DOEFF vol12
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・大阪大学大学院医学系研究科・大阪大学大学院医学系研究科・大阪大学医学部附属病院准教授・大阪大学医学部附属病院助教授・医学博士(大阪大学)・大阪大学医学部助手・大阪大学医学部卒業・京都大学薬学部卒業病態病理学教授病態病理学准教授     1996200720082012DOEFF Vol. 12患者さんの転院先まで追跡するほどでした。そのフィロソフィーと行動力に畏敬の念を抱いたものです。北村先生の研究室にいた頃は、大所帯だったので与えられた役割を果たせるよう心がけていましたが、青笹先生がおっしゃったのは、「自分にしかできない仕事をやりなさい」ということ。日々の病理診断でがんを見ている経験を活かして、自分らしい発想で研究に取り組もう、と心が定まりました。ビッグラボから離れて独り立ちできたのは、青笹先生のおかげです。流れるがままここに来たという気持ちがあります。とりあえずデューティーをこなしてきました。ときには嫌々だったかもしれません。でも、そういう仕事の一つひとつが、あるときに結びついて新しい発想が生まれる。興味のあることだけをやっていたらたどり着けない場所がある。これらもまた、真理だと思います。「大発見をしたい」といった大それた目標はありません。ただ、「妄想」が湧き起こり、それが的19881992中したときは心底楽しく、自然界の一端が分かったみたいな思いになります。「当たり」は千に一つぐらいではありますが、そういうのを見つけていきたいな、と。それが目標といえば目標でしょうか。その先で、「楽しい人生やったな」と気持ちよく死ねれば本望ですね。200615Biography千に一つの可能性を諦めない。

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