医療における意思決定
――終末期における患者・家族・代理人――

稲葉一人
科学技術文明研究所特別研究員京都大学大学院医学研究科博士後期課程元大阪地方裁判所判事
民事訴訟法・医療倫理学

 

はじめに

本稿は、次のような終末期における問いを念頭に置いている。

[問い]
1 「事前に本人から口頭ないし書面で一定の状態になれば延命治療をしないで欲しいとの意思が表明されている場合、これにしたがって治療方針を決定すればいい」と、倫理的・法的に言えるのか。
1−2 延命を求めない本人の事前の意思に反して、家族が延命治療を求めた場合はどうか。家族の内で、意見が一致しなかった場合はどうか。
2 「事前に本人の意思確認ができなかった場合、家族らが延命治療を拒否したら、それを本人の意思の代わりとして、これにしたがって治療方針を決定すればいい」と、倫理的・法的に言えるのか。
2−2 家族の内で意見が一致しなかった場合はどうか。
3 未成年者の親権者ないし未成年者後見人の場合はどうか。
4 成年後見人・任意後見人には、どのような権限があるのか。 

T 日本の現在の状況

 高齢者医療の中で問題となっているのは、(終)末期において、認知能力がない高齢者に、食事介助により嚥下困難となり、経管栄養を行い、延命措置をするのか、いつするのかしないのか、した場合にでもそれをいつまで行うのか、誰がそれを決めるかという問題である。わが国では、年間約100万人の人たちが亡くなり、うち、病院・診療所で約78%、老人ホーム・老人保健施設で約8%、自宅では約13.5%が亡くなっている。高齢者になるほど、病院・施設で亡くなる方が増えている。高齢者の入所施設は、一般病床、療養型病床、介護療養型医療施設、介護老人福祉施設に分かれる。また、緩和ケア病棟がある。

終末期の定義については議論がある(平成9年に行われた旧厚生省の意識調査における用語集では、「末期状態の期間末期状態の期間とは6ヶ月程度、あるいはそれより短い期間」とし、末期状態についての積極的定義は行われていない)が、これらいずれの施設でも、また、在宅でも、終末期医療が課題となっている。それには、疼痛を伴った末期状態(主としてがんを想定できる)、持続的植物状態(主として、脳卒中、頭部外傷や交通事故等を想定できる)とともに、非悪性疾患による終末期の状態の問題である。現在高齢者医療の中で、潜在的に問題とされるのは、この最後の、また、冒頭掲げた、高齢者の方が次第に認知等のレベルが低下して終末期を迎えるにあたっての問題である。

 本稿は、終末期全般の問題に目配せしながら、このような今日的な問題について、患者・家族・代諾者・医療従事者間の、医療上の「決定」の問題を検討するものである。なお、医療上の決定は、医療者と患者らとの関わりにおいて行われるものであるが、本稿では、問題を絞るため、医療者の決定に対する関わりは対象としない。

 そして、そこで提起される問題は、単に「終末期の医療」にとどまらず、臓器移植・生体移植・人試料の利用をした(疫学)研究や、ヒトゲノム・遺伝子解析におけるインフォームド・コンセント(以下ICと略)と代諾の問題と、今医療やヒトを対象として研究を巡る問題の多くと連動していることを見失ってはならない。

U 日本の法の全般と解釈

1 自己決定の原則

 自己決定とは、他人を害さない限りで、自己の私的な事柄について自由に決定する権利、自己の判断に基づき好きなことをなしうる権利 、個人個人が自ら「善い」と信じる生き方を追求する自由 といわれる。この自己決定の尊重は、憲法13条に由来する。 自己決定権は、各人が自己の意思と責任において生きる前提としての、自由権としての側面(フランス人権宣言4条)のほか、それを制度的に支える社会保障を求める社会権としての側面、自分たちの世界を自分たちの意思で運営する参政権・参加権という側面、そのための情報の公開等を求めるという知る権利をも包含する、複合的な権利である。

 したがって、自己決定が問題となる場面やその発現のあり方は様々であり、現在社会の様々なレベルで議論がされている。その中でも議論が激しいのが、医療上の自己決定である。本稿で扱う、不必要・不自然な延命治療の拒否(尊厳死)、安楽死、(宗教上の理由による)輸血拒否、ICなどは、いずれも医療上の自己決定の問題である。このような問題意識は、伝統的なパターナリズム・近代医学の人間性軽視の克服、医療のあり方の変化、患者の意識の向上等、様々な要因が関連している。そして、この問題に関連して、医師・患者モデルの新しい提唱や ICについての新しいあり方が模索されている。

 ところで、自己決定権の及ぶ範囲は広範囲に及ぶ。わが国では、この点財産管理についてのみ議論や立法が先行し、医療上の事柄については、精神疾患患者に対する意思の代行(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)に関するだけである。冒頭に掲げた問題については、裁判上で争われた事案も少ないこともあり、法律家はあえて火中の栗をひらうことを避けていたといえる。

2 患者が同意能力者である場合

 患者本人に十分な意思能力がある限り、その行為能力の有無にかかわらず、患者本人が同意を与えることができると考えられている。

民法は、有効な法律行為(典型的には契約)をするには、その行為につき、通常人並みの理解及び選択能力を必要とすることを前提としている(明文の規定はない)。これを意思能力という。したがって、意思能力を欠く人の意思表示は無効である。

