恩師との出会いから
免疫学の道へ。
僕の「潔」という名前は、赤痢菌を発見した微生物学者、志賀潔からとったものだそうです。両親はふたりとも細菌学者。小さい頃は、僕もよく研究室に連れて行かれたものです。そんな環境で育ったから、自然と「いつかは自分も医学の研究がしたい」と考えるようになりました。唯一心が揺らいだのは、高校生のとき。医者になることを勧める厳格な父に対して「医学部なんか絶対いかへん」と猛反発しました。でも、それは本心ではなかった。僕がやりたいことは、医学研究のほかになかった。結局、父の母校である阪大医学部の門を叩くことになりました。
免疫学を専攻したのは、大学5年次に免疫学の世界的権威である岸本忠三先生と出会ったことがきっかけです。先生の授業を初めて受けた日のことは今も忘れません。その日のテーマは、関節リウマチでした。先生は私たちに「関節リウマチでは、なぜ関節が腫れるのか」と問うのですが、誰もそれに答えられません。先生は「それは免疫が関節を攻撃するからだ」と答えた上で、関節リウマチの発症プロセスを滔々と説いていきました。なぜなら、なぜなら、なぜなら、と繰り返して、最後に「つまり、この薬でここをブロックすれば関節リウマチは直せる」と結論づけられた。その明晰さに、僕は心から感激しました。この先生のもとで、基礎医学の研究者になろうと決意した瞬間です。
大学を卒業し、岸本先生の率いる第三内科に入局した日のことはよく覚えています。当時の第三内科に入局したのは成績優秀なエリートばかり。そのなかで僕だけが下から成績を数えた方が早い劣等生でした。このままでは埋もれてしまうと思った僕は、少しでも先生に顔を覚えてもらいたくて「今日から先生は僕にとって憧れではなく目標です。臨床研修が終わったら、必ず大学院に戻ります」と宣言します。先生は「そうか。じゃあ、帰ってこい」とそっけない返事でしたが、それだけで十分嬉しかったですね。
一流とは
何かを学ぶ。
臨床研修を終えると、宣言通りに大学院に戻りました。所属先は岸本先生の下で免疫の研究に取り組んでいた審良静男先生の研究室です。審良先生も超一流の研究者。研究者として歩み始めた時期に、トップレベルの研究者ふたりから指導していただけたのは本当に幸運でした。
岸本先生から学んだのは発展性の高い研究をすることの大切さです。ご自身では「真髄をついた研究」と仰っていました。自らの研究を起点として、後続の研究者が次々に現れるような研究をしろ、という意味だったと思います。実際に岸本先生は関節リウマチなどの免疫疾患の原因が「インターロイキン6」というタンパク質にあるという大発見をしましたが、そのメカニズムまでは明らかにできず、それを解明したのは審良先生でした。インターロイキン6の暴走の引き金となる分子を特定し、その分子をブロックすることで疾患を防げることを証明したのです。岸本先生の「真髄をついた研究」を、審良先生が見事に発展してみせた。医学の進歩というのは、まさにこういうことだと思います。
審良先生からはオリジナリティの大切さを学びました。要は「師匠とは違うことをやれ」ということです。審良先生ご自身が独立後に専門としたのは自然免疫でした。当時は、昆虫のような下等生物にも存在する自然免疫ではなく、人間をはじめとする脊椎動物だけが後天的に備える獲得免疫に注目が集まっていた時代です。自然免疫は進化の名残で、人にはほとんど関係ないと考えられていました。その考えをひっくり返したのが審良先生です。自然免疫は病原体を攻撃するだけではなく「Toll様受容体」という病原体センサーを備えていて、これが獲得免疫に指令を出したり、活性化したりすることを突き止めました。研究者としての鋭敏な嗅覚を頼りに、未知の分野に切り込んでいく審良先生の姿を見て「自分もいつかは、先生方とは異なる自分だけの道に進もう」と思いを新たにしたものです。

挑むのは、
不治の病気。
自分の研究分野を決める上でもうひとつ念頭に置いていたのは「今の技術では治せない病気を治すことが君たち使命だ」という岸本先生の言葉です。ゼロからイチを生み出すようなまったく新しい研究で、不治とされてきた病を克服する糸口をつくりたい。そんな思いから、独立後のテーマには根本的な治療方法の確立されていない炎症性腸疾患を選びました。
炎症性腸疾患は、免疫細胞が腸などの細胞を攻撃することで、炎症を引き起こす病気です。その発生メカニズムを考える上で、僕はまず腸内細菌と免疫細胞との関係性に着目しました。腸の免疫というのは実に不思議で、腸管内には異物である腸内細菌がウヨウヨいるのに、免疫細胞はそれを攻撃しません。ということは、免疫細胞と腸内細菌を隔てるバリアーのようなものがあるのではないか。そう仮説を立てて研究を進めるうちにLypd8というタンパク質を発見しました。これが腸内細菌の動きを止め、腸内細菌の細胞内への侵入を防ぐ役割を担っていたのです。
この仕組みがうまく働かなくなると、細胞内に腸内細菌が入り込んでしまい、それを察知した免疫細胞が正常な細胞ごと腸内細菌を攻撃してしまう。これが炎症生腸疾患の基本的なメカニズムだと考えています。未だ解明できていない部分も残っていますが、いずれは炎症性腸疾患の全貌を明らかにして、根本的な治療方法の確立に貢献したい。研究者としての最大の目標です。
阪大医学部のDNAを
次世代に。
これからの僕のもうひとつの目標は、後進を育てることです。岸本先生、審良先生から受け継いだDNAを、次の世代につないでいきたいと考えています。研究とは、本当に終わりがない営みで、僕もいまだに毎日が試行錯誤の連続です。それに基礎研究には失敗もつきもの。ひとつの答えを得るために100の失敗をすることはざらです。ときには1000回失敗して、そもそも仮説自体が間違っていたということだってあります。だからこそ、これから研究者を目指すみなさんに伝えたいのは、継続することの大切さです。ときには「今日はダメでも、明日はなんとかなる」と楽観的に、ときには「絶対に結果を出してやる」と負けん気を発揮して、失敗を恐れずに研究を続けてほしいですね。
僕自身、研究したいことはまだまだたくさんあります。「炎症生腸疾患の研究が終わったら、次は何を研究しよう」と、いつも考えています。誰も気がつかなかった真実を解き明かし、ゼロからイチを生み出す。医学研究ほどクリエイティブな仕事を、僕は知りません。研究という歓びを、これからも味わい続けていきたいですね。