DM認識過程の検討
―自覚症状のないDM教育入院患者を事例として――

福島智子
(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程、医療社会学

 

1.はじめに

 糖尿病(diabetes mellitus、以下DMと表記)は、「インスリン作用の不足に基づく慢性の高血糖状態を主徴とする代謝疾患群」[1] と定義され、その発症には、遺伝因子と環境因子の関与 [2] が指摘されている。DM患者の代謝異常は、初期であればほとんど自覚症状を表さず、その診断は、血糖値などの医学的数値に依拠する「見えにくい疾患」である [3]。このような特徴をもつDMは、適切な治療が行われないまま長期間放置されることによって、最終的には三大合併症(網膜症・腎症・神経障害)を発症すると警告されている [4]

 現在、近代医療によるDMの「完治」は不可能であり、DMの治療は、良好な血糖値の維持による将来的な合併症の予防に主眼を置いている。合併症予防を目的とした血糖コントロールに不可欠なのが、三大療法といわれる食事療法、運動療法、薬物療法である [5]。そして、血糖コントロールの成否は、患者の自己管理に大きく依存しているといわれる [6]。こうした自己管理の方法を教育・指導するのが、DM患者教育の目的であり、日本における患者教育の柱となるのが、患者を一定期間(2週間前後)病院に入院させ、患者に対する精査加療・患者と家族に対する教育指導を実施する教育入院である [7]

 教育入院は、自覚症状のない患者に、DMに関する医学的知識を提供し、今後の自己管理の方法を習得させる機会と位置づけられるが、その際、医療者による一方的な教育・指導ではなく、患者の自律性の育成、エンパワメントが重要であるといわれる [8]。慢性疾患であるDMの治療は、定期的な医療機関での検査・加療が必要とされるものの、患者の日常生活における血糖コントロールがその中心とならざるをえない。医療機関を離れた場面での自己管理をいかに成功させるか、すなわちコンプライアンス [9] の良し悪しは、医療者にとって大きな関心事となっている。DM患者のコンプライアンスに関する社会学的研究では、医療者と患者とがもつ疾病に対する認識の差異について明らかにされている [10]DM患者教育の場面において、現在重視されている患者の自律性の育成には、そうした医療者と患者の認識の相違をまず把握することが重要であると考えられる。

 本稿の目的は、患者の自律性の育成に照準したDM患者教育において、見えにくい疾患を患者自身がどのように認識していくのか、すなわち、患者の主体的な説明がどのように再構築されていくのかに着目し、その過程に与える医学的言説の影響を検討することである。本稿では、様々な入院経緯 [11] をもつ複数の患者を対象とした聞き取り調査の中から、それまで自分がDMであるという認識をもたず、教育入院によって初めて、DMに関する医学的知識を得たひとりの患者(Pt.A)を取り上げる [12]

 血糖値という数値によって診断された [13] DM患者は、自覚症状を伴わない場合、DMであるという診断とその先にある日常生活に関わる三大療法に対して、どのような行動をとるのだろうか。三大療法の中でも特に重視される食事療法は、厳密なカロリー計算に基づく適切な栄養摂取によって血糖をコントロールするものであり、それまでの食習慣を大きく変更することを余儀なくされる。また、薬物療法のひとつであるインスリンの自己注射は、操作を誤れば低血糖[14]を引き起こし、最悪の場合は死に至るとされる点で、患者、さらには周囲の家族にとっても慎重な注意を要するものである。

 本稿では、自覚症状がないDM患者が、DMであるという医学的診断に直面し、幾多の制限を伴う食事療法・インスリン療法を受け入れていく過程を、患者自身の言葉に基づいて考察する。

2.研究方法

 本研究は、国立N病院[15]において2002311日から42日まで行った、DM教育入院患者を対象とした聞き取り調査・参与観察[16]によって得られたデータに基づいている。本調査は、文書による同意が得られた入院患者を対象として、クリティカルパス[17](患者用パス)に従い、可能な範囲で、調査者が患者に同伴する形での観察・聞き取りを行っている[18]

 Pt.Aを対象とした調査者と患者の一対一の聞き取り調査は、上記の期間中において実施され、他の入院患者を含めた教育場面における患者同士、医療者とのやり取りを参与観察したデータも適宜参考にしている。