意思能力は、6〜7歳程度で備わるとされるが、行為(取引)内容により、意思能力があるかどうかは、相対的に判断される。しかし、医療における侵襲の場面は多岐にわたり、軽微な侵襲から、患者の死を帰結する可能性のある重大な侵襲行為までわたり、おのずから、後者にはより高度な意思能力が必要とされる。また、意思能力は、あるかないかという二者択一的ではなく、段階的・漸次的に低減・喪失されていく。

したがって、ここでの意思能力の判断は、生物学的要素(主として病状)からストレートに判断を下せるものではなく、心理学的要素を加えるべきものと考えられている。

 ところで、医療における自己決定はICという形で実現されている。ICの歴史的経緯や、その分類等は別稿に譲る 10 として、同意は、侵襲行為の違法性阻却事由となる。この場合の同意は、概括(包括)的同意と、個別的同意を区別しておくことが適切であろう(表1)。これは、それぞれ、医療契約締結に含まれる侵襲の同意と、その後の個別的な医的侵襲行為への同意とパラレルに考えられる。11 この区別は後の、代理(代諾)の可否を検討する場合に重要なメルクマールとなる。

表1「患者の同意と医的侵襲」

 

種別

 

侵襲の違法性阻却の範囲

包括(概括)的同意

医療契約の締結に対する同意(承諾)で代替することができる

まず病的症状の医学的解明を求め、これに対する治療方法があるなら治療行為も求める

@    病的症状の医学的解明に必要な最小限の医的侵襲行為(触診その他の身体的侵襲の軽微な検査行為(レントゲン検査、血液検査)等)

A    当該医療契約から当然予測される危険性の少ない軽微な身体的侵襲(熱さましの注射、副作用の少ない一般的な投薬、骨折の治療、傷の縫合行為)

ただし、この場合でも、患者から明確な意思の表示があった場合は個別的同意を要する。

個別的同意

当該具体的な医的侵襲行為ごとの同意

投薬、注射、麻酔、輸血、手術等

緊急事態における生命尊重原則

承諾を得られない場合

全ての緊急事態を回避するための医的侵襲行為


3 本人の生前の意志を尊重する制度――遺言

 法律制度としての遺言は、遺言者が生前になした相手方のない単独の意思表示について、遺言者の死後に効力を認め、その実現を確保するための制度である。12

 この遺言は、遺言者の死亡によって効力を発生する(民985条1項)。遺言者が生きている限りはどのような効力も生じない。13

  遺言は要式性を有する(民960条)。旧法では、遺言では、相続に関する処分のほか、認知(旧民法829条2項)、後見人の指定(同901条)も可能であった。しかし、新法では「家」的な制度を廃止したため、遺言は相続に関連する問題を処理する方式として相当程度純化されている。14

 遺言は方式に従うほか、遺言でなし得ることが規定されている(財産処分(96441U)、認知(781U)、相続人の廃除(892893)と取消(894)、未成年後見人または未成年後見監督人の指定(839848)、相続分の指定または指定の委託(902)、遺産分割方法の指定または指定の委託(908)、遺産分割の禁止(908)、相続人相互の担保責任の指定(914)、遺言執行者の指定または指定の委託(1006)、遺贈減殺方法の指定(1034但書))。

 すなわち、遺言という民法上の制度は、「生前」に効力を有する、「自己の医療上の意思決定」に対して、これを利用することはできない制度であることがわかる。

4 患者の意思能力の判定

 現実の医療の現場では、患者の意思能力を判定することは極めて難しい。特に、侵襲行為の重篤度等に応じて、必要とされる意思能力が相対的なものであり、二者択一的なものではなく、判断は、単に生物学的ではなく、心理的側面も考慮すべきとすると、現実の臨床で判断するには多くの戸惑いが生ずるであろう。

 従前のわが国の裁判例では、人の法律的能力(意思能力、行為能力など)について、医学的診断に基づいて、画一的なかたちで、人の能力全般に対して概括的な評価を下してしまうという態度が支配的であったと評価されている。15 そこで、成年後見が導入されるにあたり、最高裁判所事務総局家庭局は「新しい成年後見制度のおける鑑定書作成の手引」を作成している。しかし、これはあくまで、成年後見制度における保護の認定の場面で、(ある程度時間をかけて行う)裁判官(審判官)の判断の補助に用いられる鑑定書の作成の手引きであって、ここで問題となっている、臨床の現場での、今ここでの医療上の意思能力の判断には、示唆する点はあっても、これだけでは現場の戸惑いを解消するには程遠い。すなわち、臨床では、臨床的指標と法的基準とが常に一致するとは限らないし、時間的な緊急性等から第三者判断者が想定できない場面では、医療者が(与えられた時間内で)暫定的にでも決めざるを得ないし、判断能力判定の閾値が、患者の判断内容で変化する(一致すると閾値は下がり、不一致すると閾値が上がり、患者の判断能力に疑問を持つ)というバイアスが考えられる。

5 患者が同意無能力(意思無能力)である場合

 患者が同意無能力者である場合は、医療侵襲行為は、当人以外の第三者が最終決定を下すしかない。

 これは、3つの問いに分解される。@家族に、代行権限を認めることができるのか、A成年後見人等は医的侵襲行為に対する代行権限を有しているか、B親権者及び未成年後見人は未成年者に対する医的侵襲行為に対する代行権限を有しているのか。

