんど意見の相違がない、ということである。さらにターナーは、この「苦痛の不変性」についての主張が「人権にとって普遍的な基盤を提供することができる」のではないかとみずからに問いかけ、最終的にこの「痛み」という経験が、すべての有機的な生命にとっては基本的な経験であることから、まさに「弱さ」こそが、われわれ人間の普遍的な条件に他ならないと結論づけるのである。ちなみに、ターナーによるこのような議論は、当然のことながら従来の文化相対主義の立場に反するものではある。しかしながら、「痛みや苦しみに対しての有機的な基盤がある」というこの考えは、文化的な多様性の理念と互換性があり得る、とターナーは言っている。

8.Bringing Bodies Back In――障害学における〈身体〉の復権をめざして

 そしてターナーは、このような見解を掲げつつ、最終的にディスアビリティとインペアメントに関してのみずからの立場を、あるいは障害学におけるみずからの立場を表明しようと試みる。そしてその立場は、アメリカの「障害学会(SDS)」の創設者のひとりであるゾラによってなされた「普遍主義への擁護」によってその強い支持基盤を獲得する、とターナーは言っている。

 ゾラは、「すべての人口(集団)は、慢性の病気と障害に関連して、いくらかの点で危険な状態にあることを(あらためて)認識するという普遍的な方針をわれわれが支持する必要がある」ことを長年にわたって論議し続けてきた。ゾラがこのような「普遍的なスタンス」をとろうとした理由は、(老化の現象などをとおして)唯一われわれが障害に関係の深い普遍性に気がつくときだけ、あるいはまた、その次元(生物医学的なものも含めて)が、それによって障害の意味が取り決められる社会プロセスの重要な要素でもあることに「気がつく」ときだけ、われわれは、いかなるかたちで一般的な公共政策がこの問題に影響を与えることができるのかを評価することができる、と考えるからに他ならない。このようなゾラのスタンスが、ゲーレンによる「生態学と社会学との結合」の試みを土台とするバーガーやルックマンの社会理論の分析をとおして、あるいは、セイモアの「エスノグラフィック研究」の可能性によって導きかれてきた「生ける感覚的な身体の再建」の分析をとおして、そしてさらには、「身体化された自己」の分析や「弱さ」の分析をとおして、ポスト構造主義(社会構築主義)と現象学との結合を試みつつ、そのうちに障害に対する「身体の社会学」の可能性を見極めようとするターナーのスタンスと通低するものであることはあらためて言うまでもない。

 現代社会における諸人口(集団)の老齢化、あるいは増大する慢性病患者の罹患率や健康リスクのグローバル化は、「障害の普遍性」というゾラの視点における人口統計学もしくは社会学的な重要な側面なのである、とターナーは言う。そして、ゾラのこの視点(障害に対して普遍化という方針で対応することの必要性)の基底は、唯一「(われわれ自身の)身体を取り戻す(bringing bodies back in)」ことによってだけ、障害に関する適切な社会学を構築することができる、という主張にある。つまりそれは、これまで身体的状況や能力を基準として多くの障害者を生活分野から締め出してきた政治的、経済的システムから、あらためて「われわれの身体やわれわれ自身を取り戻せ」、と訴えかけることに他ならない。ゾラの書く論文や講演録には、ほとんどといっていいほどこの表現が盛り込まれている。ちなみに、ゾラ自身は、この表現を、当時のウーマン・リヴ運動が、医療サービスの供給における男性支配的な側面を暴き出そうとした際に重要な突破口の役割を担った、「ボストン女性の健康の本集団(Boston Women's Health Book Collective)による『からだ・わたしたち自身(Our Bodies,Ourselves)』(1973,1976,1979,1984)という書物に影響されたものであると言っている(Zola 1991,1)。またゾラによれば、1991年の段階で、この画期的な書物は、12ヵ国以上の言語に翻訳されているとのことである。

 さらにゾラは、「われわれの身体を連れ戻せ」というこの自身の立場が、つぎのふたりの助言者の影響によるものであることを吐露してもいる。まず一つ目として、ゾラは、早い段階からゾラの助言者のひとりであったジョージ・キャスパー・ホーマンス(George Casper Homans)を挙げている。ちなみにホーマンスは、1964年に発表した論文「人間を連れ戻す」(Bringing Men Back In)のなかで、現代の社会学が、それ自身が考察しようとしている対象から果てしなく遠ざかってしまうほどに分析的になりつつあるとして、「社会学の危機」について問題にしている。そしてふたり目としてゾラが挙げるのは、アーサー・フランク(Arthur Frank)である。フランクは、「身体を連れ戻す」(Bringing Bodies Back In 1990)という論文のなかで、現代の社会学において、「身体」が意味するかもしれないものに対する注意が著しく「欠如」している傾向について批判的な議論を展開している。彼らのこのような立場が、社会学における「身体の欠如」を問題視することで、逆に「身体(化)の社会学」を提案しようとするターナーの立場にきわめて近いものであることはあらためて言うまでもない。そして、社会科学にとってゾラのこの「身体化」の観点による挑戦は、すなわち「身体を取り戻せ」という宣言は、障害学と障害者運動の方針の形成において、ともにこれからも恒久的な特徴としてあり続けるべきなのである、とターナーは締めくくっている。また、ゾラの意向を受け継ぎ、障害学における「身体」の復権をめざすターナー自身の動向も、米国の「障害学会」だけでなく、モリスなどによって指摘された、インペアメント、身体、エスニシティ、セクシャリティを無視してしまう嫌いがある「社会モデル」偏重型の英国の障害学の問題点に対しても、あるいはまた、そののちにモリスによって模索されている、障害者独自の価値観によって紡がれる「オルタナティヴなコンテクスト」としての「障害の文化」(杉野 2002, 262)の問題に対しても、今後、幅ひろく障害学の方向を見定めていく際にきわめて有効な視点となることは間違いがなさそうである。

