平成11年度文部省特定領域研究「高次脳機能のシステム的理解」研究報告書

皮質視覚野におけるコリン性投射の意義:AChによる視床由来入力支配の優位性の上昇

木村文隆(班員)

大阪大学大学院医学系研究科 バイオメディカル教育研究センター 神経生理学研究部

 大脳皮質視覚野は前脳基底部からアセチルコリン(ACh)含有線維の密な投射を受けており、AChは皮質内情報処理の制御に関与していることは以前から指摘されていたが、そのメカニズムについては未だに統一的な理解は得られていない。しかしながら、AChの作用に関する近年の成果を、入力由来という観点から分類すると以下のように非常にすっきりしたパターンが示唆される。

入力由来 効果 作用時間 作用部位 受容体亜型
 皮質内由来入力 抑制性  持続的  全層 ムスカリニック (mACh-R)
 上行性由来入力 興奮性 一時的 4層 ニコチニック  (nACh-R)

 これが正しいとすれば、AChは皮質内において興奮伝播をその由来に応じてコントロールしている可能性がある。本研究はこの可能性を実験的に検証する目的で行った。
 実験はラットの皮質視覚野から切片標本を作製し、膜電位感受性色素を用いた光学的計測により行った。刺激電極を白質、及び2/3層に留置しそれぞれに独立に与えた刺激による興奮伝播がAChによりどのように制御されるかを定量的に検討することを試みた1)。
 AChは、その分解酵素により皮質内では急速に分解されることが知られている。そのため、分解酵素に対しては感受性のないアゴニストをもちいられることが多いが、それらのアゴニストは上記の2種の受容体亜型に対してAChとは異なる親和性を持つ。最終的には両受容体亜型の相互作用を検討することを目標とする本実験ではAChと異なる親和性を持つ薬物を使用することは適当ではないと考えられるため、あえてAChを用いることにした。そのため、まずAChが特異的に作用する濃度領域を同定する目的でフィールド電位記録を行い、AChによる効果の用量反応曲線を求めた。その結果、AChはフィールド電位を濃度依存的に抑制し、そのEC50は約45 mM、Hill係数がほぼ1であった。これより、以後の実験ではAChの最大効果を観察するため、1−10mMの濃度を用いた。まず、mACh-Rを介する抑制について検討した。白質刺激による興奮伝播はAChにより全層に亘って抑制された。しかし、抑制の程度は一様ではなく表層、深層に比べてその中間層では弱い傾向があった。主に単シナプス性成分を反映していると考えられる速く伝播する成分に注目すると、AChは浅層、深層では約40−50%のシナプス反応を抑制したが、中間層では約20−30%しか抑制しなかった。しかしながら複シナプス性成分を含む成分について検討すると、全層を通じてほぼ同程度の抑制が認められ、部位差は見られなかった。解剖学的層構造の検討より、抑制が弱い領域は主に4層を中心としてい留ことが判った。また、グルタメイト投与による実験、さらに、2/3層刺激による垂直方向の興奮伝播に対する解析、最後に、アトロピンを用いた実験により、AChは白質より上行する一群の線維終末以外の皮質内結合をムスカリニック受容体を介してシナプス前性に抑制していることが示唆された。この結果は、シナプス反応の抑制がムスカリニック受容体を介するというこれまでの報告と一致する2)。さらにムスカリニック受容体が皮質視覚野細胞には広範に分布するにも関わらず、視床からの上行性線維終末には局在しないという報告とも一致する。しかし一方で、外側膝状体由来の線維終末にはnACh-Rが局在していることから、ニコチン存在下では視床由来の興奮は促通作用を受ける可能性がある。次に、この可能性について検討を行った。
 同様に皮質視覚野の切片において、白質刺激による興奮伝播に対するニコチンの効果を調べた。その結果、約半数のスライスにおいてニコチン(50mM)は興奮を10−20%上昇させた。この促通効果は中間層を中心とした領域に拡がっていたが、解剖学的層構造と対応させてみると決して4層だけに限局されているわけではなく、2/3層から6層上部まで比較的広範に拡がっていた。促通作用を電気生理学的にも確認する目的で白質刺激によるフィールド電位の記録を2/3層から行った。その結果、ニコチン投与により促通作用を受けるものも認められたが、その程度はスライスにより変動が大きく無効のものをあった。これは、スライス標本において白質刺激が必ずしも視床由来の上行性線維を選択的に刺激できないことによるものである可能性が強い。そこで、より選択的に視床由来繊維を刺激する目的で視覚野でなく、齧歯類の体性感覚野を標本として用いる実験を開始した。この標本では、視床と皮質の繊維結合を保ったままでスライス標本を作製することができる。予備実験では、視床刺激による皮質4層からのフィールド電位はニコチン存在下で劇的に変化するものがいくつか観察された。現在、この効果の詳細をさらに検討する実験と、光学的計測による実験を遂行中である。
以上まとめると、AChは皮質細胞への入力をその由来により制御している可能性がある。つまり、皮質細胞由来の入力は強く抑制しながら、同時に視床由来の入力に対しては逆に促通している可能性が強い。これより、前脳基底部由来のコリン作動性細胞は皮質細胞に対して、上行性繊維由来入力を皮質内由来入力に対して相対的に優位にする作用を持つことが検証された。

文献
1)Kimura, F., Fukuda, M. & Tsumoto, T. Acetylcholine suppresses the spread of excitation in the visual cortex revealed by optical recording: Possible differential effect depending on the source of input. European Journal of Neuroscience (1999) 11: 3597-3609
2) Kimura, F. & Baughman,RW Distinct muscarinic receptor subtypes suppress excitatory and inhibitory synaptic responses in cortical neurons. J. Neurophysiol. (1997) 77: 709-716


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