ヒューム哲学の、医療哲学・倫理学における注目点(3)
――近代医療形成と共感倫理学――
会沢久仁子
(大阪大学大学院文学研究科博士課程、臨床哲学)
序
本稿は、デイヴィド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)の哲学に依拠する医療哲学・倫理学の研究動向を紹介しながら、医療哲学・倫理学の基礎として注目されうるヒューム哲学の要点を明確にする取り組みの第3回目である。第1回は、動物の道徳的地位と自殺(安楽死)の二つのテーマを扱い、第2回は、医療・保健制度における正義をテーマにした。今回は、ローレンス・B・マックロウによる「ジョン・グレゴリーと医療倫理学史へのヒュームの影響」(McCullough, 1999)を紹介する。この論文も、これまでに紹介したのと同じく、「医療と哲学ジャーナル」(The Journal of Medicine and Philosophy: A Forum for Bioethics and Philosophy of Medicine)第24巻第4号、1999年8月の特集「ヒュームと生命倫理学、医療哲学」(Hume, Bioethics and Philosophy of Medicine)に収められている。
マックロウの論文は、ヒュームによる共感を中心とする道徳科学(moral science)1 が近代医療形成期の医療倫理学に影響を与えたことを示す。それは私たちに、近代医療とその倫理の歴史を振り返らせ、またヒュームの哲学が書かれ、読まれた時代を伝えて興味深い。マックロウは、スコットランドの医師、ジョン・グレゴリー(John Gregory 1724-1773)による医療倫理学を取り上げる。マックロウによると、それは英語で初めて書かれた医療専門職の倫理であり、「世俗的で哲学的、臨床的、女性的」な医療倫理学であった。そしてそれはヒュームの共感原理を基礎にしていた。
まずグレゴリーによる医療倫理学の時代背景について(1)、そしてその医療倫理学とそれへのヒュームの影響について(2)、マックロウの示すところをたどり、共感の道徳科学の意義を明らかにしたい。さらに、グレゴリーがしたようにヒュームの共感論を道徳生理学として読み、また女性的な理論と読むマックロウの試みも参照する(3)。
1.グレゴリー医療倫理学の時代背景――近代医療の形成
マックロウは論文の冒頭で、「共感的な医師」が今では当然のように期待されるが、そのような医師イメージは18世紀後半にグレゴリーによって創案されたのであり、歴史的に新しいと述べる。確かに、患者への愛や誠実といった医師の規範はヒポクラテスや14世紀のヨーロッパにも見られるが、現在に続く医療制度と専門職規範は18世紀に由来するかもしれない。
グレゴリーによる医療倫理学は、エディンバラの大学での講義をもとに、1770年に『医師の義務と役目についての所見、および哲学において探求を遂行する方法』(Gregory, 1770)という題で出版された。当時医学は、古典の釈義に終始する思弁的なスコラ医学をようやく離れ、臨床に基づき科学的に発展しつつあった。エディンバラは18世紀になって新しい臨床医学を導入し、それによってイギリスの医学をリードし、現代に及ぶ西欧医学の中心地の一つとなる(川喜多,1777: 374)。また病院をはじめ現代まで続く医療制度もできはじめ、専門職としての医師の身分も確立する。このような状況において、医療専門職の新たな規範も必要とされたと言える。グレゴリーの『所見』はよく読まれ、彼は二年後には『医師の義務と資質についての講義』(Gregory, 1772)という題で改訂版を出した。
グレゴリーの著作は、トマス・パーシバル(Thomas Percival 1740-1803)に強い影響を与えたという。パーシバルは、臨床家として工業都市マンチェスターの衛生委員会で活躍し、英語で初めて『医の倫理』(Persival, 1803)と題された著書が有名になった。またグレゴリーの二冊の著書はアメリカに渡り、ベンジャミン・ラッシュ(Benjamin Rush 1745-1813)を通じて19世紀のアメリカの医療倫理にも影響を与えたという。ラッシュは、エディンバラで学んでアメリカに帰り、アメリカ医学の草創期に大きな名を残した。彼は、監獄改良事業や禁酒運動に関わり、またアメリカ精神医学の父とも呼ばれる。奴隷制度撤廃にも取り組み、合衆国独立宣言の署名者の一人でもあった。さらにグレゴリーの『講義』は、ドイツ語(1778)やフランス語(1787)、イタリア語(1789)にも翻訳された。だがヨーロッパの医療倫理学史へのグレゴリーの影響はまだ明らかではない。
