捕手のブロック改正へ
銚子商の走者が二塁からホームを突いたが、作新学院の捕手のブロックに阻まれわずか50センチ届かずアウト
ジャッジに一瞬迷った。永野元玄さんが審判になって10年目の1973年夏。甲子園で、ほろ苦い思いを味わった。怪物と騒がれた江川卓投手を擁する作新学院(栃木)と銚子商(千葉)が対戦した2回戦の延長十回裏。銚子商の二塁走者がヒットでホームを突き、作新学院の捕手がべ−スをプロツク。クロスプレーに、約5万600O人の観衆がどよめいた。
球審だった永野さんの右手が動くタイミングが少し遅れた。生還すれば、銚子商のサヨナラ勝ち。だが、判定は「アウト」。タイミングはセーフ一だったが、ブロックする捕手にホームベースが遮られていた。
「走塁妨害を適用してセーフと判定するぺきだったと後悔しているんです。それから、高校野球から本塁上のブロックをなくしたいと考えるようになった」
試合は結局、大粒の雨が降り続く十二回裏、江川投手の押し出し四球で銚子商がサヨナラ勝ちした。
このクロスプレーをきっかけに翌74年、高校野球のルールが改正された。「捕手はポールを捕球する寸前か、既にポールを持ってい一る時だけしか(三塁と本塁の)墨線上に位置することが出来ない」。「私のミスの産物です」と永野さん。さらに日本高校野球連盟は今回のセンバツから、この改正ル−ルを厳しく適用することを決めた。
「審判は、やればやるほど難しい。完ぺきに出来た試合なんてないかもしれない」。30年間の審判人生をそう振り返った。
=つづく(2000年3月28日毎日新聞夕刊より)