 なお、調査者の主眼は患者自身の説明にあるため、医療者から患者に関する情報の提供は原則的に受けていない。さらに、教育入院中において、患者に提供されるDMに関する医学的知識・指導を把握するため、入院患者、患者家族を対象とした教育・指導の場面に調査者も同席するという方法を取っている。

3.調査結果―患者のDM認識過程の変遷

 本研究の対象となるPt.A71歳、男性、娘夫婦と孫二人と同居している。Pt.AN病院に20023月上旬に来院するが、初診時 [19]、血糖値は440あり、即入院となった。入院のあと、早い段階からインスリン療法を開始しているが、血糖値が安定せず、試験外泊中には低血糖を数回経験している。病院においても、良好な血糖コントロールが困難であり、通常2週間の教育入院の期間が4週間に延長された。Pt.Aは、他の入院患者と同様、最初の1週間でDMに関する集中的な教育・指導 [20] が行われているが、入院2週目以降も、息子が買ってきたDM関連の書籍や、試験外泊中に患者自身が図書館に赴いて借りてきた書籍を読んで、DMに関する知識を積極的に得ようとする姿勢が窺えた。

 入院から4週目に入り、血糖値が安定しない状況で、Pt.Aは自分がDMであるとの診断に疑問があると述べている。その理由を「自分は体力があるから。()並み以上に。怪物だ。だから健康だ」とし、そのすぐ後で、「でも病気(DM)になっちゃったな。落とし穴だったよ。みんなまさかと思うわな。どうしてこんなに健康だったのに」と述べ、DM診断に対する懐疑と納得との間を揺れ動いていることが分かる。Pt.Aのケースでは、こうした診断に対する「揺れ」が頻繁にみられたが、その原因は以下で詳述する「ライフヒストリーにおける自己像」と「血糖コントロールの失敗」にあると考えられる。DMとの診断後、その診断に対するPt.Aの説明の変化をみていこう。

3.1 DM認識(入院時)

本調査の性質上、「入院前」に患者が抱いていたDMに対する認識は、レトロスペクティブにしか捉えられないという限界をもつが、そうした患者の入院前の認識が、入院を契機としてどのように再構築されていくか、その過程をみていこう。

Pt.Aは、入院前に持っていたDMに対する認識を、次のように語っている。「糖尿病になる人は金持ちで、いいものばか(り)食い過ぎてなる贅沢病」だとし、「自分はそうじゃないし」「普通おれみたいなタイプの人はなるかいや」と腑に落ちない、という表情で何度か繰り返した。さらに将来的な三大合併症の腎疾患について、「入院前はまったく知らなかった。こんな入院してちょっと検査すりゃ治るわと思っていた。インスリン注射なんてまったく考えていなかった」。DMが治癒不可能な疾病であることは、今回の入院で初めて知ったという。この発言は、調査開始(Pt.Aが教育入院を開始した初日)から18日目になされているが、Pt.Aとの初回のインタビュー時、彼は今回の入院のきっかけを次のように説明している。

「以前から具合が悪かった」が、病院に行くタイミングがなく、今回は「孫が春休みのため」[21]来院する。症状といえば、K町で一人暮らしのとき「口が渇き、水が飲みたいというくらい」だった。「でもストーブのせいだと思っていた」。このインタビューは実際の入院から5日目(教育入院開始初日)に行われていることから、患者はすでに医療者からDMとの診断を受け、それについての説明を聞いていると思われる。Pt.Aは自分がDMであることを「疑っていた」と述べているが、その時期、そのときの症状について以下のように述べている。

 教育入院から1週間後、2度目になる「DMを疑ったのはいつ頃からですか」との質問に、「1ヶ月くらい前。もうここに半月(実際は来院から12日経過)いるから、1ヶ月と半月前だな、もう。とにかく水をうんと飲んだ。おしっこも何回も、4回くらい(夜寝てから)起きとった。口が渇いてしょうがなかった。それと体重が減った、63キロから57キロまで急に減ったの。短い期間で。それで(DMだと疑った)」。「口渇」「多飲」「急激な体重減少」は、DMの初期症状として典型的なものとされている。教育入院において最初の一週間で提供されるDMの医学的知識によって、「具合の悪さ」がDMの初期症状として再構築されたとも考えられる。

