Dr.の肖像

「助けて」の声に応え続けてきた。

大阪大学は、世界の10年先を走っている。そう力強く語るのは心臓血管外科学のトップランナー、澤芳樹氏。新型カテーテルの導入。心肺同時移植。再生医療の実用化。新たな治療方法を次々と採り入れ、多くの患者を救ってきた氏に最先端にこだわり続ける理由を聞きました。

澤 芳樹

大阪大学大学院医学系研究科
外科学講座 心臓血管外科学 教授

研究と手術。
心臓外科医の両輪です。

医師であり憧れの存在でもあった従兄弟が27歳という若さで亡くなったのは、僕が高校2年生のときです。交通事故でした。人はこんなにも簡単に死んでしまうのか。その事実が許せなくて、本気で医師を志しました。けれども、いざ大阪大学の医学部に入学してみると、どういうわけかスイッチが切れてしまって……(笑)。スキーやテニスに夢中でした。僕は子どもの頃からオンオフの落差が激しい。代わりにオンになったらトコトンです。6年生の夏に国家試験合格に向けてオンになってからは、今日まで一日たりともスイッチを切ったことはありません。

卒業後は阪大の第一外科に入局して心臓外科医になる道を選びました。人の命を直接的に救える分野だと思ったからです。それに当時どこよりも忙しいとされていた第一外科は、体力には自信がある自分向きだとも思いました。実際、心臓外科医は体力とやる気です。このふたつが何よりも重要な資質だと、今でも本気で感じています。第一外科での研修を終えると、神戸の川崎病院を経て、大阪府立母子保健総合医療センターで子どもの心臓手術に携わります。当時の手術は一度心臓を停めてから行うものでしたので、子どもの身体には大きな負担がかかりました。僕にとって最初の研究テーマになったのが、この負担を減らすこと。これに関する論文はアメリカの心臓病学会の学会誌にも掲載されて話題になりました。これこそが研究の面白さと大切さを教えてくれた出来事です。研究と手術とを両輪にしてキャリアを重ねる出発点となりました。

心不全治療に再生医療という手を。

ドイツへの留学を経て、1992年に阪大に戻ってからは人工心臓や心臓移植の手術に携わりながら「心不全」の研究に取り組んできました。心不全とは、心臓の機能が低下して、十分な血液を送り出せなくなる症状全般のことです。心不全にはA~Dまでのステージがあって、ステージDまで悪化すると人工心臓を装着するか心臓移植しか打つ手がなくなります。ところが、人工心臓には年齢規定などの制限があるため、誰もが装着できるわけではありません。心臓移植に至ってはドナー数が全然足らない状況です。医療技術ではなく「社会」が心不全の増加に追いついていないのです。だからこそ、ステージDに至る患者さんをひとりでも減らすことが現時点では最優先課題になります。

ステージCまでの患者さんの心臓を回復させる新たな手段として、今期待を寄せているのが再生医療です。僕自身は、2000年頃から東京女子医科大学の岡野先生が開発した「細胞シート」を活用する研究を重ねてきました。その結果生まれたのが、患者さん自身のふくらはぎから培養した細胞シートを用いた治療方法です。細胞シートを心臓に貼り付けると、シートから筋肉の損傷を治癒する働きを持つタンパク質「サイトカイン」が分泌され、弱った心臓が回復します。2002年頃から動物実験で安全性を確かめ、2007年に初めてヒトでの臨床試験に成功、2016年には株式会社テルモと共同で世界初となる心不全治療用再生医療等製品「ハートシート」を完成させました。

ほかにも、iPS細胞を用いた新たな治療方法の開発も進めています。人工心臓、心臓移植に加え、再生医療というカードを手にしたことで、僕たちはより多くの患者さんを救えるようになりました。これこそが、阪大が「最終受け入れ病院」として期待され、難しい症状を抱えた患者さんが世界中から集まる理由です。

僕の研究者としての座右の銘は「先手必勝」です。2006年に教授になってからは「阪大の心臓外科は世界の10年先を行かなくてはならない」という気持ちで、チャレンジを重ねてきました。再生医療分野のみならず、心肺同時移植、新型カテーテルの導入など、日本初となった試みは数知れません。もちろん、新しいチャレンジにはリスクが伴いますし、医療は博打ではないから、「先手」で「必勝」しなくてはお話になりません。だからあらゆる努力を重ねてきたつもりです。

僕が「一番」にこだわるのには理由があります。まず、病に苦しむ患者さんを一刻も早く救うため。一番にこだわっていると、人工心臓のメーカーも新しい製品を開発したら、一番に我々に話を持ってきてくれます。そして何よりも、優秀な人材を獲得するためです。日本では心臓外科は不人気で、どの大学でも心臓外科医を目指す若手がひとりいればいいレベル。ところが阪大には、毎年若手が10人以上も入局してきます。「新しい心臓の手術を学ぶなら阪大」というブランドのおかげです。実際、阪大では、若手医師であっても世界最先端の治療を手がけています。つい先日も「IMPELLA(インペラ)」という新しい人工心臓を用いた手術を若手が成功させました。10年後、彼らはその道のスペシャリストになっているでしょう。彼ら自身、それをよく理解しているから意欲的です。

より多くの若手に経験を積ませるために、手術件数にもこだわってきました。かつては年間200件ほどだった手術件数は、今では1000件を超えています。件数は増えても、手術の質は落ちていません。アメリカでは心臓手術後の死亡率は2~3%ですが、阪大は0.5%です。これは僕ひとりの手柄ではありません。優秀な部下に恵まれたおかげだと、いつも感謝しています。

心臓病で死なない社会。
これを作ることが目標です。

僕は定年まであと3年ですが、まだ20年は働きたい。やりたいことは山積みです。例えば、人材育成。心臓外科の分野だけではなく、「足」のスペシャリストも育てたい。足の血行が悪くなって死ぬ人は少なくありません。足はとても重要な器官です。アメリカでは「足病学部」という専門学部があるほどメジャーな分野なのに、日本ではいまだに専門家がいません。これをなんとかしたい。心臓手術ももっと効率化したいし、外科医と内科医とがスムーズに連携できる仕組みも作りたい。始まったばかりの再生医療を正しく導くことも僕の役割のひとつでしょう。

心臓外科医になってからの37年間、毎日ずっと心臓のことばかり考えてきました。文字通り、心臓バカです。だから心臓の病ならば大抵のものは治せる自負があります。「助けて」と言われたら必ず助ける。それを貫いてきました。心臓外科で治療を受けると、多くの患者さんは見違えるほど元気になります。その姿を見ることが、何よりの喜びです。僕の理想である「心臓の病で亡くなる人がいない社会」を目指して、これからも、ずっと走り続けていきたいですね。