
アメリカ研修医事情 by Dr. Eguchi
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アメリカ研修医(レジデント)生活の体験を紹介させていただく6回シリーズの5回目として、今回はアメリカの医療制度全体について感じたことを述べさせていただきたいと思います。
アメリカ合衆国の医療制度の長所のひとつは、アメリカのどのような田舎であっても、また都会のスラム街であっても、ある程度の医療レベルが確保されているということであり、短所は、それを維持するためのコストが非常に高い(GNP比あたり日本のおよそ2.5倍)ということであります。
例えば、初めにオブザーバーとして滞在できたアリゾナ州ツーソンにあるアリゾナ大学病院においては、半径500km以内の遠隔地から、毎日ヘリコプターを使って患者が搬送され、特に遠隔地においては退院時にもヘリコプターの使用が許可されていました。また、スラム街で行き倒れになり路上で発見されたとしても、呼吸をして心臓が拍動している限りは、まずER(救急部門)に搬送され、そこで蘇生(resuscitation)が試みられ、そのままICU(集中治療室)に運ばれ、意識の回復と病状の安定が図られます。
ヘリコプターの使用も、ICUの高額の滞在費用(一日の管理料だけで30万円程度)も、日本の医療システムの常識からはもちろん考えられないコスト面がかかっていますが、彼らの考え方は、まず設備があるのだからそれを使って生命を助けよう、経費の捻出方法はそれから考えよう、という感じでありました。もっとも次第にコストの回収は難しくなってきており、近い将来このような高コストのシステムが破綻するのは間違いないところでありますが、実際上は人命に直接関わることですから、なかなかコストだけで切り捨てられるものではありません。
私が研修を受けましたニュージャージー州セントジョセフ病院は、カトリック系の民間のその地域の中核病院でありましたが、回収できなかった医療費の穴埋めとして、ニュージャージー州当局より毎年多額の(数十億円といわれる)援助を受けて存続しているということでありました。また、個人からの寄付も病棟単位で受けており、心臓循環センターや血液および癌部門の病棟はその寄付を基にして新しく改装され、寄付した人のネームプレートも並べてありました。一方、小児科はChildren's hospitalに指定され、病棟全体が新しい建物でありました。これは患者個人の家庭の状況にかかわらず、小児は国の将来を担うものとしてすべて何らかの保険でカバーされているから、ということでありました。将来の日本の医療システムを考える上で、大いに参考になることではないでしょうか。
アメリカの医療システムのもう一つの大きな課題は、多額の医療訴訟にこれからどのように対処していくかということであります。小児科病棟では、小児において事件が起きると訴訟に勝ち易いということで、レジデントは常に「狙われている」から気をつけるようにと注意されていました。また常識からは考えられないような話として、永年産婦人科をしてきた先生が、うっかり単独で患者を診たためにセクハラで訴えられ、目撃者がいないために反論を実証できず、即刻刑務所に入れられたため患者が困っているとか、整形外科医が脊椎の横にpain blockをしたとこら、患者が20年後に半身不随で法廷に現れたとか、唖然とする話がいくらでもありました。
最近では、医療訴訟に対する保険の掛け金が、産科では年間平均900万円近くになり、支払いができないために廃業する医者がどんどん増えていること、このままでは産科に限らずretire(引退)する人が増加して、医者全体としてもshortage(医者不足)をきたすという予測が出て来始めているということでありました。これは明らかに現行システムの欠陥であり、日本でも今から十分に対策を講じなければ質の高い医療を供給することが結果として困難になり、しいては国民全体の幸福に支障をきたすのではないかとつくづく感じさせられました。
アメリカでは入院患者のカルテは、病棟、病院全体、そして保険会社の担当により、毎日適切な治療が行われているか3重のチェックが入り、少しでも疑問があれば主治医に質問が来ます。
もちろん医学的な妥当性があれば基本的には認められるのですが、このようなシステムは、fairである一方、経費の増大は免れえません。外来の診察においては、毎月契約している各保険会社から一月毎の統計結果が郵送され、当月の各医者の診療における各種コストの割合や専門医への紹介率が他の医者の平均と比べてどうか、調査結果が知らされます。直ぐに改善できる程度であれば良いのですが、何時までも改善できなければ、最終的には保険会社から契約医としての認定が取り消されますので、患者さんはその医者の診察を受けられなくなります。
また、病院としても毎年各医者を評価し、もし問題があれば患者を入院させる権利(privilege)を取り消しますので、これも実際上診療ができなくなります。よって、アメリカでは医者としての活動を維持するためには、まず専門医(Board)の資格を維持し、さらに相当な実力を恒常的に維持する必要があります。実際上、その実現にはかなりの努力と労力を必要としますので、結構ある年齢になると維持できなくなり、retireする医者が数多く存在します。日本では医者が引退するというのはまだピンときませんが、いずれはそういう時代が来るのかもしれません。
次回、最終リポートでは全体をまとめたいと思います。皆様から今までいただいた質問にもお答えしますので、何か質問があれば送っていただきますようお願い申し上げます。
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