またグレゴリーの医療倫理学は、当時の医療実践に合わせて書かれた。当時の英国では、医者は、開業して数少ない裕福な家や個人のお抱え医になるか、続々と設立される病院で働くかであった。お抱え医は、契約的な患者−医師関係にあり、商売上適切に自己利益を追求することが医師の倫理であったと言える。しかしグレゴリーは、アダム・スミスのようなスコットランド・モラリストとは違って、商業は自己利益の突出ゆえに道徳的に忌まわしく、企業家的診療は改革を要すると考えた。また彼は、エディンバラ王立診療所(the Royal Infirmary of Edinburgh)で患者を診る彼の学生と同僚の指針としても医療倫理学を書いた。その診療所は、後に産業革命をもたらす採炭場や紡績工場などで働く病気の貧者のために、裕福な慈善家によって設立された2。そこでは医師と患者との階級差は大きく、また患者は研究対象として弱い立場に置かれた。しかし、このような新しい制度下の、権力差のある医師−患者関係を指導する倫理はなかった。これらの状況に対して、グレゴリーが理想としたのは、中世スコットランド高地のパターナリズムであったとマックロウは言う。それは社会階級が自分より下の者のために奉仕し、自己を犠牲にする生活である。そしてグレゴリーは、彼の倫理学の科学的基礎として、ヒュームの共感原理を見出した。こうして、英語文献において初めて科学的で道徳的な医療専門職の倫理ができることになる。
2.グレゴリーによる医療倫理学と、ヒュームの影響
グレゴリーは『講義』の一節で共感について次のように展開している。少し長いが引用する。
医師の性格において格別に要求される道徳的諸性質について今や述べる。それらの第一は人間性である。つまり我々人類の困窮をあわれみ、その結果、最も強力な方法でそれら困窮を和らげるように我々を駆りたてる心の感受性である。共感は患者を楽にするのに役立つかもしれないいくつもの小状況への気がかりな注意を産む。お金では決して買えない注意を、したがって医者に友人を持つことの表現できない慰めを産む。共感は自然に患者の愛情と信任を約束し、それは多くの場合、患者の回復に最大限重要である。もし医者が態度の優しさとあわれみ深い(compassionate)心、「生まれながらの人情」("the milk of human kindness")とシェイクスピアがとても強調して呼ぶものを持っていたら、患者は医者の接近を救済に寄与する守護天使の接近のように感じる。他方、無常で態度の粗野な医者は、やってくるたびに患者の心を内に沈ませる……。非常にあわれみ深い気質の人々は、困窮の場面に日々知悉していることにより、時の経過につれ、医療実践にとても必要な心の沈着と堅固さを獲る。……人間性の情感に無感覚な医者は、この共感を嘲笑い、偽善や弱々しい心の指標として表明する。共感がしばしば見せかけられるのは真であると残念ながら思う。しかしこの見せかけは容易に見通されるかもしれない。……最も効果的にこの偽善を看破するものは、高貴な生活の人々と劣悪な生活の人々とに対する医者の異なる振る舞い方である。すなわち手厚い報酬を支払う人々と、そうする手段を持たない人々とに対する。寛大で高尚な心の人は、これにあまりに普通に付加される不当な構造に油断ないので、卑しい生活の人々より高位の人々に共感を示すことにずっと用心深い。―あわれみ深く感じやすい心が愚鈍な理解力と弱々しい心に通常伴うとほのめかすことは、悪質であり、誤っている。経験が論証するのは、優しく人間的な気質が心の活力と一致しないどころか、それに通常伴い、粗野で怒鳴り散らす態度は弱い理解力と卑しい精神に普通伴い、雅量と個人的勇気に欠けた人々によって、彼らの自然的欠陥を隠すために、確かにしばしば見せかけられることである。(Gregory, 1772: 19-21)
