DOEFF vol6
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16[Vol.06 ]大阪仮病院・大阪医学校が仮設された1869年から100周年を迎えたことを記念する式典。当初は1969年に執り行われる予定だったが、大学紛争によって延期を余儀なくされ、翌1970年に挙行された。式典では初代大阪医学校長の緒方惟準(洪庵の嫡子)に加え、近代西洋医学を大阪へと根付かせた3人のオランダ人医師、A.F.ボードウィン、C.Jエルレメンス、C.G.van.マンスフェルトのレリーフを作製・披露した。このレリーフは現在も銀杏会館(2階)に展示されている。医学伝習百年記念式典の開催1961年、大阪を襲った第2室戸台風によって河川が氾濫。さらに高潮によって大阪湾の海水が流れ込み、キャンパス一帯が浸水。地下に所蔵されていた貴重な資料や設備も壊滅的な被害を受けた。以前より中之島は地盤沈下の傾向が指摘されており、この被災がキャンパス移転を後押しした。その後、万国博覧会の跡地に着目し、吹田移転の計画が進められた。室戸台風の襲来1945年、度重なる空襲によって、大阪駅から中之島キャンパスまでの間にある建物のほとんどが焼き尽くされた。医学部・理学部の建物は焼夷弾の直撃こそ免れたものの、水道、ガス、電気が不通となり、研究活動の停止を余儀なくされた。しかし1947年頃から復興の兆しが見え始め、徐々に講義や実験が再開。1948年には法文学部(現、法学科、文学科、経済学科)が加わり、1949年に総合大学としての大阪大学が発足した。戦災からの復興戦後の実地教育の様子。1946年には初となる女子学生も入学した。来賓のオランダ大使をはじめ、約1200名が式典に参加した。最低気圧は882 hPa。統計開始以来、上陸時の勢力が最も強かった台風とされている。

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