幹事細川喜弘(53回生)(筆山28号より転載)

 昨年4月、高知新聞大阪支社に赴任。社内の土佐高OBに紹介され、関西支部の幹事に加わったものの、幹事会には一度も出席していない。実に申し訳ない限りです。関西支部では昨年、幹事13人を増員、総勢31人となった。数回の幹事会で自熟した論議を経て2000年1月15目、梅田の新阪急ホテルで総会を開催。百人近くが集まり、母校からは森本尭土教頭、高知から岡村南高知工科大副学長も参加された。永野元玄支部長、中山真知子事務局長を中心に、今後も盛んに活動していくはずだ。
 さて、高知新聞大阪支社の取材活動で、いわゆる「必物」の一つに甲子園がある。大阪支社の記者はスタンド応援席の取材が担当。春、夏、春と3画体験したが、すべて県代表は明徳義塾。監督の特異なキャラクターとその実力から、毎回注目度の高いチームで、高校野球の取材対象としては面白い。何回も通っていると選手の家族や関係者に顔見知りもできる。しかし、スタンドに高知出身者や高知県人はほとんどいない。高知新聞の記者としては、応援に集まった県出身者や学校OBという風景も見たい。明徳を嫌うわけではないが、ここ9回の甲子園のうち8回出場という独占状態は、少し極端だ。この春には高知県出身者が一人もベンチ入りできなかった。試合を戦ったのは全員、大阪など県外出身。中学校の野球部でなく、学校と無関係のシニアリーグで硬式野球をやっていた選手ばかりだ。昭和60年ころの明徳のエ−ス山本誠氏(宿毛市出身)は「僕らのころも県外のシニアリーグ出身者はいたが、県内の中学出身者の方がうまくて、結局試合に出るのは県内勢だった」と振り返る。つまり、明徳に入ってくる県外勢はレベルが上がり、県内の中学野球はレベルが下がった、と考えられる。せめて2回か3回に1回は明徳以外の学校が甲子園に行くという状態になれば、県全体のレベルも上がるだろう。さて、その明徳が近年最も苦手にしているのが土佐。3年前の秋には寺本、高橋両投手のいた明徳相手に一時は6点リードしながら、延長戦で負け。昨年夏の大会(萩の県予選のシードを決める公式戦)でも、延長戦に持ち込んだ。この夏はどうか。甲子園で皆さんに会える日を楽しみに。


戻る