 教育入院3週目の最終日、入院する前と現在とでDMに対する意識の変化について質問すると、「変わったと思うよ。前は糖尿病に関して何も知らなかった。入院することになって、なんでおれが糖尿病になったかなあ、なんでかなあ。ちょっとは知っていたけど、テレビとかで。職場の同僚の女房が糖尿病になったときも、ああそうかって感じで。あのときもっと聞いておけばよかったけどなあ」と述べ、入院以前は「糖尿病」についてメディアや知人からの情報に触れてはいたが、自分とは関係のないものとして考えており、「糖尿病に関して何も知らなかった」という。

 本調査における最終的な患者自身の言葉には、糖尿病に関する知識が「なかった」との表現がみられるが、本節の冒頭に記したように、Pt.Aは彼独自の知識(DMは贅沢病、DMは治癒可能など)をもっていたと考えられる。しかし、DM診断を受け、DMに関する医学的知識を獲得していく過程で、入院以前の彼独自の知識は、医療専門家による知識によって修正されていく。そして、このように修正される以前の知識は、価値低下させられ、彼の説明の中でレイマン(素人)[22] の知=「無知」という認識へと変化していることが読み取れる。その過程を以下、詳しくみていこう。

3.2 DM認識の変遷(教育時)――ライフヒストリーにおける自己像:否定的・肯定的評価

 Pt.Aは、身内にDM患者がいないことから [23]、自らのDMを「突然変異」と表現し、遺伝要因を排除するため、その原因を環境要因に求めざるをえない。DM診断を受け、医学的知識を得ていく中で、DMの原因を過去の食習慣に求めていく過程が見られた。当初、「贅沢病」だと思っていたために、若い頃から粗食だった自分がなぜDMになったのかを、ライフヒストリーを振り返りながら、その理由を次のように述べている。「(自分のDMは)絶対バランスの悪い食事だと思うよ。運動もしとるし、体重だって、ちょっと多いかもしれんけど。でも食いすぎだな」。

 Pt.Aは病院での教育・指導以外でも、試験外泊中に自ら図書館に赴き、DM食に関する書籍を借りたり、息子が買ってきてくれたDM関連の書籍を読んだりと、知識を積極的に得ようとする姿勢が窺えた。それらを示しながら「やっぱこういうものを見ると、食べちゃいけないものを食べていた。いけないっていうか、毒にはならんが、いや毒だよな、糖尿の人には。油物とか肉とか食べ過ぎていた」ことを認めている。

Pt.Aがその発言の中で同時に挙げている「運動もしとる」という自認には、彼のライフヒストリーが深く関係している。「怪物」と表現するまでに自信のある体力であるが、Pt.A16歳で就職してから40年間、仕事である「山作り」のため、冬季以外は山の中で植林や森林の整備を行ってきた。60歳で退職してからも、役場の観光課に再就職し、同様の仕事を10年間続けてきた。「(山歩いてたから)あれだけ油物食べてもよかったんだ」というPt.Aは、再就職以降、食生活の変化の契機として、妻の死去を挙げている。60歳で定年を迎える1年前、それまで一緒に生活していた妻が亡くなり、一人暮らしを始めている。そのため外食の機会が増え、「弁当とか適当なもの」を買って食事を済ませることが多かった。もともと彼は「油物」「とんかつの脂身」を好んで食していたが、一人暮らしになってからは特にその傾向が強かったという。

 こうした10年前に始まる食習慣の変化を「不摂生」として否定的に評価する一方で、ライフヒストリーにおける肯定的な側面を何度も繰り返している。Pt.Aが「酒はほんの少し、タバコはまったくしない。それでも糖尿になった」と述べるとき、その二つがDM発症にほとんど無関係であることを知りつつ(少なくとも病院での教育・指導においては、DMの原因として直接的には触れられていない)もそう発言するのは、自分は堕落した生活(=不摂生)を送ってきたのではない、という気持ちの表現とも受け取れる。たとえば、10年前から始まった一人暮らしを振り返るとき、「洗濯、掃除、全部一人でやっとった」と述べ、食生活以外では自立した生活であったという肯定的な評価をしている。また、彼の仕事に対する熱意に加え、若い頃からマラソンの選手として活躍していたことが、人並み以上の体力と、自分の健康状態に対する自負の源泉となっていると考えられた。

