DOEFF vol13
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消化器内科の道を選んだ竹原徹郎教授。肝臓の不思議な魅力を知り、研究に没頭しました。2022年には阪大病院の病院長に就任。近年は、患者さんの「全身」を診ていた臨床医の頃を振り返ることもあるといいます。大学病院としてやるべきことはなにか。医療現場の在り方にも話題が広がるインタビューとなりました。て究める道は自分に向いているだろうかという不安がありました。もう少し社会との接点がほしいな、と。だから、人の命や病気に対して科学的にアプローチする医学は、当時の自分には魅力的に映ったのだと思います。ただ、明確に「医者になるぞ!」と誓ったわけでもありませんでした。今は入学試験の面接官を務める立場ですが、多くの受験者がしっかりした志望動機をもっていて感心します。でも、私のような若者もいたと知っていただくのは、悪くないかもしれません。まずは行動。ビジョンは後から付いてくる。それが昔から自分のスタイルのような気がします。医学部の勉強は面白かったですね。でも、カリキュラムが基礎医学から臨床医学に移ったときは、少し戸惑いました。基礎医学は、中学高校から連なる学問の延長線上にあるという点で、内容が難化しているとはいえ分かりやすいわけです。一方で臨床医学は、診断一つとってみても、患者さんの体の中になんらかの原因があるのに、それに完全には到達できないもどかしさがつきまといます。いつの時代も、完璧な治療というものはなく、その時点でベストと判断した方策をとるしかありません。通常の科学とは少し違う感じがします。ただ、自分で選んだ道ですから、しばらくはこの枠内で頑張ってみようという気持ちでした。内科を選択したのは、ほかの診療科よりも守備範囲が広いところに惹かれたから。消化器内科を選んだのも同じ理由です。消化器は一つの臓器に限らず、病気の種類も多岐にわたりますしね。さらに言うと、発症後、治癒したり悪化したりするプロセスにおいて、手術という特定の「イベント」に注力する外科に比べて、内科は一人の患者さんに向き合う時間が自ずと長くなります。そこが自分の志向には合っていました。医学部卒業後、阪大病院で研修医として勤め始め、2年目からはいくつかの関連病院で臨床の経験を積みます。本当に無我夢中で、毎日やるべきことをやるだけ。悩む暇もありませんでした。大して不満もなく、このまま臨床をやっていくのかなと考えていたところ、後の恩師となる林紀夫先生から「大学に戻って研究したらどうか」と声をかけられたことが転機に。4年ぶりに母校に戻り、新たな道を歩むことになりました。肝臓の病気がある患者さんから、肝臓の組織を採取して顕微鏡で調べるのが「肝生検」です。その余った部分を使って免疫細胞の種類を調べることが、私の最初の研究でした。図書館に通い詰めた末に自分で見出したテーマであり、誰かが手取り足取り教えてくれるわけではありません。フローサイトメトリーという当時のハイテク機器で解析してみようということで、それを保有する製薬会社の協力を取りつけた思い出も。新しいことを突き止めるにはテクノロジーが必要です。最近はシングルセル解析の手法が発達し、組織の一つ一つの細胞の動きが手にとるように分かります。アイデアと技術の両輪で医学は前に進むのです。DOEFF Vol. 1313不思議で奥深い、肝臓に魅せられて。

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