共感が病人の困窮を感じさせ、その困窮を和らげるよう我々を動かすとは、ヒュームが共感について述べるところである。ヒュームは共感を次のように説明する。ある人が他人の振る舞いを見て、その人の苦痛の観念を得ると、この観念は自動的に印象に、すなわち苦痛そのものになって、他人の苦痛と同じ苦痛を自分も感じる(T 2.1.11.3; SBN 317)3,4。ヒュームは次のようにも表現している。
私がある人の声や身振りのうちに感情の結果を見ると、私の心は直ちにこれらの結果からその原因に移って、感情の極めて生気ある観念を作り、忽ち感情そのものに転換される。同様に、或る情動の原因を知覚すると、私の心は結果に伝えられ、似た情動によって駆り立てられる。もし私がかなりこわい外科手術に立ち会うとすれば、確かに手術の始まる前ですら、手術道具の準備や、秩序よく並べられた包帯、熱せられた手術刀、患者と付添い人の不安と心配のあらゆる徴は、私の心に大きな結果を及ぼして、憐憫と恐怖との最も強い心持ちを喚起するだろう。他人のどんな感情も直接には心に現出しない。我々はただ他人の感情の原因または結果を感知するだけである。これらから我々は感情を推論する。従ってこれらが我々の共感を生起する。(T 3.3.1.7; SBN 576)
このように、苦しむ誰かの前にいるだけで、その苦痛を観る人に、観られる人の苦痛の観念が生まれ、自動的にその苦しみに「等しい情動」(T 2.1.11.3; SBN 317)ないし印象が生まれる。そして、他人の苦痛に共感することによって、人はその他人の苦痛を和らげる行動に出る。
確かに、共感は必ずしも現在の瞬間には限られず、我々はしばしば交換伝達(communication)[共感:筆者注]によって、他人の現在なくて想像の力だけで予想されるのみの快苦も感じる。というのも、私の全く知らない人が野原で眠っているときに馬蹄に踏み潰される危険にあるのを見たとすると、私は直ちに彼の救援に駆けつけるだろう。この場合に私は、見知らぬ人の現在の悲嘆を心配する共感の原理と同じ原理で駆り立てられる。(T 2.2.9.13; SBN 385)
ヒュームはこの引用において、人が共感によって他人の現在と未来のニーズに応える行動に動かされると述べる。またヒュームは、共感が見知った者だけでなく見知らぬ者にも働くと述べる。人間は皆、同じように作られており、同じように機能する。そしてこの類似が共感に大きく貢献する(T 2.1.11.5; SBN 318)。共感は人間本性の原理である。マックロウは、この共感を「生理学的原理」と呼び換える。このように共感は、あらゆる社会的違い、その他の違いに関わらず誰に対しても働く。それゆえヒュームの倫理学において道徳的異邦人はいない。このことは、医者が共感にもとづいて行為すれば、王立診療所において医者と患者が社会階級の違いによっては互いに道徳的異邦人にならないことを意味する。
先の引用でグレゴリーは、真に共感的な医者は高貴な生まれで自己負担支払いの患者と王立診療所の低い生まれの患者とを等しく扱うと主張した。このような行為は当時の医学生と患者との社会階級の著しい懸隔を考えると挑戦的であり、グレゴリーの主張する共感は階級差を超えて医学生たちを患者に向かわせるものであったと、マックロウは評価する。なお、このような共感は今日でも、ヘルスケアの多文化的文脈において、とりわけ公立病院で、医者や医学生が養う必要のあるスキルであるともマックロウは付け加える。
グレゴリーは共感原理を展開して、医者−患者関係や医療情報開示、医学内部や隣接の諸分野の境界と協力、治療方法の統一、医療管理、医学実験、など、今日に通じる多数の臨床的倫理問題に取り組んだそうだ。そしてグレゴリーがこれらの問題を扱う際に主に強調するのは、医学生たちに、共感が自己利益の追求を鈍らせ、彼らの注意と関心、振る舞いを患者の福祉に向けさせることを見せることであったという。マックロウは、それらの問題のうち特に、女性の妊娠出産時の秘密保持と、医学実験について詳しく取り上げている。
第一に、秘密保持について、グレゴリーは次のように述べる。