(1) 家族の権限

 これまでの医療の現場では、医師が自ら判断して行ってきた。しかし、現在では、説明しないまま医療を進めるわけにはいかないし、事後に問題視されることを避けるために、説明をすることになろう。臨床現場では、患者に意思能力がある場合ですら、医師は患者本人よりも家族に方に先に診断名などの情報を提供し、治療方針も家族の意思によって決定されることが多々ある。16 そして、患者本人が既に意思(認識)能力を失っている場合には、家族に説明をすることになる。そこで、現場では、患者に代わって家族が、医療契約の締結のみならず、医療を受けることを代諾し、具体的な医療行為の意思決定の代行を行っている。

しかし、家族(その範囲は問題であるが)には、患者と並行して、また、同意能力のない患者に代わって意思決定をする権限があるのか、あるのならそれはどのような理由で、また、どの範囲(どのような要件を備えた)の家族にどのような権限が与えられるのか、家族に権限がないのなら、臨床での現状を法的にどのように評価すべきなのか。このようなこれまで当然検討を加えられなければならない問題について、法律家のこれまでの議論は稚拙であった。このような問題は、既にルール作りがされていなければおかしいはずである。

家族が意思決定をする理由はいくつかを挙げることができる。まず、家族は、本人の意思をもっともよく知っている立場にあるからだとするものである。あるいは、医療者側からは、家族の了解・同意は、その後のトラブルを避けるための実践的な方法である、また、家族が医療費の実質的な負担者であるという点が挙げられる。17 しかし、これらは、実質的な理由であり、法的な説明、つまり、なぜ、家族は本人の意思の代諾権を有しているかという問題に答えていない。推定相続人であるような家族は、本人の生命に関するような判断では、本人と利益が相反することもあり、常に本人の意思についての最善の理解者とはいえない。家族というくくりだけで権限を導き出すことは難しい。

参考になる判決を掲げる。

意思能力ある成人たる本人と親族との関係で、侵襲を伴う医療行為の選択に意見の齟齬があった場合である。これは、宗教上の輸血拒否者の両親からの輸血委任仮処分申請事件である。18

(2) 成年後見人・任意後見人による代理決定の法的可能性

2000年に新成年後見制度が、介護保険制度と同時に導入された。高齢化社会を迎え、意思決定能力の低下・喪失の可能性のある高齢者に対して、法定成年後見と任意成年後見という二つの制度を用意した。

a)    法定後見

法定後見の制度は、申立権者が、家庭裁判所に後見・保佐・補助のいずれかの審判の請求をすることから始まる。補助については、鑑定は必要的ではない(家事審判規則30条の9)。

表2「法定後見制度」

精神障害の程度

旧民法

新民法

 

軽度

「精神上の障害に因り事理を弁識する能力が不十分なる者」

なし

補助(1417条)

補助人

原則として本人の行為能力に制限はないが、裁判所は、特定の法律行為について補助人の同意を要するとする審判をなすことができる(民16条1項)。この場合も、本人からの請求に基づかない場合は、本人の同意がないと審判をなしえない(同条2項)。

中度

「精神上の障害に因り事理を弁識する能力が著しく不十分なる者」

準禁治産

保佐(1113条)

保佐人

原則として本人が行為することを認め、重要な行為に限って保佐人の同意を得て行う(民12条)。

重度

「精神上の障害に因り事理を弁識する能力を欠く常況に在る者」

禁治産

後見(7〜10条)

後見人

後見人には、財産管理について包括的な代理権が与えられる(民859条)。本人の法律行為は、日常生活に関する行為を除いて、取り消し得る(民9条)。

  

裁判所が選任した成年後見人は、家庭裁判所が監督する法定代理人なので、その権限は、法律で定められている。民法は、@包括的な財産管理権、A財産に関する法律行為の代理権、B本人が行った法律行為の取消権、C本人が行った財産に関する法律行為の追認権を認め、これ以外の権限は認めていない。また、成年後見人は、「被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うに当たっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。」(民法858条)とされ、これが、「身上配慮義務」と言われ、後見のほか、保佐や補助にも、同様の規定がある。

 「財産管理権」は、「財産の保存・維持及び財産の性質を変じない利用・改良を目的とする行為」で、財産管理に関する包括的な権限で、法律行為だけではなく、事実行為も含まれる。例えば、印鑑とか預金通帳の保管、年金等の入金及び出金の管理、所有不動産の賃貸又は売却等がある。「財産に関する法律行為」の代理権、取消権及び追認権は、あくまで、財産に関する法律行為に関するものに限られる。

また、身上配慮義務ないし身上監護は、例えば、「医療」「介護」は、それに関する契約の締結、契約の履行の監視、費用の支払い、不服申立、契約解除等の事務を行うものに限られる。また、「介護行為」等の事実行為については、成年後見人の権限に含まれない(法務省民事局参事官室「成年後見制度の改正に関する要綱案補足説明」1998年)。

