DOEFF vol14
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脳神経外科医として、「神経疾患を治すのは難しい」という現実に直面した山下俊英教授。治療法の開発を目指して、研究者の道を志しました。常に頭の中にあったのは、長らく困難と思われてきた「傷ついた神経の再生」。数々の発見を成し遂げ、治療薬の実用化も見えてきました。常識にとらわれず、道を拓いた教授の研究者人生を振り返ります。した。この経験から、「死」について考えるようになったのは確かです。太宰治や三島由紀夫の小説に手を伸ばしたりもしました。具体的に興味を持ったのは終末期医療です。当時日本における終末期医療の先駆けだった柏木哲夫先生に私淑し、先生の母校である阪大医学部に進学。ボランティアでホスピスの見学や講演会の企画、体の不自由な方の施設への訪問などに取り組む一方、学業が進むうちに、当然ながら終末期医療だけでなく「治す」医療を知って、視野が広がります。臨床医を志して、卒業時は脳神経外科の道を選びました。死を認識するのも痛みを感じるのも、結局は脳の反応です。この選択もかねてからの関心の延長線上にあったといえます。4年ほどいくつかの病院で脳外科医として経験を積みましたが、5年目に大学院に戻り研究者としてのキャリアをスタート。この進路変更には臨床の経験が大きく関わっています。脳外科では、患者さんを治すこと自体が難しいという現実に直面しました。脳や脊髄に外傷を負った方、脳出血や脳腫瘍を患った方をたくさん見てきましたが、半身不随になると元には戻せません。脳外科医としてやれるのは、例えば動脈瘤が再び破裂しないようにクリップをかけるような予防的な治療ぐらい。さらに当時、母が交通事故に遭い、脳挫傷で重い高次脳機能障害を患って常時介護を必要とする事態となりました。息子の私が専門とする領域なのに、まったく手に負えない。これらのもどかしさが、治療法の開発につながるような研究の道を志すきっかけとなったのです。臨床系よりも研究の環境が整っていた基礎系の講座に入りました。それまで臨床一本鎗だったので、いわば「本籍」を変えたわけです。助手になった3年目からは、自発的なテーマ設定が可能となり、長らく胸の内にあった「神経の再生は可能か」という問いと本格的に向き合い始めました。脊髄損傷や脳血管障害など、神経系の疾患は100以上の種類がありますが、病態はたったひとつ、「神経の回路が壊れる」ということです。いったん壊れると元に戻らないのが最大の難点。有効な治療法はいまだにありません。別の神経細胞に刺激を伝達する神経の突起を軸索といいます。100年前に、一度切れると二度と伸びないと報告され、長年信じられてきました。しogoとかし2000年、神経の周囲で発現しているNいうタンパク質が軸索の再生をブロックしている仕組みを、世界の三つのグループがほぼ同時期に発見し、■の解明に向けて大きく状況が進展します。同じ頃、1998年から2年間ドイツに留学していた私は、p75というタンパク質に着目していました。軸索を伸ばし、神経細胞の生存にプラスに働く神経成長因子という分子の受容体でありながら、神経の再生を阻害するNogoの受容体としても機能することを突き止めたのは、帰国後の2002年のこと。軸索の伸長と抑制、その相反する効果を併せ持つのは、常識的には理解しがたいですが、実験結果は明らかにその事実を示しています。 ノ ゴDOEFF Vol. 1415壊れた神経は再生しない。そんな常識を覆したい。

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