最後に: 過剰診断問題にどう向かい合うべきか 

 過剰診断の被害はどうして深刻になるのか
大規模な過剰診断は国家レベルのプロジェクトに伴う検査に見込み違いが発覚したときに発生します。莫大な予算と大きな組織が関与するプロジェクトには複雑な利害関係が生まれます。その結果、本来被害の回避について真っ先にリーダーシップを発揮しないといけないはずの行政や学術界において、組織の理論が優先されて科学的な議論が進まなくなってしまうのです。これを権威の阿(おもね)り(fallacious authority)と呼びます。過剰診断のさらに厄介な点は、被害者が自分を被害者であると認めないことです。これはpopularity paradox と呼ばれるものですが、過剰診断の被害者が自分が過剰診断の被害に遭ったと認めてしまうと、自分自身が愚かなことをした、と傷つくことになります。従って、過剰診断の被害が深刻であればあるほど、被害者と見なされるのを嫌うことになるのです。また当然、診断や治療に直接関わった現場の医療者たちも過剰診断の被害を認めようとはしないでしょう。過剰診断が発生していない、とした方が色々なことがスムーズに進んでしまいます。これによって被害にブレーキをかけることが困難になるのです。

韓国はどうやって過剰診断の被害を抑え込んだのか
過剰診断の被害をどうやって抑制する方法を考えるには、韓国の先例を学ぶことが重要です。韓国では2000年以降、がん検診として甲状腺超音波検査が広まり、それに伴って甲状腺癌の罹患率が急増しました。その桁違いの増加になにかよからぬことが起こっているのではないかと考える人たちも出てきました。そして医大の教授を中心とする有志によって「甲状腺癌過多診断阻止のための医師連帯(阻止連帯)」が結成され、超音波検査を抑制するための活動を開始しました。ところが、このような活動に対して真っ向から反対したのが、なんと韓国甲状腺学会や甲状腺外科医、すなわち甲状腺の専門家達であったのです。また行政が被害の抑制に関与した形跡もありません。これが”権威の阿り”です。検査を推進する立場の人たちの意見が当時の中央日報(2014年4月4日)に掲載されています。彼らの主張は「超音波検査による早期診断・早期診断で利益を得る権利を対象者から奪うことはできない」「早期診断と早期治療の時期を逸した場合、だれが責任を取るのか」「甲状腺腫瘍が見つかった場合でも適切なガイドラインに従って診断・治療を進めていけば問題は生じない」といったものです。現在福島県でされている議論とどこか似ているような気がします。韓国で問題解決のイニシアティブを握ったのはマスメディアでした。テレビ・新聞などで過剰診断に関する大々的なキャンペーンが張られ、過剰診断の概念を一般の方々が理解する段階になって、ようやく被害は縮小に向かったのです。

日本では誰が子供を守ってくれるのか

日本においても権威の阿りに警戒する必要があります。現状では、行政や学会は福島における過剰診断問題に積極的に関与する姿勢を見せていません。過剰診断の被害の抑制は日本の学会で言われているような”検査のやり方の適正化”ではで防げません。これは韓国の経験で明らかで、韓国では甲状腺超音波検査の実施件数の減少を認めて初めて、過剰な手術が抑制傾向を示したのです。日本、特に福島県では超音波検査の実施件数をしっかりモニターして、不必要な検査を抑制する施策を取るべきなのです。ところが、行政や学会が今積極的に推進しているのは、甲状腺超音波検査や細胞診ができる専門家を増やしていこうとする取り組みです。このようなやり方は過剰診断の被害を助長します。”超音波検査や細胞診ができますよ”という医師が増えれば、検査の件数がさらに増えることは火を見るより明らかだからです。では、行政や学会がこのような状況の中で、日本のマスメディアは韓国のように啓蒙活動をやってくれるのでしょうか。福島県における子供の甲状腺癌の過剰診断問題が発覚したのは2012年です。本来ならば既に大きな医療問題として報道されていてもおかしくないのですが、中央のマスメディアではほとんど取り上げられていません。実は、福島ローカルの新聞・テレビ・ネットメディアでは過剰診断問題はしばしば取り上げられており、多くの福島県民がそれらの報道を通して現在起こっている状況を理解するようになってきています。フランクに情報提供をしてくれる専門家が少ない中で取材を続ける地元記者たちの姿勢には頭が下がりますが、ではなぜ中央メディアからそのような報道が無いのでしょうか。中央メディアの過剰診断問題に対する冷淡な姿勢については、彼らがこの問題に”絡みにくい”のではないか、という説があります。福島県で開始された甲状腺超音波検査で甲状腺癌の子供が見つかった時に、多くの中央メディアが相当勇み足の報道をしたのはよく知られているところです。その後も甲状腺癌の症例が増えるたびに、放射線に対する不安を煽るような報道が繰り返されてきました。ある意味、彼らは過剰診断問題に関しては加害者の立場に立ってしまっているのを自覚しているのではないでしょうか。

医療者が今なすべきこと
福島のみならず日本の子供、若者たちは現在、甲状腺癌の過剰診断の深刻な危険にさらされています。医療者として若年者の甲状腺癌の罹患率が意味もなく上昇するのを座して見ていてはいけません。我々が最優先でしないといけないことは正しい知識を身に着けることであり、これは残念ながら”権威の阿り”がある以上学会に頼ることはできません。まずは国際論文で世界的な常識を身につけてください。日本での現在の議論がいかに偏っているかがわかると思います。読むべき論文はこの講座の各項目でリストアップしています。従来の常識と大きく異なっている話も多々あります。是非しっかり勉強して自らが加害者の立場にならないように努めてください。


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