 したがって、成年後見人等には、財産行為としての診療契約の締結代理権は認められるが、身上監護行為としての医療行為に関する決定権ないし同意権は含まれないことになる。

しかし、これを貫くと、成年後見人を選任した意義が医療行為の場面では大きく減殺されてしまう。この点解釈論として、成年後見人に、医療契約の内容となる身体処分についても、一定範囲の処分権限(代行決定権)を認めるべきとする学説 19 があるが、少数説である。 

b)    任意後見

任意後見制度は、将来の自分の判断能力が不十分になったときのことを考えて、本人の意思で他人に後見を依頼する制度で、後見人との間で任意後見契約(委任契約)を締結する(任意後見契約に関する法律)。この契約は、本人の判断能力が不十分な状態となり、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時点で効力を生ずる。後見人がどのような行為について代理権を有するかは、任意後見契約により定められる。

法は、任意後見契約を、「委任者が、受任者に対し、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況における自己の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の全部又は一部を委託し、その委託に係る事務について代理権を付与する委任契約であって、第四条第一項の規定により任意後見監督人が選任された時からその効力を生ずる旨の定めのあるものをいう」(同法2条1号)とする。

任意後見人ができる委任事務は、公正証書による契約で定められ、原則として、契約等の「法律行為」に限られ、「事実行為」としての介護サービス等は含まれない。具体的な介護サービスが必要なときは、任意後見人が本人の代理人として、介護サービス業者等と介護契約を締結し、その介護業者が介護を行うことになる。施設等への入所が必要なときは、後見人が本人を代理して、入所契約を締結する。

任意後見人の事務も、大きく分けて「財産管理に関する事務」と「身上監護に関する事務」に分けられる。「財産管理に関する事務」とは、預貯金の管理、不動産の管理及び相続における遺産分割協議等で、「身上監護に関する事務」とは、本人の生活や療養監護に関する事務で、生活に必要な物品の購入契約や介護や住居や医療に関する契約等の事務がこれに該当する。しかし、ここでも、身上監護行為としての医療行為に関する決定権ないし同意権は含まれないと解されている。もっとも、任意後見人の権限の範囲は、法定代理人たる成年後見人とは異なり、契約に依存するので、権限の委譲が公序良俗等に反しない場合は、成年後見人より広い授権が認められる余地がある。

(3)   未成年者の親権者ないし未成年後見人

 医療者は、侵襲を伴う医療行為をなすにあたって、原則として患者の承諾を得なければならない。この承諾は、患者自身の自己決定であり、医療行為の違法性を阻却する。しかし、このような原則は、幼児や精神病患者、意識不明の患者にように、患者が承諾できない状態にある場合には、問題が生じる。

 未成年者であっても、承諾(判断)能力があれば、未成年者自身が承諾を与えることができることでは異論はないが、承諾能力の内容や、その具体的年齢については、統一した基準はない。根拠を明示せず15歳ないし18 21、原付自転車の免許取得、女子の婚姻年齢、義務教育の最終年限から、1516歳という見解 22 もある。

他方、承諾能力を欠いている場合には、親権者や法定代理人の承諾の代行、代諾が必要とされる。未成年者に対して親権を行う者がいない場合等に後見が開始する(838条1号)。後見が開始すると、後見人の選任を申し立てることができる。最後に親権を行う者が遺言により後見人を指定(839条)しなかった場合は、親族等の請求により、家庭裁判所が後見人を選任する(841条)。後見人は、監護教育をする権利義務を有し、居所指定権・懲戒権・職業許可権を持つ(857条)。

代諾の根拠については親権の内容である 23 と一般的に考えられている。そして、親権を行う者は、「自己のためにすると同一の注意を以って、その管理権を行わなければければならない」(827条)。

しかし、@承諾能力のない(あるいはある)という判断はどのような基準で行うのかという、成人の意思能力と同様の問題のほか、A両親の一方のみの承諾でいいのか、B親権者(特に両親)間で意見が不一致する場合はどうするのか、C親権者がいなく、後見人が選定されていない場合、事実上の監護者が代諾できるか等が問題として残っているほか、根本的には、成人の場合は、意思能力でいい(これは実質上7〜8歳の能力)のに、未成年ではなぜ15歳前後になるのかという疑問を残している。

このように考えると、未成年の承諾能力は、上記基準を元にしながら、生命や重大な身体への侵襲の際には、意思能力を有する未成年には、十分な自己決定をするチャンスは与えることが必要である。具体的な意思能力のある未成年と未成年者の親権者・未成年者後見人との調整は、未成年者からの意見具申権を認める、ないし、未成年者と親権者等両者の共同決定をするということが考えられるが、未だ十分な議論はなされていない。

この点で参考になるのが、川崎「エホバの証人」の両親による10歳の子への輸血拒否事件であった。

事案は、昭和60年6月6日に、自転車に乗っていてダンプカー左後輪に両足を轢過された10歳の少年が、救急車で近くの病院に運ばれ、輸血の必要があると判断され、手術をしようとしたところへ両親が駆けつけ、自分たちはエホバの証人の信者であるから、子供に輸血しないようにと申し出た。医師団は、両親に輸血の必要性を強く説得したが、拒否を続け、事故の4時間半後、少年は出血性ショックで死亡した。

10歳の少年の場合、先の規準でいけば、承諾能力がないと考えられ、このような場合、患者本人に代わり、親権者・後見人等の法定代理人が代諾権者として、承諾を与えることになる。しかし、必要と思われる承諾を与えない場合はどうであろうか。

