生命科学と社会のコミュニケーション研究会

 先週14日(土)、第3回生命科学と社会のコミュニケーション研究会「実践から研究へ」がひらかれました。
これまでのテーマ「サイエンス・コミュニケーションの最前線」「出版される科学」と比べると事前申込者が少なく、「やっぱり、研究としてコミュニケーションというのは難しいのかな・・・」と少々深刻な空気が漂った加藤研でしたが、ふたを開けてみると当日参加者が多く、質疑応答も活発でした。

 大阪大学の小林傳司さんは、「私はむしろ『研究から実践へ』です」と前置きして、まず科学哲学と科学社会学の概観をわかりやすく示してくださいました。「学生が大学院に進学すると、根本的な問いをだんだん発さなくなり、『君もわかってきたね』と言われるようになる」という例を、パラダイムが共有されて効率よく知識が生産される「通常科学」の説明として挙げられ、笑いつつ身につまされました。また、1970年前後を境に科学批判の議論が世界的に深まったということも、具体的な例を豊富にまじえて解説してくださいました。
今後は「看板方式」のような、日本発で世界に通用するコミュニケーションモデルづくりを目指されるそうです。

 農業生物資源研究所の山口富子さんは、先端科学技術の社会学的分析、とくに言説分析について、ご自身の立場や用いている手法について具体的にご紹介くださいました。まず「社会問題の社会構築主義」、つまり、例えば遺伝子組換え作物の商業化やアルコール中毒といった事柄が問題であると社会で認識されるまでには、その問題に利害関係のあるさまざまな立場の人どうしの社会的な相互作用があるという考え方を解説されました。その相互作用がどのようなものであったかを精査するために、聞き取り調査や参与観察、印刷物などのデータを収集し、誰がどのような発言をしたかということを定量的・定性的に調べます。
質疑応答では、調査の具体的な方法やデータの解釈について、生物系の研究者も興味をもって活発に質問していました。

  最後の討論では、科学と社会をテーマとした研究を「何のために」おこなうかという議論がなされました。社会問題をテーマにしている以上、論文さえ出ればめでたしというわけにはいかないという考え方がある一方で、問題に対する自分の立場を表明してしまうと、分析や仲介の中立性を保つことが難しくなります。
現状を分析しながらタイムリーに問題解決に寄与するために、どのような研究をどのような立場でおこなうか。科学と社会についての研究を進める上で、つねに考えなければならないことです。
さらに、単純に「科学と社会」とは言えなくなってきている現状があります。何らかの専門家であっても、すこし分野が離れるとほとんど素人ということは珍しくありません。研究者が集まると、それは専門家集団というより、いろいろな立場の人を含む「社会」を形成しているといえます。科学と社会のコミュニケーションを考えることは、結局、科学が関わるコミュニケーションについて考えることにほかならないと思います。

(伊東真知子)