医者を目指さない
医学部生。
臨床医を目指して医学部の門を叩いたわけではなく、研究をやりたくてこの道に進みました。誤解を恐れずに言うと、必ずしも病気を治すために研究しているわけでもありません。それでも、たまたま治療や病態解明に結びつくことがある。この意外性こそ、基礎研究の面白さでもあります。
第二次大戦後、1970年代の初頭まで、日本では学生運動が盛んでした。私が高校生の頃、それがちょうど下火になります。熱狂の後の醒めた空気が若者たちを覆う新たな時代。政治に無関心な「しらけ世代」は、ただニヒルだったのではなく、「本質的」な問題に立ち向かわざるをえなかった世代ともいえるでしょう。個人主義が台頭した時代でもあります。学生運動は後世の評価が分かれていますが、集団行動の意味を広く問いかけたものでもありました。集団ではなく個としての自分に何ができるのか。そういう問いを抱えながら、私は学生時代を過ごしました。
この頃の哲学的な関心が、研究者としての原点となっています。ドイツ観念論の大家ヘーゲルの「弁証法」から生まれた命題「量から質への転化」にとても強く惹かれました。かねてから興味があった生物学を例にとると、脳は神経細胞の集合体ですが、脳の機能は、個々の神経細胞に焦点を当てても解明できません。ものがたくさん集まるとなぜ新しい「質」が生まれるのか。その真相に迫りたいという思いが、今の道を選んだ理由のひとつでした。
では、生物学ではなくなぜ医学だったのでしょうか。医学は「総合科学」です。誰でも自由に発想でき、うまくいけば世紀の大発見になる。裾野の広さや包容力が医学の魅力であるのは間違いありません。医学部の卒業生が100人いたら90人以上は臨床に携わります。私のように基礎研究オンリーなのはほんのわずか。でも、こういう道があるんだと知ってもらえたら嬉しいですね。
誰もが開拓者だった、
トランスポーターの研究。
医学部在籍時、勉学には励みましたが、試験に関係ないところばかり(笑)。生命科学・医学系研究の弱点は、理論が脆弱なところではないかという問題意識が当時からありました。それならいっそ理論を物理学から借りてくればいいと思い立ち、熱心に勉強しました。計算は決して得意ではありませんでしたが、物理の「考え方」を身につけたかったのです。なぜこの研究室に物理の蔵書がたくさんあるのか、これでおわかりでしょう。
神経や免疫に興味があって研究の道に進む医学者が、世の中には多いかもしれません。私の場合、対象はなんでもよかったというのが本音です。長年トランスポーターの研究を続けていますが、1991年のアメリカ留学時に所属した研究室がたまたまそれを扱っていたのがきっかけでした。トランスポーターとは、さまざまな物質が細胞内外を行き来するのを担っているタンパク質のこと。まったく未開拓の分野で、誰も足を踏み入れていない雪原を進む感覚でした。何をやっても新しく、わくわくしたものです。当時は、現象を分子で説明する分子生物学が生命科学の中で存在感を増し、私も影響を受けました。「分子クローニング」という最新手法を用い、現象に対応する新しい分子を突き止めただけで大喝采。そんな時代でした。

「夢の薬」も、
偶然の産物。
日本に帰ると、糖やアミノ酸、有機酸に関するトランスポーターの分子を片端から特定していきました。すると、体内でどういう役割を果たしているのかが気になってきます。病気との因果関係への関心がこうして芽生えるわけです。「トランスポーターに作用する化合物でなんらかの薬が作れるのではないか」と。
私が発見した「SGLT2」は、腎臓から糖を再吸収する際に働いているトランスポーターです。SGLT2を抑制する化合物を与えると、糖は再吸収されず、身体から尿としてどんどん排出されます。つまり、糖尿病の患者さんに投与すると、糖の排出を促進することになり、血糖値が下がる。まさに逆転の発想でした。それまでの糖尿病の治療薬は体重を増やす傾向がありましたが、糖を外に出すから体重も減らし、多くの良い効果が得られています。
日本では、SGLT2阻害薬が2014年から臨床で使われるようになりました。創薬の最も基礎的なところに関われたことで、2020年に日本医療研究開発大賞の内閣総理大臣賞を受賞し、大変光栄に感じています。ただ、SGLT2を見つけた当初は、創薬につながるなんて夢にも思いませんでした。
最近は、心不全や腎臓病にも有効ということがわかってきています。糖を排出すると、細胞にとっては飢餓に近い状態になり、長寿遺伝子が発現します。SGLT2阻害薬を投与すると同様の現象が起きました。その意味では、寿命を延ばす夢の薬といえるかもしれませんね。
病気になると、体内で物質の分布に異常が起こります。糖尿病で血糖値が高くなり、高尿酸血症で尿酸値が高くなるのはわかりやすい例です。トランスポーターに作用する薬は、そこを改善するのがポイント。人間が本来持っている治癒力を引き出すイメージです。従来の薬は、疾患の本体に切り込んでいく激しさがありました。SGLT2阻害薬の登場は、薬や治療の考え方を変えていくかもしれません。
他人の発想を、
自分の引き出しに。
研究者にとって重要なのは発想です。仮説を立て、実験を行い、考察を進めるプロセスで、「ひらめく」ことはあります。しかし、それだけでは研究者としては足りません。だから、発想を「定式化」するといい。
偉大な発見を成し遂げた歴史上の人物に限らず、学校の先生でも友達でもお笑い芸人でも、どこか面白い、ユニークな見方をする人たちがいますよね。それを分析して、「こういう流れでその発想が生まれる」と定式化してみる。アインシュタイン的発想とかAくん的発想とか。そのようにレパートリーを複数備えておくと、ひとつの現象に対して、自分のひらめきにとどまらず、たくさんの視点をプラスすることができます。他人の考え方を借りることで、発想のバリエーションが増えるのです。私が物理学の学びを生かそうとしたのも同じこと。これは研究者としての「職業的技術」といえるでしょう。
若い人たちには、将来なりたい職業のイメージから、今身に付けなければならないものを逆算してほしいですね。学校で教えてくれることはあまり役に立たないかもしれません(笑)。ただ、きっかけは与えてくれるので、自分で考え、すべてを組み立ててほしい。学問とは本来そういうものだと思います。もちろん、自分に素直に、楽しんで取り組むことが一番大事。そうすれば、自ずと独創性が発揮されるものです。