 わが国では、このような場合は、治療にあたる医療者が判断して、解決することを余儀なくされる。本来、子供の法定代理人は、子供の監護について法的義務を負っているのであるから、子供の最善の利益に適う範囲で、代諾しなければならない。もし、代諾が、そのような最善の利益に適わない場合は、親権・監護権の乱用にあたる。この場合は、医療者は、このような法定代理人の意思に拘束されず、子供にとって最善の利益というべき措置をとることになる。

 この問題は、現在、臓器移植法見直しの中で、15歳以下の臓器摘出の決定を巡って議論されている。

V 米国の状況

 米国では、自己決定権を尊重し、判例法上、治療拒否権の法的根拠が明らかにされてきた(表3)。そして、無能力患者の場合は、代行権者が意思を代行することにより、患者の自己決定権を尊重してきた。患者の意思の、代理行使の方法は、将来、無能力場合のために自分の希望をあらかじめ書面に残すという方法、これが事前指示(Advance Directive)であり、その方式には、Living-Willという方式と、持続的代理権授与(Durable Power of Attorney)という方法がある。しかし、前者は、終末期の現実の具体的な状態を予想して、これを描写することが困難であること、後者は、臨機応変の判断は可能な反面、それが必ずしも本人の希望や意思に沿っているとは限らないという相反するともいえる問題を抱えている。

表3「米国における生命維持治療拒否を巡る動き」

年月日

事件

内容

1976.3.31

Quinlan事件

70 N.J.10, 355 A.2d 647

プライバシーの権利を根拠に、患者に意思能力がない場合に、生命維持治療拒否を代行権者に行使を認める

1977.11.28

Saikewicz事件

SCH 373 Mass.728, 370 N.E.2d 417

生命維持治療拒否権についてプライバシーとともに、ICの法理を掲げ、州の利益として、@生命の維持、A自殺の防止、B医療プロフェッションの倫理的廉潔性の保護、C患者に依存する第三者の保護を掲げる。

1986.4.16

Bouvia事件

179 Cal.App.3d 1127

患者が末期状態にあるかどうかにかかわらず、意思能力がある患者の治療に関する決定権は、患者自身にある。

1985.1.17

Conroy事件

98 N.J.321, 486 A.2d 1209

治療行為の存続・中止は、当該治療行為が患者にとってBenefitになるか、あるいはBurdenになるかを基準とする。

1990.6.25

Cruzan事件

110 S.Ct.2841

患者の治療拒否権を合衆国憲法修正14条(適正条項)により保護される自由権に含まれる、意思能力を有する成人の治療拒否権を、患者本人の希望が、「明白で説得力ある証拠」を要するとするミズーリー州法は合憲とした。

1 事前指示Advance Directive

1976年のカリフォルニア州の自然死法(Natural Death Act)の後、他の州でもLiving-Willの要件や効果を定める動きが出ている。Living-Willを医師への指示として、「Directive to Physicians」というLegal-Formが使われることがある。

1990年には、連邦最高裁判所のCruzan事件(表3参照)で、「各人の希望が州法で要求される要件を満たしたかたちで記録されることが重要である」とされた結果もあり、同年、患者の自己決定法(Patients Self-Determination Act)が制定された。この法律は、医療上の決定に対して、各州で認められる患者の権利とその権利行使に課せられる要件について患者に書面での説明を与えた上で、治療拒否などの希望を患者が有してるかどうかを、診療録に記載する義務等を、医療機関に課したものである。しかし、患者が事前にその希望を述べている率は20%以下にすぎないという報告もある。24

法的には、健康な時期になされた抽象的な末期医療の拒絶の意思表明は、現実に末期状態になった場合の意思表明とみることができるかという疑問がある。自己決定を、その事態(末期における苦痛等)の現前性を前提とするとすると、健康時の意思表明は、単なる参考資料にすぎないという意見もあろう。逆に、末期時に作成されたこの種の書面等は、その時点での正常な意思表明と評価できるのかという問題を生ずる。なお、前述のカリフォルニア州の自然死法(1976)は、後者に拘束力を付与するが、前者は医師の判断資料としての効果を認めていない。

2 持続的代理権授与Durable Power of Attorney

米国では、本人の能力喪失によって、代理関係は自動的に終了する。そこで、持続的代理権制度が設けられている。これはほとんどの州法で成立しているが、細部においては異なる。通常は、経済的問題に対処するための持続的代理権法と、医療問題に対処するための持続的代理権法とは、別個に制定されている。とりわけ、医療問題については、直接本人の生死に関わり得る決定事項だけに、より慎重な手続が要求されている。25

 米国では、「Declaration of Guardian」や「Medical Power of Attorney」というLegal-Formを用いることもある。

 参考に、テキサス州の関連法の制定を挙げておく。

表4「テキサス州法の制定」

1977

Natural Death Act

1989

Durable Power of Attorney for Health Care Law

1995

Do-Not Resuscitate Law

1999

Advance Directives Act

 

W 終末期の患者の意思を尊重するための方策と課題

1 検討 

そこで、以上を前提に、次の表5を参考に検討を進める。

表5「医療における自己決定が患者の死を帰結する場面」

 

