「手術は浅い」。
師の言葉に肩透かしを食らう。
医学部の3年生で専門のカリキュラムが始まったときが、ドクターへの道の第一歩だったと思います。それまでの教養課程よりも断然面白く、勉強に本腰を入れるようになりました。6年生で自分の診療科を決めるときは、どこも魅力的に感じられたので大いに迷いましたが、せっかく医師になるなら手術をやりたいという気持ちから、まず外科に絞ります。さらに、「悪いところを取って閉じる」手術が多い中、整形外科や眼科、耳鼻咽喉科の手術には、機能を再建する志向があるところに惹かれました。最終的に眼科に決めたのは、そこに「美」があったからです。眼球自体が美しさをはらんでいて、顕微鏡による精密な手術「マイクロサージェリー」には芸術的な要素があります。理屈ではなく感覚的な印象ですけどね。
1988年に卒業し、阪大病院で研修医として勤め始めました。そんな駆け出しのときに出会った師が、国立大阪病院(現・大阪医療センター)におられた田野保雄先生です。のちの阪大の眼科教授であり、当時から眼科の世界的なサージャン(外科医)として知られ、私の憧れでした。ある会合で初めてお会いし、「先生のような手術の達人になりたいです」と伝えたところ、「手術は浅い。だから研究をしなさい」と返されたのは今でも忘れられません。励ましてくれるかなとひそかに期待していたのに肩透かしを食らった格好です。若輩の私がその発言の真意を即座に理解できるはずもありませんが、「それはどういうことでしょうか」とは聞きにくい。ただ割と単純な人間なので、「田野先生がそう言うんだったら」と素直に受け止めました。振り返ってみれば、「手術はあくまで技術の追求であり、研究にこそ本当のイノベーションがある」ということだったのかな、と。
こうして、夕方6時頃に研修医の勤務が終わった後、大学の研究室に移動して夜12 時まで研究を手伝う日々が始まりました。主には動物実験で、ウサギを押さえて麻酔を打って毛を刈ったり、組織を切って染めて発現しているタンパク質を特定したり。見習いとしての簡単な作業ですが、1年目からテーマを与えられたことでやりがいを感じ、研究の面白さにも目覚めました。
当時の眼科では、眼球の表面を覆う透明な膜である角膜が注目されていました。カメラにおけるレンズの役割を果たす重要な部位ですが、角膜ヘルペスなど重篤な疾患になると、失明に至ることも。だからマイクロサージェリーによる角膜移植は眼科手術の花形でした。早く自分も手掛けてみたいという気持ちが、臨床に向かうエネルギーになっていたのは確かです。臨床と研究の「二足の草鞋」は、今に至るまで私のコアを形作っています。
基礎研究を叩き込まれた
細胞工学センター時代。
スター級の研究者が勢ぞろいしていた細胞工学センターに所属したときは、角膜に発現している遺伝子を探索するプロジェクトに参加し、黎明期だった分子生物学の熱気を体感しました。基礎研究のなんたるかを叩き込まれた、大変厳しい環境だったのも事実です。ゲノムの解読は今みたいに容易ではなく、ゼリー状の試料をガラス板で挟み込んだゲル板を手作りするところから始まりますが、結構難しくてミスするたびに咎められました。翌日が締め切りという厄介な宿題を課されるのは日常茶飯事。しかしだからこそ、研究者としての体幹が鍛えられたと思っています。
その後に留学した先が、複数種類の細胞に分化する能力を持つ幹細胞(ステムセル)の研究で名を馳せていたソーク研究所です。1980 年代、角膜上皮に幹細胞が存在していることを示す論文が発表され、角膜移植の技術の進展につながると期待されたことから当時の眼科界はこの話題で持ちきりでした。ソーク研究所は、眼とは直接関係ありませんが、幹細胞研究のイロハを授けてくれ、私の関心が眼の再生医療に向かうきっかけとなったのは間違いありません。

時間がかかるから
粘り強く。
帰国後の2000 年から、角膜の再生医療の研究を本格的にスタートさせます。最初に目を付けたのは口腔粘膜。患者自身の口の中から粘膜を採取し、そこに含まれている幹細胞を培養してシート状にし、移植する方法に取り組みました。東京女子医大との共同研究でシートが完成し、ヒトへの臨床実験が成功したのは2004 年です。このシートの利点は、本人の細胞由来だから拒絶反応が起こらないことと、ドナー(臓器提供者)が必要ないこと。新しい治療の切り札として期待が高まりましたが、実用化に向けてはそこから先が大変でした。当局の承認を受けて企業が製品化し、保険適用されたのは2021 年ですので、研究開始から20 年を要したことになります。
しかも、口腔粘膜シートは万能ではありません。患者さんによっては効き目が弱かったり、濁ってしまったりします。そのため2007 年頃から、角膜上皮細胞そのものをiPS 細胞から作製することに乗り出していましたが、この道のりも平坦ではありませんでした。角膜上皮に分化誘導する技術は当時まったくなく、ゼロから始める必要があったからです。2016 年にシートが完成するまで10年程度かかっています。
苦労したかいあって、口腔粘膜由来のシートと比べるときわめて透明度が高いものになりました。他人のiPS 細胞由来であることから生じる拒絶反応も、ある程度抑えられています。ヒトでの臨床研究は終了し、現在は経過観察中。これから企業による治験が始まります。
iPS細胞を活用する研究の成果は、角膜にとどまりません。結膜上皮や涙腺を含む眼球全体の再現にも成功しました。これは近年脚光を浴びているオルガノイド(ミニ臓器)。再生医療の可能性はさらに広がっているといえるでしょう。
あらゆる枠を越えて、
新しい医療の形を作りたい。
現在は、2022 年に阪大で発足した「ヒューマン・メタバース疾患研究拠点」の拠点長を兼務しています。この拠点のコンセプトは、医学と情報科学の融合。個々の患者さんの分身である「バイオ・デジタル・ツイン」をコンピューター上で構築し、将来の発症シミュレーションを行うとともに、投薬をはじめとした治療がどの程度効果的かを予測します。専門領域の枠を越え、世界中を巻き込んで、新しい医療の形をつくりたいですね。私にとってはまさに新しいチャレンジとなります。
モチベーションの素となっているのは好奇心かな、と。世間では、60 歳ぐらいでリタイアするのが一般的ですが、私は60 を過ぎてもオリジナルな仕事はできると信じています。年齢を重ねて視野が広がり、若い頃よりもアイデアが湧いてくると感じるほどです。その結果として、一人でも多くの患者さんを救えるなら、これほど嬉しいことはありません。