大阪大学大学院医学系研究科 耳鼻咽喉科・頭頸部外科学

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教室について

沿革

明治39年(1906年)に加藤 亨が大阪府立高等医学校の教諭兼耳鼻咽喉科医長として東京帝国大学より赴任し、耳鼻咽喉科の診療と教育を始めたのが当教室の始まりであり、今日まで100年以上の歴史を刻んでいる。その間、大阪府立高等医学校は、府立大阪医科大学(大正4年)、大阪医科大学(大正8年)、大阪帝国大学医学部(昭和6年)、大阪大学医学部(昭和21年)と名称が変遷している。

加藤 亨 初代教授(1906年~1926年)

明治36年東京帝国大学を卒業、明治39年4月、大阪府立高等医学校教諭に任ぜられ着任し、同年5月、医長に任命されて耳鼻咽喉科が新設された。大正4年10月、高等医学校の府立医科大学昇格に伴い、教授に就任した。明治43年にウィーンに留学し、耳小骨筋反射の研究で業績をあげた。退官後、大阪聾口話学校を設立した。これが今日の大阪府立生野聴覚支援学校である。

辰巳正太郎 第2代教授(1926年~1931年)

明治39年大阪府立高等医学校を卒業、加藤教室に入局し、大正15年教授に就任した。聾唖について研究を行い、聾唖教育に注力した。

山川強四郎 第3代教授(1931年~1956年)

大正8年九州帝国大学を卒業、金沢医科大学教授を経て、昭和6年教授に就任した。生前にメニエール病に苦しんだ大阪大学産婦人科学講座教授緒方十右衛門の側頭骨標本を作成し、昭和13年4月、世界に先駆けてメニエール病患者の病態が「内リンパ水腫」であることを発表した。

長谷川高敏 第4代教授(1956年~1965年)

昭和2年府立大阪医科大学を卒業、長崎医科大学教授、大阪市立医科大学教授を経て、昭和31年教授に就任した。迷路の基礎研究、メニエール病、動揺病(加速度病)の臨床研究に尽力し、めまいの治療法として高濃度重曹水(メイロン)注射療法を開発した。

内藤 儁 第5代教授(1966年~1980年)

昭和15年大阪帝国大学医学部を卒業、山川強四郎教授の門下に入り、昭和41年教授に就任した。メニエール病の手術であるPortmann手術を改良し、山川・内藤式手術を考案した。また、内リンパ水腫の動物モデルを作成し、病態解明に努めた。

松永 亨 第6代教授(1980年~1993年)

昭和29年大阪大学医学部を卒業、山川強四郎教授の門下に入り、昭和55年教授に就任した。めまいの発症における自律神経系の関与や、蝸電図検査による内リンパ水腫の検出等について研究を行った。また、ストレスと自律神経、ストレスとめまいについての検討を行った。

久保 武 第7代教授(1993年~2008年)

昭和46年大阪大学医学部を卒業、内藤 儁教授の門下に入り、平成5年教授に就任した。人工内耳の本邦への導入初期から積極的に手術を行い、当教室における人工内耳手術件数は本邦最多となった。人工内耳手術ならびに術後のリハビリに関する研究に尽力し、人工内耳医療の普及に多大な貢献をした。

猪原 秀典 第8代教授(2009年~ )

昭和62年大阪大学医学部を卒業。平成21年教授に就任した。