個人の遺伝子情報に基づいて、「炎症」をコントロールする。ず、しかも新型コロナのような「新しい敵」が日々登場するシビアな状況です。一方で、オリンピックなどの大規模イベントにおける危機管理では、救急医療のノウハウが活かされています。人々の文化的な営みを舞台裏で支えられるのはとても誇らしいこと。貢献の場も確実に広がっています。救急の現場を分かりやすくご説明しましょう。例えば、全身大けがしている人をどのように治療するか。致命傷があればお腹を開けて、スピードを優先して出血箇所を塞いで、その2日後に体力の回復を待って丁寧な手術を行います。CTを撮っている間に出血性ショックで命を落としかねませんからね。がんの手術はとにかくきれいに取り切ることを重視しますが、救急の手術は優先順位を決めて「今日はここまで」と我慢するのがポイントです。さらに手強いのは敗血症。簡単にいうと、体中に病原体が広がって全身が弱っている状態です。いまだに5人に1人が亡くなってしまいますが、メカニズムははっきり分かっていません。有害物質を人工透析して回収すればうまくいくわけでもないのです。病原体が入ってきたときの身体の反応が「炎症」であり、それが制御できなくなると死に至ります。しかし、炎症を丸ごと抑え込めばいいというものでもありません。けがすると、赤く腫れたり熱を持ったりかゆくなりますよね。それは白血球が病原体と闘っているから。炎症によって皮膚の修復機能が働き、回復に向かうのです。だったら、炎症のいいところだけをうまく利用できないものだろうか。そういった観点から世界中で研究が進んでいます。不思議なのは、同じ毒素が体内を回っても、人によって炎症の大小があること。おそらくそれは遺伝子やその発現の違いに起因するのではないでしょうか。個人間のわずかな遺伝子の違いをSNP(スニップ)といい、病気のかかりやすさ、体質の違いに関係していると近年注目されています。私の研究室でも、患者さんの協力を得てデータを集め、関係する遺伝子を絞り込んでいるところです。2050年には、個別化医療の波が救急の世界にも及び、個人ごと、いわばテーラーメイド的に炎症をコントロールすることも可能かもしれません。何が生死を分けるのか。研究すべきことはまだたくさん残されています。「もっと多くの命を救えるはず」という救急医としての実感があり、責任の大きさに身の引き締まる思いです。2021年より大阪大学大学院医学系研究科 救急医学 教授。附属病院高度救命救急センターのセンター長を兼ねる。重傷の熱傷(やけど)を専門とし、侵襲時の生体反応に関する研究に長年従事。現在は重症化に関わる遺伝子や重病者の腸内環境に着目した研究が進行している。東京医科大学在籍時には、臨床実習でVR(仮想現実)を用いた教材を導入した。11Jun Oda
元のページ ../index.html#13