研究テーマ

   
  当教室のメンバーの多くは、日常の診療を通じて、数多くの病理組織を顕微鏡を用いて観察しています。当教室では、毎日の診断で目にする疾患について、目に 見えているものの裏にあるメカニズムを想像し、それを検証していくという研究をしています。当然、想像は単なる想像、あるいは単なる妄想でしかなかったと いう結果に終わることも多々あります。しかし、目に見えているものの裏にある機構を予想し、それを検証するプロセスを何度も繰り返して行けば、将来的に何 か面白いことにたどり着けるのではと考えています。 
  
1. 腫瘍の多様性グループ
  現在の研究室の研究テーマのひとつとして、私たちは特に、腫瘍の多様性に興味をもっています。腫瘍は通常集団で存在しており、腫瘍を構成する細胞は原則と して一つのクローンです。ところが、 一つのクローンであるにも関わらず、腫瘍細胞おのおのは、異なる性質をもっています。たとえば、一個一個バラバラにしてしまえば、再び腫瘍を形成できる細 胞もいれば、二度と腫瘍を形成できない細胞もいます。病理診断で目にする腫瘍細胞は、形だけでは再び腫瘍を形成できるような特殊な性質のものかどうかわか りません。そこで、再び腫瘍を形成できるような性質をもつ特殊な細胞も特異的マーカーを発見し、これを可視化することを目的に研究しています。

腫瘍の特徴的な形態変化に着目した病理学的研究
 私たちは、腫瘍の多様性の一環として、腫瘍がなぜ特徴的な形態を取るのかということに興味を持っています。
 子宮体部の類内膜癌には、組織学的に悪性度が低いとされるGrade 1であるにもかかわらず、高い浸潤性を示すMELF (microcystic, elongated, and fragmented) patternと いう特徴的な形態を有するものがあります。我々はこれまでに子宮体癌の幹細胞マーカーとされているALDH1 (aldehyde dehydrogenase 1)に関連するタンパク質を検索する過程において、MMP-2 (matrix metalloproteinase-2)を介した間質浸潤に重要なS100A4や、細胞膜のカベオラ形成に必須のSDPR (serum deprivation-response protein)がMELF patternに関連することを明らかにしました(Tahara S et al, Cancer Sci, 107: 1345-52, 2016; Tahara S et al, Cancer Sci, 110: 1804-13, 2019)。またMELF patternを有する症例のホルマリン固定パラフィンブロックからレーザーマイクロダイセクションを行い、RNA sequenceによるトランスクリプトーム解析により表層部とMELF patternをとる浸潤部の発現の比較を行いました。その結果、ヒストンのメチル化を減少させるNNMT (Nicotinamide N-methyltransferase) がMELF patternの浸潤に関連すること、PD-L1がMELF patternの浸潤先進部で強発現することを明らかにしました(Tahara S et al, Cancer Med, doi: 10.1002/cam4.4359, 2021; Tahara S et al, Pathol Res Pract, 2021 (in press))。MELF patternの詳細な解析により、類内膜癌の新たな浸潤メカニズムの解明と、類内膜癌の悪性度を示すマーカーや治療ターゲットの発見を目指しています。
MELF

がん代謝に関する病理学的研究
 また、私たちは、腫瘍の多様性のひとつとして、がんに特異的な代謝機構についても興味を持っています。
  近年の研究において、これまでがん細胞の代謝の分野では探索されていなかったセリンラセマーゼという酵素がL-セリンからピルビン酸に至る代謝経路を担い、大腸癌の増殖を促進していることを明らかにしています(Ohshima K, et al. Nat Metab, 2(1):81-96, 2020)。 本研究成果ではさらに、セリンラセマーゼ阻害剤が大腸がん細胞の増殖抑制効果を示すことを明らかにし、セリンラセマーゼが大腸癌の治療標的になる可能性を 示しています。大腸がんは日本人において罹患率、死亡率ともに上位に入るがんですが、手術不能進行・再発例の根治は難しいことで知られています。本研究結 果から、セリンラセマーゼが、大腸がんの代謝経路を標的とする新たなコンセプトの創薬ターゲットになることが期待されます。

