DOEFF_vol4
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DOEFF Vol. 0413先天性心疾患という心臓の病を抱えて生まれた僕は、2歳のときに大きな手術を受けました。当時の技術水準だと成功率は5割ほどだったそうですが、神戸大学にいらした麻田栄先生という心臓外科の名医の手によって手術は無事に成功。僕自身にその頃の記憶はありませんが、両親は折にふれて「あなたは医療に命を救われたんだよ」と聞かせてくれました。そのなかで芽生えた医療への感謝の気持ちが、僕の原点です。自然と医師を志すようになり、大阪大学医学部へと進みました。もちろん目指したのは、心臓を専門とする医師です。学部時代には麻田先生に再会して「ぜひ心臓外科医になってください」との言葉もかけていただきました。けれども手先の不器用な僕が麻田先生のような心臓外科医になれるとは思えませんでした。同じ心臓を専門とする医師でも、心臓内科医として患者さんを救っていこうと決意したのはそのためです。卒業後は第一内科医局に入局。臨床を重んじる第一内科医局の雰囲気は、僕にぴったりでした。当時は、研究者になるつもりはなく、臨床医として「いいお医者さん」になることを目指していましたからね。目の前の患者さん一人ひとりを治療することが、何よりも大切だと考えていました。実際に、医局での研修が終わると、大阪警察病院で臨床医としての道を歩み始めます。ここでの数年間は、ハードの一言。オフはお盆の2日間だけで、363日いつでも患者さんの元に駆けつけられる態勢でいたほどです。昨今の常識からすると決して美化はできませんが、短期間でさまざまな症例を抱えた多くの患者さんと向き合えたことは大きな収穫です。臨床医として患者さんを救う喜びもここで学びました。その反面、患者さんを救えない悔しさも幾度となく味わいます。大阪警察病院は最先端の病院でしたが、それでも助けられない患者さんが大勢いました。彼らを救うために、自分は何をすれば良かったのか。自問自答を繰り返すうちに、どんなに技術を磨いても、ひとりの医師が対応できる患者数には限界があることに思い至ります。より大勢の患者さんを救うには、研究を通じて医療の質自体を底上げすることが、近道になるのではないか。そんな思いから大阪大学へと戻り、心不全をテーマに研究をスタートしました。研究を始めてから数年後、心不全研究の世界的権威、ベイラー医科大学のDouglas Mann先生の研究室に留学する機会に恵まれました。アメリカに到着してほどなく、先生から「明日からボストン大学へ行ってくれ」と告げられます。マウスの心臓を取り出し、血液と類似した成分の液体を流しながら体外で動かし続ける「ランゲンドルフ法」という実験を習得してこいというのです。猶予はわずか一週間。慣れない英語に悪戦苦闘日本の医療制度は、ローカルな制度に過ぎない。僕自身が医療によって命を救ってもらった。幼い頃に心臓病を患い、手術によって一命を取りとめた坂田泰史氏。医療への感謝の思いから心臓内科医の道へと進んだ氏が目指すのは、世界中の医師がすぐに役立てられる、新しい診断技術の確立です。「何億人もの命を救うことが、僕の夢です」と語る氏が、研究にかける思いとは。その真摯な姿勢に耳を傾けます。

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