 医学的原因論に従って「悪い食習慣」を認めざるを得ないとき、Pt.Aがライフヒストリーにおける「良い生活習慣」を同時に指摘することには、単なる医学的原因論から生活全般にわたる道徳的責任論への転換が読みとれる。Pt.Aは、医学的観点からの否定的側面と道徳的観点からの肯定的側面を同じ次元で語ろうとしているように見受けられるが、後者における肯定的評価が、現在の身体感覚(自覚症状がない状態)に対する信頼を強化していると考えられる。次節では、DMの初期症状が改善された状態で、医師によるDM診断が間違っているのではないか、という不信が生じる過程を考察する。

3.3 DM認識(加療時)――コントロールの失敗:医師への不信⇔機器への信頼

初診時440あった血糖値を下げる目的で、Pt.Aはインスリン療法をすぐに開始している。インスリン療法を開始後、血糖値は急激に下がっているが、Pt.Aの場合、下がりすぎる傾向がみられ、医師によるインスリンの量の調整が難航している。

教育入院から1週目の週末、試験外泊で家に帰宅しているが、土曜日、日曜日の両日とも、低血糖を経験している。病院においても、安定した血糖値が得られず、通常2週間の入院期間が3週間、4週間と延長された。

適切なインスリンの量がなかなか確定しない状況で、Pt.Aは医師や薬剤師の診断に対し、疑いをもつようになる。低血糖を経験してから1週間後、医師から入院が45日延びることを知らされ、彼は「(インスリンの)単位を2個下げた。適正にやってくれとるんかな。食べ物が少ないように思う。今までたくさん食べとったし、まあ個人差があるもんで、素人判断で、ごはんもおかずも少ないな。野菜だって、手一杯食べてもいいんじゃない」。と述べ、血糖値の不安定の原因として「食事の少なさ」を指摘している。

病院や家庭での食事療法に関して、「素人判断」によれば、「食事なんかもっと緩くしてもいい」と考え、「家に帰れば畑仕事したり、マレット(ゴルフ)やったり、犬の散歩したり、運動量が増える」ので、医師(栄養士)が指示する食事の量では「やっとられんぞ」「ぶったおれる」と述べている。彼自身の身体感覚に依拠すれば、医師らが指示する食事の制限にはどうしても納得がいかない、という結論が導き出される。そして、医師による血糖コントロールの難航は、そうした彼の「素人判断」を支持するものとして作用する。

入院3週目を迎えても低血糖の傾向が改善しないため、医師、薬剤師、栄養士によって食事の量を増やすことが討議される。Pt.Aはこれまでも医師や栄養士に対し、食事の量が少なく、空腹感に苦しむことを訴えている。インスリンの量と自己注射の回数を漸減しつつ、それまで220gとされていた米の量を増やすかどうかを決めるため、Pt.A1日に必要な総カロリーを測定することになる。その結果は、1600kcalと、彼が期待していた数値より低いものであった。もっと食べたい欲求があるPt.Aであったが、機械によって提示された数字に対し「機械は嘘つかないな。正直だな」と述べている。食事の量はその後、医師と栄養士との協議で決められることになったが、インスリンの量は次回からさらに減らされることになった。

インスリンの量が再度見直されたことに関して、「ひょっとしたらそう(インスリンを打たなくてもよくなる)かもしれない」と言い、「努力して、(インスリンの)針もいらんようになりたい」と、自己注射から経口剤への移行を望んでいる。入院から4週目、外泊時の血糖値が安定しないため、退院の目処がたたない状況で、「もしかしたら粉薬になるかもしれんな。薬剤師の人がそう言った」、「注射より(粉薬の方が)いいなあ」と述べている。

入院当初に訴えていた喉の渇きや多飲、多尿の症状が改善され、体重も横ばいであることを指摘したうえで、「もしかしたらおれは糖尿病じゃないかもしれんな」と述べるようになる。そして「もう一度食事も元に戻してみて、普通の生活に戻して」みたいと語っている。自分がDMではないことの根拠を尋ねると、「誇大妄想みたいだな。でもこんなにぐんぐん下がって、そのうち注射も要らなくなるんじゃないか」という期待を抱いている。

自覚症状がないというPt.Aは、それを「誇大妄想」と表現しながらも、DM診断自体に疑いをもっている。その一方で、医療機器によって出される数値(あるいは機器自体)に対してはそれほどの疑いをもっていないように見受けられた。たとえば、病院の近代化(コンピュータ化など)に関して、「病院の機械もすごいな。こういうもんとか(血糖測定器を指して)」、「市町村の検査でも、こういう血糖の測定器買って、やった方がいい」「早くわかって」などの発言にみられるように、血糖の自己測定器に対して肯定的な評価をしている。

