DOEFF_vol3
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DOEFF Vol. 0313練習する根気もありませんから。医学部への受験を決めた理由といい、僕がいかに後ろ向きな進路選択をしているかがわかりますね。でも、人生ってそれでいいんじゃないですかね。初めから「この道しかない」と思い詰めていたら、苦しいだけです。「なんとなく」で選んだ進路なら、後からの方向転換も気楽でしょう。多くの人には、それくらい柔軟に構えておいた方がいいと思います。だいたい「初志貫徹で成功した」などという話はウソの可能性が高いから、真に受けない方がよろしい。本格的な研究の道へと導いてくれたのは、今の講座の先代教授だった北村幸彦先生です。ちょっとした縁がきっかけで「ウチで助手やりませんか?」と声をかけてもらいました。あのお誘いがなければ、ずっと臨床医だったかもしれません。それから数年間、北村先生のもとで勉強した後、ドイツへと留学します。これは分子生物学の世界的権威、トーマス・グラフ先生のもとで学ぶため。というのが理由の半分で、もう半分くらい 一日も早く辞めたかった「本庶研」で学んだこと。はヨーロッパで遊びたかったというのが本音。実は、留学を終えたら臨床医に戻ってもいいかと思っていたので「ここまで頑張ったんやから、最後に2年くらい遊んでもいいか」という気持ちでした。それなのに、そこで研究の面白さに目覚めてしまうのですから、人生って分かりません。トーマス先生は本当にクリエイティブな研究者で刺激的だったし、オンとオフがはっきりしたドイツのワークスタイルも性に合っていました。心から楽しんで研究に打ち込めた2年間でした。日本に戻ってからは、京都大学に所属して研究を続ける道を選びました。ところが、ドイツでは 夢のように楽しかった研究が、いまひとつ面白くない。研究室のボスは、先日ノーベル賞を受賞された本庶佑先生です。とにかく厳しくて、無言のプレッシャーが凄まじい。誰もがストイックにがんばらざるを得ない環境でした。僕自身、盆も正月もなく研究室に通い詰めで、祖父の葬式の日にも研究室に行ったほどです。シンドくて シンドくて、大文字の山焼きを見に行って「今年こそ辞められますように」と願掛けするくらい、早くオサラバしたかった(笑)。神頼みが通じたのか、4年目に「ES細胞から血液細胞への分化誘導」というテーマで結果を出せました。

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