類型

具体例

死との近接性

社会倫理的な抵抗感

決定が死の確率を高める場合

輸血拒否

比較的遠い

許容的

決定が死期を早める場合

延命措置の拒絶、停止

比較的近い

比較的許容的

決定が死を直接招来する場合

安楽死

近い

一部に抵抗がある

自殺権

自殺遂行後の医師の救命行為の拒絶

直結

否定的

(1) 医療上の決定にあたり意思能力を有する本人がその旨の意思表示をする場合

 本人の意思が真摯な意思である場合は、表5−1は許容されることは、エホバの証人の最高裁判例で明らかとなった。26
 表5−2については、前述したように法的な保証はない。
 表5−3は、許されるには厳格な要件が必要となる(表6の横浜地裁の判決参照)。
 表5−4は、現行法上許されていない。

(2) 医療上の決定が求められる以前の、意思能力を有していた時点での、事前の意思がある場合

 表5−1は、許されることになろう。
 しかし、表5−2は、全く法的な保証はない。
 表5−3は、許されることは、ないと考えられる。
 表5−4は、禁止される。

(3) 家族等の代理(代諾)決定の場合

 表5−1のうち、表1−1及び表1−3は、許されるであろう。
 しかし、これが表1−2のように、本来個別的な同意を要する場合は、許されないであろう。
 表5−2〜4は、許されないし、あるいは、禁止されるであろう。

2 安楽死に関連する問題

表6は、日本で安楽死が問われた事件の総覧である。うち、(6)は民事事件、(8)は責任能力の問題であるので、厳密には、この二つを除いた7つの判決が先例としてある。いずれも、安楽死の成立を否定している。
 安楽死は、殺人罪(専断的な安楽死)と嘱託殺人(本人からの懇請等がある安楽死)の二つの罪名で起訴されている(表7を参照)。
 なお、わが国では、検察庁は比較法的にも、慎重に起訴をしているため、起訴された事案への判決だけでは、現実の臨床でのこの問題のあり方を全部分析することはできないことには、注意が必要である。

表6「日本で安楽死が問われた判決例」

 

 

 

東京地裁判決昭和25年4月10

嘱託殺人被告事件

精神的苦痛がそれがいかに激烈であっても疾病による肉体的苦痛が激烈でない以上、精神的苦痛を取り除くため死を惹起する行為があっても、これを正当行為とすることはできない

名古屋高裁判決昭和371222

尊属殺人被告事件

病者が現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること、もっぱら病者の死苦の緩和を目的としてなされること、病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾があること、医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合には医師によりえないと肯首するに足る特別な事情があること、その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものとなること

鹿児島地裁判決昭和5010月1日

嘱託殺人被告事件

妻の病(肺結核・自律神経失調症・坐骨神経痛など)は現代の医学上必ずしも不治の病というわけではなく、その程度も(左右両肺に著しい癒着が認められるなど、肉体的にも相当な苦痛を伴う状況にあったことがうかがえるものの)死期が目前に迫っているというような状況にあったわけではなく、また殺害の方法としても、医学的処置によることなく、判示のような絞頚の方法によったのであるから、このような被告人の所為は、社会的相当性を欠く行為として、実質的な全体の法秩序に照らしてみても、違法性を阻却されるものではない

神戸地裁判決昭和501029

殺人被告事件

いわゆる安楽死がいかなる要件のもとで認め得るかは議論の存するところであるけれども、本件においては、・・・(1)被害者が現代医学の水準からみて不治の病に冒されていたことは認められるものの、その死が目前に切迫していることが明白な状態にあったとは認め難く、(2)その苦痛の程度も何人も見るに忍びないような死にまさる程激烈なものであったとはいえず、また(3)被害者自身が被告人に殺してくれるよう嘱託しあるいは積極的に死を希望したものとは認められないのであり、おもうに、行為がいわゆる安楽死として違法性が阻却される場合の要件として、以上の3要件(本件ではこれらのいずれをも充たしていないこと前述のとおりである)のほか、安楽死は医師の手により行われるべきこと、その方法自体も社会観念上相当と目されるものであることなどの要件の要否も議論されるところであるが、本件においてはもはやこの点について論ずるまでもなく、いわゆる安楽死としての行為の違法性を阻却される場合に該当しない

大阪地裁判決昭和521130

嘱託殺人被告事件

胃がんで激痛に苦しむ妻の嘱託をいれ、刃物で同女の胸部を刺突して即死させた被告人の行為につき、正当行為、緊急避難ないし過剰避難並びに期待可能性欠けつの主張を排斥して、いわゆる安楽死に当たらないとした

(6)

東京地裁判決昭和57217

文書真否確認請求事件

「安楽死」希望意思の有効なことの確認を求める訴えが不適法として却下された

高知地裁判決平成2年9月17

嘱託殺被告事件

もともと生命の尊厳は絶対的なものであって、これを損なう行為が社会的相当性を具備してその違法性が阻却されるのは、極めて例外的な場合に限られると解すべきであろう。

(8)

千葉地裁判決平成21015

殺人被告事件

実子が安楽死させられるという強固な妄想があったことなどから、実子(当時6歳)を窒息死させて殺害した事案について、心神喪失による無罪を言い渡した

横浜地裁平成7年3月28

殺人被告事件

(東海大学安楽死事件)