医者は、その職業の本性によって、従事する家族の私的な性格や関心事を知る多くの機会を持つ。彼は自身の観察から知るかもしれないことに加えて、ことによると彼のケアに命を負うと考える人々の信任をたびたび認められる。医者は、世間が見るのとは全く違う―苦痛と病気、沈んだ気分に圧迫された、最も不利な状態にある人々を見る。……従って、個人の性格と家族の信望が医者の分別と秘密厳守、道義心に時にどれほど依存するかもしれないことは明らかである。秘密性は、女性に関わるところで特に必須である。女性の性格が遇されるべき特別の優しさとは別に、いかなる点でも彼女の評判には結びつかないけれども、どの女性も、その性の生まれつきの繊細さから、隠そうと切望する或る健康状態がある。そしていくつかの場合には、これらの状態を隠すことは、彼女の健康と利益、幸福にとって重大かもしれない。(Gregory, 1772: 26-27)
マックロウによると、当時裕福な女性たちは、妊娠の医学的管理のために男性助産婦を好むようになったという。というのも、産科の訓練を受けた医師たちが鉗子の新技術を独占し、女性助産婦がこの技術に参入するのを拒んだからだそうだ5。そして裕福な女性たちは男性助産婦にとりわけ非嫡出子の死産を所望した。当時の高雅な女性はお産の際にしばしば田舎に引っ越したので、夫は妻の分娩時に傍にはおらず、死産にするのもそれほど難しくはなかった。もし女性がこのような便利な医者を後に解雇しようとして、医者の莫大な収入源を絶とうとしたら、医者は強請り脅かしたかもしれない。また、医者が一人で高雅な女性と寝室にいて、女性に性的アドバンテージを取らせることについて、夫たちは不満を述べたと言われる。グレゴリーは、医者がその権力を利用して女性患者の苦難を無視し、自己利益を追求すべきではなく、そのような行為は共感の求めるものと反対だと考える。マックロウは、グレゴリーの言葉は女性の性的アドバンテージを描いているとも強調する。
第二に、王立診療所では、人間を被験者とする研究は普通に行われていた。グレゴリーにとって、教育病棟における人間を被験者とする研究の主要な道徳問題は、野心的な医者が、患者に通常の治療を施す前にすぐ不治を宣告し、自費払いの患者が決して許可しないような実験を貧しい患者に対して行うことだった。これについてグレゴリーは次のように述べる。
私のケアのもとにある患者を治療する際、私はただ通常の診療をすべきのみであり、類似の事例で良い効果を経験した薬を処方すべきのみである。病院にいる医師は常に患者に実験を試みるべきであるというのが多くの若い紳士たちの共通の意見であると私はよく承知している。これは正義と人間性に反対であると私は考える。それゆえ私は、通常の治療をするつもりであり、貧しい人々の命をもてあそぶつもりはない。つまり私は自分が飲むのをためらう薬をどんな患者にも与えない。私は常に、「人からされたいように人にしなさい」という道徳律を目の前におくつもりである。(Gregory, 1771: 9)
ここでの「もてあそぶ」(sport)という言葉についてマックロウは、それは動物ハンティングや買春に用いられる強い道徳的言葉だと指摘する。動物の苦痛や女性の苦難を無視してもてあそぶように、王立診療所において上流階級の医者が、野心から下層階級の患者を実験によってもてあそぶとき、その医者は、スコットランド高地のパターナリズムと、現代それに代わる正義さえも犯して、共感と、階級が下の者に対する公平な取り扱いとに反して行為するのである。
マックロウはグレゴリーがヒュームの共感理論に親しみ、自らの医療倫理学に展開する経緯を次のように示す。1740年代にエディンバラ大学の医学生であったとき、グレゴリーは、共感原理についての科学的著作に初めて出会った。共感原理は、ロバート・ウィット(Robert Whyte 1714-1766)による神経システムの新科学において主要な役割を果たした。ウィットは、神経生理学や神経学と現在呼ばれるものの創始者である。神経生理学において共感原理は、距離を隔てた作用、つまり互いに接近しない器官での病気の広がりを説明するのに使われた。当時の科学者たちはまた、例えばあくびや高揚と落ち込みの感情のように、一グループの人から人へと広がる伝染性の振る舞いの現象に頻繁に注目した。科学者たちは、この現象を「態度の伝染」と呼び、人間間の距離を隔てた作用として科学的説明が必要と考えたが、うまく説明できなかった。そのとき、ヒュームの『人間本性論』は、ベーコン的観察科学が要求する方法で正に、距離を隔てた感情作用を産む、共感原理という心的生理学のメカニズムを記述していると読まれることができた。
