「常連さんのいるお店」
京都に住み始めてから、お店の人といわゆる「常連さん」がおしゃべりする光景に、時々出会うようになりました。
お店に常連客がつきやすい土地柄なのか、それとも単に私が以前より個人経営のお店によく行くようになったためなのか。その光景自体は「素敵だな」と思うのですが、初めて入ったお店で店員さんと周りの常連客のおしゃべりが始まってしまうと、やはり居心地の悪い思いをします。何度も通って自分も常連客になればいいのでしょうが、私は大抵その居心地の悪さにくじけてしまい、次からあまりそのお店に足が向かなくなってしまいます。
「常連さん」のいるお店に時間をかけて築かれる交流は、それ自体価値あるものではあるけれど、一方で、「常連さん」ばかりが集う雰囲気はときに「いちげんさん」にとって居心地の悪いものとなる。科学コミュニケーションの場を作ろうとする際、似たようなことが悩みになることがあります。
たとえば、ここ1、2年の間に急速に日本に広まってきた「サイエンスカフェ」という活動があります。やり方は色々ですが、大まかに言えば、街中のカフェやバーのような比較的気軽に立ち寄れる場所で、飲み物などを飲みつつ、科学者が一般の客と科学の話題について語り合う、といった活動です。フランスの「哲学カフェ」をモデルにしてイギリスとフランスでほぼ同時期に始まったもので、趣味の個人が主催する場合も、大学の機関やNPOやその他の組織がオーガナイザーを務める場合もあります。講演というよりも科学者を交えたその場にいる全員のディスカッションに主眼が置かれ、教育や知識提供ではなく「科学を語り合うことそのもの」「語り合う文化の醸成」を目的としていることが特徴です。
ところが、日本人にはそもそも見知らぬ人とディスカッションをするような習慣があまりなく、カフェに科学の話題を持ち込んだだけではなかなか「気軽に語り合う」とはいきません。日本でのサイエンスカフェを単なる「飲み物付き講演会」にせず、全員が参加して語り合う場にするためにどんな工夫をすればいいのか、というのは、オーガナイザー達の共通の課題です。
回を重ね、サイエンスカフェに参加するメンバーが「常連さん」に固定されれば、ディスカッションは比較的やりやすくなるのですが、それが行き過ぎれば仲間内だけの閉鎖的な雰囲気を作ってしまいます。科学に対する「何やら難しいことを一部の人が閉じ篭もってやっている」みたいなイメージを払拭し、科学を「みんなで気軽にしゃべる」文化を作ることがサイエンスカフェの目的だとすれば、そのサイエンスカフェが「閉じ篭もった」雰囲気になってしまうのは避けたいなあ…と思います。
ところで、「常連さん」がいても、居心地の悪くないお店というのもたまにあるんですね。何が違うのだろうと考えてみても、これだ、と明確な答えがあるわけではないようです。絶妙な店内配置だったり、接客の細やかな気配りだったり、店員さんの笑顔一つだったり…、結局は、微妙な部分で常に「初めての人も歓迎ですよ」という態度が感じられること、に尽きるのかもしれません。
コミュニケーションを深めていきつつ、常に新しい人や要素を迎え入れる空気を維持するにはどうすればいいのか…「常連さん」のいるお店から出た後、よくそんなことを考えます。
(高橋可江)