DMに関する医学的知識の習得(患者教育)については、「町村の検査…なってからの教育や指導じゃ遅いんだな。」「糖尿病の知識をもっと持たないかんと思うよ。教室を開いてやる。なってからじゃ遅いな。すでに遅い。」「本当の初期なんかまったく分からんだろうな。だからこういう(測定器)のでもってみんな検査すればいいんだろうな」。「高くないよ。一万円で買えるよ。病気になるのと比較すれば安いもんだと思う。リトマスじゃなくて測定器をみんなやればいい。こういうの買って測りゃ入院せんでもいいしさ。医療費もかからんで。それが予防だ」。と述べ、DMになる以前に医学的知識を持っていたら、DMを予防することができ、それには自分の血糖を測る機器が役立つとしている。

「なってからの教育や指導では遅い」との言葉には、入院以前に彼が抱いていたDMに対する認識のひとつである「DMは治癒可能」が、教育過程で修正されていることがわかる。そして、治癒不可能な疾患との認識が、医学的知識の普及が重要であるという意識へと繋がっていく。Pt.Aの場合、血糖コントロールの失敗によって退院ができない状態が続いていることから、もし「これほど(血糖値が)高くなる前だったら」早く退院できたのではないか、との思いが強くなり、早期発見・早期治療に対する評価、そしてそれを可能する(と彼自身が考える)医療機器に対する評価が高くなっていると考えられる。

しかし、先述したように、医療機器や医学的知識の普及に対する積極的な評価と同時に、自身のDM診断自体に対してはある種の疑念が存在している。血糖コントロールの失敗によって強化される、医師らの指示(インスリンの量や回数・食事制限)に対する疑念を打ち消すものとして、自らの身体的状態を「正直」に映し出す機械に対する信頼を読みとることができる。Pt.Aの場合、食事制限を緩和してほしいとの願いから、特に栄養摂取量を測る機器によって出された総カロリー量に落胆すると同時に、「(自分は)うんと動く人だでもっと食べていいと思った」が「機械は正直だで1600kcalだった」から「治すように努力する」と納得している。

次章では、こうしたPt.ADM認識の変遷を踏まえ、厳しい食事制限やインスリン自己注射を受け入れていく過程に与える医学的言説の影響を考察する。

4.考察――DM認識過程における医学的言説の影響

Pt.Aの教育入院のきっかけは、入院の1ヶ月前から気づき始めた「身体的変化」に加え、「時間的余裕」ができたことであった。ただし、身体的変化が急変ではないことから判断すれば、少なくとも今回の入院に至った直接の原因は、「時間的余裕」ができたことと考えられる。教育入院を経て、患者の「身体的変化」がDMに起因する症状であったことが、患者自身によって再構成されたと思われる入院の説明においてもみられるが、入院の時点でもそれ以降も、自分がDMであるとの確固たる認識はみられない。

教育入院以前には、DMに関する医学的知識を持たなかったPt.Aにとって、「医学的」知識の獲得は肯定的な意味をもつが、それをそのまま受け入れることはしていない。DMであるという診断自体を受け入れることを妨げるのは、自覚症状がないという現在の身体感覚に依拠した「自分は健康である」という認識であり、ライフヒストリーにおける過去の「人並み以上に健康で、体力に自信があり、酒もタバコもしなかった」という自己認識である。過去において「人並み以上に」健康であった自己像と、入院以降、初期症状が改善されたことから、DM診断と現在の身体感覚の間にはズレが生じている。

通常、患者となる過程には、医師の診断以前に身体的あるいは精神的な苦痛の経験が先行するが、DMの場合の多くは、医師による診断があって初めて、苦痛の経験が始まるという特徴をもつ。Pt.Aが、自分がDMであることをもっとも意識する(せざるをえない)のは、厳しい食事制限と煩雑なインスリン自己注射時である。血糖値が安定せず、治療法が確定しない状況で、Pt.Aは医療者の説明・診断は「間違っているかもしれない」との疑念を抱き、食事制限やインスリン注射から解放されたいという気持ちを吐露する一方で、「なってしまったから仕方ない」という診断に対するあきらめが並存している。