グレゴリーは、1750、60年代にアバディーン哲学協会のメンバーであったとき、ヒュームの『人間本性論』を非常に興味を持って読み、『人間本性論』の諸論題について、「賢者会」という会合のために同僚とともに書いた。そしてグレゴリーや他の何人かは、ヒュームの無宗教を拒否する一方で、人間と道徳の科学、そしてその中心原理である共感を全面的に採用した。協会においてグレゴリーは、共感について次のように書く。(これは後に、『人間の状態および諸能力の動物界のそれらとの比較考察』(Gregory, 1765)として出版される。)
[理知の]次に人類の特徴的な原理と述べたのは、人生の様々な関係と状況とに応じて違った程度の強さで働く共感と愛情とによって、人類を社会に結合し互いに慕わせる原理である。この原理は、我々がいつも味わう最も心からの喜びの源である。それは知性との何ら自然な結合を持つとは見えない。以前は、最も知性的な人々がしばしばその他の人類に比べて非常に劣った程度しかこの原理を持たないとさえ述べられた。だが同時に指摘されたのは、このことは心の自然な感受性が少ないことに由来するのではなく、社会的原理が練習不足から弱まることにまったく負うことであった。(Gregory, 1759: 7)
グレゴリーによると、人間本性は理性と本能という二つの活動原理から構成され、本能は共感という、他人の利益および福祉を自然に顧慮させる社会的原理の形を取る。
この引用に明らかなように、共感は訓練されなければならない。マックロウは、グレゴリーの共感論のこの点に、ブルーストッキングの女性たちの影響を指摘している。ブルーストッキングとは、日本の青鞜がその名を採ったところの、イギリス・フェミニズムの先駆となったサークルの名である。グレゴリーは、1750年代にロンドンに短期滞在し、このサークルの女性たちと知り合い、ブルーストッキングの代表者エリザベス・モンタギュ(Elizabeth Montagu)と生涯の友人となった 6。彼女のサロンには、学識ある男性と学識と徳のある女性とが招かれ、知的な会話をした。そしてグレゴリーは、彼女たちの書き物と生活とから、共感を養い洗練する適切な方法、すなわち共感の適切な徳について教えを受けた。グレゴリーにとってモンタギュが学識と徳のある女性の道徳的手本であり、共感の徳や優しさ、着実さの手本であったことは、モンタギュへのグレゴリーの書簡からわかるという。グレゴリーによると、男性は都市生活と商業において自己利益を第一にして堕落し、それに対して女性は社会的隔離のおかげで共感の徳を養うのに自由である。そして医者や医学生、その他の人々は、女性たちの徳を道徳的手本に、共感や優しさ、着実さを訓練すべきである。
グレゴリーが共感を女性的、すなわち伝統的に女性に結びつけられてきたジェンダー特性に関わると考えたであろうことは、この節の最初の引用中で彼が共感を「生まれながらの人情」と言い換えたことからもわかる。「生まれながらの人情」は、『マクベス』においてマクベスやマクベス夫人が持っていたもので、マクベス夫人が自分を「女でなくして」、冷酷になり、自己中心的な政治的野心からダンカン王を殺害するために自ら捨てたものである。
このようにグレゴリーは共感を女性的なものとし、現代の生命倫理学におけるケア理論にはるか先駆けて女性的な医療倫理学を書いたとマックロウは指摘する。
以上のように、グレゴリーの医療倫理学は、専門職のための臨床的な医療倫理学であり、女性的な医療倫理学であった。そしてヒュームの共感原理に基づいていた。ヒュームによる共感の倫理学は、近代医療形成期にあった同時代に、科学の方法により病院医療の倫理的基礎を提供して、英語で初めての医療倫理学に影響を与えた。医療倫理学史へのグレゴリーとヒュームとの影響は南ヨーロッパ地域をはじめまだ明らかではないようだが、グレゴリーの医療倫理学とその時代をマックロウとともに振り返ることで、我々は、近代医療とその倫理学をヨーロッパにおけるヒポクラテスに遡る医療史と徳を強調する医療倫理学史に位置づけ、また現代のアメリカを中心とする生命倫理学をそのような医療倫理学史に位置づけることにもつなげることができるだろう。
