人の中で研究するときの心構え

この分野に進学して以来、何をよしとするか、どういう状態が理想だと思うのかといった自分自身の立場をきびしく問われるようになったと思います。例えば、「知っている」ほうが「知らない」よりも望ましい状態なのか。どのような知識について、どういう場面でそれが成り立つか。
生物学の学生だったときと比べると、自分自身の人格が俎上に乗っている、というと言い過ぎですが、日常生活で不意になにか突きつけられるような緊張感が身辺に漂うようになった気がします。もちろん生物学の学生としてももっと緊張感をもつべきではありましたし、修士課程より博士課程がきびしくなるのは当然ではありますが。

今年度から加藤研にいらした日比野さんに教えていただき、いま「コミュニティのグループ・ダイナミックス」という本を読んでいます。
自然科学研究では、研究者が研究対象に与える影響を極力排除しようとします。これに対して、研究者が人々の集団の中である発見をするときには、研究対象と研究者の間の相互作用が避けられず、両者の間に一線を引くことができないと考えることができます。この本では、そのような立場に立つ学問分野を「人間科学」と呼んでいます。さらに、この本の題名になっているグループ・ダイナミックスという研究分野では、ある人々の集団に研究者が入りこんで、話すことや共同作業を通じて研究を進めることを「協同的実践」と呼ぶそうです。
このような記述の後、以下のくだりが続きます。「・・・」は中略部分です。

協同的実践は、・・・いかに価値中立的であろうとしても、・・・必ず何らかの価値や目的を前提にしている。
ということは、人間科学の知識は、その知識を生み出した協同的実践で前提とされた価値や目的と分かちがたく結びついているということだ。・・・それだけに、人間科学の知識をつくり出す研究者も、人間科学の知識を使おうとする人々も、自らの目的や価値観を常に問い続ける必要がある。・・・いったん生成された知識が・・・価値中立的な妥当性を有する自然科学とは対照的である。
「コミュニティのグループ・ダイナミックス」 杉万俊夫編著、京都大学学術出版会 p.35

「価値中立的な妥当性を有する自然科学」というものを厳密に考えてみるのも面白いですが、ともあれ、自然科学分野から引越してきた私にとって、今さらではありますが、新しい心構えが必要であることがすっきりとわかった気がしました。
「自分のもつ目的と価値観をつねに問い続ける」、改めて肝に銘じました。

(伊東真知子)