医学の醍醐味は、
ただの科学ではないところ。
幼少期から高校生の頃までを振り返っても、身近に病気で苦しんだり亡くなったりした人がいて、考えるところがあった、といった特別な経験はありません。では、なぜ医学部に進んだのか。科学に興味があったのは事実ですが、純粋に学問として究める道は自分に向いているだろうかという不安がありました。もう少し社会との接点がほしいな、と。だから、人の命や病気に対して科学的にアプローチする医学は、当時の自分には魅力的に映ったのだと思います。ただ、明確に「医者になるぞ!」と誓ったわけでもありませんでした。今は入学試験の面接官を務める立場ですが、多くの受験者がしっかりした志望動機をもっていて感心します。でも、私のような若者もいたと知っていただくのは、悪くないかもしれません。まずは行動。ビジョンは後から付いてくる。それが昔から自分のスタイルのような気がします。
医学部の勉強は面白かったですね。でも、カリキュラムが基礎医学から臨床医学に移ったときは、少し戸惑いました。基礎医学は、中学高校から連なる学問の延長線上にあるという点で、内容が難化しているとはいえ分かりやすいわけです。一方で臨床医学は、診断一つとってみても、患者さんの体の中になんらかの原因があるのに、それに完全には到達できないもどかしさがつきまといます。いつの時代も、完璧な治療というものはなく、その時点でベストと判断した方策をとるしかありません。通常の科学とは少し違う感じがします。ただ、自分で選んだ道ですから、しばらくはこの枠内で頑張ってみようという気持ちでした。
内科を選択したのは、ほかの診療科よりも守備範囲が広いところに惹かれたから。消化器内科を選んだのも同じ理由です。消化器は一つの臓器に限らず、病気の種類も多岐にわたりますしね。さらに言うと、発症後、治癒したり悪化したりするプロセスにおいて、手術という特定の「イベント」に注力する外科に比べて、内科は一人の患者さんに向き合う時間が自ずと長くなります。そこが自分の志向には合っていました。
不思議で奥深い、
肝臓に魅せられて。
医学部卒業後、阪大病院で研修医として勤め始め、2年目からはいくつかの関連病院で臨床の経験を積みます。本当に無我夢中で、毎日やるべきことをやるだけ。悩む暇もありませんでした。大して不満もなく、このまま臨床をやっていくのかなと考えていたところ、後の恩師となる林紀夫先生から「大学に戻って研究したらどうか」と声をかけられたことが転機に。4年ぶりに母校に戻り、新たな道を歩むことになりました。
肝臓の病気がある患者さんから、肝臓の組織を採取して顕微鏡で調べるのが「肝生検」です。その余った部分を使って免疫細胞の種類を調べることが、私の最初の研究でした。図書館に通い詰めた末に自分で見出したテーマであり、誰かが手取り足取り教えてくれるわけではありません。フローサイトメトリーという当時のハイテク機器で解析してみようということで、それを保有する製薬会社の協力を取りつけた思い出も。新しいことを突き止めるにはテクノロジーが必要です。最近はシングルセル解析の手法が発達し、組織の一つ一つの細胞の動きが手にとるように分かります。アイデアと技術の両輪で医学は前に進むのです。
肝臓は、あれだけ体積が大きく、多彩な仕事をしているのに、体内にそれがあることを誰も意識しません。生体肝移植の場合、健康なドナーなら、2/3を切除しても2か月ぐらいで元のサイズに戻ります。とても不思議で奥深い臓器です。研究が進むにつれてさらに惹かれるようになりました。アルコールに起因しない脂肪肝である「NAFLD」の研究にも注力しました。患者さんはとても多いのに、発症原因は不明で、診断法も治療法も未確立な状態が続いています。肥満の方がなりやすいとされますが、患者さんの20%は肥満ではありません。自覚症状もなく、やっかいな病気です。
研究人生を振り返ってみると、「細胞死」に着目したのがポイントでした。個体の生命を維持するために、個々の細胞にはあらかじめ「死」がプログラムされています。ウイルス肝炎やNAFLDでこの死のプログラムが活性化されることを見出したのです。さらに、細胞が自己を消化する「オートファジー」は、成分のリサイクルによって細胞が浄化される現象で、「死」が「再生」につながるという意味では細胞死と似たようなところがあります。私の研究室では、NAFLDにおいて、ルビコンというタンパク質がオートファジーを妨げていることを突き止めました。

患者さんに寄り添い、
「全身」を診る意義。
関連病院で臨床医だったときは、肝臓に限らず、胃や腸の患者さんも診ていました。消化器の枠を超えて、肺がんや血液疾患を診たこともあります。当時の内科というのはそんな感じだったのです。
現在の医療の課題として、専門分化され過ぎていると指摘されることがあります。「自分の担当ではないから自信をもって診られません」というスタンスは、患者さんの立場からすると、あまり好ましくはありません。全身を診ることが難しくなってきた理由はいくつか挙げられます。ひとつは、各専門領域が近年に積み上げてきた知見は膨大で、とてもではないけれど一人が専門外まで高いレベルでカバーするのが難しくなっていること。そしてそこには、保険診療の制度も絡んできます。基本的な枠組みが疾患別になっているため、たとえば胃がんの患者さんに肺の検査をしようとしても保険は適用できません。増大する医療費を抑制するのは大切なことですが、一人の患者さんの全身に対して責任を負うのはなかなか難しい時代であり、複雑な気持ちです。
医学の発展にゴールはない。
やるべきことは常にある。
2022年4月から、阪大病院の病院長を務めています。全体を見渡す立場として、それぞれの診療科の優れた取り組みを共有するなど、改善の取り組みを進めたいです。診療科の中にいるとドクターばかり、病棟に行けば看護師さんばかりが目に入りますが、当然ながらここには薬剤師や臨床検査技師、事務担当の方もいます。さまざまな職種がいかに力を合わせていけるかが重要だと考えています。もともと阪大病院は、チームワークはとてもいいと感じていましたけどね。2025年には新しい統合診療棟がオープン予定。高度な治療をもっとたくさん行えるようになるはずです。
来年の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。いのちが輝くようにするためには、疾病の克服が肝要であり、私たちのするべき仕事は山積しています。私が医学に携わるモチベーションは、そんな使命感から生まれているのです。