Racemase

 その他に、アルギニノコハク酸シンテターゼ 1Argininosuccinate synthetase 1 (ASS1) という酵素が子宮内膜癌の遊走能・浸潤能に関わること、C14orf159 というミトコンドリア基質関連の分子が大腸癌の転移能に関わること、ミトコンドリアによるヒストンのアセチル化が大腸癌にとって重要であること等のさまざまな知見を見出しています(Ohshima K, et al. Sci Rep, 7: 45504, 2017; Ohshima K, et al. Br J Cancer,  2021 (in press); Ohshima K, et al. J Pathol. 2021 (in press))。
 このように私たちは、分子生物学的手法によるin vitro機能解析と組織形態学的検索を組み合わせて、病理医にしかできない発想で研究を行うことを目標に、日々研究活動を続けています。


2. 悪性リンパ腫の病理学的解析グループ
  悪性リンパ腫は、血液中のリンパ球が悪性化した腫瘍性疾患です。当研究室では、悪性リンパ腫の多様性についても、精力的に研究を行っています。腫瘍細胞の 中には腫瘍幹細胞と呼ばれる治療抵抗性の細胞群がわずかながら存在し、抗癌剤や放射線療法など種々の治療で大部分の腫瘍細胞が死滅しても、このわずかに生 存する腫瘍幹細胞によって再発が起こってしまうと考えられています。腫瘍幹細胞は白血病で最初にその存在が明らかとされ、その後、乳癌や前立腺癌、膵臓癌 など多くの腫瘍で報告されていますが、悪性リンパ腫について腫瘍幹細胞の観点からの解析を行った報告はほとんどありませんでした。当研究グループは、悪性 リンパ腫のうちホジキンリンパ腫とリンパ形質細胞性リンパ腫に着目して腫瘍幹細胞の候補を検討しました。ホジキンリンパ腫は腫瘍細胞のサイズが比較的多彩 なタイプのリンパ腫ですが、大型腫瘍細胞ではなく、小型腫瘍細胞の一部で腫瘍幹細胞の性格がみられることを報告しました。一方、リンパ形質細胞性リンパ腫 はBリンパ球と形質細胞の性格を併せ持ったタイプのリンパ腫ですが、両者の性格が乏しい未熟な腫瘍細胞群で腫瘍幹細胞の性格がみられることを報告しました (Ikeda J et al, Am J Pathol, 177(6):3081-8, 2010 ; Ikeda J et al, Lab Invest, 92(4):606-14, 2012 ; Wada N et al, Lab Invest, 94(1):79-88, 2014)。


3. 次世代病理診断技術グループ
  病理組織診断は多くの疾患において確定診断や治療方針の決定に直接に関与する重要な医行為です。その診断は、ホルマリン固定後の病変部組織をパラフィン包 埋の後、数マイクロメートルの薄さに薄切し、これをヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色)にて染色したスライドガラスを、顕微鏡で観察することにより 行われますが、その標本作製法の根幹については、1800年代半ばにその基礎が開発されて以来、ほとんど改変が加えられておらず、新たな技術の導入が望ま れていました。研究グループは最近、主に基礎生物学分野にて用いられていたCUBIC (Clear, Unobstructed Brain/Body Imaging Cocktails and Computational analysis) という先端イメージング技術をヒト病理組織検体に応用し、臨床病理組織診断における有用性を詳細に検討しました。この中で、CUBICにより病理組織検体 における正常および病的な組織所見を3次元的かつ明瞭に描出できること、CUBICが従来のスライドガラス作製法と両立可能なこと、病院に長期保管されて いるパラフィンに包埋された状態の検体にも応用できることを示しています。さらにこの技術を、病変を発見するための実際の臨床病理検査におけるスクリーニ ング系に応用し、検査の感度を向上させることにも成功しています (Nojima S, et al. Sci Rep, 7(1):9269, 2017)。本研究成果は、東京大学 大学院医学系研究科 システムズ薬理学教室 / 理化学研究所 生命システム研究センター 細胞デザインコア 合成生物学研究グループ、洲﨑悦生講師、上田泰己教授らの研究グループとの共同研究になります。研究グループはこのように、先端技術を病理組織診断に フィードバックし、次世代の病理診断のスタンダードとなりえる技術を開発するべく、研究活動を行っています。