Pt.Aは二つの相反する認識を維持しつつ、生活の制限を伴う食事療法・インスリン療法を受け入れていくが、そうした変化に影響を与えるのは、科学的数値を示す医療機器に対する信頼であると考えられる。数値に還元されたDM診断には、ある程度納得するというPt.Aは、機械による診断に対して抗しがたい正当性を見出している。

見えにくい疾患を認識していく過程において、科学的数値を示す医療機器は大きな影響力をもつ。自覚症状のないPt.Aにとって、血糖測定器や総カロリー測定器によって示される数値は、医療者や書籍が彼に与える医学的説明以上に説得力があり、自らの身体的状態を映し出す「正直な」機械であるとの認識がある。その際、機械が示す数値は、医学的知識のなかでも、とくに彼が納得できる了解可能な領域にあると考えられる。

Pt.Aは、医学的知識に反する自らの身体感覚との間を揺れ動きながら、過去の生活習慣を振り返り、否定的意味づけと肯定的意味づけの二つの方向性をもって現在の自己を再構築していく過程がみられた。その過程において、患者は自らのライフヒストリーのなかに、医学的言説を部分的に取り入れながら、時にそれとは矛盾する視点を維持しつつ、ダイナミックな再構築を行っていることが明らかとなった。

教育入院を通じて、DMに関する医学的知識を獲得し、自己管理の方法を習得していくPt.Aであるが、その際、医療者側が目標とする「自律性の育成」は、血糖測定器による血糖値の自己モニタリングによって強化されると考えられる。ライフヒストリーを振り返り、DM発症前にこうした自己モニタリングを徹底させることによって、DMは予防できる、と述べるPt.Aの言葉には、発症前にその方法を持たなかったことに対する無念さが見受けられる。Pt.Aにとって医学的知識はその点において「力」であると捉えられる。しかし、その「知識=力」のどの部分を自らの新しいライフヒストリーの中に取り入れ、どの部分を廃棄するかは、当然のことながら、各患者によって異なると考えられる。Pt.Aのケース分析によって明らかとなった「科学的数値」に対する信頼を考察するとき、数値に依存する傾向が極めて強いDM診断の現状を考慮したより包括的な視点からの分析は、今後の課題としたい。

〈註〉

[1]  葛谷健他[1999387]

[2]  1999年、糖尿病の分類は従来の「インスリン依存型糖尿病(IDDM)」、「インスリン非依存型糖尿病(NIDDM)」から、前者を「1型糖尿病」、後者を「2型糖尿病」との名称に変更された(田上幹樹[2000106])。日本人のほとんどは2型糖尿病で、多くは中年以降に発症するが、若年で発症する例もある。2型糖尿病の発症における遺伝素因は、1型のそれより遺伝性が強く、一卵性双生児における発症の一致率は約80%と極めて高い。遺伝素因をもつ人が実際に発症するかどうかは、その後の環境要因(食生活などのライフスタイル)によって変化するといわれる(田上[199731-41])。

[3]  自覚症状が伴わない初期のDM診断の場合、その範囲は医学的に定義された暫定的数値によって大きく変動することになる。現在日本におけるDM診断は、米国糖尿病学会によって1997年に発表された診断基準にほぼ準じ、従来の診断基準のボーダーラインを下げたことにより、国民の約1割以上が糖尿病であるとされている(浮ヶ谷幸代[2000133]。こうした診断基準の孕む問題についてはカンギレム[1966=滝沢武久訳:1987]を参照のこと。

[4]  「代謝異常が長く続けば糖尿病特有の合併症が出現する。網膜、腎、神経を代表とする多くの臓器に機能・形態の異常を来す」(葛谷他[前掲論文:387])。

[5]  ただし、血糖コントロールの成否と将来的な合併症の予防に相関関係があるかどうかは不明である(近藤誠[200273-74])。

[6]  自己管理の成否が必ずしも血糖値のコントロールと直結しないことに関して、医療従事者と比べてDM患者自身はより懐疑的であるとの研究がある(Peyrot, Mark[1987:122])。

[7]  瀬戸隆志他[1999863]

[8]  DM専門医である石井は、「糖尿病患者教育においては、知識や技術を一方的に教え込むのではなく、患者が日常生活で遭遇する多彩な場面で、適切な選択ができ、困難な問題を解決していけるような能力と自律性を育てていくこと(エンパワーメント)が奨励されている」(石井均[200016])と述べ、患者の適切な自己管理には、患者自身の考え方に加えて、医療者や家族の援助、職場や学校といった患者を取り巻く環境のあり方が大きく影響することを指摘している(石井[前傾論文:13])。