医師による末期患者に対する致死行為が、積極的安楽死として許容される要件は・・・(1)患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、(2)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること、(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、(4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

表7「安楽死に関連する刑法の条文一覧」

35

正当行為

法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

199

殺人

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する

202

自殺関与及び同意殺人

人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する

204

傷害

人の身体を傷害した者は、10年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する

205

傷害致死

身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、2年以上の有期懲役に処する

217

単純遺棄

老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、1年以上の懲役に処する

218

保護責任者遺棄

老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任がある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する

219

遺棄等致死傷

前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い罪により処断する

3 日本尊厳死協会のLiving-Will

この点日本尊厳死協会(旧安楽死協会)は、尊厳死の宣言書(リビング・ウィル・Living Will)として、次のような内容(要式)を示している。

「私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
(1)
私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。
(2)
但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
(3)
私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。」

しかし、この意思を示された医師が、例えばつけられている人工呼吸器を止めてしまったとき、現行法の枠組みでは、積極的に法的にJustifyをすることは難しい(現実に、安楽死協会の宣言書に基づいて終末期の意思決定をしているのかどうかは、疑わしい。仮に意思決定しているとすると、法的問題が出てくることが予想される)。27

起こり得るすべての状態について、健康時に予測することが難しいこと、特に時期が近接していない場合にはその現実性に乏しいが、逆にあまり近接していると、意思能力に疑義が出るだけでなく、このような意思表示自体の法的な有効性(違法性阻却事由)が十分に議論されていないからである。

X おわりに

以上検討したところによれば、冒頭で掲げた問いに、法は真正面から答えていないし、これまで、法律家もこれを直視してこなかった。

法の解釈論の範囲でできるところはどこまでなのか、立法的解決が必要なのか、現実に近接した問題を解決するには、立法を待てないとすると、どのような議論をして、どのような実体的な要件と安全弁が必要なのか。これらの問いは、臨床でこれらの問題を現実の問題として受け止めている方々(当然患者等を含む)と共同して考えていきたい。また、同時に、患者・家族・代理人の意思決定の問題は、終末期の医療の問題にとどまらず、臓器移植・生体移植・人試料の利用をした(疫学)研究や、ヒトゲノム・遺伝子解析におけるICと代諾の問題と、医療やヒトを対象として研究を巡る問題までを見据えて議論をしていくことが必要である(表8を参考)。 

表8「移植等関係における本人の意思と家族・遺族の意思」

名称

内容

1949

死体解剖保存法

7条 死体の解剖をしようとする者は、その遺族の承諾を受けなければならない。但し、左の各号の一に該当する場合においては、この限りではない。

   一 死亡確認後30日を経過しても、なおその死体について引取者のない場合

   ニ 2人以上の医師(うち一人は歯科医師であってもよい)が診察中であった患者が死亡した場合において、主治の医師を含む2人以上の診療中の医師又は歯科医師が、その死因を明らかにするため解剖を行う必要があり、かつ、その遺族の所在が不明であるか、又は遺族が遠隔の地に居住する等の理由により遺族の諾否が、判明するのを待っていてはその解剖の目的がほとんど達せられないことが明らかな場合

1983

医学及び薬学の教育のための献体に関する法律(献体法)

4条 死亡した者が献体の意思を書面により表示しており、かつ、次の各号のいずれかに該当する場合においては、その死体の正常解剖を行おうとする者は、死体解剖保存法第7条本文の規定にかかわらず、遺族の承諾を得ることを要しない。

  一 当該正常解剖を行おうとする者の属する医学及び歯学に関する大学(大学の学部を含む)の長(以下「学校長」という。)が、死亡した者が献体の意思を書面により表示している旨を遺族に告知し、遺族がその解剖を拒まない場合

  ニ 死亡した者に遺族がない場合

1997

臓器の移植に関する法律

2条1項 死亡した者が生存中に有していた自己の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。

2 移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。
 臓器の移植は、移植術に使用されるための臓器が人道的精神に基づいて提供されるものであることにかんがみ、移植術を必要とする者に対して適切に行われなければならない。
 移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。

6条 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用するために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した身体を含む)から摘出することができる。

 

(角膜及び腎臓の移植に関する法律)

付則3条 角膜及び腎臓の移植に関する法律は、廃止する。

   4条1項 医師は、当分の間、第6条1項に規定する場合のほか、死亡した者が生存中に眼球又は腎臓を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該眼球又は腎臓の摘出について書面により承諾しているときにおいても、移植術に使用されるための眼球又は腎臓を、同条2項の脳死した身体以外の死体から摘出することができる。

 

〈注〉

戸波江二「自己決定権の意義と範囲」法学教室158,1993

内野正幸「憲法解釈の論理と体系」日本評論社1991

山本敬三「現代社会におけるリベラリズムと私的自治」法学論叢133/134号、1993

新井誠「任意後見制度の立法的必要性について」ジュリスト1141号、1998

服部健司「インフォームド・コンセント」、浅井篤ほか「医療倫理」勁草書房2002年、清水哲郎「医療現場に臨む哲学」勁草書房1997

稲葉一人「がんのICと法と倫理」(in printing)ターミナルケア別冊、青海社2003

基本的な定義を確認しておく(平成9年末期医療検討会における「用語の定義」に基づく)。尊厳死とは、「本人の自発的意志で延命治療を中止し、人工呼吸等の医療器械を用いた医療措置によらないで自然な状態で、寿命がきたら自分らしく迎えることのできる死、自然死をいう」、安楽死とは、「一般に本人の自発的な要請の基づき、医師が医療的方法により死に至らしめることをいう」、リビング・ウイルとは、「文書による生前の意志表示をいう」とする。

