Dr.の肖像

僕にとって研究とは、医療への恩返しです。

幼い頃に心臓病を患い、手術によって一命を取りとめた坂田泰史氏。医療への感謝の思いから心臓内科医の道へと進んだ氏が目指すのは、世界中の医師がすぐに役立てられる、新しい診断技術の確立です。「何億人もの命を救うことが、僕の夢です」と語る氏が、研究にかける思いとは。その真摯な姿勢に耳を傾けます。

坂田 泰史

大阪大学大学院医学系研究科
内科学講座 循環器内科学 教授

僕自身が医療によって
命を救ってもらった。

先天性心疾患という心臓の病を抱えて生まれた僕は、2歳のときに大きな手術を受けました。当時の技術水準だと成功率は5割ほどだったそうですが、神戸大学にいらした麻田栄先生という心臓外科の名医の手によって手術は無事に成功。僕自身にその頃の記憶はありませんが、両親は折にふれて「あなたは医療に命を救われたんだよ」と聞かせてくれました。そのなかで芽生えた医療への感謝の気持ちが、僕の原点です。自然と医師を志すようになり、大阪大学医学部へと進みました。

もちろん目指したのは、心臓を専門とする医師です。学部時代には麻田先生に再会して「ぜひ心臓外科医になってください」との言葉もかけていただきました。けれども手先の不器用な僕が麻田先生のような心臓外科医になれるとは思えませんでした。同じ心臓を専門とする医師でも、心臓内科医として患者さんを救っていこうと決意したのはそのためです。

卒業後は第一内科医局に入局。臨床を重んじる第一内科医局の雰囲気は、僕にぴったりでした。当時は、研究者になるつもりはなく、臨床医として「いいお医者さん」になることを目指していましたからね。目の前の患者さん一人ひとりを治療することが、何よりも大切だと考えていました。

実際に、医局での研修が終わると、大阪警察病院で臨床医としての道を歩み始めます。ここでの数年間は、ハードの一言。オフはお盆の2日間だけで、363日いつでも患者さんの元に駆けつけられる態勢でいたほどです。昨今の常識からすると決して美化はできませんが、短期間でさまざまな症例を抱えた多くの患者さんと向き合えたことは大きな収穫です。臨床医として患者さんを救う喜びもここで学びました。

その反面、患者さんを救えない悔しさも幾度となく味わいます。大阪警察病院は最先端の病院でしたが、それでも助けられない患者さんが大勢いました。彼らを救うために、自分は何をすれば良かったのか。自問自答を繰り返すうちに、どんなに技術を磨いても、ひとりの医師が対応できる患者数には限界があることに思い至ります。より大勢の患者さんを救うには、研究を通じて医療の質自体を底上げすることが、近道になるのではないか。そんな思いから大阪大学へと戻り、心不全をテーマに研究をスタートしました。

日本の医療制度は、
ローカルな制度に過ぎない。

研究を始めてから数年後、心不全研究の世界的権威、ベイラー医科大学のDouglas Mann先生の研究室に留学する機会に恵まれました。アメリカに到着してほどなく、先生から「明日からボストン大学へ行ってくれ」と告げられます。マウスの心臓を取り出し、血液と類似した成分の液体を流しながら体外で動かし続ける「ランゲンドルフ法」という実験を習得してこいというのです。猶予はわずか一週間。慣れない英語に悪戦苦闘しながら、必死で実験のテクニックを学びました。

ベイラー医科大学に戻るとすぐに実験の再現に取り掛かりましたが、初めはうまくいかず、何度もマウスの心臓を止めてしまったものです。周囲にはランゲンドルフ法のノウハウを持った医師がいなかったため、相談もできません。それでも何百回と試行錯誤を繰り返し、一週間で成功へと漕ぎつけました。実験環境をイチから整え、学術的に意味のあるデータを集めることがどれほど大変なのか、痛感したできごとです。

ほかにもアメリカで学んだことはたくさんありますが、何よりの収穫は日本の医療制度をローカルなものと捉える視点が身についたことです。例えば、全国どこでも救急車で行けるところに病院がある日本と、病院までヘリコプターで向かわなければならないテキサスとでは、救急医療に求められるものは異なります。日本の医療制度だけを踏まえた研究ではなく、世界中のどこででも通用する普遍的な研究こそが、より多くの患者さんを救う。そう考えるきっかけになりました。

大阪大学発の医療を
世界へと届ける。

この思いは教授になった今も変わっていません。私が循環器内科の教授に就任した際に掲げたキャッチフレーズは「大阪発の新しい医療を世界の患者さんに届ける」です。「新しい医療」のなかには再生医療や心臓移植など、大阪大学が誇る最先端医療も含まれますが、決してそれだけではありません。今すでにあるツールを有効利用して、患者さんの治療に役立つ技術を確立することも「新しい医療」のひとつです。具体的には心電図やエコー、ラジオアイソトープといった一般的な検査機器を使って、より効果的な診断を下せないか研究しています。

特に注力しているのが、心臓の肥大とともに心機能が低下し、最終的には心臓移植しか手の打ちようがなくなってしまう拡張型心筋症の診断です。心臓移植に実績のある大阪大学には、この病気の患者さんが全国から集まります。その膨大なカルテを分析すれば、心電図やエコーから病の兆候を早期発見できるようになるのではないか。そう考えて研究を進めています。

ごくありふれたツールを使った技術は、世界中の医師が即座に採用できることがメリット。僕は研究チームのメンバーに「他国の研修医が明日にでも使える論文を書こう」と声をかけています。要は世界中の医師たちが、一読して「これは役に立ちそうだ。早速使ってみよう」と思える論文を出さなければならないということです。それこそが本当の意味で世界に届く研究だと考えています。

何億人もの患者さんを救う。
医学研究の最大の意義です。

心臓病で亡くなる人を少しでも減らしたい。心不全に陥る患者さんを減らし、健康で幸せに生きられる時間をもっと延ばしてあげたい。研究者になった今でも、僕の根っこにあるのは「医療に助けられた恩を、研究を通じて患者さんに返したい」というシンプルな願いです。もし世界中の医療現場で役立つ技術を開発できれば、それによって何万人、何十万人、何百万人、何億人もの命を救うことができる。そういう大きな夢を胸に日々の研究に打ち込んでいます。

医師というのは、本当に幸せな仕事です。お金をもらって「ありがとう」と言ってもらえる仕事なんて、なかなかありません(笑)。その分、責任は重大です。僕自身、患者さんから感謝の言葉をかけていただいた際に、自分はそれに見合うだけの仕事ができただろうかと落ち込むことはしょっちゅうです。それでも僕は医者を続けていきたい。自らの責任をしっかりと引き受けながら、患者さんにも研究にも誠実に向き合いたい。それが僕にできる一番の恩返しです。