DOEFF_vol2
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DOEFF Vol. 0217大阪大学医学部の精神的源流である適塾に、全国から集まった門下生は24年間で1000名を超えた。その多くは郷里に帰って医師として活躍したが、ここでは明治維新による日本の近代化に貢献した人物を紹介する。幕府の医学所で緒方洪庵の門下生となった後、長崎でオランダの医学者ボードインに学ぶ。明治になりドイツに留学後、新政府に登用され軍医監を経て、1872年に東京医学校校長、東京大学医学部初代総理に。 日本最初の医師博士号を受け、明治天皇の専属医も務めた。日本の近代医学の礎を築いた医師池田謙斎1841-1918帰郷後、医師となるが、藩の政治改革にも参画。やがて国事にも携わり、身分を問わない人材抜擢や、西洋の先進技術の導入による革新的な開国論を展開。幕府の政治改革を訴えた。江戸幕府14代将軍をめぐる継嗣問題に介入したことを理由に、1859年「安政の大獄」で死罪となる。革新的な開国政策によって死罪となった思想家橋本左内1834-1859江戸に出て「蘭学塾(のちの慶応義塾)」を開く。3度に渡って幕府の遣外使節に随行し、欧米を歴訪。帰国後、著作『西洋事情』を通して、西洋の文明や精神を日本に伝えた。自由・平等から実学の重要性、国の独立についてまでを説いた『学問のすすめ』(1872年)では、文明開化の世の中で何を学ぶべきかを示した。日本の進むべき道を示した教育者福澤諭吉1838-1901欧米視察を通じて、医療制度や医学教育について学ぶ。帰国後は文部省の医務局長と、東京医学校(現・東京大学医学部)の校長を兼務。1878年、内務省衛生局の初代局長となり、衛生行政、医師開業免許制、医薬分業、医学教育といった近代的な医療制度についての法令「医制」を定める。衛生行政の基礎も築いた。近代的な医療制度の創始者長なが與よ専せんさい斎1838-1902

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