「ドイツ・ボンより」 (吉澤 剛)

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ドイツのボンはライン川のほとりに佇む小さな街で、旧西ドイツの首都やベートーヴェンの生地として知られています。社会主義者で哲学者のモーゼス・ヘスが生誕した場所でもあり、ライン川の左岸沿いにその名を冠した短い通りと、その側にダビデの星と石碑がひっそりと置かれています。ヘスは「理論的なものこそがほんとうに実践的なものだ」という問題意識とともに行為の哲学を志向しました。こうした二律背反はドイツ哲学の脈流にもなっており、現代のドイツにおける倫理や政策を考えるうえでも意義深いものがあります。

福島の原発事故を受け、ドイツは「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」の報告によって脱原発政策へと転換しました。地方分権の長い伝統を持つドイツでも、政策議題の倫理的な側面について国家的な意思表明が模索されることは、日本における倫理や政策のあり方を振り返るよい機会となります。

htkt_2015_2ここでは、どの分野の社会科学においても倫理という言葉が日常的に見られ、確立された個人がおのおの倫理を持ち、ぶつけあっている印象があります。対して日本では、研究では学派の細分化と、実務では状況倫理が広まり、倫理学に関する分野や文脈どうしの懸隔が一つの課題といえます。ドイツのように個人の倫理が国家の倫理にまで昇華されることのおそれは、そのコントラストとして、日本のように個人の分人化した倫理によって日和見な意思決定が専横するおそれを浮かび上がらせています。個人として倫理を持つこと、それが国家や局所的なシステムに回収されないだけの多様性の強度を持つこと、その挑戦は理論と実践との融和として未来に生きる私たちに突きつけられた大きな題目ではないでしょうか。