Dr.の肖像

僕の言葉だって信じすぎたらアカン。

初志貫徹なんて無関係。努力は必ずしも報われない。これからの研究は大きく変わらざるをえない──。そう大胆不敵に語るのは仲野徹氏だ。では、氏はどうして医学の研究を続けてきたのか? その歩みを辿りながら、研究の世界をサバイブする極意に迫ります。

仲野 徹

大阪大学大学院医学系研究科
病理学講座 幹細胞病理学 教授

サルの研究では生活が…。
そして僕は医者になった。

高校生の頃は、京都大学でサルの研究をしたいと思っていました。けれど早くに父を亡くしていたから、「経済的な問題もあるし」と思って選んだのが、阪大の医学部だったわけです。実際に先日、京大総長の山極寿一先生とお話した時「サルの研究はカネにならん」と仰ってました。まぁ成績も良かったし、「お医者さん」って今よりも随分とかっこいい職業でしたからね。専門には内科を選びました。血液の研究がしたかったんです。入学当初は、子どもが好きだから小児科もいいかなと思ったけど、子どもの苦しそうな顔を見るのがダメでね。外科という選択肢は、ハナからなかったですね。あまり器用じゃないし、時間をかけて練習する根気もありませんから。

医学部への受験を決めた理由といい、僕がいかに後ろ向きな進路選択をしているかがわかりますね。でも、人生ってそれでいいんじゃないですかね。初めから「この道しかない」と思い詰めていたら、苦しいだけです。「なんとなく」で選んだ進路なら、後からの方向転換も気楽でしょう。多くの人には、それくらい柔軟に構えておいた方がいいと思います。だいたい「初志貫徹で成功した」などという話はウソの可能性が高いから、真に受けない方がよろしい。

一日も早く辞めたかった
「本庶研」で学んだこと。

本格的な研究の道へと導いてくれたのは、今の講座の先代教授だった北村幸彦先生です。ちょっとした縁がきっかけで「ウチで助手やりませんか?」と声をかけてもらいました。あのお誘いがなければ、ずっと臨床医だったかもしれません。

それから数年間、北村先生のもとで勉強した後、ドイツへと留学します。これは分子生物学の世界的権威、トーマス・グラフ先生のもとで学ぶため。というのが理由の半分で、もう半分くらいはヨーロッパで遊びたかったというのが本音。実は、留学を終えたら臨床医に戻ってもいいかと思っていたので「ここまで頑張ったんやから、最後に2年くらい遊んでもいいか」という気持ちでした。それなのに、そこで研究の面白さに目覚めてしまうのですから、人生って分かりません。トーマス先生は本当にクリエイティブな研究者で刺激的だったし、オンとオフがはっきりしたドイツのワークスタイルも性に合っていました。心から楽しんで研究に打ち込めた2年間でした。

日本に戻ってからは、京都大学に所属して研究を続ける道を選びました。ところが、ドイツでは夢のように楽しかった研究が、いまひとつ面白くない。研究室のボスは、先日ノーベル賞を受賞された本庶佑先生です。とにかく厳しくて、無言のプレッシャーが凄まじい。誰もがストイックにがんばらざるを得ない環境でした。僕自身、盆も正月もなく研究室に通い詰めで、祖父の葬式の日にも研究室に行ったほどです。シンドくてシンドくて、大文字の山焼きを見に行って「今年こそ辞められますように」と願掛けするくらい、早くオサラバしたかった(笑)。神頼みが通じたのか、4年目に「ES細胞から血液細胞への分化誘導」というテーマで結果を出せました。

雑誌『Science』に掲載されたこの論文のおかげで、晴れて本庶研を「卒業」できたわけです。随分とキツイ思いもしましたが、本庶研に入ったことは、僕の人生で最良の選択だったと思います。「研究者の帝王学」とでも言うのでしょうか。「一流とはかくあるべし」という理想像を本庶先生の姿から学びました。

必要なのは
努力よりもかわいげです。

ずっと血液学を研究してきましたが、阪大の教授になった頃から新たな研究に取り組み始めました。きっかけは、今は生命誌研究館におられる西川伸一先生の「教授になったら違うテーマも研究せなあかんで」という一言です。その結果、たどり着いたのが「エピジェネティクス」でした。と言っても、ほとんどの人には「何のこっちゃ」という感じでしょう。まあ、欄外のコラムで説明しますので、気が向いたら読んでみてください。いずれにしても、40代という研究者としての能力がピークの時期に新しいテーマに取り組めたことは幸運でした。

こうやって振り返ると、僕は本当に運が良かったと思います。教授になってからも、研究費がなくて万事休すというときにトップダウンの助成金に助けられたり。何より、3人の師匠をはじめとして、人の縁に恵まれたのが大きいです。これは学会のキャリアパスの講演でも話したことですが、若手研究者にとって「かわいげ」ほど大切なものはありません。いくら努力しても、報われるとは限らんですからね。かわいげがあれば、手を差し伸べてくれる人、評価してくれる人は必ず現れます。僕にかわいげがあったかというと甚だ疑問ですが……。いずれにせよ、いい縁に恵まれたいと思ったら、一度は出身大学の枠の外に出て、多くの人と知り合いになることをすすめます。若いうちから閉じこもっていたらダメ。これは口を酸っぱくして言っておきたいです。

医学はもう、オモロくない?

僕が学生だった頃に比べると、医学は長足の進歩を遂げました。いろんな意見はあるでしょうけれど、大きな研究テーマは設定しにくくなり、若手の研究者にとっては厳しい状況だと思います。ただ、ビッグデータを利用した研究をはじめとして、まだまだ新しいチャンスはあります。そうした機会をつかむためにも、常に好奇心を磨いておいてください。広く浅くでも構わないから、若いうちにいろんなものに触れて、引き出しを増やしておくべきです。研究だけじゃなくて、遊びでもなんでもいいからとにかく新しいことにチャレンジしてみてください。僕だって5年前から義太夫を始めたくらいです。

あなたが医学を好きだと思えるなら、どうぞ医学部へ来てください。ただし、環境問題やAIなど医学以外に取り組むべき重要なテーマはいくらでもありますから、進学先は真剣に考えて決めてほしい。医学部に入ることで得るものはたくさんありますが、失うものだってたくさんあります。まず第一に医学部に入ったら、基本的には医者になる以外に人生の選択肢はないわけです。純粋に医学を面白がれる人、患者さんを助けたいと思える人じゃないと、シンドイと思います。

僕自身は、医学の研究はとても楽しかった。さっきも言ったように、これからは斬新な発見が次々に生まれる時代じゃないかもしれない。それでもまだまだ医学は面白いと信じています。まぁ、僕の言葉を信じすぎるのもアカンから、いっぺん自分の頭でよく考えてみること。結局それしかありませんね。