 

〈注〉

[1] またフーコーは、たとえば『エルキュルヌ・バルバン、通称アレクシーナB』(1980)などのなかで、性の絶対的な二分法的分割が、専門家たちのあいだでの官僚的な、そして政治的な対立から出現したものでしかないことを明らかにしている。そこでは、不確定な性を備えているある個人が、不確定であるにもかかわらず、明確なかたちで男性もしくは女性といった特定のカテゴリーに帰属しなければならないものとされる。このような性差類別の歴史は、ジェンダーの分割地図のなかへのある個人のポジションの配置が「任意」なものであることを同時に明示しており、また、くわえてその分割地図そのものも、長い時間にわたって変化し、進展していくような、極めて「恣意的なもの」であることを明らかにしてくれるのである。

[2] ちなみに、メルロ=ポンティが問題にするこの「生きられた世界」とは、「現象学的還元」によってわれわれに拓かれてくる、「あらゆる定立やあらゆる理論に先立ち、認識の行なうさまざまな客体化作業の手前に位置する〈世界定立〉」の層のことである。またそれは、あらゆる科学、あらゆる認識に先立って存在し、それらを根底から成立させている「世界経験」の原現象とでも呼べそうなもの、すなわち事物を〈有体的に〉現前させているところの「知覚野」もしくは感性的な経験の層のことでもある。そしてメルロ=ポンティは、この「われわれのさまざまな定立やわれわれの理論的態度の手前にある、秘儀中の秘儀とも言うべき下部構造」を、精神医学者のユージューヌ・ミンコフスキー(E.Minkowski)の「生きられた時間」や「生きられた空間」にならって「生きられた世界」と呼び、われわれが「最初になすべき哲学的行為」は、まさにこの「生きられた世界への還帰」をおいて他にはない、とまで言うのである。

[3] ゴッフマンによれば、われわれは、何らかの社会的単位もしくは「役割」といった外枠を与えられることなしには、具体的に「自己」を提示することができない。しかしながらその一方で、われわれは、なにもその与えられている一つの「役割」だけに没頭する必要はないのであって、その「役割」におさまり切らないもう一つの「自己」を、しかも当の「役割」を遂行しながら提示してみせるテクニックをあわせもってもいる、とゴッフマンは言う。たとえば、そのようなテクニックを具体的にあげてみれば、それは、困難な手術に挑んでいるある外科医が、緊張した状況のなかで看護師に向かって冗談を言うことで、執刀医という「役割」からしばしのあいだ意図的に降り、こういった状況のなかにあっても気の効いた冗談を言うことができる人という別の「役割」を演じる場合のことなどであろう。しかしながら、ゴッフマンの「役割」理論においてむしろ注目すべきなのは、そのような「役割」からの「距離を(あえて)表出」しているときにこそ、「本当の自分」といったものがその隙間に透かし見えてくるのではないのか、といった独自の問題設定と言える。またそれとは逆に、ゴッフマンのこのようなアプローチに対しては、それが、「真実」もしくは「連続した自己」などをいっさい認めず、ただ単に絶え間なく交換される「役割」という「戯れの仮面の提示」だけを認めるものなのではないのか、としてゴッフマンの理論の「シニカル」な側面が批判的に議論されてもいる。

[4] ちなみに、タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)の「病人役割(sick role)」は、このような「無活動性(inactivity)」に関連して病気を定義づけようとしたものである。パーソンズにとっては、病気であることとは、本質的に「活動していない状態」として定義づけられる。仮に、そのような定義にしたがうならば、「アクティヴィズム」を高く評価する社会においては、慢性の疾病とインペアメントなどが、この意味において「逸脱」とみなされることは間違いない。つまり、パーソンズのこのモデルは、障害を、多かれ少なかれ「永続的な烙印化の一形式」として捉えているのである。

[5] ちなみにローティは、この「残酷を低減すること」や「残酷さの回避」こそが、「われわれ」が共有しうる唯一の〈共通善〉であるとして、まさにそれが、「われわれ」の「連帯」を可能にする「最小の公分母」に他ならない、と言っている。そしてさらに彼は、このような「最小公分母」によって支えられる社会的な共同体を「リベラル・ユートピア」と呼び、「人間が人間に与える苦しみを可能なかぎり避け、誰かが必要とする生の資源をより恵まれた者が奪うのを阻止しローティはリバータリアンとは違い社会民主主義的な再分配政策を支持する、各人の自己創造に最大の余地を与える社会、各々が描く特異な『ファンタジー』を実現するチャンスが誰にも等しく与えられているような社会の像」の可能性を模索するのである。リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』、岩波書店、 齋藤純一・山岡龍一・大川正彦訳「訳者あとがき」、2000年、424-425頁。


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