DOEFF_vol1
15/24

6回生の秋に、憧れの岸本先生が本学第三内科の教授になられたことは僕にとって幸運でした。僕は内科臨床研修を経て、岸本先生のもとで大学院の4年間を過ごします。しかし残念ながら、研究成果が上がらず不完全燃焼でした。だから同じキャンパス内にある微生物病研究所(微研)に移って研究を続けます。これは教授の命に背いて医局を離れることを意味していて「医者としての出世コースからは外れた」ようなもの。岸本先生からも「何考えとんねん!」と怒鳴られました。けれども最終的には先生からも「しっかり頑張ってこい」と背中を押されます。昔から阪大にはそんな自由で大らかな雰囲気があったのですよね。微研は、ウイルスやバクテリア、がんに関する基礎研究で有名ですが、医学について勉強してきた僕は、とっかかりとして病気に関する研究をしたかった。そこで目を向けたのが「ある免疫が低下する病気に関連した遺伝子」を探すこと。そのときに見つけた遺伝子のひとつが「セマフォリン」です。当時セマフォリンは母親の胎内にいる子どもの神経が伸びる方向を決めるガイダンス因子だと考えられていました。なのに、なぜ免疫の病気に関わってくるのか。これが不思議でね。僕は高校生のときに父を亡くしたことをきっかけとして医者を目指しました。医者に対する憧れもありましたが、脳腫瘍だった父の病状について理解したかったのが主な志望理由です。だから脳外科医になるつもりで大阪大学の門を叩きました。しかし入学してすぐの頃、脳外科の先生が空っぽのウイスキーの瓶に細いピンセットを突っ込んでプラモデルを組み立てる姿を見たのです。あの器用さには参りました。「これは僕には無理だ」と脳外科医になることは挫折(笑)。大きな声では言えませんが、大学入学当初はあまり勉強熱心ではありませんでした。そんな僕にとって転機になったのが、当時大阪大学の医学部に特別講義で来られたりしていた岸本忠三先生と本庶佑先生がサイトカインという白血球から出るホルモンを発見したこと。あの時点では詳しいことは理解できませんでしたが「すごいことが起きている」「阪大では免疫の研究が盛んなんだ」と感じ、改めて授業に出るようになりました。実際、阪大では免疫研究がものすごく盛んで、現在も阪大の免疫研究ランキングは世界1位です。当時の阪大には、超一流の先生が年に何回かは特別講演にいらしていました。岸本先生に学生が質問をすると「説明がややこしい。そのうちわかるよ」となんとも型破りなご返答(笑)。一方、ノーベル賞候補にもなっている本庶先生なんかは「そんな高尚な質問に私ごときが答えられますかね」といった調子。身体がウイルスに感染したときに作られるウイルスをやっつけるインターフェロンを発見した谷口維紹先生は、世界的なチェリストのヨーヨー・マとご友人で、授業の半分は彼の話でした。ノーベル賞を取られた利根川進先生も、机に片膝立てて座っていてすごかったな。学問よりも、そんな印象的なエピソードばかりが記憶に残っています。僕はそういった出会いをきっかけに免疫学や研究職に憧れを抱きました。「三年勤め学ばんより、三年師を選ぶべし」という言葉があります。「3年勉強するなら、遊んでいてもいいから師匠を探しなさい」という意味です。「千日の勧学より、一日の学匠」ともいいます。「1000日間の独学より1日の出会いが運命を変える」という意味です。僕もその通りだと思います。DOEFF Vol. 0113超一流の先生との出会いは、僕を研究へと向かわせた。セマフォリンに関する研究で一気にブレイクした。

元のページ  ../index.html#15

このブックを見る