DOEFF_vol1
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こ ろ り ち じゅん近代医学の歩みとともにある大阪大学医学部の180年にもおよぶ歴史を、ビジュアルとともに読み解く。Vol.1では、本学の源流となった私塾を開いた緒方洪庵による、1830年代から1850年代の功績に迫ります。緒方洪庵の最初の刊行本。多くの蘭書から要点を取り込んだ病理学の総論で、当時としては最新の医学理論書であった。全12巻の目次が発表されていたが、実際に刊行されたのは3巻のみに留まった。大坂でコレラが大流行して多くの病死者が出た際に、洪庵がいくつかの蘭医書からコレラの治療法に関する部分を抜き出して刊行した書。洪庵が翻訳した内科書「扶氏経験遺訓」の巻末に記された「医者の義務」を12カ条に要約したもの。原書の著者、フーフェランドが50年の治療経験から導いた思想が元となっているが、「自分を犠牲にして人を救うことに専念せよ」などと洪庵の医学観も反映されている。大阪大学では、これを「医のこころ」として、医学部附属病院や医学系研究科長室、医学史料展示室など、数カ所に複製を掲示している。DOEFF Vol. 0117 1849年 日本初の病理学の書「病学通論」 1858年 コレラの治療書「虎狼痢治準」 1857年 「医のこころ」となった扶氏医戒之略

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