永野元玄さん一高知県生まれ。土佐高時代は甲子園に春2回、夏1回出場。1964〜93年の間、高校野球などの審判を務めた。
1991年のセンバツ。優勝戦の松商学園(長野)−広陵(広島)戦の主藩を務めた永野元玄さん(64)は「ゲームセット」と宣言しながら、「これぞ、本当のファインプレーだな」。心の中でそう思った。
5ー5の同点で迎えた広陵九回裏の攻撃は2死一、二塁。広陵の打者が放った飛球は前進守備の右翼手の頭上を越え、フェンスに跳ね返って芝生の上を転々とした。広陵の劇的なサヨナラ勝ち。両チームの選手がホームベース前に整列した。松商学園の中堅手、清沢悦郎さん(26)が、1人遅れて戻ってきた。ボールを拾いに行っていたのだ。
「これが全国優勝を決めたポールだよ」。礼の後、清沢さんが広陵の主将にそっと手渡した。その一部始終を永野さんは見ていた。
閉会式で優勝旗を受け取る広陵の主将。劇的な脳利で大会が終わった=1991年4月
大会後、永野さんば新しい大会球2個を添えて中原英孝・松商学園監督(54)に手紙を送った。「あの独特な雰囲気の中で、清沢君の冷静で昧のある行動を見て、すがすがしい思いになりました」。中原監督は手紙で初めて清沢さんの「ファインプレー」を知り、ポールを清沢さんに渡した。
清沢さんは大学を経て父親の会社こ就職し、昨年12月・長野県松本市で精婚式を挙げた。中原監督は式でこのエピソードを披露、大きな拍手が沸いた。清沢さんはこの話をだれにも話していなかった。「それほど意識していなかったから」と清沢さん。でも永野さんは「さりげないプレーにこそ高校野球のすぽらしさがある」と言う。
◇◇◇25日に開幕した第72回センバツ。甲子園で約30年間審判を務めた永野さんから「マスク越しに見た高校野球」の思い出を聞いた。=つづく(2000年3月25日毎日新聞夕刊より)