[9]  医師が指示する療養の仕方(投薬・食事・治療など)に患者が従う(コンプライアンス)か、従わないか(ノン・コンプライアンス)という問題。P・コンラッドは、「このテーマが医師を中心とした視点から論じられる場合、患者のノン・コンプライアンスは逸脱、あるいは改善されるべき問題と見なされる傾向が強く、患者は受動的なものとして捉えられていたが、患者を中心とした視点からの研究では、従来のコンプライアンス、ノン・コンプライアンスとは異なる枠組み、すなわち、患者の主体的な自己管理の方法の問題として、より能動的な患者の側面を浮かび上がらせることができる」と述べている(Conrad, Peter[1987:13])

[10]  たとえばその差異を「医学的知識(あるいは専門家の知識)」と「個人的知識」として分類している研究にPeyrot, Mark[1987]がある。

[11]  教育入院に至るルートは多岐にわたるが、自覚症状がなく、合併症を発症していない場合、集団検診などによって血糖値の異常が発見され、そのDM診断に基づいて治療が開始されるという経緯をもつ。教育入院は、比較的軽症(初期)のDM患者を対象とすることが多いが、血糖コントロールの指導を行っても、時間の経過にしたがって日常生活でのコントロールが疎かになる患者を再び入院させ、再教育するというルートもある。本稿で考察対象となった患者は、家族の勧めによって来院し、そこで初めてDM診断を受けている。

[12]  DMの診断と教育入院の時期が一致したPt.Aのケースでは、患者にとって医学的診断は突然のものであり、血糖値に依拠した医学的診断と患者自身が入院以前に持っていたDMに対する認識との比較を行うに際しては、その差が比較的明瞭に表れるとの仮定に基づいている。さらに教育入院以降、DMに対する患者の認識の変化に与える医学的言説の影響を検討するにあたって格好の例と考えられる。

[13]  1999年に改定された診断基準では、空腹時血糖126r/dl以上を糖尿病としている(阿部裕[199914-15])。また、血糖コントロールの指標に用いられるHbA1c(糖化ヘモグロビン:健常人の値は4.3%〜5.6%)とは、赤血球のヘモグロビン蛋白に糖が結合してできた化合物(アマドリ化合物)の主成分で、その数値は過去約一ヶ月間の血糖レベルを反映するとされている。HbA1c6%で平均血糖値120r/dl7%で150r/dl程度と考えられている(田上[199761184])。

[14]  低血糖とは血糖値がほぼ50mg/dl以下の状態で、手足の震え、冷汗、吐気などの症状があらわれるが、低血糖の程度が強い場合、意識障害を引き起こし、処置が遅れると死に至ることもある。

[15]  国立N病院は、1986年に国が打ち出した国立病院・診療所の統廃合により再編され、1997年に誕生した。当時、国立N病院周辺地域は高齢化が全国平均より進行し、慢性疾患の増加、高度医療に対する医療体制の不備が指摘されており、それらを克服するために統廃合が実現されている。入院420床、外来には500人に対応可能であり、主な診療機能は、高度ながん治療、心疾患を対象とした救急医療、膠原病等の難病を対象とした専門医療などとなっている。国立N病院は23の診療科を備え、職員は医師45名、看護職204名他、計350名で構成されている。今回、調査の対象となったDM教育入院患者は、年間40例から50例あり、教育入院が行われる病棟の全病床数は50、医師3名、看護職18名である。

[16]  本研究は財団法人トヨタ財団による研究助成金によって実施された。

[17]  クリティカルパスとは疾病毎に標準化された治療計画書である。医療者用と患者用があるが、今回は患者の経験に沿った質的調査のため、患者同様、患者パスを参照しながら、患者のスケジュールを把握し、それに基づいて参与観察、聞き取り調査を行った。本研究にご協力いただいた患者・医療者の皆様にこの場を借りて心より御礼申し上げたい。

[18]  本研究における聞き取り調査、参与観察とも、会話をテープに録音することはせず、調査者の書き取りによってフィールドノーツを作成している。本稿における引用はすべてフィールドノーツからのものとする。

