DOEFF vol6
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DOEFF Vol. 0613と断言できるだけの努力をしなければ、私は自分を許せなかった。輸液から循環管理、透析まで、術後の全身管理を死に物狂いで勉強しました。気がつくと「ひとりICU」と呼ばれるようになっていましたが、それは私以外に全身管理をできる人間がいなかったからでもあります。血圧をどう安定させるか。利尿剤は投与するべきか。あらゆる判断を自分で下し、朝は6時から夜は12時まで毎日働き詰めでした。そうした嵐のような日々のなかで学んだのは、医師には必ず「逃げられない瞬間」がやってくるということです。目の前に苦しんでいる患者さんがいたら、どんなに難しい治療だとしても腹を括って臨むしかない。そうした心構えを身につけたあの数年は、今振り返っても大きなターニングポイントになっています。研修医時代は上司にも恵まれました。特に影響を受けたのは、食道がんを専門としていた岡川和弘先生です。先生は、患者さんのこととなると途端に目の色が変わる情熱家。あの姿勢は今も私のお手本です。岡川先生は手術の腕前もピカイチでした。手術の上手さというのは、手先の器用さだけでは決まりません。何より大切なのは「手術をする」という判断が下せるかどうかです。難しい手術になるとわかっていても、患者さんのこれからの人生ために、手術という選択肢を選べるか。そのために絶え間なく技術を磨き続けられるか。それができる医師こそが、一流の外科医です。もちろん岡川先生もそのひとり。私も常にそうであろうと努めてきました。現在私が所属している阪大の食道グループでも、同じように考える医師が多い。だからこそ皆で技術を磨き、難しい手術にチャレンジしてきました。幸いなことに、阪大はICUのレベルが非常に高く、心臓血管外科や呼吸器外科、形成外科など、あらゆる科のトップレベルの医師からバックアップを受けられます。だからこそ、この恵まれた環境にふさわしい仕事をしなければならない。阪大という組織の力をフル活用して、ほかの病院では手に負えない困難な手術を手がけていくことは、私たちの変わらぬ使命です。一方で、私自身は外科医としてのピークを過ぎてしまったことも自覚しています。昔は15時間以上も立ちっぱなしで手術ができましたが、今の体力では心許ないし、視力も少しずつ衰えてくる。結局、ひとりの医師が救える人の数には限界があるのです。だからこそ今は、後継者を育てることに意識を傾けています。担い手が減り続けている外科医という仕事の魅力を発信していくことも、これからの私の役目です。さまざまな手術を執刀する一方で、手術後のQOL(生活の質)を高める栄養療法の研究にも取り組んでいます。食道がんや胃がんというのは、手術という選択を選べる医師に。手術からの回復にも力を尽くします。医学部に入るつもりはなかった。そううそぶいてきた医学生は、病院という名の戦場で揉まれ、一流の外科医へと変貌を遂げます。医師としても研究者としても「満点のさらに先」を目指し研鑽を重ねる土岐祐一郎教授にお話を伺いました。

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