DOEFF vol5
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16楠本 長三郎大阪帝国大学初代医学部長兼附属病院長。大阪医科大学長として、大阪帝国大学の創設に尽力。微生物病研究所を設置するなど、医学部の拡大に貢献した。長岡 半太郎大阪帝国大学初代総長。物理学者。原子模型の先駆けとなる、土星型原子模型を提唱したことで科学史に名を残す。1937年には第一回文化勲章を受章した。「大阪帝国大学醫学部」の表札の文字は、若槻禮次郎首相の書き下ろし。首相自らが大学の表札に揮き毫ごうしたのはこれが初めて。大阪帝国大学開学式の様子。左から田中隆三文部大臣、長岡半太郎総長、楠本長三郎医院長。第一期新入生は医学部と理学部とを合わせて86名だった。1931年、大阪医科大学を母体として、日本で6番目の帝国大学である大阪帝国大学が誕生した。当時は昭和恐慌の真っ只中。政府の財政状況が悪化するなかで、「大阪にも帝国大学を」の掛け声のもと大阪の行政、経済界による政府への働きかけと、市民らの支援によって学生を受け入れるに至った。文字通り「大阪が大阪のためにつくった大学」と言える。大阪帝国大学の誕生[Vol.05 ]大阪帝国大学。1931年には医学部生のみだったが、翌年には大阪工業大学の学生が工学部生として入学。その翌年には理学部生が入学し、理科系3学部体制が整った。

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