[19]  Pt.Aの主治医は、今回の入院について「とにかく血糖値を下げるため、インスリンを打った」「自己注射になると思うから、教育入院に移行する」と語っている。Pt.Aは以前から「具合が悪かった」ため、同居する娘からも来院を勧められており、「時間的余裕ができた」ため、3月上旬に初めてN病院を訪れた。

[20]  N病院における教育入院のスケジュールは資料1を参照のこと。

[21]  Pt.A2001年にK町から120キロ離れた娘夫妻の住むU市へ転居し、同居を始めている。同居の理由として、孫の高校進学を挙げており、車での送り迎えの必要から、生まれ育ったK町を離れたと語っている。孫の両親は共働きのため、Pt.Aは休日以外は毎日孫の送迎を担当している。ここで孫の春休みが来院の理由であることが説明されている。

[22] レイマンの知とは、専門家以外の知の体系をさす。註10の研究による分類に従えば、「個人的な知」の体系とほぼ同義である。

[23]  両親はすでに他界しているため遺伝要因は不明である。兄弟にDMが今のところないことから、遺伝要因は彼によって否定されている。

〈参考文献〉

阿部裕監修 1999『糖尿病と合併症』、ヴァンメディカル

石井均 2002「糖尿病の心理行動学的諸問題」『糖尿病』43113-19

浮ヶ谷幸代 2000「医療的言説に抗する身体」『現代思想』2810132-152

葛谷健他 1999「糖尿病の分類と診断基準に関する委員会報告」『糖尿病』425385-401

カンギレム、ジョルジュ 1966(=滝沢武久訳 1987)『正常と病理』法政大学出版局

近藤誠 2000『成人病の真実』文藝春秋

瀬戸隆志他 1999「デジタルカメラを用いた栄養指導の工夫―将来の応用に向けての予備的研究―」『糖尿病』4210863-866

田上幹樹 1997『糖尿病の話』筑摩書房

 2000『生活習慣病』筑摩書房

Conrad, Peter, 1987, “The experience of illness: Recent and new directions”, Roth, J. A. & Conrad, P. Research in the Sociology of Health Care, JAI Press Inc.:1-31.

Peyrot, M. et.al. 1987, “Living with diabetes: The role of personal and professional knowledge in symptom and regimen management”, Roth, J. A. & Conrad, P. Research in the Sociology of Health Care, JAI Press Inc.: 107-146.

 

〈資料1〉
N病院におけるDM教育入院スケジュール

 

検査など

教育内容

血液・尿検査

血液検査(毎食前3回-毎日)

入院時オリエンテーション(体重測定・蓄尿方法など)

パンフレット・教育入院日程説明

はかり、万歩計貸し出し

糖尿病手帳の使用方法(インスリン注射される方のみ)の説明

糖尿病カード受け取り

「糖尿病知識チェック」をうける

一日血糖検査

総回診(医師より病状・治療方針の説明)

入院治療計画書を受け取る

ビデオ学習「糖尿病とは」「糖尿病の合併症」「糖尿病患者のための日常生活の心得」ビデオ学習後、看護師と話し合い

蓄尿中より検査 眼科診察

食事指導(栄養士)

薬剤指導(薬剤師)

ビデオ学習「糖尿病の食事療法」「糖尿病の運動療法」「糖尿病の薬物療法」(内服の患者さんのみ)「ノボペンVを正しく使うためには」(インスリン注射の患者さんのみ)「低血糖とは」 ビデオ学習後、看護師と話し合い

血液検査

14時〜糖尿病教室参加

ビデオ学習「よりよい血糖コントロールをめざして(導入編)」「よりよい血糖コントロールをめざして(実際編)」 ビデオ学習後、看護師と話し合い

 

「試験外泊知識テスト」をうける 試験外泊についてパンフレットにて説明します 外泊届けの記入 インスリン注射の患者さんのみビデオ学習「メディセーフご使用のポイント」

試験外泊へ

土曜日から月曜午後まで試験外泊

試験外泊より帰院

外泊より帰院後、「外泊されます   様へ」を看護師へ提出

もう一度みたいビデオや聞きたいことなどありましたら、看護師までお知らせください

薬剤指導(薬剤師)

食事指導(栄養士)

 

一日血糖検査

 

血液・尿検査

蓄尿中より検査

14時〜糖尿病教室参加

 

16時〜医師・薬剤師・栄養士・看護師と分からなかったことなど話し合い

 

退院

 



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