「生命『文化』を名乗ることの射程」
先日、小説家・多和田葉子氏の作品『海に落とした名前』を読みました。中に、飛行機事故で自分の名前を思い出せなくなった主人公が、医師とこう会話する箇所があり、ふと目が留まりました。
–「脳に怪我をしていないということが立証できますか。」「それはレントゲン写真というものもありますし。」「でもレントゲン写真に写るのは限られたものだけですよね。例えば、わたしが日本語ができるかできないかということも、レントゲンには写らないでしょう。」「それはそうですよ。そんなこと遺伝子を調べたって分かりません。」–
そして名前のない主人公の彼女は、「名前ではなく身体を保険に入れるべきですよ。家を借りる契約も、名前ではなく身体と結ぶべきです。」と呟くのでした。
人というのは面白いもので、記号でもって人格を互いに、そして己をも認識している。名前はその最たる物であります。無くても生存はできるが、「世の中」を生きてゆくことはできない。
「識る」ということもそうで、わたしたちはつい物事に名前をつけて整理したくなるし、そうやって自分の頭の中を落ち着けたいと欲する。植物も昆虫も遺伝子も、「ただそこに在るもの」なのだけれども、一つ一つに名前という記号をわたしたちの側でちょっと勝手に付けたりして、その特徴や働きぶりとセットにして覚えるたら何となく落ち着くし、世界を見渡しやすくなる。もちろんレントゲン写真や遺伝子でもっては、人格には至れません。これは大事な気付きです。ですが、別な形で至ることもあります。「文化」という形で、です。
昨年、自分の子をこの世界に迎えるという文字通り有難い経験をしました。まあ壮大な生命誌を鑑みれば、その奇跡性と、「自分の子」という表現の意味の無さに気絶するほど気が遠くなるので、今回はそこまでで止めておきます。
この出来事に伴った得難い行為の一つは、新しい客人の命名です。おっと、「命名」と打っただけで字面から言いたいことが全表現されてしましたね。本当に漢字というのは、DNAにも勝らんとする恐ろしい発明です。ですが折角なのであとちょっと、思うところを「ひとこと」だけ。
名前を考案するにあたり、昨年他界された惜しむべき文字学の碩学・白川静先生の字書を参考にさせていただきました。名はある意味、親が子に与えられる最大のものかも、と思っていましたが、やはりそうでした。名は呪とはよく言ったものです。記号でありつつ、その人の内面をも形成するのですから。
白川先生の字書を紐解くという行為は誠に、至福の愉悦だと言うほかありません。先生の偉業を、石川九楊氏はこう表されています。
「たとえば次のようなことを想定したらよい。東海の弧島(日本)の縄文時代に存在した言葉=語彙の大半とその語源が明らかにされ、加えて、各語彙がどのような共通項をもって相互に関係しているか、つまり語彙の宇宙の総体が解き明かされたとしたらどうだろう。 その時、縄文時代の社会と生活、さらには人間の意識に至までが生々しく再現されることであろう。当然のことながら、「稲」や、「水耕」に相当する言葉があれば、別段、考古学的発見に頼ることもなく、水耕稲作が存在したことは証明されるになる」(平凡社/月刊「百科」一月号より)
そして白川静の仕事は、紀元前1300年頃の殷(商)時代からこの方の漢字文化圏に置ける祭祀儀礼、政治・制度、社会習慣、人間意識の内面に至るまでの全体像を描き出したのです。千年単位の仕事です。その上、凄まじきは成果を数多くの「字書」という大著で形に残したことにあります。これが、我々が白川先生を失ったにも関わらず喪失感が小さいことの表れと言えましょう。先生の著作は間違いなく、百年後も二百年後も本屋や図書館の棚に有るだろうと断言できます。
さて文化というものは、時代の徒花といったものもありましょうが、基本は時代を超越して、窯変しながらも、あり続けるものだと思います。学問など正にその典型であり、また、そうでなくてはならないものでしょう。わたしたちはその知恵を元手に、偶然の産物であるその時代の状況に合わせて、物事の処し方を考える。馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことですが、何度も己に言い聞かせたいことでもあります。
現代において偶々「生命科学」と呼ばれている学問も同様です。上記の石川氏の文章で、「言葉(語彙)」を例えば「遺伝子」とかに置き換えて読んでみれば自ずと分かることでしょう。僅かな寿命しか持たない一人の人間が、何億年単位の生命の歴史の広大な潮流を窺い知ることができる。その得難さが、一時の浮世の流れに惑わされずに掲げ続けるべき、生命科学という学問の第一の「看板」だと私は思います。
この前の未来館においての森田さんの写真展も、同じ根から出芽する営みであることが見て取れるものでした。わたしたちが普段は見ることがが出来ない、生命の独特の「質感」の世界があることを窺おうとする営みです。遥か遠来の星空を眺めることをそれこそ紀元前から続けてきた、いかにも人間らしい営みだと思います。生命「文化」と名乗るわれらには、こういう営みも相応しいものなのでしょう。
以上
※ 注/最後から3行目「遠来の星空」・・・星の光は遠くよりはるばる来るもの、という感覚で使いました。
(新美耕平)