人工関節は、
理想の治療か?
高校生の頃の志望先は医学部か工学部。人々が病気やけがに苦しんでいる発展途上国のニュースを見聞きする中で、「そんな人たちを救いたい」という思いを漠然と抱いていました。その一方で、実家が町工場を営んでいて、旋盤などの工作機械が身近だったため、ものづくりにも興味があったのです。最終的に医学の門を叩いたのは、「モノ」より「人」を相手にしたかったからでした。
受験勉強はそれなりにがんばりましたが、入学後はそんなに勉強熱心な学生ではなかったかもしれません。中高では柔道部、大学ではラグビー部に所属していました。ただ、スポーツに熱中したと自信を持って言い切れないのが正直なところです。実はその頃、『1・2の三四郎』という漫画が流行っていました。高校生の主人公が柔道とラグビーに励む話です。私に限らず、影響を受けた若者はけっこういたのではないでしょうか。この2つのスポーツに共通するのはけがが多いこと。実際に私も当時、足首や甲を骨折しました。整形外科を専門に選んだのは、患者としてお世話になった経験が少なからず影響しています。
臨床医になりたかったので、卒業後は研修医として計3年ほど複数の病院に勤務。本当にさまざまな症状の患者さんを担当しました。骨折に限らず、膝や首、腰を痛めた方など。多かったのは、加齢とともに関節の痛みが悪化する患者さんです。臨床の現場で実感したのは、「軟骨は一度傷つくと治らない」ということ。骨は折れてもくっつきますけどね。変形性関節症は、関節の軟骨がすり減って炎症を起こしたり水が溜まってしまう病気です。加齢やけがが原因となるほか、生まれつきの場合もあります。いずれにしても元には戻せません。先生や先輩も一様に「軟骨は難しい」とおっしゃっていました。
となると、治療のゴールはどこなのか。いよいよ歩けないとなったら人工関節の出番です。膝の軟骨を切り落として、金属性のものをかぶせます。そうすれば、動く範囲が多少制限されることはあっても、それまでの痛みからは解消されるので、QOLが上がるのは確かです。しかしながら、「金属に置き換えるのは治療として理想ではない」との思いがずっと拭い切れませんでした。しかも、多くの患者さんは、手術までに長い月日を待たされます。もっと早い段階で治せないだろうか。現場でレントゲン写真をチェックするだけではどうにももどかしくなってきました。そういった問題意識から基礎研究への興味が芽生え、大学院への進学を決意したのです。
最先端の研究に
魅せられて。
指導教員は軟骨を専門とする木村友厚先生。アメリカ留学時に学ばれた分子生物学の醍醐味を教えてくれた恩師です。軟骨細胞は、遺伝子が活発に働いて次々とコラーゲンが作られ、適切なクッション性を獲得します。遺伝子が変異すると、軟骨が変形する病気を引き起こすことも。先生の話はとにかく面白く、刺激を受けました。
この頃の私の成果は、軟骨の「Ⅺ型コラーゲン」の遺伝子配列を特定するクローニングに世界で初めて成功したこと。だからといってすぐ創薬や再生医療につながるわけではありません。ただ当時は、世界中の分子生物学の研究者が「将来きっと役に立つ」と信じて熱心にクローニングに取り組んでいました。私も昼夜を問わず実験に打ち込み、論文執筆に励んだものです。最先端の研究に携わっているワクワク感もあって充実していました。
留学先のアメリカでも軟骨を深掘りする日々。いくつかの特別な遺伝子をⅪ型コラーゲンの遺伝子につないだマウスは、軟骨が巨大化したり、逆に全然できなかったりする現象を確認しました。そのときの興奮を今もよく覚えています。生成をコントロールできれば、より具体的な応用の形が見えてくるわけですからね。

iPS細胞の誕生が、
飛躍のきっかけに。
帰国後、一般病院への出向を経て、当時整形外科教授の吉川秀樹先生にお声がけいただいて阪大に戻り、研究を再始動しました。そんなとき、京都大学の山中伸弥先生によるiPS細胞の誕生のニュースが飛び込んできます。それは私のフィールドにおいても衝撃的でした。
iPS細胞は、皮膚細胞に4つの遺伝子を導入して初期化したものです。皮膚細胞をいわば「受精卵」に戻せるなら、皮膚にもっと近い軟骨に変えるのはそんなに難しくないのでないか。そう着想し、山中先生が発見された遺伝子と軟骨の生成に関わる遺伝子を、いろいろな組み合わせでマウスの皮膚細胞に導入して培養したところ、軟骨細胞ができてしまったのです。細胞のタイプを変えられる時代が来たことを実感しました。ポイントは、iPS細胞の段階を経ることなく、皮膚細胞からダイレクトに軟骨に変わること。だから速いのがメリットです。一方で課題もありました。この方法では遺伝子を導入する「ウイルスベクター」が必要ですが、それを使って作製された細胞は移植後にがん化のリスクがあります。さらに細胞数を確保しにくい面も。その軟骨を人に使うのは難しかったのです。
その後、京都大学iPS細胞研究所に移り、iPS細胞から軟骨をつくりたいと考えました。実際に患者さんの体内に入れるには、ウイルスベクターを使わずに済むiPS細胞が最適だろうと。8年かけて安全で高品質な軟骨をつくる方法を開発しました。そして2020年にこの軟骨を人へ移植する研究がスタートし、現在も進行中です。
腰痛の根治に
チャレンジ。
2021年に再び阪大に戻り、今年の4月には、iPS細胞から軟骨組織を作製してラットに移植し、椎間板の「髄核」と呼ばれる部位の再生に成功しました。髄核は軟骨によく似た組織です。これを人に応用できれば、腰痛の根治も夢ではありません。大学院生の頃、ひたすら遺伝子クローニングに勤しんでいたのに比べれば、かなり臨床現場に近づいた仕事になっていると感慨深いものがあります。私の研究室に掲げている標語は「軟骨をあきらめない」。金属を使わなくても関節を治療できる未来は確実に見えてきています。
技術の進歩は日々加速し、あるスキルを身に付けても10年後には陳腐になる時代です。はっきりいえば、将来どうなるかは誰にも分かりません。私も、医学部に入って整形外科医を志す頃までは、基礎研究をやるなんて思ってもみませんでした。どんな状況下でも、適切に判断し、柔軟に対応するには、日頃から新しい知識を取り入れるなど地道な研鑽がものを言います。今後は、自ら道を切り拓けるような若い研究者の育成にも力を入れていきたいですね。