「科学技術週間」
はじめまして。この春より加藤研に仲間入りさせていただきました、高橋可江と申します。関東出身者ですので、今はまさに異文化体験の只中です。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、17日から、科学技術週間が始まっています。
加藤研では、何といっても「一家に1枚ヒトゲノムマップ」の制作という大きな仕事がありました。ありました、などといいましたが、実は今も、予想をはるかに上回る反響への対応やWeb版の更新(まだまだ増えるようです、乞うご期待!)など、決して仕事が終わったわけではありません。加納さんをはじめ、制作チームは相変わらず忙しそうです。
しかし、この「ヒトゲノムマップ」については既に二つ記事が続いていますので、今回は別のネタでお話をしようと思います。
科学技術週間というのは、1960年(昭和35年)2月に、閣議了解によって設けられたものだそうです。その趣旨は、「科学技術に関し、ひろく一般国民の関心と理解を深め、もって我が国の科学技術の振興を図るため、科学技術週間を設け、できるかぎりこの期間中に各種の科学技術に関する行事を集中的に実施し、目的達成に資するものとする」とされています。
1960年といえば、60年安保闘争のあった年であり、日本で初めてカラーテレビの本放送が始まった年であり、世界的には、当時植民地だったアフリカの地域の多数が独立を達成したことから、アフリカの年と呼ばれるそうです。生命科学に関していえば、DNAの二重らせん構造が提唱されたのが53年、セントラルドグマが提唱されたのが58年ですから、まだ産声をあげたばかりといった時期でしょうか。
この46年間に、「科学技術」に起こった変化はすさまじいものだったと思います。にも拘らず、今も変わらず同じ趣旨のもとで「科学技術週間」が続いているというのも、考えてみればなかなかすごいことです。
科学技術週間が設置された1960年当時には、「科学技術の振興を図ること」イコール「国が豊かになること」「生活がより良くなること」だと、おそらく多くの人が信じていたでしょう。しかし今は、「国を豊かに、生活を便利にする科学技術」というごく単純な「科学技術の在り方」は崩れつつあり、ではこの先科学技術は社会全体の中でどう存在していくのか、その「在り方」を模索しなおすことが求められているように思います。とすると、科学技術週間の趣旨も、46年前と同じ文に基づいてはいても、そこに持たされる意味はもっと大きく、複雑になってきているのかもしれません。
ちなみに、1960年にはまだインターネットは影も形もありませんでした。つまり、歴史無知な人間がちょっと調べて、さも自身の教養であるかのように「1960年といえば~」などと行数を稼ぐことはとても不可能だったわけですね。
これも「科学技術の恩恵」というやつです。
(高橋可江)