大判明治38511日民録11-706

西山詮「追補改訂版 民事精神鑑定の実際」新興医学出版1998

10 前掲稲葉「がんのICと法と倫理」

11 上山泰「患者の同意に関する法的問題点」新井=西山編著「成年後見と意思能力」日本評論社2002

12 中川=加藤編集「新版注釈民法」(28)2頁(加藤永一執筆)有斐閣2002

13 最判昭3110月4日民集10101229

14 前掲「新版注釈民法」(28)6頁)

15 新井誠「成年後見制度と能力判定」35頁 新井=西山編著「成年後見と意思能力」日本評論社2002

16 林美紀「医療における意思能力と意思決定」新井=西山編著「成年後見と意思能力」日本評論社2002

17 石川稔「医療における代行判断の法理と家族」唄=石川編著「家族と医療」弘文堂1995

18 大分地方裁判所昭和6012月2日決定(判時1180-113、判タ570-30

事案

1 患者(Y・債務者、30代、3児の父)は、左足大腿骨が骨肉腫に侵され、このため大腿骨を骨折し、大分大学医学部付属病院整形外科に入院している。骨肉腫は放置しておくと他へ転移し、やがて死の転帰に至る可能性が高い。そこで、担当医師は、Yに対して,切断手術を勧告したが、Yは手術の必要性を理解して実施を強く希望したが、手術にあたっては、必要とされる可能性のある輸血については、宗教上(エホバの証人)の理由により拒み、輸血することなく手術をして欲しいとした。病院では、輸血を承諾しない限り手術を施行しない方針をとり、その間担当医がYを説得しながら、化学療法を続けた。

2 Yの両親(X1,2、債権者)は、3人の子の一人であるYが、結婚し、2女1男の父であり、平穏な家庭生活を営んできているのであるから、Yが輸血を拒否することは自殺行為と同じであるとして、Yの両親は、Yを看護し、Yの生命健康を擁護する法律上の権利を有するとして、「Yに代わり、大学病院に対し、Yの左脚切断手術及び必要な輸血等を委任することができる」という趣旨の仮処分を求めた。

決定 仮処分申請を却下「XらはYの父母として、Yとの間に平穏な親族関係を享受し、親族関係における幸福を追求し保持する権利ないしは利益、債務者に対する将来の扶養義務の履行を期待する期待権等を包摂した「親族権」とでも称すべき人格的権利ないし利益を有している・・・Yが真摯な宗教上の信念に基づいて輸血拒否をしており、その行為も単なる不作為行動に止まるうえ、Xら主張の前記被侵害利益が、Yの有する信教の自由や信仰に凌駕する程の権利ないしは利益でるとは考え難いことであり、・・・本件輸血拒否行為の目的、手段、態様、被侵害利益の内容、強固さ等を総合考慮するとき、右輸血拒否行為が権利侵害として違法性をおびるものと断ずることはできない。・・・」

19 四宮和夫・能見善久「民法総則第5版増補版」弘文堂2000年、床谷文雄「成年後見における身上配慮義務」民商法雑誌12244号、2000

21 淡路剛久・医療契約、新民法演習184頁、1968

22 中谷=橋本、患者の治療拒否をめぐる法律問題、判タ569-81986

23 阿部徹・判例コンメンタールZ親族法385頁、1970

24 前掲林230頁、トーマス・グリッソら「治療に同意する能力を測定する」日本評論社、2000

25 樋口範雄・アメリカ代理法91頁、弘文堂、2002

26 最高裁平成12229日民集542582

事案

1 患者Kはエホバの証人の信者として、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることを拒否するという固い意思を有していた。(東大)医科研では、外科手術を受ける患者がエホバの信者である場合、信者が輸血を受けるのを拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者らの諾否に関わらず輸血するという方針を採用していた。

2 Kは、別の病院で、悪性の肝臓血管腫と診断を受け、平成4818日、紹介により医科研に入院し、医師Lらによって、916日肝臓の腫瘍を摘出する手術を受けたが、患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245lに達する状態になったので、輸血をしない限り患者を救うことはできない可能性が高いとLらは判断して、予め用意してあった輸血を行った。Kは退院後、平成9813日死亡した。

3 Kは、手術に先立つ914日、K及び夫の連署した、免責証書を手渡していた。右証書には、Kは輸血を受けることはできないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されている。

判旨:50万円の慰謝料を認めた原審の判断を支持した。

1 患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。

2 医師らとしては、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態に生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、患者に対して、医科研としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、医科研への入院を継続した上、医師らの下で手術を受けるか否かを患者本人自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。

3 本件では、この説明を怠ったことにより、患者が輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負う。

参考:医師法19条1項「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」

27 厚生労働省医政局総務課所管の第1回終末期医療に関する調査等検討会(平成141028日開催)でも懸念が示されている。


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