3.グレゴリーを通じてヒュームを読む
さらに、ヒューム哲学がグレゴリーを始めとする同時代の人々によってどのように読まれたかも、ヒューム哲学を解釈するうえでは興味深い。マックロウは、グレゴリーによるヒュームの読み方について二点を指摘している。一つは、ヒュームが論じる共感や優しさの徳は女性的なものと読まれたことであり、ヒューム自身もそのように意識していたであろうことだ。ブルーストッキングはじめフェミニズムとの影響関係や親近性を含めて、ヒュームの倫理学に反映される彼の女性観は、確かに興味深いトピックの一つである。
またもう一つは、共感原理が科学的原理として読まれたことである。グレゴリーは、時代精神を反映して、医療をベーコン的な経験および自然界の出来事の実験と観察とに基づく科学的プロジェクトと考えた。彼は共感や他の知的な事柄にも同様に取り組む。そしてこのようなベーコン的科学にはアプリオリな形而上学の場所はない。グレゴリーとアバディーン哲学協会や他のヒュームの読者は、『人間本性論』の副題、「推理の実験的方法を精神上の主題に導入する試み」を見て、実験的方法とは他の科学者の方法と同じベーコン的科学の方法であると理解して、この本を読んだ。ヒュームもそのように書いたとマックロウは考える。
ベーコンやヒューム、グレゴリーによる実験的方法において、「原理」とは、諸物の活動の源となるもの、言い換えると生理学の構成要素を意味した。実験的方法は、結果が原因に含まれているとか、静的な実体的形相とかを主張するアプリオリな形而上学を退ける。そして、その方法によって発見される活動諸原理について、「実在論の形而上学」(essentialist metaphysics)に頼る、あるいは形而上学的現実主義を取ると、マックロウは述べる。
ベーコンの方法は多数の分野に適用され、ヒュームはその方法を心および道徳に適用して、人間の科学および道徳の科学を書いた。ヒュームは、内観によって心的出来事を観察し、経験的に心的、道徳的生理学の原理を発見する。なおこれが可能であるために、ヒュームらの実在論の形而上学は、我々が皆同じ人間本性の原理から構成(constitution)されるとの主張を含む。
またヒュームにとって内観はデカルト的な認識論的基盤を見出す方法ではなく、ヒュームは認識論的なものも道徳的なものもともに経験的に吟味し、人間本性の原理に由来する生理学と理解する。すなわち、知的判断においては認識論的原理が、道徳的判断においては共感のような道徳的原理が、観念と印象の連合を支配する。なお規範が経験的に説明されることにも注意したい。
このようにヒュームの哲学ないし人間本性の学は科学的であり、哲学を科学と別のものとする現代の我々の哲学理解を考え直すべきだと、マックロウは述べる。ヒュームの哲学がどこまで科学かを検証する余裕はここではないが、その科学的方法は十分意識されねばならず、「実在論の形而上学」と言ってよいのか検討すべき点である。
結語
前節の最後にまとめたとおり、ヒュームは人間の科学として共感の倫理学を提示し、それによって、18世紀に始まる近代医療制度の下で誰もに医療が提供されるべき時代に、医療専門職の倫理の基礎となることができた。現代の生命倫理学は医師−患者関係を対等な契約関係として新たに提示したが、医療者−患者関係は専門家−非専門家の非対等な関係であることもやはり見逃せない。どの苦しむ人に対してもなされる共感は医療専門職の倫理であり続けている。
〈注〉
1 ヒュームは、scienceを諸学の一つ一つの意味で用いており、諸学はモラル・フィロソフィー(moral philosophy 精神学)と自然哲学とに大きく分けられる。前回指摘したとおり、moralは「道徳」という狭義ではなく、「精神」という広義を表す。そして精神の諸学(moral sciences)には論理学や道徳学、政治学、批評などが含まれ、数学的諸学には幾何学や物理学が含まれる。またヒュームは諸学の基礎を、人間学(science of man)ないし人間本性の学(science of human nature)に置き、これを、そして精神の諸学と諸学の体系を、フランシス・ベーコンやニュートンによる近代科学の方法で打ち立てようとする。ヒュームは道徳学(morals)を指してmoral scienceという語そのものは用いていないが、ここでは科学的な道徳学という意味でヒュームの道徳学を「道徳科学」と表現する。
