幼少の頃から熱中したのはスポーツ。紆余曲折を経て医学部に入学したのは23歳のときでした。恩師との出会いにより解剖の奥深さに目覚め、「人はなぜ死ぬのか」という問いと常に向き合ってきた松本博志教授。「死者によって私たちは生かされている」と語るその真意を探ります。こっていた日本とは異なり、手にした文献は、医学部の教授や医師によって書かれていました。大学の医学部に入学したのは23歳のとき。ずいぶん回り道をしています。いろいろな大学の、医学部ではないいくつかの学部で入学、中退を繰り返しながら、スポーツを続けていました。学者の方や高校の先輩に将来のことを相談する中で、 「身体に興味があるのなら医学では」と言われ、医学の門を叩いたのです。ところが、和歌山県立医科大学に入って、またスポーツで大けがに見舞われます。手術をし、半年ほど車いすの生活を送ることになってしまいました。当時、大学の施設はバリアフリー化されておらず、階段教室では実習を受けるのもままならない。しかし、これが大きな転換点になりました。ほかにできることもありませんので、真剣に勉強と向き合えるようになり、英語の教科書にも取り組んだのです。それに加え、周囲の方のご支援や介助がとてもありがたかった。「自分」から脱皮し、「人の役に立ちたい」という思いが芽生えました。もう一つの転機は、医学部4年次の基礎配属です。フルタイムで基礎研究の教室に入り、実験に勤しむプログラムであり、そこで初めてスポーツ以外に打ち込むものができたと感じられました。私が所属した教室は、保健所から提供された野犬を使って実験を行っていました。麻酔をかけて開胸し、肺塞栓症モデルを作成する。6種の不活性ガスの値を測定し、微分方程式に従って換気血流比 を当時最先端のミニコンで解析する。そのモデルは、胸部外科や呼吸器内科で使ってくれました。うれしかったですね。患者さんの治療に役立つんだと実感できたわけですから。恩師の若杉長英先生に出会ったのは大学2年次です。ご専門は法医学。人体の勉強をしたいと申し出たところ早々に解剖に参加させていただき、多くのことを教わりました。先生からは「法医学はいいぞ」と幾度となく聞かされたものです。「法律も扱うし、医学のすべての領域を網羅する。なんでも対象になるんだ」。2年次の秋、中国の大学との交流時に寝台列車で移動中、二段ベッドの上から聞こえてきた先生の言葉が、将来の選択に生きました。刃物で刺されてとか大病を患ってというのはわかりやすい。でも、若くしてあっけなく亡くなってしまう人がいる。実験や解剖を繰り返しているうちに、「なぜ個体は死ぬんだろう」という問いを追求してみたいと思うようになりました。年齢的に出遅れている自分を快く受け入れてくれそうな診療科がなかなか見つからない中、法医学の研究室だけはウェルカムだったのがありがたかったですね。法医学の世界は、全国の研究室で人事交流が活発で、若くして教授になった方もいらっしゃる。ある種自由闊達な風土があり、学DOEFF Vol. 0813酔っ払いも、研究対象に。
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