「教授からの一言」 学術月報より
Semaphoreに導かれて
大阪大学微生物病研究所 熊ノ郷 淳
このたび「セマフォリン分子群による免疫応答制御機構の研究」という課題で日本学術振興会賞を賜り、大変光栄に存じております。私がこれまで取りくんできたことを多くの先生方に知って頂けたことを嬉しく思いますと同時に、私の研究を支えてくれた研究室の仲間や、心よく共同研究をして下さった研究者の方々、そして未熟な若者を今日に至るまで辛抱強くかつ温かく御指導頂いております師である菊谷仁、岸本忠三両先生に深く感謝致しております。
私が進路に医学部を選択しましたのは、高校1年の時に数学者であった父親を長い闘病生活の末、脳腫瘍で亡くしたことによります。悔しさや悲しみ、将来への不安、お世話になった方々への感謝など、諸々の思い出が詰まり、また父が息をひきとった場所でもある阪大病院で働くことを夢見て大阪大学の医学部に入学しましたが、大学のユニークな教育システムや世界的研究者を数多く抱える免疫学という分野のおかげで、学部学生の時代から学内外を問わず世界の生命科学を引っ張る超一流の先生方の講義を数多く聴く機会を得ました。(学部学生時代講義を受けた順に敬称略でお名前を挙げさせて頂きますと)本庶佑、谷口維紹、高津聖志、濱岡利之、木下タロウ、平野俊夫、利根川進、岸本忠三先生など今日もなお綺羅星のごとく輝く先生方。今でもそのときの記憶は鮮明ですし、自分がどの先生のお話をどの席で、そしてどんな思いで聞いていたのか、先生がされたイントロの内容や話し振りまでよく覚えています(もっともそのときに感じた距離感は自分がこの分野に足を踏み入れてより一層遠いことに気づき愕然といたします)。夢にまで見た阪大病院での臨床医としての生活を経て、気がつけば今現在こうして基礎研究の世界に身をおいているのも学生時代に受けた鮮烈な体験に導かれたせいかもしれません。
現在私は「免疫セマフォリン分子群」を一つの「窓」に免疫応答機構の解析を行っています。今から8年ほど前、微生物病研究所に移りました折に、免疫応答に必須のCD40という分子の刺激で誘導されてくる遺伝子を取ろうとsubtraction(引き算)法という実験を行いました。その際に取れてきた100個以上の遺伝子のリストの中にCD100というセマフォリン分子の名前がポツンと有るのになぜか目が留まり、「確かセマフォリンは神経を導くガイダンス分子。どうして免疫系で?」と素朴な好奇心を抱いたのがこの分子群にかかわるきっかけになりました。その後CD100の免疫活性やその機能を担う受容体を同定するとともに、その機能解析のためCD100欠損マウスを作製しました。するとCD100欠損マウスは「セマフォリン欠損マウス」でありながら、神経系ではなんら異常がないにも関らず、免疫機能の異常を呈したことから、免疫系で必須の役割を果たすセマフォリン分子の存在を初めて報告することができました。
この時のCD100というセマフォリン分子の解析が最初のきっかけになりましたが、その後CD100欠損マウスを用いて実験するたびごとに、実験で余った(CD100欠損マウス由来の)種々の免疫細胞を、実験終了後に洗い場の流しに捨ててしまわずに、「あとで何かの役に立つかもしれないからもうひとがんばりしよう」と、こまめにcDNAにまで調整しておきました。後日そのcDNAを用いて試しにスクリーニングをかけていくと、樹状細胞に発現する Sema4Aを始め、マクロファージやナチュラルキラー細胞といった種々の免疫細胞に発現する(CD100以外の)セマフォリン分子が続々と見つかってきました。これらのセマフォリン分子の進化系統樹を作ってみると、無脊椎動物のセマフォリンに近いものや脊椎動物にしか存在しない比較的新しいものなど進化学的に見て多様な分子が存在することもわかりました。さらに一つ一つの免疫系での機能を丹念に調べていくと、あるものは自然免疫にかかわるものであったり、あるものは獲得免疫にかかわるものであったりとその機能も多岐に渡り、免疫系で機能する一群の分子群の存在がおぼろげながらも明らかとなり、私はこれらを「免疫セマフォリン: Immune Semaphorin」と呼ぶことを提唱いたしました。現在この概念は国際的にも認知されるところとなっております。興味深いことに、これらの分子の中には発生や血管新生への活性など多彩な作用を有しているものもあるようです。Semaphore(手旗信号)は非常にprimitive(原始的)な伝達手段ですが、それゆえdefinitive(確か)な手段とも言えます。もしかしたら生物は限られた数の遺伝子を時期や場所によって上手に使い分けることにより機能の多様性を生み出しているのかもしれません。
今回の受賞を励みに、私自身は微力ではありますが、今後も多くの仲間や共同研究者の先生方のお力をお借りして、「免疫セマフォリン分子群」の全貌を明らかにしていきたいと考えております。これから私の前に立ち現れるであろう疑問や課題の一つ一つに誠実に向き合い、それらを解き明かしていくことにより、新たな免疫調節分子群のパラダイム確立、更にはそれらを分子基盤とした免疫操作法の開発に寄与できたらと夢見て今後尚一層努力してまいりたいと思います。
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