2 特にイギリスにおいて目覚ましかった、18世紀における病院の発達については、川喜多, 1977: 433-435 を参照。また病院は、フーコーの『臨床医学の誕生』が示すように、近代の臨床医学の舞台となってゆく(Foucault, 1963)。
3 ヒュームのテキストへの参照は、その著作の略記号の後に、巻や部、節の段落番号によって示し、さらにその後にSelby-Bigge/Nidditch版のページ数を付す。また引用の際、原文のイタリック体は下線で示し、[ ]は補足を示す。
4 マックロウは、共感の過程を、間接感情についての印象と観念の二重関係の説明と混同して説明しており、正確ではない。ここではヒュームのテキストに沿う。
5 助産婦が行っていた出産の介助に産科医の関与が定着したのは18世紀である。この世紀に産科の状況は鉗子の進歩と普及などにより大きく変わり、産科学と産科医が次第に独立し、医学の専門分化の先駆けとなった(川喜多, 1777: 408-410)。
6 死ぬ前のヒュームにグレゴリーが会ったことも、グレゴリーの娘が父から聞いたこととして、1779年6月25日付けのジェイムズ・ビーティー(James Beattie)からモンタギュ夫人への手紙に書かれているという。
〈文献表〉
Foucault, Michel, 1963, Naissance de la Clinique: une Archeologie du
regard medical,
Gregory, John, 1759, ‘A Discourse on the study of mankind,’
Gregory, John, 1765, A Comparative View of the State and Faculties
of Man with Those of the Animal World,
Gregory, John, 1770, Observations on Duties and Offices of a
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Gregory, John, 1771, ‘Clinical lectures by Dr Gregory 1771 & Dr Cullen 1772,’ Royal College of Surgeons of Edinburgh, C36.
Gregory, John, 1772, Lectures on the Duties and Qualifications of
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McCullough, Laurence B., 1999, “Hume’s Influence on John Gregory and the History of Medical Ethics”, The Journal of Medicine and Philosophy Vol. 24, No. 4, 376-395.
Percival, Thomas, 1803, Medical Ethics, or a Code of Institutes and
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Prented by J. Russell, for J. Johnson, St. Paul’s Church Yard, & R.
Bickerstaff, Strand, London. Reprinted in C. D. Leake (ed.), Persival’s Medical
Ethics,
T: Hume, David, 2000, A
Treatise of Human Nature, David Fate Norton and Mary Norton (ed.),
川喜多愛郎, 1977, 『近代医学の史的基盤』(上、下), 岩波書店.
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